物事(人に会う事を含めて)全てについて、これが最後かもしれないと思ってそれに臨む。50歳を過ぎるとこれが現実味を増してきて、日々そういう心持で生きようなどと心がけています。” 一期一会 ” の精神で、とこれを例えた事があったのですが、よく考えたらこの四文字熟語は” 一生に一度 ” という意味なので適当な表現ではありません。では先述の様な心持を言い表す熟語は?と思い調べてみたのですが・・・国語力の無さからなのか … いまだにわかりません・・・・・
ニホンゴムツズカシ~ (゚∠ ゚ )ノ
ジョン・レノンによる74年のNo.1ヒット「Whatever Gets You thru the Night(真夜中を突っ走れ)」にエルトン・ジョンが参加している事は洋楽好きなら周知の話。ジョンがアルバム「Walls and Bridges」(74年)を製作していたその前年9月にエルトンはスタジオを訪ねました。当初ピアノは入ってなかったらしく、エルトンはそれを進言します。ジョンがそのアイデアを受け入れ、さらにデュエットもする運びとなりました。
これも有名な話ですが、ジョンは本曲が売れるとは考えず ” 100万年かかってもこの曲が1位になることはあり得ないね!”と言い放ちますがそれに対してエルトンは ” じゃあ、もし1位になったら僕のライブに出てよ!” と、ちょっとした賭けをしました。結果は言うまでもありません。ジョンはその賭けの約束を果たします。それが有名な74年11月28日のマディソンスクエアガーデンにおけるコンサートであり、ジョンの生前最後となるステージでした。
その唯一の映像であるのがエルトン公式チャンネルにある上の動画。検索すると下の動画も出てきますが、音は本物でしょうが映像が妙に出来過ぎているな?・・・と調べたら、これはジョンの伝記映画におけるワンシーンの様です。
当日は本曲を含め計三曲デュエットします。あまりにも有名ですが一応念のため、「Lucy in the Sky with Diamonds」と「I Saw Her Standing There」です。後者を歌う前に ” これから歌うのは、ぼくが昔に捨てられた婚約者ポールのナンバーです ” とジョンが言ったのも洋楽好きには周知の出来事。実は一旦引っ込んだジョンがアンコールで再びステージに戻ってきて「The bitch is back」を演奏している時に、作詞家 バーニー・トーピンと二人でタンバリンを叩いた、というエピソードもあります。ジョンとエルトンは73年に知り合い、その後良き ” 悪友 ” となっていったそうです。二人による羽目の外し振りについては様々なエピソードがありますが長くなるのでここでは割愛します。
あの日マディソンスクエアガーデンにいた聴衆は勿論のこと、エルトンやバンドメンバー達、そしてジョン本人に至ってもこれが最後のステージになるなどとは思ってもいなかったでしょう。その後ショーンが生まれて育児に専念したという経緯があったのは勿論ですが、実はジョンはかなりステージに上がる事に対して恐怖心を抱くようになっていたとの証言もあり、なおさらその後にコンサートを行う機会を無くした要因になっていたのかもしれません。もっとも80年のカムバックの際は当然アルバムのプロモーションツアーを行う予定であったでしょうから、いまさらながら早すぎる死が悔やまれるところです。
結局の所 ” これが最後かもしれない ” の意を表す四文字熟語はわかりませんでした(元々無いのかも)… ただ、これを英語で言えば ” May be the last(one)” となるので、常に ” メイビー・ザ・ラスト ” の精神で物事に臨んでいます、などと言うとちょっとカッコイイかもしれませんね。みなさんも明日から使ってみてください。それで年末に流行語大賞とかいうのにノミネートされたりして。あっ!でもあれって、ホントに流行ったものは選ばれないんですよね …(コンコン)おや?誰か来