#262 Jeff Beck_14

転石苔を生ぜず(A rolling stone gathers no moss)という諺はイギリス発祥だそうです。これには二通りの解釈があり、職業や住所を転々と変える人は身分や収入が安定せず財産を蓄えることができない、という意味と活動的な人は常に新鮮で停滞しない、という捉え方があります。我が国では昔は前者、現代では後者の意味で捉えられる様になっているかと思われます。元は英米での解釈の相違から来ているらしく、英国は前者、米国は後者の意味で使われることに由来するそうです。「石の上にも三年」や「四十にして惑わず」といったあまり自らのポジションや信念を変えない事が良しとされる我が国ですが、平成から令和の世の中となるにつれ職業観をはじめパラダイムシフトが起きてきていると感じます。これは絶対に悪い事ではないでしょう。五十年も経てば昔はこんな滅茶苦茶・デタラメだったのか … と唖然とする事が往々にしてありますからね。しかしながら四十にして惑わずと言いますが、私来月55歳になるのですが未だに迷ってばかりばかりいます … はて?どうしたものでしょうかね・・・

前作「Wired 」(76年)から77年のライブアルバム「Jeff Beck with the Jan Hammer Group Live」を挟み、満を持しての新作アルバム「There & Back」(80年)をリリースしたジェフ・ベック。といった文章を何かで読んだ記憶がありますが、実はこれ正確ではありません。発表年やアルバムタイトルなど事実面に相違はないのですが ” 満を持して ” という表現に疑義があります。「満を持して」を辞書で引くと、準備が整った万全の態勢で事に当たる・機会を捉える、とあります。あっ!別にこのブログ、諺に関するものじゃないですよ。昔の洋楽について書いているものです。まあ … 読んでる人は殆どいませんけどね・・・
78年暮から制作に取り掛かりリリースされたのが80年7月。この間一度中断しジェフはツアーに出るなどした事や、その理由がヤン・ハマーの女性関係のルーズさにあったのでは?などという事柄は以前書いていますので宜しかったらそちらをご一読(#7)。
しかしながらその様な経緯は微塵も感じさせない出来上がりであり、俗にジェフのフュージョン三部作などと称される前々作「Blow by Blow」と前作を含めた中において、私はともすれば本作が最高傑作ではないかと思っています。前二作におけるインストゥルメンタル・フュージョン路線は踏襲しつつ、更に本アルバムから孤高の音宇宙、スペイシーサウンド的世界観が確立されていきました。70年代半ばに興ったフュージョンブームも80年頃には沈静化し始め、世の音楽はまさしく ” ニューウェイヴ ” 時代へと変革の波が押し寄せていました。
ジェフがそれを感じ取りいち早く時代の先を行ったのか、はたまたただ単にその時演りたい音楽を創ったのかはわかりませんが、何となく後者の様な気がします。既述ですがジェフ・ベックという人はそのルーツこそR&Rやブルースにある事は間違いないのですが、その音楽的カテゴリーにあまりこだわりは無く、それらは自身の ” 歌 ” を表現する為のあくまで ” 触媒 ” の様なもの程度に捉えていたのでは、と私は思っています。
A-①「Star Cycle」。当時、新日本プロレス中継のオープニングテーマとして使用されていた事や、実はドラムをプレイしているのがヤン・ハマーである事も#7で既述の事。

B-①「El Becko」が本作におけるベストトラックではないかと私は思っています。本作から参加したトニー・ハイマス(key)によるジャジーかつ荘厳ささえ感じられるピアノのイントロからジェフのギターとシンセが絡み、やがてバンド全体で演る音楽はファストテンポのロック。そしてまたイントロを踏襲したドラマティックなエンディングを迎えるといった、ジェフの魅力を余すことなく伝える楽曲及びアレンジであり、それはハイマスの功績が大きいでしょう。

エンディング曲である「The Final Peace」。先に音宇宙などという表現を用いましたが、本曲を形容するに最もふさわしいものでしょう。89年の次々作「Jeff Beck’s Guitar Shop」に収録された「Where Were You」が有名ですが(特にアーミングだけで音程を取るテクニックにおいて)、この様な楽曲・プレイスタイルは本曲で確立されたと思います。アルバムラストにスローナンバーを持ってくるのは以前からありましたし(「Definitely Maybe」や「Diamond Dust」)、それはジェフに限った事ではありません。しかしこれまでと全く異なるのが、本曲はB-③で一度ステージからはけたジェフがアンコールにて独壇で再度登場し、その孤高なる宇宙的ギターサウンドで観客を魅了し終演を迎える。つまり「There & Back」というアルバムは、コンサートを観ている様な感覚に誘ってくれ、「The Final Peace」は本公演のアンコールナンバーであり、惜しまれながら皆ジェフのプレイを堪能してその後それぞれの家路へ着き、現実に戻るのです。優れたアルバムはまるで一つのショウを観劇している様な感覚を覚えさせてくれます。「ペット・サウンズ」しかり「サージェント・ペパーズ」しかり。本曲は「キャロライン・ノー」や「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」に相当するものなのです。まあ、こんな考えは私だけかもしれませんが・・・
以前も書きましたが、失礼を承知で言いますとジェフ・ベックというミュージシャンは決して作曲・編曲能力に秀でておらず、ギター以外の楽器は出来なかった様ですし、歌がお世辞にも上手くないのも既述です。
「井の中の蛙大海を知らずされど空の青さを知る」という言葉があります(アッ!ホントにこれ諺ブログではないですよ・・・)。ジェフ・ベックというミュージシャンは井の中にいたのですが、結果として大海も知る事となった稀有な表現者だった様に思います。頑ななまでにとことんエレクトリックギターという楽器の表現方法・可能性を追求し、自身の求める ” 歌 ” を探し続けた。仰々しい言い方をすれば求道者の様な存在であり、だからこそ一般的なテクニックという意味においては決して有数のプレイヤーではない彼に皆が魅力を感じ、一緒に音楽を創り、またその音楽に魅了されていったのでしょう。
その音楽性はR&R、ブルース、ハードロック、R&B、ソウル、ファンク、フュージョンと悪く言えば節操が無い、よく言えば一所に留まらず常に進化を求める、これをどう捉えるかは人それぞれですが、この様な変遷を経てやがて何物にもカテゴライズされないワンアンドオンリーのギターミュージックを築き上げたのでしょう。苔むす事無く絶えず変革を求め新鮮で停滞しない、ジェフの魅力の最たるものは ” 歌 ” である事に疑いはありませんが、その様な音楽性ひいてはプレイスタイルにもあったのだと思います。もっとも本人には ” 求道者 ” の様な自覚はなく、ただ単にその時その時で演りたい音楽を演っただけなんだと思いますが・・・
23年の年明けにジェフの訃報を受けてから彼について書いてきましたが、もう二年半近くも経ってしまいました … この「There & Back」の後も勿論ジェフは作品を発表し活動し続ける訳ですが(むしろ私がリアルタイムで聴いていたのはその辺りなんですけど)、本投稿でジェフ・ベック回は終えたいと思います。
#7でそのギターテクニックや使用機材及びサウンド面についてはいずれ、などと書いていましたが結局無理でした… その様なサイトは山のようにある訳で、本職でない私がそれについて書いてもとても太刀打ち出来るはずもないので、自分が書くことの出来るジェフ・ベック論の様なものが書ければそれで良いのでは、と思えてきました。背伸びして出来ない事をやっても結果は伴わないものなのです。これを諺で表現して ” やっぱ諺ブログちゃうんかい!” とオチを付けて締めようと企んだのですが、いくら調べてもこれに当たるものがありません … 「蒔かぬ種は生えぬ」「水泡に帰す」「大言壮語」いずれも違いますね・・・下手な落語とせわしい人みたいですね、その心は?どちらもオチが付きません(落ち着きません)… おあとがよろしいようで。
イヤ、全然
おあともよろしくないよ (´・ω・`)

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