#268 Party at the Palace

ライヴエイドについて前回まで取り上げていましたが、趣旨こそ全く違えど、大規模かつきら星の如きスーパースター達が集結したという点においては同様の、とあるコンサートを思い出してしまいました。

02年に行われたエリザベス女王即位50周年記念コンサート。” Party at the Palace ” と銘打たれた本コンサートは文字通り女王の ” 庭 ” であるバッキンガム宮殿にて催されました。
女王自身はクラシック音楽やスコットランドの音楽を好んでいたそうです。目覚ましはバグパイプの音にしていたというエピソードもあります。実際即位50周年を祝うクラシックのコンサートも別に催されました。しかしながらイギリスの音楽と言えば、50年代にアメリカで生まれたR&Rを取り入れ、ビートルズをはじめとした60年代の若者たちが独自に進化・深化させ確立させた ” ロックミュージック ” であると言って過言ではないでしょう。
英国を代表するミュージシャンやバンドが一堂に介して行われた本コンサートはブライアン・メイが演奏する「God Save the Queen」で幕を開けます。

才女アニー・レノックス。王立音楽アカデミー出のエリートである彼女を私は勝手にロンドンのイイとこの娘だと思い込んでいたのですが、スコットランド出身の決して裕福ではない生まれであり、パブやクラブでウェイトレスや勿論歌って学費や生活費を稼いでいたという事を知ったのはだいぶ後年になってからでした(#100ご参照)。

当然の様にフィル・コリンズも出ています。他の出演者のバックでもドラムを叩くなど精力的ですが、やはり80年代の様なアクティヴさには欠けます。この頃から体調は悪かったのでしょうか?

イギリスのミュージシャンだけではありません。トニー・ベネットやブライアン・アダムス(カナダ出身)も出演しています。この時トニー・ベネットは75歳。朗々と歌い上げる姿は圧倒的です。90代まで現役で歌い続けていた彼を観ると、自分などまだまだヒヨッコだと思い知らせます。

前々回にも触れましたが最も会場が盛り上がったのはオジー・オズボーンのステージでした。最後の方に映るチャールズ現国王をはじめとしたロイヤルボックスの反応が印象的です。これが許されるのがイギリスという国の懐の深さでしょう。その前々回の投稿の直後にオジーは亡くなってしまいました。引退ライヴを終えた後に、まるで全てをやり遂げてから旅立った様な最期でした。合掌。

他国から招かれ最も長くステージに上がったのがブライアン・ウィルソンです。サーフィン・車・女の子といったビーチボーイズの一般的なイメージからすると何故英国の式典にて?と思ってしまいますが、60年代半ばからビートルズと切磋琢磨し互いに刺激を受けながらロックを一段高い表現へと昇華させた事はむしろイギリス人の方がよく理解しているかもしれません。「サージェント・ペパーズ」と並び現代でもロックにおける名盤の双璧と称される「ペットサウンズ」は、リリース当初本国では受け入れらず、むしろ海を隔てたイギリスで大いに反響を得ました。ジョン・レノンとポール・マッカートニーは本作に衝撃を受け、それが「サージェント・ペパーズ」の創作へ多大な影響を与え、ミック・ジャガーはロンドン中のDJに ” このレコードをかけろ! ” と言って回ったというのはロックファンには結構知られた事です(#2ご参照)。
「California Girls」で幕を開けるのですがその動画は上がっていません。2曲目が「The Warmth of the Sun」。ジョン・F・ケネディの悲劇的な死にインスパイアされ創った本曲には穏やかな悲しみ・慈しみといった形容が相応しい。エリック・クラプトンが歌とギターでゲスト出演しています。この曲にクラプトンの歌がマッチしているとは決して思いませんがギターは素晴らしいです。この時期よく弾いていた友人のデザイナーにペイントさせたストラトキャスターは01年頃の日本公演でも観ることが出来ます。彼のシグネチャーモデルは90年代のレースセンサーピックアップを搭載したものが評価が高いですが、その後のフェンダー純正ピックアップ(多分ノイズレスピックアップ)を使用したものはストラト本来の持ち味である枯れた伸びのある高音が堪能出来ます。

ブライアンも6月11日に永眠しました。享年82歳。一時は廃人同様となったにも関わらずその後奇跡的なカムバックを果たし、病気は生涯完治することはありませんでしたがそれでもなお音楽を演り続けました。結果的にウィルソン3兄弟の中では最も長生きし、大往生であったと言えるでしょう。

その2へ続きます。

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