前回までビリー・ジョエルが83年にリリースしたアルバム「イノセント・マン」について、
というより、いつからやってたんだっけ?(´∀` ) ていうくらいに、長い間ビリーの事を
書き続けてきましたが、今回で終わりです(去年の6月からでした … )。
個人的には「イノセント・マン」でビリー・ジョエルは終わっています。・・・・・・・・・・
あっ、いきなりこんな事書いても、訳がわからない人には通じないし、世のビリーファンを
敵に回す事になるかもしれませんが ………… (#゚Д゚) ナニイッテンダ! ゴルァ・・・・(((((゚Å゚;)))))
あくまで私見ですよ、し・け・ん♡ ☆(ゝω・)v
85年にリリースした、新曲2曲を含む二枚組ベスト盤もバカ売れし、世の中はこの人と
フィル・コリンズと、あと数名のミュージシャンで回っているんではないかと思うくらいに
時代の趨勢を支配してと言えるほどでした。
その後において、オリジナルアルバムとしては「The Bridge」(86年)、
「Storm Front」(89年)、「River of Dreams」(93年)をリリースして、
いずれも大ヒットしたのは間違いないのですが、これが自分的にはまったくピンと
響かなかったのです。
どうしてか?と問われても答えようがありません、そうとしか思えなかったのですから。
これが当時はそう感じたけど、歳取った今聴き直してみたら印象が違った、というのであれば
十代から二十代前半の自分には理解出来なかった。という解釈もあるのですが、
五十歳になった現在でもこの感想は変わりません。
「ザ・ブリッジ」以降のビリーは迷走してしまった、というのが私個人の考えです。
その迷走振りが感じられるものを以下に数曲。
「ザ・ブリッジ」のオープニングナンバーである「Running on Ice」。何かに似ているな?
と思う人がいるかもしれません。そう、ポリス(スティング)です。
「ゴースト・イン・ザ・マシーン」か「シンクロニシティー」にこんな感じの曲が
入ってたんじゃね?と、思えるほどに。
クラプトン(クリーム)か? と思ってしまう「Shades of Grey」は
「リヴァー・オブ・ドリームス」に収録された楽曲。
これ辺りは完全にクリームを狙ったんじゃないかな?と私は思っています。
冒頭のドラムフィルイン、ギターの音色辺りが特に。
でもこの二曲、結構きらいではないんですけどね・・・・・・・
本人曰く創作意欲が尽きてしまったとか、エルトン・ジョンに励まされて
00年代以降一緒にツアーに出るようになった話とかは、いろいろな所で散見出来ますので
そちらをどうぞ(あっ、” 散見 ” 自体があちこちでという意味があるので、これは重複した
表現でした、馬から落ちて落馬、的な・・・・・)。
中学に上がった時から洋楽を聴き始めた際に、大流行りしていた「イノセント・マン」に
魅せられ、85年の二枚組ベストで過去の名曲に触れる事でさらにビリーの虜となった
洋楽ファンは多かったんではないでしょうか。勿論私もその一人です。
40年余りに渡り洋楽に親しんできた中でも、もっとも思入れのあるミュージシャンの
一人について長らく書き連ねてきました。
最後に総括しようかと思いましたが、それだけであと四~五回になってしまいますので
止めておきますが、本当にザックリまとめると、ビリージョエルというミュージシャンは、
バラードシンガーのイメージが強いけれども、実はロックンローラーの側面がかなりあり、
またその歌詞においても、「素顔のままで」の様な甘ったるいラブソングなどは稀有であり、
「イタリアンレストランにて」に代表されるストーリーテラー的なものや、「マイアミ2017」など
悲観的な内容を淡々と、またアイロニカルに描く事を得意とした人でした。
ヒマな人 …… もとい、時間に余裕がある方は#174から本回迄におけるビリー・ジョエル特集に
少しでもお目通し頂ければ幸いです。・・・・・・・・あっ、でも、時間のムダだった!
オレの時間返しやがれ!!(#`Д´)o とか言われても当方では責任を負いかねます。
あくまで自己責任のほど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・