#220 Madman Across the Water

エルトン・ジョンが71年に発表したアルバム「Madman Across the Water」は、
後年になって「Tiny Dancer」が評価されるようになり、それが収録された作品として
再び注目を浴びるようになっていきましたが、それまでは比較的印象の薄い作品でした。
全米最高位8位、翌年にはゴールドディスクを獲得するなど決してヒットしなかったという訳では
ないのですが、やはりヒットシングルが無いと人々の印象に残らないようです。
翌年にリリースされる「ホンキー・シャトー」以降の、No.1ヒットを連発するような
快進撃の直前であり、人々の記憶としてはそれらの間に埋没してしまったのでしょう。

米ではセールス的に満足のいくものでありましたが、本国イギリスにおける評価は最高位41位と
それまでの作品と比べると散々なものでした。
エルトンの音楽が英国人気質に合わないなどということは絶対にありえない事なので、
やはりアメリカでの高セールスは、派手なパフォーマンスが大いに要因としてありそうです。
上はA-③「Razor Face」とA-④タイトルトラック。

本作でディー・マレイ(b)とナイジェル・オルソン(ds)は演奏においては一曲しか参加していません。
これはプロデューサーであるガス・ダッジョンが、この時点ではまだ二人の力量に不安を
感じており、レコーディング陣はスタジオミュージシャンを中心に構成されています。
あのライヴアルバムにおける鉄壁の演奏を聴けば、そんな心配は無用だったと思うのですが・・・
ちなみに本作からイギリスが誇る名パーカッショニスト レイ・クーパーが参加しています。
その後におけるエルトンの名盤群にて数多の名演奏を残すことは周知の事実です。
上二つの動画はB-①「Indian Sunset」B-②「Holiday Inn」のスタジオライブにおける模様。
BBCのプログラムにおけるものらしく、71年とありますが実際は72年4月のようです。
「Holiday Inn」を聴いていると、以前にも書きましたがカントリー&ウェスタンとブリティッシュ
トラッドフォークなどは根っこが同じものなのだとあらためて思わされます。

本作に収録されている9曲は既に書かれ、また演奏もされていたものだそうで、これはつまり
ブレイク後におけるエルトンとバーニーが時間的余裕の無さからストックに頼るしかなかったという事。
もっとも両名とも、それぞれ作曲家・作詞家のオーディション時には、山ほどの譜面・原稿を
携えて音楽出版社を訪れたというますから、そのストックは膨大なものだったのでしょう・・・
ちなみに ” Madman Across the Water ” とは、バーニーが17歳の時に人々が時の大統領
リチャード・ニクソンを指して言っていた言葉だそうです。狂人が海or河を渡る、とは
どの様な意になるのか?・・・・・
B-③「
Rotten Peaches」はカントリー&ゴスペルといった感じでしょうか。B-④
「All the Nasties」はもっとゴスペルチックなナンバー。エルトンのアメリカンミュージックへの
傾倒ぶりがうかがえます。
トライデントスタジオにおける録音は本作にて一旦区切りがなされ、次作である
「ホンキー・シャトー」からはかの有名なフランスの古城を改装したスタジオで数多の名作が
産み出されることとなるのですが、その辺りはまた次回以降にて。

#219 Levon

以前に言った事と後年になってからのそれが食い違うというのはままあることです。
都合が変わって(悪くなって)以前のそれとは異なる事実や事情を語る、または記憶が薄れてその当時と
整合性が取れない事を言ってしまう、あるいはその当時において錯誤があった場合などもあるでしょう。
いったい何が本当なのか?というよりも真実は必ずしも一つだけなのか?
マンガの主人公によるキメ台詞のように世の中はいかないものなのでは?

エルトン・ジョン4作目のスタジオアルバム「Madman Across the Water」(71年)からの
1stシングルである「Levon」はアルバムと同月の11月にリリースされます。
当時のチャートアクションは全米24位と「Your Song」には及ばないものの、
まずまずのスマッシュヒットといったものでした。
ちなみにウィキではゴールドディスクとありますが、RIAAで認定されたのは
18年4月の事なので比較的最近の事です。#216の「Tiny Dancer」回でも触れましたが、
これは「Tiny Dancer」がトリプルプラチナに認定されたのと同月です。
おそらく映画「ロケットマン」の影響かと思われますが(公開は翌19年5月)、
映画製作の発表がこの頃で、エルトン人気が再燃したのかな?と・・・・・

「Tiny Dancer」同様にポール・バックマスターのストリングスアレンジが見事である本曲は、
” Levon ” という架空の人物を含めた親子三代について書かれた物語です。
ですが、歌詞の考察は別の方達がされているのでここでは特に触れません。
「Tiny Dancer」と同様に静かな導入部から、徐々に壮大さを増していく構成は
ぐうの音も出ないほどに素晴らしく、アレンジ・演奏も秀逸ですがエルトンの歌が
本当にシビれるくらいに見事です。特に最後(三回目)のサビ(以下の部分)における歌唱は絶品。
And he shall be Levon

And he shall be a good man
And he shall be Levon
In tradition with the family plan
And he shall be Levon
And he shall be a good man
He shall be Levon
” And he shall be a good man ” の節における” a good man ” が二回目より三回目の
方がほんのちょっとですけれども荒々しくなっているように聴こえるのがミソ。
” 彼(Levon)は立派な人間になるんだ・いい人間になるのだ ” の部分にこんな力を込めて
歌うのは、勿論 ” 彼がそうなった・そうなって欲しい ” などという、字面通りの表現でない事は
言うまでもないでしょう …………………

” Levon ” という名前はアメリカのロックバンドであるザ・バンドのドラマー リヴォン・ヘルム
(Levon Helm)から取ったと、以前は言われていたそうです。実際にザ・バンドはエルトンと
作詞家 バーニー・トーピンのお気に入りであったらしく、長い間そう思われてきました。
余談ですが、ザ・バンドを好む辺りからエルトンのカントリーミュージック志向が伺えます。
ところが、13年になって歌詞を書いた当人であるバーニーが ” リヴォン・ヘルムとは関係ない ” と
語ったとか・・・・・?(´ヘ`;)
タイトルはリヴォン・ヘルムから取ったとの言はプロデューサー ガス・ダッジョンによるもの
らしいので、ダッジョンの勘違いという可能性もないではありませんが、この時期にエルトンや
バーニーと密接に関わっていた事などから考えると、何らかの根拠はあったのでは?と考えます。
人間の記憶は曖昧なので、40年近い年月を経てバーニーのそれがあやふやになってしまった、
なにか別の事柄と記憶がすり替わってしまった、たしかにリヴォン・ヘルムの事が頭になかった訳ではなく、
当時ダッジョンにそれとなく話したことは話したが、実は” Levon ” に込められたものには
もっと別に大きな意味があった等々、
推測するときりがありません …………………

一年も経っていない事柄でさえ、あの時自分は何を考えてあのような言動を取ったのだろう?
なんてことはざらにあります ………………… えっ!ワタシだけ?!(*゚▽゚)・・・・・

真実はいつもひとつ!… とは限らないのです☆(*•ω•*)☆…… オマエのはただのボケだからな (´∀` )