#225 Daniel

喧嘩両成敗という言葉があります。
喧嘩をした者は双方とも裁かれる、ペナルティーを負うといった意味合いでしょうか。
しかし一方的に吹っ掛けられ、やむを得ず喧嘩になってしまった場合や、たしかに先に手を出しはしたが、
それに至るまでに相手方の執拗で狡猾な嫌がらせや
恫喝などがあったのにも関わらず、
喧嘩は双方とも悪い、と紋切り型で
片付けられてしまうのはどうも腑に落ちません。

テーマは「Daniel」なのに何で「Crocodile Rock」なんだ?などとは思わずに。
ちゃんと理由があります。(思わねえよ!なにせ読んでる奴なんていねえからな!ケケケ!!Ψ(`∀´)Ψ
イヤーーー!!!ヤメテーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!((o(>皿<)o))

「Crocodile Rock」はアルバム「Don’t Shoot Me I’m Only the Piano Player」
(ピアニストを撃つな!)の先行シングルとして72年11月(英では10月)にリリースされ、
エルトン・ジョン初のNo.1シングルとなった代表曲の一つです。
実は「Crocodile Rock」と「Daniel」の二曲は、どちらを先にシングルリリースするかで
揉めたものです。
エルトンと作詞家 バーニー・トーピンは「Daniel」を推しましたが、DJMレーベル社長
ディック・ジェームズはポップなロックナンバーである「Crocodile Rock」を先行シングルとすべきだ、
と譲りませんでした。ディック・ジェームズの主張は
もっともであったと言えます。
「Daniel」は優しい曲調ではありますが、ともすれば内省的とも
受け取られ、まずアルバムの成功を
第一に願うレコード会社としては当然の考えでしょう。
そしてディック・ジェームズの意見が優先され、
発売された「Crocodile Rock」は先述の通り大成功を収めました。

それでもエルトンとバーニーは諦めませんでした。何とかして「Daniel」をシングルカットするよう
ジェームズに掛け合い続け、ついにジェームズを折れさせる事に成功しました。
それでも本曲のシングル化には懐疑的で、プロモーションなどに決して力は入れなかったとされていますが、フタを開けてみれば全米2位・全英4位のこれまた大ヒット。エルトンとバーニーの主張も決して
間違っていなかった事が証明されました。ちなみにこの時1位を阻んだのはポール・マッカートニーの
「マイ・ラヴ」。相手が悪かった …

本曲は歌詞だけを見ると、失明した兄(Daniel)がスペインへ旅立つのを見送る弟の視点で語られており、
療養か何かでスペインへ行くのかな?思われてしまうそうですが、これには設定があって、
Daniel はベトナムからの帰還兵であり、戦地での負傷により視力を失ったのだとバーニーは語っています。地元では帰ってきた彼を皆が英雄視し、もてはやしましたが、Daniel は平穏な生活を望んでおり、
それが叶わず別の地へと旅立つ決意をしたのだというストーリーだそうです。なおこれにはモデルになった
実話があったとかそういう類ではないとの事。
上は76年、スコットランド エディンバラにおける演奏。個人的にはともすれば本曲に関して、
この弾き語りの方が好みです。

このケースは喧嘩両成敗ならぬ、喧嘩両WIN、あるいは争ったけれども双方成功、
といった具合でしょうか?もちろんそんな日本語はありません。私が今考えたのですから・・・・・
どちらも相譲らず、双方が主張を貫いた結果がどちらも良い目を見たという、なかなか珍しい展開で
上手く収まった出来事だったのです。

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