数年前までこの日はその時期に書いていたブログに絡めて何かしらのジョン・レノンネタを放り込んでいたのですが、今年は絡めるネタも見当たりませんしそもそも8月以来書いてもいません … なので小細工はやめてド直球にて行きます。
45年前の12月8日ジョンは凶弾に倒れ、育児からカムバックし5年振りの新作であり結果として遺作となった「Double Fantasy」からの第一弾シングル「(Just Like) Starting Over」は同月チャートの1位に昇り詰めました。
“再出発“ “新たな始まり“ の意であり、愛息ショーンを加え新たな家族の構築、新たな音楽活動を始めようとした矢先の悲劇に世界中が驚き、また悲しみに暮れました。当時10歳でまだ洋楽の事はわからなかった私ですが、翌日の新聞が一面大見出しで『ジョンレノン暗殺される!』という記事が載っていた事だけはありありと記憶に残っています。
ジョンのソロキャリアについて語られる中で、その生前におけるNo.1シングルは「Whatever Gets You Thru The Night (真夜中を突っ走れ)」(74年)のみであるとされます(#239ご参照)。本曲も1位になったのに何故?と言うと、そう、チャートのトップに着いたのは彼の死後であったからです。
この曲の音楽的な解説やその背景の考察などはごまんと語られていますので興味がある方はそちらをどうぞ。そしてこれも先に言っておきますが私このナンバーはかなり好きな方であり、ケチを付けるつもりなど毛頭ありません。
ただもしジョンの悲劇的な死がなかったならば、本曲のセールスは如何程であったのであろうか?などと全く下世話な考えが及んだので下世話な人間としてそれについて書いてみよう、と思い立ちました。下世話でない皆さんもどうぞご一読を。
先ず客観的な事実、つまりチャートアクションやセールス面だけを挙げてみます。ビルボードで80年12月最終週と翌81年1月に3週間、つまり4週に渡って首位をキープしています。セールス的にはRIAA(全米レコード協会)でゴールドディスク(50万枚以上)、イギリスにおける同様の団体であるBPIでもゴールドディスク(10万枚以上)に認定されています。ただ気を付けなくてはならないのは、ゴールドやプラチナに認定されているとしてもそれがいつ認定されたのか?それによって「売れ方」が変わってきます。古典的名作とされているレコードは長い時間をかけて、つまりリリース後だいぶ経ってから認定されている場合がありますので単に認定の結果だけを取るとわからないものです。勿論勢いよく売れたのが良いとか、年月をかけて世間に認められた方が中身が伴っている、とかいう事はここでは置いておきます。
本曲がRIAAでゴールドになったのが80年12月24日、つまりジョンの死から約半月後です。アメリカでの発売が10月23日ですので2か月で50万枚を全米で売ったという事になります。ちなみに認定日はRIAAの公式サイトで検索出来ます。
(みなさんはこんな事をしているヒマがありますか (´・ω・`)?)
同じシングルで比較すると「Instant Karma!」(70年)が2月発売でゴールド認定が12月(最高位3位)。意外な事ですがジョンの生前にRIAAでゴールドに認定されたのはこの一曲のみであり、言わずと知れた「Imagine」(71年 最高位3位)については何と認定が21年になってから。つまり50年経ってようやくゴールドディスクを獲得した訳です。
次にチャートアクション。1位になるまでの順位の上昇具合を見ていきます。
(ほんとにこんなヒマが … (´・ω・`) …)
80年11月にチャートインしてから亡くなる前までの推移を記すと、
11/1 38位 → 11/8 32位 → 11/15 10位 → 11/22 9位 → 11/29 8位 → 12/6 6位
次にその死後のチャートアクションが、
12/13 4位 → 12/20 3位 → 12/27 1位
となり、それから4週に渡り首位をキープしたのは前述の通りです。これを見てわかる通り11/15を含めて四週の間はやや足踏み状態であった事がわかります。ちなみにジョンがなくなった12/8は月曜日。当時のビルボードにおける集計期間は新譜がリリースされる火曜に始まり月曜までであり、五日後の土曜にチャートが発表されました。現在新譜の発売は金曜が一般的であり、期間も金~木となり発表は翌火曜となっていますが、その日付は同週土曜となっています。これは以前の発表日の名残なのかな?と思われます。ですので12/13(土)の順位についてはその死の影響は加味されていません。つまりじわじわとチャートを詰めてきていたという事実も伺えるのです。
全ては ” たられば ” で言っても仕方ないのは重々承知なのですが、11月中旬から一か月間は10位から4位と徐々に上り詰めてはいたものの、決して急上昇という訳ではなく、そして12月末までに発売後二か月という短期間で50万枚以上を売り上げたという事実から照らし合わせると、その悲劇的な死がセールスを後押ししたというのは否めないでしょう。
ビートルズ解散後のジョンはセールス的にはいまいち恵まれていませんでした。過激な社会的・政治的なメッセージの発信やアメリカへの永住にまつわるゴタゴタなど、マスコミを賑わすネタには事欠かなかったものの、ビートルズ時代の栄光からすると商業的には今一つぱっとしなかったのは事実です。もっともこれはジョンに限らず時代が求める音楽が変化し、ディスコ、パンクそしてニューウェイヴと、市井の人々の音楽的嗜好とかつてのビッグネーム達のそれとがかけ離れていたという事です。エルトン・ジョン然りスティービーワンダー然り、勿論ポール・マッカートニー然り、です。もう一度言いますが決してこの曲のヒットにケチを付ける気など更々無く、ジョンが死んでいなかったらどうなってたんだろう?というただの下世話な空想です。
今回調べていて初めて知った事が一つ。イントロで鳴る鐘の音。あれは何なんだろう?とずっと漠然と思っていたのですが、実質的な初ソロ作である「John Lennon/Plastic Ono Band(ジョンの魂)」(70年)のオープニングにおける荘厳な鐘の音(おそらく教会の)、あれを汲んでの事だそうです。悪く言えば少し重苦しく聴くのがちょっとツライな?という「ジョンの魂」から10年後、再出発第一弾となる本曲のイントロにあれを入れたとの事。ずいぶん軽い鐘の音になっていますね。それが全てを雄弁に物語っているのでしょう。勿論「ジョンの魂」が名盤であるのは言わずもがな。
以前も書いた記憶がありますが、普段ジョンやビートルズの音楽を能動的に聴く事はまずありません。CDを引っ張り出して鑑賞するという行為を行ってまで聴く事はないという事です。尤もしばらく前からYouTubeでしか聴かないから、という理由もありますが。
大瀧詠一さんが山下達郎さんのラジオで生前こんな事を言っていました。二人の音楽的そして精神的支柱であったフィル・スペクターの代表作であるザ・ロネッツ「Be My Baby」について。
『~そりゃレコードは持ってるよ。だけどあれを棚から取ってターンテーブルに乗せる事はないんだよ。でもラジオで流れてくると ” おっ!” と耳を傾けちゃうんだよな、そういうことなんだよ。」
この言葉に尽きると思います。データで保存すれば媒体は処分すればいいじゃないか?その方がスペースも取らないし。と考える人もいるでしょう。なにしろ私もどちらかと言えばそちらの方です … これは実は本質的・哲学的な問題を孕んでいて、モノと中身、本質はどちらにあるのか?などという哲学や禅問答の要素を持ち合わせています。だからこれ以上は踏み込みません。ただ例えれば仏作って魂入れずの真逆で、入れ物(仏)に元来価値はなく大事なのはその中身(魂=音楽)なのだが、中身に伴ってその入れ物も意味を持ってくる、とでも言えるでしょうか?(長いな … それ以前にわかりずらい … )
ジョンがもし生きていたら今どうなっているか?世界中の人々が想像してきた事で、ナンセンスであるのは百も承知ですがナンセンスが好きな私ですので時々空想します。心の内は勝手ですからね。
皮肉屋のジョンですから世の流行りにぶつぶつ言いながら批判して壁を作り、でも寂しがり屋でもあるので世の中との橋渡しとしてある程度定期的には活動はしていたのかな?ある時は「やっぱり俺の根っこは ” ロックンロール ” だ!」と時折原点回帰してみたり。そしてジョンを英雄視するファンに対しては「俺は君が望む俺ではないよ。多分君の中の俺は君自身が作り出した俺の分身だからね」などと突き放した事を言ったり、でもやっぱり言い過ぎたかな?と後悔してみたり … 斜に構えて時代のメインストリームから距離を置いていたかと思えば、マスコミのネタになる格好の話題を提供してみたり、いろいろやらかしたんではないでしょうか。
数年ぶりにジョンの命日に投稿してみました。前述の通り普段聴く事はないのですが、一年に一度この日だけはジョンを忍んで。