#265 Live Aid

チャリティーというものは色々な意味で難しいものです。勿論それそのものが悪いはずは無いのですが、その目的、運営方法、集めた募金の流れやその使途などによっては本来の意味が歪められ、批判の的になることもあります。ちなみに欧米ではチャリティーに参加する著名人は絶対に報酬、所謂ギャラを受け取らないとされています。ノーギャラで参加するのが当たり前であり、金品を受け取るなど以ての外、というコンセンサスが成立しているようです。
我が国において、自称チャリティーテレビ番組というプログラムがかなり長くの間催されているようですが、どうやらその出演者にはギャラが支払われているとの事。欧米からするととても考えられな(コンコン … )おや?誰か来

今から40年前の1985年7月13日に行われた『ライブエイド』。英米同時開催され、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで7万2千人、フィラデルフィアのJFKスタジアムでは10万人(数字には諸説あり)の観客を動員し、全世界衛星中継によりおよそ19億人が視聴したとされる、おそらくはポップミュージックにおける最大のイベントであった本コンサートが開始されたのがイギリス時間の正午、日本時間午後8時でした。私こういうメモリアル的な日時とかにあまりこだわりは無い方なのですが、当時リアルタイムでテレビでの中継を食い入る様に観ていた一人として、その40年後の同時刻に当ブログを投稿してみました。
募金がいくら集まったであるとか、その使途について色々な問題があったのではないか?という事については全く触れません。あくまで本コンサートに至る経緯や当日のよもやま話などに終始していきます。
ネット上では私以上に暇な … 強者・好事家の方がおり今回かなり参考にさせて頂きました。それに関するドキュメンタリーや考察本も出版されているくらいですので、とても太刀打ち出来る程の内容は書けませんが、自分なりにピンと来た物事についてのみ書きなぐってみます。

ライブエイドのキッカケとなったのは言わずと知れた前年におけるバンドエイドの「Do They Know It’s Christmas?」です。詳しい事はウィキ等でご参照頂くとして、それが翌年更に有名なUSAフォー・アフリカ「We Are the World」へと繋がり、同年に本コンサートが催される事となりました。
バンドエイド及びライブエイド共にその立役者となったのはボブ・ゲルドフである事は有名ですが、当時を回想したドキュメンタリーなどを観るとかなり強気の、物おじせず積極的な性格、悪く言えば強引、独断専行かつ口が悪い人物だったそうです。しかしそのくらいでなければこれだけのイベントを実現する事は出来なかったのでしょう。テレビ中継の最中に思ったより募金額が低いことに業を煮やし、かなり口汚い物言いでスタジオから視聴者へ募金を募っているのがYouTubeで観る事が出来ます。我々日本人の感覚では逆効果では?と思ってしまいますが、どうやらそれも功を奏した要因の一つだそうです。勿論それだけではなく、伝説的になっているクイーンによるステージの見事さ、ウェンブリーにてデヴィッド・ボウイが自身のステージを終えた後にアフリカの惨状を伝える映像を挟むようにした事で、世界中にその飢えた子供達の様子が映し出された事なども当日募金額を急激に増加させる事に寄与しました。
ただしインターネット時代になってわかった事ですが、ゲルドフによる先の募金への呼びかけは英国BBCテレビにおけるものであり、彼が業を煮やしたのもBBCにおける募金額の低さでした。世界各国ではそれぞれ独自のテレビプログラムが組まれており、募金の集まり具合は各国によって異なった事でしょう。
そしてこれも今回わかった事ですが、ゲルドフは募金が集まることを第一義に考えていたので、それぞれの国において人気のミュージシャンなどを出演させて視聴率を稼ぐ、つまり募金が集まる様にして欲しいという要請がなされていたそうです。彼はこれを ” グローバルジュークボックス ” と名付けました。
日本ではフジテレビが本コンサートを伝えていましたが、その放送中に矢沢永吉さんが歌っていた記憶があります。別に矢沢さんが悪いとかそういう事ではなく、洋楽ファンとすれば出来るだけライブエイドの模様を映してくれればイイのに? … などと思ったご同輩が多かったのはやはりインターネット時代になってから知った事ですが、どうやらこれはゲルドフの意向に沿うものだったそうです。洋楽に詳しくない人達からすれば、よくわからない海外のミュージシャン達が出ているだけの退屈な番組になってしまいますからね。

これだけの大規模イベントですから舞台裏ではてんやわんやだったのは言わずもがなです。フィラデルフィアにおいては三週間前になっても出演者が決まらないという状況で、これもゲルドフ達主催者側をイラつかせました。ちなみに米側でのコーディネートをしていたのはウッドストックやモンタレー・ポップ・フェスティヴァルも仕掛けた有名プロモーター ビル・グレアム。良くも悪くもその界隈では有名人であり、やはりその一筋縄ではない人間性故に色々言われた人物ですが、そのくらいの強者でなければこのビッグイベントを取り仕切ることは出来なかったのでしょう。

ゲルドフは出演者の入れ替えをスムーズにする秘策として回転ステージなるものを考えたらしいです。円形のステージが180度回転して次の出演者がくるりと現れる、つまりそれまでの演者もくるりとハケる事が出来る、と。ただ重すぎてウィンチで引っ張ってもムリだったそうでこの構想は上手くいかなかったらしいです … 。ただしそれは出来るだけ多くのミュージシャンを出演させる、ひいてはより多くの募金を集めるが為の事でした。

その2へ続きます。