エルトン・ジョンが71年に発表したアルバム「Madman Across the Water」は、
後年になって「Tiny Dancer」が評価されるようになり、それが収録された作品として
再び注目を浴びるようになっていきましたが、それまでは比較的印象の薄い作品でした。
全米最高位8位、翌年にはゴールドディスクを獲得するなど決してヒットしなかったという訳では
ないのですが、やはりヒットシングルが無いと人々の印象に残らないようです。
翌年にリリースされる「ホンキー・シャトー」以降の、No.1ヒットを連発するような
快進撃の直前であり、人々の記憶としてはそれらの間に埋没してしまったのでしょう。
米ではセールス的に満足のいくものでありましたが、本国イギリスにおける評価は最高位41位と
それまでの作品と比べると散々なものでした。
エルトンの音楽が英国人気質に合わないなどということは絶対にありえない事なので、
やはりアメリカでの高セールスは、派手なパフォーマンスが大いに要因としてありそうです。
上はA-③「Razor Face」とA-④タイトルトラック。
本作でディー・マレイ(b)とナイジェル・オルソン(ds)は演奏においては一曲しか参加していません。
これはプロデューサーであるガス・ダッジョンが、この時点ではまだ二人の力量に不安を
感じており、レコーディング陣はスタジオミュージシャンを中心に構成されています。
あのライヴアルバムにおける鉄壁の演奏を聴けば、そんな心配は無用だったと思うのですが・・・
ちなみに本作からイギリスが誇る名パーカッショニスト レイ・クーパーが参加しています。
その後におけるエルトンの名盤群にて数多の名演奏を残すことは周知の事実です。
上二つの動画はB-①「Indian Sunset」B-②「Holiday Inn」のスタジオライブにおける模様。
BBCのプログラムにおけるものらしく、71年とありますが実際は72年4月のようです。
「Holiday Inn」を聴いていると、以前にも書きましたがカントリー&ウェスタンとブリティッシュ
トラッドフォークなどは根っこが同じものなのだとあらためて思わされます。
本作に収録されている9曲は既に書かれ、また演奏もされていたものだそうで、これはつまり
ブレイク後におけるエルトンとバーニーが時間的余裕の無さからストックに頼るしかなかったという事。
もっとも両名とも、それぞれ作曲家・作詞家のオーディション時には、山ほどの譜面・原稿を
携えて音楽出版社を訪れたというますから、そのストックは膨大なものだったのでしょう・・・
ちなみに ” Madman Across the Water ” とは、バーニーが17歳の時に人々が時の大統領
リチャード・ニクソンを指して言っていた言葉だそうです。狂人が海or河を渡る、とは
どの様な意になるのか?・・・・・
B-③「Rotten Peaches」はカントリー&ゴスペルといった感じでしょうか。B-④
「All the Nasties」はもっとゴスペルチックなナンバー。エルトンのアメリカンミュージックへの
傾倒ぶりがうかがえます。
トライデントスタジオにおける録音は本作にて一旦区切りがなされ、次作である
「ホンキー・シャトー」からはかの有名なフランスの古城を改装したスタジオで数多の名作が
産み出されることとなるのですが、その辺りはまた次回以降にて。