#140 Harvey Mason_3

ハーヴィー・メイソン特集、今回で最後です。
数あるハーヴィーのセッションワークにおいて、絶対に外せないものがあります。我が国が世界に誇るミュージシャン 渡辺貞夫さんの作品です。

70年代後半から80年代前半における貞夫さんのアルバムにおいてデイヴ・グルーシン達と共に参加していますが、中でも有名なのは貞夫さんの代表作にてジャズ界では空前の大ヒットとなったアルバム「California Shower」(78年)でしょう、上は本作に収録の「Duo-Creatics」。以前BSで「カリフォルニア・シャワー」の制作にまつわるドキュメンタリーを観たことがあります。貞夫さんご自身は勿論、デイヴ・グルーシンのインタビューも交えながらの番組構成でした。グルーシンの弁によれば ” 貞夫は(英語の)語彙が決して多い訳ではなかったが、彼が演ろうとしている事は皆に伝わった ” との事です。トップクラスのミュージシャン達にとっては、その音を聴いただけで意思が伝わる様で、貞夫さんからハーヴィー達へ、あるいはその逆の「サダオ!こんなのはどうだい?!」という様なメッセージも勿論言葉を介さずに伝わった事でしょう。ハーヴィー、グルーシン、リー・リトナー、チャック・レイニーとのレコーディングは「カリフォルニア・シャワー」の前年、77年発表のアルバム「My Dear Life」に始まります。本作からも一曲、サンバ調の「Music Break」。

ハーヴィーのプレイスタイルについて。現在ではレギュラーグリップを用いる事が多い様ですが、70年代から80年代において、画像や数少ない映像によれば基本的にマッチドグリップだったようです。リズム教育研究所の江尻憲和さんがその昔にご自身の著書で書かれていたのですが、江尻先生はハーヴィーのレコーディングに立ち会う機会があり、その時驚いたのはシンバルの音が鳴ったと思うとハーヴィーは既に元の態勢に戻っており、ただ右側のシンバルだけが揺れているというものでした。前々回のカシオペアとのTV共演で観る事が出来ますが、右側のクラッシュシンバルを全く見ずにヒットして、そのままリズムパターンを刻み続けている動作が確認出来ます。またショットする毎に打面が1~2センチ凹むようなパワフルなストロークに圧倒されたとも語っています。

ハーヴィーのジャズドラマーとしての側面もご紹介。上はロン・カーター76年のアルバム「Pastels」に収録されている「One Bass Rag」。ミディアムテンポの気持ちの良いスウィングですが、4:20過ぎで超絶アップテンポに、そしてまた元のテンポへ戻る、圧巻のプレイです。

ハーヴィーがどうしてあれほど多くのレコーディングにおいて求められたのか。例えば速く複雑にプレイするといった意味では、同世代ではマハヴィシュヌ・オーケストラのビリー・コブハム、後にはテリー・ボジオやヴィニー・カリウタが現れ、その超絶テクニックで世間を圧倒しました。しかしながら、これはスティーヴ・ガッドや若干下の世代であるジェフ・ポーカロにも言える事ですが、ハーヴィーをはじめとする所謂 ” ファーストコール ” のセッションミュージシャン達は、先のデイヴ・グルーシンによる言葉の様に、ミュージシャン及びアレンジャーの意図を瞬時に汲み取り、体現してみせる事が出来る人達でした。テクニカルなプレイが出来るのは勿論、シンプルな方が良いと判断すれば一曲ほぼ丸ごと頭打ちに徹する事も何とも思わない(技術がある故に叩きすぎる・弾きすぎるプレイヤーが結構います)グッドミュージック本位のミュージシャンなのです。でありながらして、そのシンプルなプレイの中にもハーヴィーは彼にしか出せないウネるようなグルーヴを、ガッドであれば ” ガッド節 ” と称される彼独自のフレーズを垣間見せる事で、まるで刀工が自身の作品に銘を入れるが如く、ハーヴィー印・ガッド印の作品(ドラミング)を皆がこぞって必要としたからに他ならないのではないかと私は思うのです。

最後はハーヴィーによる現代版「Chameleon」のプレイを。オンラインドラムレッスンDRUMEOによって昨18年にアップされたものの一部分。73年のオリジナルとはだいぶアレンジが変わっています。ハーヴィーのドラミングもそれに伴ったものなのかどうか、非常に肩の力が抜けリラックスして叩いています。それでいながら、静かな中にもテンション感を持った16ビートはやはり見事です。御年72歳、まだまだそのファンクグルーヴは健在です。

以上で三回に渡ったハーヴィー・メイソン特集は終わりです。多分誰も覚えていないと思いますが、一応年初からのブラックミュージック特集はまだ続いています … 次回以降は誰を・何を取り上げようか?実は現時点でまだ白紙です … どうしよう・・・・・

#139 Harvey Mason_2

数えきれない程のセッションワークで知られるハーヴィー・メイソンですが、前回触れたハービー・ハンコック「Head Hunters」及びジョージ・ベンソン「Breezin’」の他にも、必ず挙がるスタジオワークがまだまだあります。

前々回のテーマ「Feel Like Makin’ Love」でも取り上げたリー・リトナー「Gentle Thoughts」。本作からタイトルナンバーである「Gentle Thoughts」はバウンスする16ビート、所謂 ”ハネる” リズムが絶品。出だしにおける気持ちの良いビートから、アドリブが白熱するにつれハーヴィーのドラミングも変幻自在となっていきます。かと思えば、また ”ピタッ” とシンプルなビートに戻る、リーのギターを中心としたフロントのプレイとのコール&レスポンスが見事です。

デイヴ・グルーシンの「Mountain Dance」(79年)もハーヴィーのキャリアを語る上での鉄板作。上はタイトルトラックですが、ドラミング自体が非常にテクニカルであるとか、前代未聞の画期的なフレーズを行っているという訳ではありません。基本的にはシンプルなバッキングに徹しながら、しかし要所要所で聴かせるフィルイン、印象的な乾いたタムの音色などが ”ハーヴィー節” です。

同作からもう一曲「Rag Bag」。こちらの方がテクニカルであり圧倒されますが、知らずに聴くとスティーヴ・ガッドかな?と思う程にガッドに似てます。勿論文句の付けようが無いドラミングであり、しかも本曲はかなり ”ソリ” が仕掛けられている楽曲なので仕方ありませんけれども、どちらかと言えばハーヴィーの魅力はもう少し自由なプレイにてグルーヴや即興が ”ハジケる”所だと私は思っています。しかしながらこの様なガチガチにキメキメの曲もやはり見事。でも少しはガッドを意識したのかな~?とも私は思うのであります …

目線を変えてハーヴィーの使用機材について。現在は日本のカノウプスを使用しているようですが、「Head Hunters」以降の70年代におけるドラムセットはグレッチの様です。米モダン・ドラマー誌の81年7月号がネットで出てきますが、そのインタビューでイギリスのプレミアに変えたと語っています。おそらく80年前後がグレッチとプレミアの境目だと思われますが、「Head Hunters」、「Breezin’」から「Gentle Thoughts」まではグレッチで、「Mountain Dance」はどちらか微妙なところ、といった感じでしょうか。80年代半ばからまたグレッチに戻っていますが、セッションによって流動的です。グレッチの頃は乾いた音色が特徴(特にハイタム)であり、小口径のタム(6~8インチ)は裏ヘッドを取り外しているモノクロの画像も出てきます。前回あげたカシオペアとのTV共演にてプレミアを使用していますが、そこで聴ける音色は非常に重いもの。ドラムヘッドがCSヘッド(中心部に黒い丸があるもの。重くてインパクトがあるサウンドが特徴)なので余計にその様な音色になっているのかもしれません。70年代から80年頃の使用スネアに関してググってみましたが出てきません。この頃だと当然セットと同様にグレッチか、あるいはスリンガーランドのラジオキングやラディックLM400・402あたりではないかと推測されます(でも確かな事はわかりません・・・)。
シンバルは70年代がジルジャン、80年代に入ってからはセイビアンも使い始めた様です。先の81年におけるモダン・ドラマー誌においてはジルジャンとセイビアンの混合だと語っています。しかしながら、これは一流のプレイヤー全てに言える事ですが、どんな機材を使っても自分の音にしてしまうのです。

スタジオワークが素晴らしい事は言うまでもないのですが、ライヴもこれまた凄いのは当たり前。ジョージ・ベンソンによる77年のライヴ盤にてミリオンセラーとなった「Weekend in L.A.(メローなロスの週末)」より「Windsong(風の詩)」。最も印象的なのが2:10辺りからのフィルインです。1拍6連符を用いた(部分的にはその倍の細かい音符も)このフレーズは、テクニカルである事は勿論ですが、ニュアンスの付け方が超一流。前半はハイハットオープンとスネアショットにて、口で言えば ” チータタタチ・チータタタチ・チータタタチ・チータタタチ ” といった感じ。6連符の一番最後がハイハットなのがニクいです。後半を口で言うと … 言えない・・・6連を基調にしているのは変わりませんが、出だしのハイハット~スネアからその後のタムへの連打は、何タムをどの様に叩いているのか???です。ただ一つ言える事は、前半における規則的な
フレーズによる緊張感を、後半の全てを巻き込んでなだれ込む様な連打で解消しているという事。緊張と緩和、もっと平たく言えばメリハリを付けたフレーズが人の心を打つのです。更に補足すると、本曲はドラムに関しては超絶フレーズのオンパレードという訳ではなく、比較的地味なバッキングに徹している為に、先のフィンルインが山場として、余計にドラマティックさを演出されているのです。

ハーヴィー・メイソン回はまだ続きます。

#138 Harvey Mason

ドラム教室のブログらしく、いい加減ドラマーの事を書かなければならぬと思っていた今日この頃。丁度折よく前回・前々回と、いつかは絶対に取り上げなければ、という人の名前が挙がりました。ハーヴィー・メイソン、70年代フュージョンシーンを代表するドラマー、その人です。

        今までも何度かスティーヴ・ガッドと共にその名が出てきましたが、私の世代(昭和45年生まれ)以上でドラムを演っている、もしくはある程度音楽に精通している人ならばその名を聞いた事があるでしょう。技術が優れているのは言うまでもない事ですが、ハーヴィーの魅力で皆が一様に口を揃えて挙げるのがその唯一無二のリズム、所謂グルーヴです。ウネる・ハネる・ジャンプしている、いずれの表現もその躍動感あふれるビートを言い表したものに他なりません。

47年ニュージャージー州生まれ。7歳(4歳説も有)でドラムを始め16歳にて自身のドラムセットを購入。バークリー音楽大学とニューイングランド音楽院という二つの名門音楽大学(ニューイングランドは全額支給の奨学金を得て)でドラム・パーカッションのみならず作曲・編曲も学びます。実はハーヴィーはコンポーザーとしての一面も持っており、その能力はこの時期に培われたようです。在学中からセッションミュージシャンとしての活動もしており、日に三つのスタジオセッションを掛け持ちする事がある程で、この時から既に引っ張りだこであった様です。

ハーヴィーのキャリアを語る上で必ず挙がる作品がハービー・ハンコック「Head Hunters」(73年)。エレクトリック・ジャズの金字塔的作品であり余りにも有名なアルバムなので、ジャズフュージョンに興味がある方ならその収録曲である「Chameleon」「Watermelon Man」などは耳にした事があるのではないでしょうか。「Chameleon」の実に粘り気のある16ビートはハーヴィーの名演としてよく取り沙汰されます。ユーチューブで聴けますので是非ご一聴を。なのでこちらではあえて「Head Hunters」を避け、同年におけるやはりジャズフュージョンの名盤とされ、ハーヴィーのプレイが堪能できる別の作品を。トランぺッター ドナルド・バードによるアルバム「Black Byrd」より「Love’s So Far Away」。粘っこいファンクビートがハーヴィーの真骨頂とされますが、スピーディーかつスリリングな16ビートも当然の如く絶品です。フルートが如何にもこの時代のフュージョン(当時はクロスオーヴァーと呼ばれた)らしいです。

これまたドナルド・バードによる同年のアルバム「Street Lady」より「Sister Love」。ヘヴィーなファンク、スピーディーな16ビートはもとより、本曲の出だしにおける軽快な8ビートも見事です。ところが更に、曲が進むにつれ段々と一筋縄では無い演奏に。ドラムを演っている人ならわかると思いますが、16に比べて8ビートの方が技術的には容易ですけれども、じゃあ8ビートでどんどんフレーズをフェイク、膨らませていけ!と言われると、これがどうして良いか戸惑ってしまいます。フィルインには当然16分音符は使いますが、8ビートの中でエキサイトさせていくのはなかなかに至難の業なのです。中盤以降のハーヴィーのプレイは素晴らし過ぎます。ハイハットの強弱・オープンクローズ、2・4拍以外の細かいスネアによる表情付け、曲中しばしば行われる3拍目裏のシンコペーションにおけるグルーヴなど全てがパーフェクト。特筆すべきは、一貫して元の気持ちの良い8ビートのグルーヴが全く失われていないという点です。プロであっても盛り上げるとなるとラウドな音色(ドラムならクラッシュシンバルやオープンハイハット、ギターで言えばディストーションをかけて音量を上げるなど)を用いたり、とにかく速く叩く・弾くという事に終始するプレイヤーが少なくありませんが、ハーヴィーのプレイを聴くとそれがいかに陳腐であるかという事に気付かされます。

鉄板である「Head Hunters」を外して置きながら、” 王道こそこれ真の道である ” という言もあります。え?そんな格言は無い?!そんなはずはありません!こないだ近所の小学生が言ってましたよ
(`・ω・´)!!!
てな訳でベタなヤツも。言わずと知れたジョージ・ベンソンの大ヒット作「Breezin’」(76年)より、彼のオリジナル「So This is Love?」。フュージョンブームの火付け役となった作品であり、ジャズフュージョンのカテゴリーでは初めて全米で100万枚以上(トリプルプラチナ=300万枚以上)を売り上げたジャズ界におけるモンスターアルバム。確かいまだにこれを超える売り上げは無いのでは?(もしかしたらその後もっと売れたのがあるかも、うろ覚えなのでご勘弁)タイトル曲やレオン・ラッセルの「This Masquerade」が有名ですが、ハーヴィーのドラミングを堪能したいのならこの曲です。軽快な感じで始まる16ビートですが、曲が進むにつれ白熱していきます。時にギターフレーズに呼応し、時にベンソンを挑発するようなプレイで全体を盛り上げる、これは完全にジャズのインプロヴィゼーション(即興演奏)の感覚です。当然のことながら、ハーヴィーは卓越したジャズドラマーでもあります。

ハーヴィーは日本人ミュージシャンの作品にも多く関わっています。言うまでもなく渡辺貞夫さんの「カリフォルニア・シャワー」をはじめとする一連の作品は有名ですが、意外にも井上陽水さんのL.A. 録音「二色の独楽」(74年、「氷の世界」の次のアルバム)でもプレイしており、実は結構身近な所でハーヴィーのドラムを耳にしているのです。カシオペアとの共演はフュージョンファンには周知の事ですが、今回ユーチューブを漁っていたら面白いものを見つけてしまいました。81年にテレビ番組で一緒に出演しており、演奏も披露しています。曲はカシオペアの代表曲「ASAYAKE」。動画のコメントにもありますが、神保彰さんが力み過ぎではないか?と観て取れますけれども、そうであったとしてもしょうがないでしょう。神保さんはハーヴィーとスティーヴ・ガッドをフェイバリットドラマーと公言していた人ですから、この時まだ20代前半であった神保さんは嬉し過ぎ、そして少しでもハーヴィーにイイところを観せて認めてもらおうという思いがあっても何ら不思議はありません。それにしても向谷さん・野呂さん・櫻井さん、そして勿論神保さんも皆若い。翌82年、カシオペアとハーヴィーを含めたL.A. のトップミュージシャン達、リー・リトナー、ドン・グルーシン、ネイザン・イーストによる夢の競演アルバム「4×4 FOUR BY FOUR(フォー・バイ・フォー)」の制作へと繋がった訳です。

当然一回では書き切れないので次回以降へ続きます。

#137 Feel Like Makin’ Love

今回のテーマ「Feel Like Makin’ Love」。本曲つながりでロバータ・フラックからマリーナ・ショーへ話が展開した訳ですが、ふと思いつきで、この曲だけに絞って丸々一回ブログ書いたら面白くね
(*゚▽゚)?! …
などと安直な考えに至った次第です・・・

本曲に関してはマリーナ版が白眉と前回述べましたが、ロバータ版が素晴らしい事も言わずもがなです。ビルボードとキャッシュボックスのポップスチャートにて1位を記録し、その他ビルボードのソウル及びイージーリスニングチャート、またカナダでもNo.1ヒットに。

数えるのがイヤになるほど数多くのミュージシャンに取り上げられて続けている本曲の作者はユージン(ジーン)・マクダニエルス。ジャズバンドのシンガーとして出発し、60年代にはソウルシーンでヒットを飛ばし注目を浴びます。ロバータはデビュー作からマクダニエルスの楽曲を取り上げていましたが、本曲をタイトルとする75年の6thアルバムでは9曲中4曲が彼のペンによるものでした(共作含む)。ロバータ版が初出であり、No.1ヒットとなった事から、”「Feel Like Makin’ Love」と言えばロバータ・フラック ” 、と言われる所以です。マクダニエルス自身も75年にレコーディングしています。

ロバータ版・マリーナ版と並んで有名なのはこれでしょう。ジョージ・ベンソンが83年にリリースした「In Your Eyes」に収録されたヴァージョン。ミディアムテンポの16ビートにて演奏される事が多い本曲ですが、これは思いっきりアップテンポのダンサンブルファンクナンバー。人によって好き嫌いは分かれる所ですが、こういう解釈もあって良いのでは?ちょっとだけ音楽的な事をタレますが、いきなり歌から始まるロバータ版にしろ、前奏があるマリーナ版にせよ、所謂 “ ツー・ファイブ ” というコード進行で始まります。キーとなるコード(この言い方は正しくなくて音楽的にはトニックと言うらしいですがあくまで分かり易く)をIとすると、Iへ戻る直前にⅡ(大抵マイナーコード)→Vという展開をするこのコード進行はポップスでもお馴染みですが、ジャズフュージョンでは本曲の様にいきなりツー・ファイブで始まる事も多い様です。であるからして本曲の場合は
Fm7(Ⅱm)→Bb(V)→E♭(I)となり、キーはFmではなくE♭になります。
興味が無い方はこの辺読み飛ばしてください、私も本職はドラムなのであまりその辺は・・・

ロバータ版にて参加していた二人のギタリスト ラリー・カールトンとデヴィッド・T・ウォーカーが15年に来日し、ビルボードライブ東京で行ったライヴで本曲を取り上げています。このライヴ盤は物足りないという声が多い様ですが、弾きまくるだけが能じゃありません。これ以外は聴いていないのでわかりませんが、あくまでマリーナ版の本曲をイメージした演奏らしいので、抑制の効いたものになったのではないでしょうか。

ラリー・カールトンのライバル(=盟友)と言えばリー・リトナー。彼の代表作にて70年代フュージョンシーンを象徴するアルバム「Gentle Thoughts」で本曲を録音しています。ドラムはマリーナ版と同じくハーヴィー・メイソン。西海岸におけるトップドラマーでした。

インストが続いたので再び歌モノ。スティーヴィー・ワンダー回(#124)でも取り上げた85年の大ヒット「That’s What Friends Are For(愛のハーモニー)」に参加していたグラディス・ナイト。スティーヴィー、ディオンヌ・ワーウィック、エルトン・ジョンと比較すると一般的知名度は劣るとその時は書きましたが、米ソウル界ではカリスマ的支持を集めた彼女。グラディス・ナイト&ピップスにて発表したヒット作「2nd Anniversary」(75年)に収録されています。ジャズフュージョン、イージーリスニング的編曲がなされる事が多い本曲ですが、グラディス版はそれらに比べると異色でありがっつりとソウルしています。彼女の歌唱力があってこそのアレンジです。本アルバムにはプロデューサーの一人としてマクダニエルスが参加し、全9曲中の内4曲が彼の作品。一般的には枕詞の様に「Feel Like Makin’ Love」の作者という点だけが取り上げられるマクダニエルスですが、ロバータをはじめ、米ブラックミュージック界において絶大な信頼を得ていた事が伺えます。

変わり種ですが今井美樹さんも本曲を取り上げています。殆どが洋楽のカヴァーで占められた「fiesta」(88年)に収録。これから本当に大変失礼極まりないことを言います。今井さんは決して歌が上手いシンガーではないと思いますが・・・・・
ε=ε=ε=ε= (#゚Д゚)( °∀ °c彡)ヽ( ・∀・)ノ┌┛・・・ ・・ちょっ!!タ、タンマ!!!(((((゚Å゚;)))))
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( #)ω・) ぎょふょんにんのふぇんにみょあみばひたぎゃ(訳:ご本人の弁にもありましたが。失礼、ちょっと歯が折れたもので … )、ご実家は確かジャズ喫茶を営まれていて、幼い頃からエラ・フィッツジェラルドやカーメン・マクレエを聴いて育ち、彼女達と比べて何て自分の声は弱弱しく頼りないんだろうと常日頃思っていたそうです(比べる相手が悪すぎますが・・・)。しかしながら、私は初期における彼女の作品しか知らないのですけれども、その儚げな声は当時の作風とマッチしており、独特な雰囲気を醸し出していました。

最後に再度ロバータ・フラック。80年にリリースした彼女初のライヴアルバム「Live & More」。その後ディズニーアニメの主題歌などでブレイクするピーボ・ブライソンをパートナーに迎えたロバータのライヴ盤に本曲を収録しています。印象的なベースプレイはマーカス・ミラー。洗練された音色とフィーリングがこの時代らしい。ロバータはピーボという相方を得てダニーの死を乗り越えたと一般的には言われていますが果たして? ……… と言うのも野暮ですね。

ヴォーカル・インストゥルメンタル共に数えきれない程の録音があり、またジャズフュージョン系のミュージシャン達にとってはセッションの定番曲なので、世界中でどれだけ演奏されているのか見当も付かない程です。万人に受ける親しみやすい循環進行のポップスという訳ではありませんが、そのアダルトでアンニュイな雰囲気は、少し背伸びしかけた若者からオールド世代までを魅了してやまないのでしょう。本曲がこれだけ支持されている理由はそこにあります。ちなみに「Feel Like Makin’ Love」ってどんな意味なの?、などと考えているそこのアナタ … 私の口からはとても言えません …
♡♡♡(*´▽`*)♡♡♡ … 言えませんよ、”@※▽◎したい” なんて。
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#136 Who Is This Bitch, Anyway?

ロバータ・フラック回の中で、とある代表曲のひとつについて触れませんでした。その曲とは「Feel Like Makin’ Love」。74年にNo.1ヒットとなった本曲はロバータ版が初出であり最もよく知られる所でしょう。数多くのカヴァーが存在する本曲ですけれども、これについては、少なくとも私にとってはですがロバータを凌ぐヴァージョンがあります。

マリーナ・ショウが75年に発表した名盤「Who Is This Bitch, Anyway?」に収録されたヴァージョン。これを超える「Feel Like Makin’ Love」を私は他に知りません。ロバータ版よりもさらにジャズフィーリングに溢れた本曲は、ドラマティックな山場などがある訳ではありませんが(この曲自体が元々そうですけど)、静かにテンションが高まっていく展開は何度聴いても鳥肌が立ちます。

マリーナ・ショウは42年、N.Y.生まれの御年76歳(もうすぐ77歳)。ポップス・ソウルというよりもジャズのカテゴリーに組み入れられる事が多いため、余計にポップミュージック界では知名度がイマひとつな原因かもしれません。かくいう私も本作しか知らないのですけれども・・・上はオープニング曲「Street Walking Woman」。16ビートとスウィングが交錯する曲調は英語で言う所の ” Cool ” という表現がピッタリです。

トランぺッターを叔父に持ち、自身もディジー・ガレスピーやマイルス・デイヴィスなどを好んで聴いていたようであり、音楽を学ぶ為大学へ進学しますが中退し、やがて結婚・妊娠。しかし彼女は音楽の道を諦めなかった様です。上は「You Taught Me How to Speak in Love」。エレピ(ローズピアノ)が印象的であるメローなナンバー。本作ではラリー・カールトンとデイヴィッド・T・ウォーカー、ギターの名手二人が参加しています、左チャンネルがラリー、右がウォーカーと言われており私も多分そうだと思いますが? …… 聴き比べもこれまたご一興。ちなみに一部では「いとしのエリー」の元ネタとまことしやかに言われていますがその真相は・・・

短い曲ですが「The Lord Giveth and the Lord Taketh Away」は彼女のオリジナル。素晴らしいブルース&ゴスペルフィーリングです。63年にはジャズバンドでニューポートジャズフェスなどにも出演したマリーナでしたが、バンドを辞めその後は小さなクラブで細々と活動。転機は66年に、ブルース・R&B界ではよく知られるチェス・レコード(の子レーベル)と契約。上は彼女のルーツと言えるテイクなのでしょう。彼女の名は徐々に米音楽シーンへ浸透していきます。

しかしブルースを主とするチェスでは彼女の本領を発揮させる事が出来なかったのでしょうか、72年にジャズの名門として知られるブルーノートへ移籍、本作を含む5枚のアルバムを発表します。彼女の絶頂期は間違いなくこの頃であったでしょう。上は「You Been Away Too Long」。75年と言えばフュージョン(当時はクロスオーヴァー)が開花した時期、フルート他の管楽器群もこの時代ならでは。リズム隊はチャック・レイニー(b、他一名)とハーヴィー・メイスン(ds)。レイニーはロバータ・フラックの傑作群でも活躍した事は既述。70年代フュージョンシーンを担ったハーヴィーですが、東のスティーヴ・ガッド、西のハーヴィー・メイスンと言われる程に当時の西海岸シーンにおけるファーストコールドラマーでした。ガッドとの相違点を挙げれば、ややシンプル、乾いた音色(タムが特に顕著)、そして黒人特有のジャンプするグルーヴでしょうか。しかし、どちらも素晴らしいというのは言わずもがなです。

バラードの「You」も彼女のペンによる曲で、作曲能力の高さを示しています。

マリーナは感情表現が激しい歌唱スタイルではなく、むしろ抑制を効かして歌うタイプです。その意味では、ジャズがバックボーンにある点も含めてロバータ・フラックと似ています。「Loving You Was Like a Party」はジャズ、ニューソウル、そしてプログレッシブの要素までを含めた、如何にも70年代中期のクロスオーヴァー風楽曲であり、シンセも印象的。

エンディングナンバーである「A Prelude for Rose Marie~Rose Marie」。荘厳な序章から始まる本曲ですが、本編は意外にも軽快なスウィング。しかし重厚なストリングスが入る所など一筋縄のナンバーではありません。男女の会話から始まり、波の音で締める。一本の映画を観ているような物語性のある作品です。冒頭の会話はクラブの専属歌手であるマリーナが男から ” 一杯おごるよ! ” などと言われる内容で、その流れからオープニングの「Street Walking Woman」へなだれ込みアルバムが始まります。マリーナを劇の主人公に見立てた一種のコンセプトアルバムと呼べるかもしれません。

本作は決して好セールスを記録したアルバムではありません。しかも米本国を含め海外では他の作品(ブルーノート移籍後初の「Marlena」など)の方が評価が高かったりするらしいです。しかし本作は特に日本で人気が高く、09年から16年までビルボードライヴで、しかも本作の演奏陣にて来日公演を行ったそうです。なぜ本作が日本で人気があるのか?マリーナは抑制の効いた歌い方であり、所謂分かり易い ” 上手い歌 ”のシンガーではありません。素晴らしい楽曲揃いではありますが、特に日本人にウケやすい、単音のメロディが印象的な楽曲というよりも、ハーモニー・和音やリズムの重なり合いによるグルーヴが聴きどころである作品です。本作で検索すると、松任谷正隆さんがこのアルバムについて語っているページが出てきます。70年代中期、本作はかなりのインパクトを与えたらしく、当時は新進気鋭の若手ミュージシャンであった松任谷さん達を夢中にさせたようです。つまり、決して商業的に大成功を収めた訳ではないアルバムでありながら、松任谷さんの様な同業者や当時においてアンテナの鋭い洋楽ファン達が、一般的には評価されづらい本作の魅力・本質を嗅ぎ取り、やがて日本のミュージックシーンを担った松任谷さん及び年季の入ったコアなリスナー達によって名盤と語り継がれることに因り、このアルバムが我が国において語り草になっていったのではないかと思うのです。

#135 The Closer I Get to You

79年1月13日、ダニー・ハサウェイは滞在していたN.Y.のホテルから転落して亡くなります。享年33歳、自殺であったと言われています。生前にリリースした最後のレコードであり、最大のヒットとなったのが、ロバータ・フラックとのデュエット「The Closer I Get to You」です。

前回取り上げたアルバム「Extension of a Man」(73年)の前に、実は映画のサウンドトラックを手掛けています、それが『Come Back, Charleston Blue(ハーレム愚連隊)』。

上はそのタイトル曲。素晴らしいジャズテイストであり、ダニーのヴォーカルも見事。デュエットの女性はマージー・ジョセフ。アレサ・フランクリンと並ぶほどの実力を持つとされていましたが、アトランティック時代は芽が出ず、70年代にポップスのカヴァーなどで知られるようになりました。本サントラでダニーはクインシー・ジョーンズと組んでいます。実はこの二人親しかったとの事。クインシーの自叙伝の中でダニーについて触れている部分があり、そこでは思った通りの評価が得られず苦悩していたとの記述があるそうです。本人としては入魂の力作であった「Extension of a Man」がそれまでの様なセールスを上げられなかったのがやはりショックであったらしく、「Live」のヒットは本人的にはそれほど響かず、また最大のヒットがロバータとの共作であったというのも(勿論ロバータが嫌いとかいう訳ではないのでしょうが)、ミュージシャンとしてのプライドには引っかかるものがあった様です。更に年下ではあるものの同じくニューソウルの騎手とされたスティーヴィー・ワンダーが快進撃を続けていくのを傍目で見ていて、なぜ自分の作品はスティーヴィーの様な評価が得られないんだ?という焦りもあったようです。前回、「Extension of a Man」の後に表舞台から姿を消す様になったのは既述ですが、ダニーの中ではこの様な思い・葛藤が渦巻いており、それが精神の病を悪化させていたようです。

その様な状態であったダニーを引っ張り出したのは、やはり盟友であったロバータでした。彼女のアルバム「Blue Lights in the Basement」(77年)に収録し、翌年2月にシングルカットされ大ヒットしたのが最初にあげた「The Closer I Get to You」です。ポップスチャート2位・R&B1位という大ヒットを記録し、ダニーここに復活、と思われました。ロバータは再びアルバムを一緒に作る事をダニーに持ち掛け彼も了承します。レコーディングを始めた二人ですが、実はダニーの病はこの時点でもかなり深刻だったようです。スタッフの話では制作中のダニーによる奇言奇行はひどいもので、たびたび録音の中断を与儀なくされたとの事。しかし死の直前、ダニーはマネージャーと共にロバータの家で食事を取りながら、今後の作業について話をしており、その時は普通であったと言われています。ロバータの家からホテルへ戻り、その後衝動的に15階の部屋から身を投げたというのが公式の見解です。

制作途中におけるダニーの死という困難に直面しましたが、ロバータ達はアルバムを完成させます。それが「Roberta Flack Featuring Donny Hathaway」(80年)。ダニーが録音を終えていたのは2曲だけだった為、ルーサー・ヴァンドロスなどに協力を仰ぎ一枚のアルバムとして仕上げました。ダニーが残した2曲というのが上の「Back Together Again」と「You Are My Heaven」、ちなみにダニー最後の録音は後者の方だったそうです。アルバムはポップス25位・R&B4位とヒットを記録し、ゴールドディスクを獲得します。ロバータは死の直前におけるダニーとのやり取りなどを永らく語る事は無く、その件に触れられるようになったのは比較的最近だと言われています。あまりにもショックが大きいと、おいそれとは語る事など出来ないものなのかもしれません。

表舞台での活動期間が短かったダニーですので、ジミヘンほどではありませんが(ジミヘンはどうしてあれだけ未発表ライヴ・テイクなどがコンスタントに出てくるのでしょう?)、その死後において作品がリリースされています。まずは80年発売のライヴ盤「In Performance」から自作である「We Need You Right Now Lord」。「Live」に比べ地味だとか言われているようですが、リズミックでアップテンポ、快活な楽曲である事だけがライヴの醍醐味ではありません。オーディエンスの声がよく聴こえるのも臨場感を引き立てていると思えば気になりません。ダニーの歌と演奏が残されている、ただこれだけで貴重なのです。

13年に4枚組の「Never My Love: The Anthology 」が発売され、当時はちょっとした話題になりました。既出曲から未発表曲・ライヴ音源までをダニーの足跡を辿るようにまとめられた作品。上は未発表音源を集めたディスク2における一曲「Memory Of Our love」。ダニーの歌及び全体の演奏はまだ手探り状態ですが、それでも、いやだからこそこの上ない程のテンション感です。この曲が仕上がっていたら・・・

歴史にタラればはナンセンスであるのは重々承知していますが、ダニーが精神を病まずに若くして命を絶っていなければ、その後のポップミュージックが若干でも違っていた気がします。ジミヘンとジャニスが麻薬に溺れてなければ、ジョン・レノンが撃たれていなければ、というのと同じ様な愚問ですけれども・・・・・
ダニーはスティーヴィー・ワンダーの様にシンセや当時において革新的な録音技術などを用いたエポックメーキングな作風ではなく、あくまで音楽本位、悪く言えば地味な作品創りでした。結果的には本人単独の名義ではゴールドディスクが一枚のみと、大成功を収めたとは言い難いです。しかし、死後40年を経た現在においても、ソウル、いやポップミュージック界全体における伝説的存在として語り草になっているのは、その本質を理解している人々が大勢いるからに他なりません。

最後にロバータとダニーが一緒に歌っている動画を、といっても現在の所二つしかなく、どちらも出所は同じ(TVショー?)。「Roberta Flack & Donny Hathaway」に収録された「Baby I Love You」。これを含んだもっと長い動画は画質・音質共に更に悪いのでここでは本曲の動画だけを。二人が共に映っているだけで国宝ものですから …
今回をもってロバータ・フラック及びダニー・ハサウェイ回は終わりです。

#134 Extension of a Man

ダニー・ハサウェイのミュージシャンとしてのキャリアは、カーティス・メイフィールドが設立したカートム・レコードにおけるソングライター・プロデューサーとしての立場から始まります。ダニー自身もカートムでシングルを一枚レコーディングしており、その後アトランティックの子レーベルであるアトコと契約し、1stアルバムにも収録された「The Ghetto」(69年)でシングルデビューする事となります。

ロバータ・フラックとの共作「Roberta Flack & Donny Hathaway」(72年、#129ご参照)、と前回取り上げたそれに先立つ自身のライヴアルバム「Live」の大ヒットによって、ダニーの名はニューソウルにおける急先鋒の一人として世間に知られる所となります。そのダニーが満を持して発表した4thアルバムが「Extension of a Man」(73年)であり、上はオープニングナンバー「I Love the Lord; He Heard My Cry」と2曲目の「Someday We’ll All Be Free」。クレジット上は別の曲ですが、メドレーとなっているので実質一つの曲として捉えるのが適当でしょう。いきなり荘厳な、本アルバムが大作であるのを感じさせる始まり方です。従来の作品とはカラーが明らかに異なり、良い意味で期待を裏切ってくれています。5:32からが次曲「Someday We’ll All Be Free」ですが、その前辺りからエレピやハープ(竪琴の方)の音で雰囲気がガラッと変わりメローな本曲へと移っていきます。アコースティックギターの音色の美しさも見事で(コーネル・デュプリーかデヴィッド・スピノザのどちらか)、更にホーンとストリングスが見事な彩を添えて非常に贅沢な作りです。勿論それに相応しい、言い換えれば負けていない楽曲であるからこそこれだけのアレンジが映えるのです。

「Flying Easy」と「Valdez in the Country」は共にリズミックでクロスオーヴァースタイルの曲。前者は過去にインストゥルメンタルで録音した事のある楽曲でしたが、本作で歌詞を付け改めて録音したとの事。エレピが印象的ですが、前回ダニーが使用していたのはウーリッツァーと述べましたけれども、本作ではフェンダー社のローズピアノを採用しています。これぞ ”エレピ” といったお馴染みの音色です。

アル・クーパーの曲であるスローナンバー「I Love You More Than You’ll Ever Know」。ダニーの切ないヴォーカルが映えており、バックの演奏も秀逸。コーネル・デュプリーのヴォリューム奏法(ピッキング時はギターの音量をゼロにし、その後上げていく事で独特の効果を出す)が素晴らしい。

珍しく(?)正統派的ソウルナンバーの「Come Little Children」。のっけからシャウトするのはダニーとしてはレアなヴォーカルスタイルです。鼻にかかってくぐもった様な歌い方が特徴ですが、スティーヴィー・ワンダーと確かに酷似しています。前々回、スティーヴィーがダニーを参考にしたと述べましたが、お互いにインスパイアされていたのではないかな?と私は思っています、声質が似てますからね。

本作でもっとも親しみやすく、そしてシングルカットされた「Love, Love, Love」。オリジナルではないものの、女性コーラスの入れ方などを聴くとマーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」や「マーシー・マーシー・ミー」が元イメージであるのかなとも推察されますが、いずれも名曲である事に間違いはありません。ラルフ・マクドナルドのパーカッション、ウィリー・ウィークスのベースが素晴らしい事この上ない。

「The Slums」は一転してヘヴィーなファンクナンバー。デュプリーのギター、ウィークスのベースは彼らの真骨頂とも言えるプレイです。タイトルがひたすら掛け声で繰り返されるだけで(あと後ろで人の声が聴こえますがスラムの喧騒を表したのでしょう)、基本的にはインストゥルメンタル。しかし歌詞は無くとも黒人差別・貧困問題などを提起しているように聴こえるからこれが不思議。伝える手段は必ずしも言葉だけではないという事でしょうか。

ラグタイムやヴォードヴィル風の軽快なナンバー「Magdalena」は本作では異色の楽曲ですが、これがアクセント、良い意味で箸休め的な存在になっています。マグダレーナはヨーロッパ系の女性名なので、やはり欧州ヴォードヴィルショーのイメージなのかな?と思われます。

エンディングナンバー「I Know It’s You」。ラストを飾るに相応しいエモーショナルな楽曲であり、ダニーの歌唱も同様です。全然話は変わりますが、出だしにおけるピアノのフレーズが吉田美奈子さんの名曲「時よ」(78年)の歌い出し ” 秘かに会った … ” とそっくりなのですが、こういうのはパクリとは言いません、「リスペクト」「オマージュ」というやつです。パクリというのは …
あぶねえ … 言いそうになった・・・・・・・

先述の通り、本作はそれまでの作品とは方向性が違います。半分近くがカヴァーなので、歌詞にストーリー性があるとかは当然無いのですが、所謂トータルコンセプトアルバムを意識して創ったのではないかと思えるのです。フー「トミー」やピンク・フロイド「狂気」などが有名ですが、そこまではいかなくとも壮大なオープニング曲や個々の楽曲の配置、そして先ほどは楽曲毎の歌詞に繋がりは無いと言いましたが、各曲名及びアルバムタイトル(直訳すれば ”人間性の拡張” )などが意味深く、顕著なのはオープニングが ” 主よ愛しています:主は私の嘆きを聞いた ” で始まりエンディングが ” 主よ御助けを ” ですので、そこに何かしらのダニーによる思い(想い)を感じざるを得ません。デビュー作からキリスト教的感覚があったのは間違いない事なのですが、しかし本作では更にそれを推し進めた、明らかにそれまでとは異なる、並々ならぬダニーの本作に対する意気込みが伺い知れるのです。しかしながら、作者の作品に対する入れ込みようと商業的成功が必ずしも比例しないのは世の常であり、本作はポップス69位・R&B18位と、ロバータとのアルバムや「Live」と比べてお世辞にもヒットと呼べるものではありませんでした。そして結果的に、ダニーの生前における最後のオリジナルアルバムとなります。

ダニーは作品が世に認められ始めた頃、一方で精神疾患(躁鬱病とも統合失調症とも言われる)に悩まされるようになり、そしてそれにより周囲と軋轢を生み始め、やがては盟友であるロバータとも一時袂を分かつことになってしまい、しばらく表舞台から姿を消します。その様な状況でありながらも音楽をやめる事は出来ず、その時期も場末のライヴハウスなどで演奏は続けていたと言われています。かつては全米TOP10ヒットを飛ばしたミュージシャンが、わずかその数年後にはうら寂れたクラブで歌っているというのは、なかなかに悲壮感が漂いつつも、まるで伝記映画的展開とも取れるのですが、その後ダニーはどうなるのか?
続きは次回にて。

#133 Live

ダニー・ハサウェイは45年シカゴ生まれ。その後セントルイスで少年期を過ごします。ゴスペルシンガーであった祖母の影響から3歳でピアノを始める事に。やがて奨学金を得て名門ハワード大学へ入学し、ロバータ・フラックとも同校で出会う事となるのですが、#129で既述なのでその辺は割愛。67年、卒業を目前にして中退しプロの道へ進みます。

話は唐突に変わりますが、ライヴアルバムの決定盤は?と問われれば、リスナーによって百人百様なので決められる訳がありません・・・・・・・・あ、これでは話が終わってしまう … オールマン・ブラザーズ・バンドの「フィルモア・イースト」だ、いや!ディープ・パープルの武道館ライヴだ、ナニ言ってんだ!アレサ・フランクリンのフィルモア・ウェスト以外は認めねえ!! … 等々、洋楽ファンが泥酔して談義するとこんな感じでしょう・・・
どれか一枚など端から無理なのは決まってますが、少なくとも本作は決定盤の一つとして良いでしょう。ダニー・ハサウェイ「Live」(72年)。A面がL.A. 、B面がN.Y. のライヴハウスで行われた演奏を収録した本作は、絶頂期のダニーを見事なまでに切り取った名盤です。全曲素晴らしい演奏である事は言うまでもないのですが、やはり本作を名盤たらしめているのはこの演奏に他なりません、それは「What’s Going On」。マーヴィン・ゲイによるこの不朽の名曲、数えきれない程のカヴァーがありますが、オリジナルと肩を並べられる価値があるのは本テイクのみです。原曲よりもジャズ的でフリーなフィーリングでもって演奏される本曲、ダニーの歌、バンドの演奏、そして聴衆のリアクションまでも(これ、ライヴ盤では重要です)、その全てが渾然一体となって歴史的な名演へと昇華せしめているのです。4:15辺りからのダニーによるエレピのプレイ、四分の四拍子に三拍子フレーズ(一拍半)を織り交ぜたこのプレイはカビが生えている、と言って良い程に使い古されているフレーズですが、この時はダニーを含め、この場にいた全員に ”何か” が降りていたのでしょうか?異常なテンションです。フレーズの終わり頃で聴けるダニーの感極まった掛け声でそれがわかります。本曲程ではないにしても、私も二度だけこれに近い感覚を味わった事があります。どちらもプロではありますが、失礼を承知で言うと決して世間一般に知られているミュージシャン達ではありませんでしたし、大きなホールやライヴハウスでもありません。しかし音楽の神か悪魔かはわかりませんが、異常なテンションに包まれているのを感じました。名演というものは、今日もどこか場末のライヴハウスで生まれているのかもしれません。

1stに収録されていた「The Ghetto」。ライヴならではのインストゥルメンタルを強調した演奏。ダニーのプレイにおいて、エレクトリックピアノが重要な位置を占めていますが、彼が使用していのはウーリッツァー。エレピと言えばフェンダー社のローズピアノが有名ですが、ウーリッツァーはそれに次ぐエレピの代表格。正直キーボードに疎い私はあまり違いが判らないので、言われてみれば音色は違うな、くらいのもです。自分の理解としてはローズはリチャード・ティー、ダニーの音色がウーリッツァー、と認識しています(キーボードに詳しい人、ツッコミはご勘弁 … )。

A-③の「Hey Girl」。デビュー時からダニーの作品に関わっているフィル・アップチャーチのギターが印象的です。やはりインストゥルメンタルに比重が置かれているのは他曲と同様で、後半のダニーのプレイが活き活きとしています。彼は超絶技巧のキーボーディストという訳ではありませんが、楽器の歌わせ方が見事です。エリック・クラプトン回#8にて、歌心があるプレイはやはりシンガーである事に起因しているのではないか、と書いたことがありますが、ダニーも同様ではないかと思っています。もっともジェフ・ベックのように歌がヘタでもギターを歌わせる事が出来るプレイヤーもいますが …
謝れ!ジェフに全力で謝れ!!━(# ゚Д゚)━・・・・・

A面ラストはブレイクのきっかけとなった「You’ve Got a Friend」。涙を飲んでこれは割愛。B-①「Little Ghetto Boy」。「The Ghetto」同様に黒人の貧困を取り上げており、かなり悲惨な内容ですが最後は ”希望を持って少しでも変わるんだぞ、ゲットーのおチビちゃん!” とポジティブに締めています。「What’s Going On」と同じくウィリー・ウィークスのベースが非常に印象的。

B-②の「We’re Still Friends」はダニーのエモーショナルな歌が堪能できるスローナンバー。B面(N.Y. 録音)はギタリストが違います。一人は言わずと知れたコーネル・デュプリー、もう一人がマイク・ハワードというプレイヤー。右チャンネルがデュプリー、左がハワードで、ソロはデュプリーによるもの。ダニーのエモーショナルなヴォーカルへの ”絡み” が素晴らしい。余談ですが、裏ジャケットはN.Y. でのライヴにおけるスナップを使用していますが、デュプリーのギターのボディ部分は暗くて見えず、ネックから先が何とか確認出来る程度ですが、ヘッドの形状からしてフェンダー テレキャスターと思われます。彼はテレキャスの使い手として有名であり、音色からしてもフェンダー系のシングルコイルの音なので間違いないでしょう。前回も触れた通りデュプリーはキング・カーティスのバンドにいましたが、その時はギブソン(フルアコ)を使っていたようです(65~66年頃)。N.Y. での録音は71年10月ですが、70年前後がギブソンからテレキャスへの切り替え時期だったのかもしれません。やはりそれにはジミ・ヘンドリックスの影響があったのかな?と推察も出来ますが・・・

何と次の曲はジョン・レノンの「Jealous Guy」です。ジョンのソロキャリアにおける代表作「イマジン」に収録されているナンバー(でもイマジンが一番か?というと私は決してそうは思わないんですがね・・・・・・
一言余計だ!! ( ゚Д゚)┌┛Σ( ゚∀゚)!!!)。
「イマジン」の発売は71年9月、つまりリリースほやほやのアルバムからシングルカットされた訳でもない本曲を取り上げたのです。後世でこそジョンの重要な曲と位置付けられていますが、やはりダニーの選曲眼には感服させられます。本演奏においてはマイク・ハワードがオブリガード(歌の合いの手)を弾いています。

エンディングは1stアルバムのタイトルチューン「Voices Inside」。14分弱という長尺の演奏は当然インストゥルメンタルのパートがフィーチャーされていて、というよりも原曲自体がコーラスとダニーの掛け声の様なものだけであり、歌らしい歌は元々無いのですけれども。ダニーのエレピ、ハワード、次いでデュプリーのギター、そしてウィークスのベースとソロプレイが回されていきます。百聞は一聴にしかず、とにかく素晴らしい。本曲でのソロはありませんが、ドラムとパーカッションも秀逸です。さっきは触れ忘れましたが、「The Ghetto」におけるリズムソロも見事。ドラムはフレッド・ホワイト、アース・ウィンド・アンド・ファイアーの初期メンバーであり、本作のレコーディング時は若干16歳。派手さはありませんが、竹を割ったようなスネアの音色とグルーヴが素晴らしい。

本アルバムは72年2月の発売、「Roberta Flack & Donny Hathaway」が5月、そしてシングルヒット「Where Is the Love」が6月と、ロバータとの共演によるブレイクの直前にリリースされた訳です。率直に言うと、本作のヒットは(ダニー単独の名義では唯一のゴールドディスク)「Where Is the Love」が世間に認知された故の事かもしれず、つまりこれだけの傑作でも、以前であれば広く世に知られる事もなく埋もれてしまった可能性もあるのです。しかしながら、私は運命論とか全く信じない人間ですが、ダニーとロバータ両人による、この時期の異常とも言える作品のパワーが、所謂 ”ツキ” の様なものを呼び寄せ、ヒットしたのではないかと思えてならないのです。

#132 Donny Hathaway

ピーター・バラカンさんが以前ラジオで、ダニー・ハサウェイとスティーヴィー・ワンダーは歌唱スタイルが似ていると常々思っていたが、ある日スティーヴィーのコメントの中でダニーの歌い方を真似た、の様な内容を読んで納得がいったと語っていました。確かに二人の歌い方には似たところがあります。若き日のスティーヴィー(二十歳前後)が自身のスタイルを確立する上でお手本にしたのがダニー・ハサウェイだったのです。

2ndアルバム「Donny Hathaway」(71年)。自身の名を冠した本作はプロデューサーにジェリー・ウェクスラーとアリフ・マーディンの二人、アトランティックレコードの要人達が名を連ねています。1stは決してセールス的に成功したアルバムではありませんでしたが、それでもこの会社の力の入れ様からして、いかにダニーを買っていたかがわかります。オープニングナンバー「Giving Up」はヴァン・マッコイの作。「ハッスル」が余りにも有名すぎてディスコの立役者、という印象ばかりが先走ってしまいますが、「ハッスル」以前はブラックミュージック界を作曲・プロデュースによって裏方で支えていた人です。今回調べていて初めて知ったのですが、実はダニーと共通点が多いのです。幼いころ聖歌隊で歌っていた(もっともこれは黒人シンガーでは珍しくないのですが)、ハワード大学に入学してどちらも中退、そして亡くなったのも同じ79年です(ただの偶然ですけどね・・・)。胸が締め付けられる程切ないのダニーの歌、サックスソロは師匠的存在であったキング・カーティス。

本作において最も知名度のある曲がA-②「A Song for You」でしょう。奇才(鬼才)レオン・ラッセルによる余りにも有名なナンバー。有名すぎるので詳しくは割愛しますが、全てのヴァージョンを聴いた訳ではないのですが(200人以上にカヴァーされているので聴けるはずありません・・・)、本曲の解釈として最も秀逸なテイクの一つと言って間違いないでしょう。

A-③「Little Girl」は ” 5人目のビートルズ ” として知られるビリー・プレストンの楽曲(もっともこの言い方はビートルズとの活動以外を認めていない様でプレストンにとって非礼なのですが)。オルガンはプレストンかと思いきやダニー本人、チャック・レイニーのベースも印象的です。

「He Ain’t Heavy, He’s My Brother(兄弟の誓い)」は英国バンド ホリーズで有名な曲ですが、ダニーの手に掛かるとダニーの曲となってしまいます。「ふられた気持」「ミスティ」などもそのオリジナリティー溢れた解釈は、どうしてこういう発想が生まれるんだろうと感服する限りです。ダニーもロバータ・フラックも他人の曲を絶妙かつ、目からウロコ的にアレンジする天才ですが、これはジャズメンの発想でしょう。オリジナルを書いて自身のそれが売れるのは勿論、他人にもカヴァーされ印税がガバガバ入った方が儲かるのは明らかなのですが、それにはあまり興味がなかったのでしょうか?

「I Believe in Music」はカントリーシンガー マック・デイヴィスの曲。カントリーもダニーにかかればソウルになる、と思いきや、原曲からしてかなり黒っぽいものでした。不勉強でマック・デイヴィスに関しては全く知識が無いので他の曲も同様なのかはわかりませんが、かなりソウルフルな歌い方をする人であり、コーラスもゴスペル風のもの。ダニー版もそれを踏襲していて、つまり本曲はオリジナルのテイストを尊重しているのです。ダニーはいたずらに奇抜なアレンジをしている訳ではなかったという事です。

エンディングナンバー「Put Your Hand in the Hand」。カナダ人ソングライター ジーン・マクレランによる本曲は、同じくカナダのバンド オーシャンにより全米2位まで昇った曲(ちなみにトップを阻んだのはスリー・ドッグ・ナイトの「ジョイ・トゥ・ザ・ワールド」)。ゴスペルテイストのカントリー、とでも形容出来る本曲は、ダニーの手によって見事なゴスペルソングに仕立て上げられています。

先述した事ですが、如何にアトランティックによるダニーへの期待が大きかったかが伺い知れます。既に挙げたキング・カーティスやチャック・レイニーの他にも、ギターにコーネル・デュプリー(昔キング・カーティスバンドにいた関係かも?ちなみにその当時にはジミヘンも在籍。#43ご参照)、ドラムはブッカー・T &The MG’sでの活躍が有名なアル・ジャクソン。ブラックミュージック特集第1回目のアル・グリーン「Let’s Stay Together」も彼によるプレイですが(#101ご参照)、無駄な音を排した究極のシンプル、とも言えるドラミングは現在でも賞賛され続けています。本作はポップスチャートでは89位と前作同様に奮わなかったのですが、R&Bでは6位にチャートインし、黒人層への支持を着実に得つつありました。
そしてロバータ回へと繋がるのですが、その辺りはまた次回にて。

#131 Everything Is Everything

前回まで続けてきたロバータ・フラック回は決してまだ終わっていないのですが、一度中断して、というよりも、この人についてはロバータと同時進行で語らなければならぬ事を思い知りました。言うまでもなくダニー・ハサウェイです。出自・生い立ち・音楽的バックグラウンドなどはロバータ同様においおい触れていきます(それだけでブログ一回分でも足りない位なので・・・)。

ダニーのデビューアルバムである「Everything Is Everything」(70年7月)。名盤であることは言わずもがなですが、いち早くニューソウルの幕開けを告げたエポックメーキングな作品です。マーヴィン・ゲイ「ホワッツ・ゴーイン・オン」(71年5月)やカーティス・メイフィールド「スーパーフライ」(72年7月)といった、同じくニューソウルの金字塔である作品の中でも先陣を切ったアルバムであり、更に言えば本作から既にダニーのエッセンスが凝縮・完成されています。オープニングナンバー「Voices Inside (Everything Is Everything)」。副題がアルバムタイトルである本曲は、のっけから尋常ではないテンション感が漂っています。端的に言えば、ポップソングに別れを告げたという事で尽ると思います。スティーヴィー・ワンダー回でもたびたびその名が挙がったモータウンの創始者 ベリー・ゴーディが目指した分かり易いソウルミュージックとは違う方向に向かっていったという理解で概ね良いと私は思っています(違う!という意見もあるのはごもっとも…)。そのテンションを醸し出している一因はイントロのギターにありますが、これはダニーの作品と深く関わる事となるフィル・アップチャーチによるプレイ。ちなみに本曲の作曲者(共作)でもあります。

A-②「Je Vous Aime (I Love You)」。曲名は副題をおフランス語にしたものです。彼の奥さんに捧げた曲で、そして二人の間に生まれた女の子が母親と同じ名前を与えられ、やがてシンガーとなるレイラ・ハサウェイです。

A-③の「I Believe to My Soul」はレイ・チャールズの楽曲。レイの洗礼を受けていない黒人ミュージシャンはいないのではないかと思いますが、聖歌隊で歌ってきたダニーにとって、レイの歌は自身の血となり肉となったものでしょう。

傑作ぞろいの本作にあって、ベストトラックは?と問われれば本曲かな(もう一つありますが)、と私が思うA-④「Misty」。言わずと知れたジャズピアニスト エロール・ガーナーによるスタンダードの大定番。図らずもロバータ回にて(#128ご参照)「ミスティ」には触れました。彼女がブレイクするきっかけとなった映画「恐怖のメロディ」にて、ストーカーが執拗にリクエストを繰り返す曲として使われています。ですが別に「ミスティ」は怖い曲ではありません。” 貴方が傍にいると、私は霧に包まれてしまうのよ ” という、小っ恥ずかしくなる程のラブソングです。原曲はスローのバラード、たまにアップテンポで演るジャズメンもいますが、本曲の様なソウル・ゴスペルスタイルで演っているのは他に思い当たりません。「Roberta Flack &Donny Hathaway」における「ふられた気持」の大胆なアレンジも見事でしたが、本曲も勝るとも劣らぬ秀逸なもの。一聴しただけでは「ミスティ」と気づかないのも同様です。

B-①「Thank You Master (For My Soul)」。B面はA面に比べると長尺の曲となっていますが(6~7分)、エモーショナルなダニーの歌、文句の付けようもないアレンジ、そして一部の隙も見当たらない演奏と、私の陳腐な文章では語れません(なので、唯唯聴いてください)。

ダニーにとってその後重要なナンバーとなるB-②「The Ghetto」。タイトル通り、黒人への差別・貧困などを取り上げた曲です。歌詞に関して興味がある人は各自で調べてください。意味は判らなくとも、この黒っぽいフィーリングだけでノックアウトされます。

私は神も仏も信じない不信心者ですが、神性を纏った音楽、救いの曲とはこの様なナンバーのことを言うのではないかと思っています、エンディングナンバー「To Be Young, Gifted and Black」。「ミスティ」と並ぶ本作の、というよりもダニーのキャリアにおけるベストトラックでは・・・

チャートアクションだけを取ればポップス73位・R&B33位とお世辞にもヒットとは言えませんが、先に述べた通り、新しいソウルミュージックの到来を告げた大傑作であります。ロバータ・フラックは勿論の事、マーヴィン・ゲイ、カーティス・メイフィールド、スティーヴィー・ワンダーなどの新時代におけるソウルの担い手達に多大なインスピレーションを与え(勿論ダニーも、先輩であるロバータ・マーヴィン・カーティス達から沢山吸収した結果ですが)、70年代ニューソウルにおける傑作群の先駆けとなった名盤が本作であるのです。