#27 Wish You Were Here

特に日本のピンク・フロイドファンの間では人気の高い作品、それが今回のテーマ
「Wish You Were Here
(炎〜あなたがここにいてほしい)」です。
前作「狂気」までにあった前衛・実験色が薄れ、抒情味が前面に押し出された比較的素直な
”ロック”として完成しています。それが日本のファンには好意的に受け入れられたようですが、
リリース時の評価はあまり芳しいものではなかったそうです。「狂気」の次作としてどれほど、
今度はどんな驚くようなサウンドアプローチをしてくれるのか、と過剰な期待を抱いていた
ファン達には肩透かしを喰った形となってしまったからです。
あまりにも成功し過ぎてしまった「狂気」がバンドにもたらした変化は、決して良いものばかり
ではなかったようです。「狂気」制作後、”やり尽してしまった”症候群的な虚無感の様な感情が
芽生え、また軽佻浮薄なショービジネス界への嫌悪感、さらに聴衆は自分達の音楽の本質を本当に
理解してくれているのかという懐疑心(特にロジャー)、勿論次作への期待に対するプレッシャー等々。
様々な試行錯誤の後、難産の末に2年以上の歳月を経て本作は世に出ます。
当初こそ好意的でない評価があったのは先述の通りですが、結果的には英米共に1位となり、
「狂気」や79年の「The Wall(ザ・ウォール)」にこそ及ばないものの(この2枚が異常なのです)、
全世界で2,200万枚というビッグセールスを記録します。

 

 

 


その音楽性は従来とは比べ物にならないほど親しみやすく、効果音などは使われてこそいるものの、
全体に溶け込んでいてそれらが突出して耳目を引くようなことはありません。シンセサイザーの
音色はよりコズミックサウンド(宇宙的音世界)を効果的に演出しており、これに関しては
前作までの流れを踏襲しています。また音楽的にはブルースフィーリングに満ち溢れていて、
ある意味では原点回帰とも言える側面もあるのでは?と私は思っています。
アルバムのオープニングとラストを飾る「Shine On You Crazy Diamond(狂ったダイアモンド)」は
初期メンバー シド・バレットについて歌ったものとされていますが、後のロジャーのコメントには
それを否定するものもあります。「Have A Cigar(葉巻はいかが)」は旧友ロイ・ハーパーが
リードヴォーカルを務め、先述したショービジネス界への皮肉を込めた歌詞となっています。
タイトル曲は明らかにシドについて歌った曲。精神を病み音楽界、ひいては通常の現実生活をも去って
行ってしまったと言っても過言ではないシドに対しての、朴訥でありながら、それでいて慈しみに
溢れた歌詞・歌唱であり、サウンドは非常にシンプルでアコースティックなもの。それが余計に
シドへの思いを表している名曲です。ちなみに ”あなたがここにいてほしい” という邦題はバンドが
わざわざ日本のレコード会社側へ指定してきたもの。ここからも彼らの思い入れがうかがい知れます。
ですが、この作品で何より白眉なのは「狂ったダイアモンド」に他なりません。

オープニング曲「狂ったダイアモンド」パート1。冒頭部、無機的な宇宙空間を想起させるようなシンセの
音色とフレーズ。そこに仄かな光と温かみを与える抒情的なギター、これだけで本作の世界へ引き込まれて
しまいます。やがてアンサンブルパートへ。ギルモアのストラトキャスターによる乾いていて、それで

ありながらハリがあり、時に泣き叫ぶ様なブルージーなギタープレイ。個人的にはこのパートは
ギルモアの
プレイのなかで一二を争うものと思っています。ヴォーカルは無骨でありながら、それでいて
そこはかとなく優しい。シド、あるいは現実からドロップアウトしてしまった者達すべてに語り掛けている
ような歌です。終盤は前作から引き続き参加しているディック・パリーのサックスソロで一旦幕を閉じます。
エンディング曲「狂ったダイアモンド」パート2。パート1同様、スペイシーサウンドとでも呼ぶべき
イントロ。リックによる短いシンセのソロ、その途中からギルモアのギターが絡んできます。本曲の
クライマックスは何と言ってもこの後のギターソロで、スライドによるまさしく”泣き叫ぶ”プレイが聴き処。
随所におけるギターのオーバーダビングも素晴らしい効果をもたらしています。曲は展開し、
パート1同様のヴォーカルパートへ。その後二つのインストゥルメンタルパート、
前者はややリズミックな楽曲であり、そして後者はエンディングを飾るに相応しい、例えるなら
宇宙からの旅路を終え、まさしく今地球に帰還するようなサウンドです(我々オッサン世代なら
イメージするのは、間違いなくイスカンダルから帰ってきた宇宙戦艦ヤマト…(´・ω・`))。

本作制作時にシドがレコーディング現場にふらっと現れたというエピソードがあります。すっかり
容姿が様変わりした彼は、スタジオで奇行を繰り広げ、メンバー達は非常にショックを受けたそうです。
この事が本作の出来に影響を与えたか否かはわかりませんが、この後、06年にシドが亡くなるまで
メンバー達は彼と会うことはなかったと言われています。

77年「Animals(アニマルズ)」発表。”資本主義は豚だ!”の様な旨の強烈な社会風刺を効かせた
コンセプトアルバム。ますますロジャーのイニシアティヴ(=独裁化)が強まり、他メンバーとの
溝は深まっていきます(特にリックと)。それまでのコズミックサウンド志向から、現実世界の不条理、
人間の内面におけるネガティブな部分について歌われており、その作風は次作「The Wall
(ザ・ウォール)」へとつながることとなります。その辺りはまた次回にて。

#26 The Dark Side of the Moon

「Atom Heart Mother(原子心母)」の成功後、バンドは初めて自分達のみでアルバム制作に
取り掛かります。ピンク・フロイドにとってその後の重要なナンバーとなる「Echoes」を含む
「Meddle(おせっかい)」を71年11月にリリース。「Echoes」はB面全てを費やした一大組曲。
2ndアルバム「神秘」タイトル曲にて萌芽していた、宇宙的音世界の発展・完成形とも言える傑作。
「原子心母」同様にサウンドコラージュ、20以上に渡る楽曲素材の構築力が見事であり、23分30秒
という長さを全く感じさせません。
これはあくまで私個人の主観なのですが、「原子心母」まであった”怖さ”の様なものがだいぶ和らぎ、
抒情味・ロマンティシズムが全編に流れているように感じます。勿論大衆に迎合したなどということは
全くなく(そうであったらもっとコマーシャルな作品を作るでしょう)、この時期メンバー達に
何某かの変化が生じたのではないかと勝手に推測しています。
A面の楽曲群も秀作ぞろいで、特にオープニング曲「One Of These Days(吹けよ風、呼べよ)」は
私以上のオッサン世代なら御馴染、アブドーラ・ザ・ブッチャーの入場曲。延々と繰り返されるベースの
上で、やはりサウンドコラージュを駆使したフロイド流音楽世界が展開されます。このベースラインは、
ワンフレーズだけ弾いて録音したテープをループ状にして再生したものとか。80年代以降なら、
サンプリングマシーンやシーケンサーで難なく出来ることですが、当時は涙ぐましいほどの労力、また
そのアイデアに至るまでの試行錯誤がなされたのです。しかしだからこそ、技術が発達した時代においては
得られない素晴らしい効果をもたらしたのも事実です。テクノロジーが乏しい方が良いなどとはゆめゆめ
思いませんが、やはりそれだけではないという事も思い知らされます。また71年8月には来日を果たし、
野外フェスティバル『箱根アフロディーテ』に出演。夕暮れ時に霧が立ち込める状況で、これ以上ない、
と言う程絶妙なシチュエーションでのライヴは、勿論その演奏の素晴らしさも相まって伝説となっています。

 

 

 


「おせっかい」リリース時にはすでに曲作りは始まっていたと言われています。それらは断片的には
コンサートで演奏され、ブートレグでは聴くことが出来るそうですが、よほどのマニア以外には
それだけを聴いてもあまり意味のないものでしょう。しかし発売前半年余りにかけて行われた
レコーディング、その後の編集作業によって、その一つ一つのピースはとんでもない怪物のような
アルバムへと変容を遂げます。
主語を入れるのを忘れていました、それはあまりにも有名な、ロック史においてエポックメイキングと
なるアルバム、言わずと知れた今回のテーマ「The Dark Side Of The Moon(狂気)」です。
一度見たら決して忘れられない様なヒプノシスによるジャケットデザインとともに、本作は多くの
ロックファンに強烈な印象として焼き付いているのではないでしょうか。
”コンセプトアルバム”とは何ぞや? と問えば、ロックファンによって百人百様でしょうが、
もし私が人に説明するとしたら、”ピンク・フロイドの「狂気」の様なアルバム”と言います。
ビートルズが「SGTペパーズ」で成し遂げられなかった事を(#3の記事ご参照)、その後、
彼らが具現化出来たのだと私は思っています。

売上通算5,000万枚、全米TOP200に741週チャートインなど、本作を語る時に
枕詞の様に出てくる説明はどうぞ各々でググってください。この作品がどうしてここまで
怪物的に支持を得たのか?あまり長いと飽きられるので私見を出来るだけ簡潔に。
私は青春時代に鼻血が出るほどフロイドを聴きまくったのであえて言いますが、彼らは
ポール・マッカートニーやエルトン・ジョンの様な希代のメロディーメイカーではないですし、
レッド・ツェッペリンの様なソリッドかつヘヴィーなロックチューンをプレイするでもなし、
また同じプログレッシヴロックと言われるイエスやキング・クリムゾンの様な高度な演奏技術も
持ち合わせてはいません。じゃあ何故に?
先ずブルースをベースにした根源的な感情に訴えかける音楽性があります。彼らのルーツが
ブルースにあるのは前回の記事にて述べましたが、それはギルモアのギタープレイにもっとも
顕著に表れています。この様な言い方は身も蓋もないかもしれませんが、イエスやクリムゾンなど
よりは分かり易い音楽です。またお世辞にもポップでコマーシャルな音楽ではありません、どころか、
重く、陰鬱な音楽です。これが70年代にはまった、としか言いようがありません。60年代の
”ウッドストック幻想”のようなものが破れて、心に隙間が空いたようなロックエイジ達にドンピシャに
ヒットしたのではないでしょうか。更にSFブームや、(これは日本だけかもしれませんが)
オカルトブームなど、宇宙的・神秘的なものに対する興味の高まりもあったと思います。そして、
私は英語が得意ではないのであまりわかりませんが、彼らの歌詞(主にロジャー)は、平易な英語で、
それでいてイメージが喚起される様な、分かり易く、しかし奥深いものだそうです。英語圏ではない
人間が英米のポピュラーミュージックを聴くとき、見落としがちですが、商業的成功の為には
これは非常に重要なファクターでしょう。各国のポップスシーンに置き換えてみれば同様の事が
言えるのでは(日本は?…)。
音質的にも従来のロックアルバムよりも群を抜いて素晴らしく、
エコー処理やSEなどは後の
レコード制作に多大な影響を与えました。これにはエンジニアである
アラン・パーソンズと
クリス・トーマスの功績が挙げられるところです。

モンスター級のビッグセールス・成功を収めたバンドはその後どのような変遷をたどったのか。
順風満帆にスターダムを駆け上がっていったのか、はたまた否か。その辺りはまた次回にて。

#25 Atom Heart Mother

『プログレッシブ・ロック』と呼ばれるロックミュージックのカテゴリーがありますが、
一口に言ってもその音楽性は様々で、実際には一つには括れないものと私は考えております。
直訳すると”進歩的・先進的なロック”という意味なのでしょうが、いざその定義は? と、問われると
思わず考え込んでしまいます。ものの本によると”クラシック・ジャズ・前衛音楽などの手法を取り入れ、
従来の価値観にとらわれないロック”の様な旨が書いてあります。概ねこの説明で間違ってはいないと
私も思いますが、その定義によれば、クラシック色・オーケストラを取り入れた「ペットサウンズ」や
「SGTペパーズ」も当てはまりますし(実際これらをプログレの元祖と呼ぶ人もいます)、
ムーディー・ブルース、プロコル・ハルム、初期のディープ・パープルなどはもろにそうです。
また、ジャズ的であるというならば、ソフト・マシーンはその先駆けですし、前衛音楽的ロックと言えば
フランク・ザッパにとどめを刺すのではないでしょうか。このようにカテゴリーの定義はかなり曖昧かつ
難しいのです。では、そのプログレッシブ・ロックにおいて最も有名な、すぐに名前が挙がるバンドと
言えば、これに関しては殆ど衆目が一致するのではないでしょうか。それがピンク・フロイドです。

ロンドンで結成されたバンドは、67年にレコードデビュー。全英では初めからヒットを飛ばします。
デビュー前結成当初はブルースのカヴァーなどを演っていたようですが、やがて時代の波も
あったのでしょうが、サイケデリックロック色を強め、ライティング(照明効果)を巧みに使った
”トリップ”する音楽が売りとなります。勿論それにはこの時代のお約束としてLSDなどの
ドラッグが、演奏者・オーディエンス共にその傍らにあったのは言うまでもありません。
(良い子のみんなはマネしちゃダメだぞ!☆(ゝω・)v)
オリジナルメンバーはシド・バレット(vo、g) ロジャー・ウォーターズ(vo、b)
リチャード・ライト(key) ニック・メイスン(ds)の四人。
1stアルバム「The Piper at the Gates of Dawn(夜明けの口笛吹き)」は全英6位を記録。
殆どの曲をシドが書き、その後のバンドの音楽性とはカラーを異にする作品です。しかし
シドはこの時点で既にドラッグの過剰摂取、また元々精神を病んでいた様で、このアルバムも
無理くり仕上げた様な状況だったそうです。トリビア的なこぼれ話ですが、アビーロードスタジオにて
本作をレコーディング中、隣のブースではビートルズとジョージ・マーティンが「SGTペパーズ」の
仕上げ作業中だったとの事。2ndアルバム「A Saucerful Of Secrets(神秘)」の
制作途中でシドは脱退。シド在籍中から既に加入していたデヴィッド・ギルモア(g)と共にバンドは
新体制で再スタートします。つまり後に世間一般で認知される事となる”ピンク・フロイド”の誕生です。

 

 

 


「神秘」は前作の流れを踏襲しつつ、しかしながらその後のコズミックサウンド(宇宙的音世界)の
片鱗がすでに見え始めています。特にタイトル曲にそれが顕著です。
その後映画のサントラ、ライヴとスタジオ録音から成る二枚組アルバムを発表し、いずれも
全英TOP10ヒットとなります。特に後者の二枚組アルバム「Ummagumma」のスタジオ盤は
非常に実験的・アヴァンギャルドな作風で、これがTOP10ヒットとなるイギリスは、時代の
波もあったのでしょうが、つくづく凄いお国柄だと思います。ちなみに私は数回ターンテーブルに
乗せただけで断念しました・・・。
ミュージック・コンクレートという音楽の一分野があります。基本的に楽器を用いず、具体音(=
グラスの割れる音や、人の足音、はたまた風が吹く音など、自然物・人工物問わず現実世界に存在
する(楽器以外の)音を組み合わせて音楽を創り上げようとしたものです。私はこの手の音楽を
ちゃんと聴いたことがありませんので、どうこう言える知識はありません。ただ60年代から、
ポップミュージックにおいても、この手法を取り入れようとする動きが現れました。結論から
言うと、これらを音楽に昇華できたのはポップミュージック界ではピンク・フロイドだけだと
私は思っています。ジョン・レノンも「ホワイト・アルバム」の「Revolution 9」という
楽曲でチャレンジしていますが、私見ですが観念的なものだけが先走り、音楽の体を成していない
というのが感想です。ピンク・フロイドにしても丸々一曲ミュージック・コンクレートで楽曲を
仕上げたというのは先述した「Ummagumma」のスタジオ盤やその他少々で、基本的には
”ちゃんとした音楽” つまり器楽・声楽演奏と、SE(サウンドエフェクト)や電子音を含んだ
ミュージック・コンクレートとのバランスを保った楽曲構成として成立させています。なぜ彼らは
それを音楽として成立せしめることが出来たのか? 一言で言えば、”起承転結がしっかりしている”、
という事に尽きるでしょう。「神秘」のタイトル曲にてそれは既に表れていました。

これらが全て音楽的に素晴らしいものとして最初に結晶化されたのが、今回のテーマである
「Atom Heart Mother(原子心母)」でしょう。あまりにも印象的なそのジャケットデザインと
共にロック史に刻み込まれています。23分強に及ぶタイトル曲は、元はギルモアが西部劇を
イメージして作ったメロディに、様々なアレンジの変遷を経て(=収拾がつかなくなり)、
前衛音楽家 ロン・ギーシンに協力を仰ぎ、膨大な音的素材群から、気の遠くなるような
編集作業の末に完成したものです。
本曲を傑作たらしめているのは、全体を通しての編集・構築感覚の見事さでしょう。音楽であると
同時に、優れた絵画・建築物を鑑賞しているような感覚に陥ります。通常のポップミュージックとは
制作へのベクトルが異なる、むしろ美術におけるコラージュ、創造的建築物の構築に近い感覚
だったのではないでしょうか(実際ロジャー、リック、ニックはアートスクールの建築学科出身)。
ミュージック・コンクレートをきちんとした音楽に昇華出来たのも、その様な能力に秀でていた
ことが理由としてあるのではないかと思われます。

本作は初の全英1位を記録、アメリカや日本でもヒットしました。一躍ロックのスターダムへと
のし上がった彼らは更に飛躍を続けます。その辺りはまた次回以降にて。

#24 Duke

78年の「…And Then There Were Three…(そして3人が残った)」発表後、メンバーは
各々ソロ活動に力を入れ、良い意味でバンドの活動にインターバルを挟んだ後、レコーディング
に入ります。
そして出来上がったのが80年発表の「Duke」。非常にポップでコマーシャル性に
富みながら、音楽性(ジェネシスらしさ)の充実度も兼ね備えた中期の傑作です。
本作は初の全英1位、全米でも最高位11位。シングルヒットも生み出し、その勢いは留まることを
知りませんでした。シングル向けのポップチューンも勿論良いのですが、やはりその真骨頂は
ジェネシスらしさを存分に発揮した、プログレッシヴナンバーです。アルバムラストを飾る
「Duke’s Travels」から「Duke’s End」へのメドレーは見事としか言いようがありません。
あくまで私見ですが、”古き良きジェネシスらしさ”があったのは本作までと私は勝手に思ってます。
その後「Abacab」「Genesis」と続けて全英アルバムチャート1位、全米でもTOP10入り。
また82年のライヴアルバム「Three Sides Live」(米盤はスタジオ録音含)は
「Abacab」ツアーを収録した快作。特にコンサートのハイライトである「The Cinema Show」を
含むメドレーはお見事。本曲は発表以降、ライヴで様々なアレンジの変遷を経て演奏され続けて
きましたが、ここでのヴァージョンにて遂に極まったかなという感が個人的にはあります。
(他のライヴでの演奏も勿論良いですよ(´・ω・`))

 

 

 


86年、「Invisible Touch(インヴィジブル・タッチ)」を発表。バンド最大のヒットとなり、
シングルカットされたタイトル曲は遂に全米チャートNo1に。更に全く同時期、元リーダー
ピーター・ガブリエルの5thアルバム「So」もチャートを駆け上がり、そこからの1stシングル
「Sledgehammer(スレッジハンマー)」は、「インヴィジブル・タッチ」と1位の座に
取って代わってチャートイン。つまり奇しくもジェネシスファミリーが全米チャートの
TOPの座を続けて占めたのです。往年のジェネシスファンは涙を流し、赤飯を炊いて祝った
とか(本当かな…(´・ω・`)、でもそのくらい嬉しい出来事だったという事です)。
時系列は前後しますが、フィル・コリンズは81年のソロアルバム「Face Value(夜の囁き)」を
皮切りに、次々と大ヒットを連発。それ以外にも映画のサントラ「カリブの熱い夜」、EW&Fの
フィリップ・ベイリーとのデュエット「Easy Lover」も大ヒット。エリック・クラプトンを
はじめとする他ミュージシャンのプロデュース、また有名なエピソードですが、80年代ミュージシャン
によるチャリティーの先駆け、『ライヴエイド』では、ロンドンでのステージの後、コンコルドで
アメリカへ飛び、そちらのステージにも出演。”いつ寝てるんだ!!Σ(゚Д゚;”という程の多忙ぶり。

フィルの活動だけが目立ちがちですが、トニー・バンクスやマイク・ラザフォードも80年頃から
ソロ活動を始めます。つまり全員がバンドとソロ活動をそれぞれ両立していったのです。
これは多分丁度良い距離の取り方になったのでしょう。フィルやマイクは温厚な人柄と言われていますが、
トニーはかなり神経質な人(ピーターと衝突していたのは以前の記事に書いた通り)らしく、
そのエピソードとして、楽器は人に触らせない、の様な事が「Three Sides Live」映像版(現在でも
DVDで発売されているようですが、輸入盤なので当然インタヴューに字幕などはついてないでしょう…)
の中で関係者から語られています。搬入出や運搬は勿論スタッフが行うでしょうが、セッティングや
サウンドチェックなどはローディー(所謂”ボーヤ”)に任せっきりのプロが少なくないところを、
自分でやらないと気が済まない、というのは彼の几帳面さ・完璧主義を物語るエピソードです。
また、フィルが歌に専念するためツアーサポートメンバーとしてチェスター・トンプソンが(ただし
ライヴでは必ず”見せ場”としてドラム・デュエットがあります)、スティーヴ・ハケット脱退後は
同じくダリル・スチューマーが参加します。70年代後半からは永らくこの不動のメンバーで活動します。
キング・クリムゾンやイエスの様に、頻繁なメンバーチェンジを繰り返したバンドから見ると、
非常に安定していたと言えるでしょう。これは非常に全員が”大人な距離感”を大事にしていた事。
そしてもう一つ、意外に知られていないことかもしれませんが、舞台照明装置として有名な『バリライト』
というライティングシステム、実はこれの特許はジェネシスの三人が持っていて(具体的にはアメリカの
照明会社が彼らにこのシステムのアイデアを持ち寄り、フィル達が資金を出してあげてそのパテントを
取得したらしい)、この特許収入だけで十分生活ができるらしいのです。これがさらに”心の余裕”のような
ものを生み出している側面もあるのではないかと推測しています。もっとも三人とも類まれなる才能を
持ったミュージシャンですから、食うに困らないと言っても音楽を辞めるわけはなかったでしょう。
フィルはワーカホリックのようなところがあったので特に・・・。

90年代初頭までは栄華の限りを尽くしていた様な彼らでしたが、96年にフィルがバンドを脱退。
新ヴォーカリストを迎えてニューアルバムを発表しますが、以前の様な成功は得られず、やがて活動停止。
06年に再びフィルが加わりその活動を開始しますが、00年代に入ってから、フィルは難聴や脊髄の病気を
患い、また加齢と共に老年性のうつも発症していたそうです。08年に一度引退を公表、これは撤回して
活動を続けますが、11年にまた引退を表明。しかし15年にこれまた活動再開を表明。ビリー・ジョエルも
そうですが、口の悪い連中は”引退するする詐欺”などとのたまう輩もおりますが、彼らのような突出した
才能を持った人間はこれでも良いのです。某アニメキャラによるセリフを借りれば ”何度でも蘇るさ!”
といったところでしょうか・・・。

白状しますと私はかなりのジェネシスフリークで、彼らに関しては人並み以上の知識と思い入れがあります。
だからこそあまりにマニアックな、また主観の強い文章は極力避けようと思いながら書きました。しかし、
はたしてこれらの記事が読者の方々にはどのように映ったでしょうか・・・(´・ω・`)?
これにてジェネシス編は終了です。キング・クリムゾン、イエス、そしてジェネシスと続きましたが、
お分かりの方には言うまでもなく… そう、あのバンドがまだ残ってますよね・・・

#23 Selling England by the Pound

調子が上向いてきたジェネシスでしたが一つ重大な問題が。コンサートは大入り満員なのですが、
赤字になってしまっていました。理由は簡単、それ以上に経費を掛け過ぎていたからです。
芸術家やエンターテイナーはともすれば、自分の表現の為には採算などは度外視してしまう
きらいが往々にしてありますが、彼ら(特にピーター)も御多分に漏れませんでした。
こりゃいかんとマネージメントに長けた人間を探し、フーやEL&Pのプロモーターも務めた
トニー・スミスを迎えることでこの問題は解消されました。
バンドは次作「Selling England by the Pound(月影の騎士)」の制作に取り掛かります。

前作「Foxtrot」と比べると大分聴きやすく仕上がっています。それでいて音楽性は素晴らしく
充実していて、個人的には前作と甲乙付け難いジェネシス最高傑作の双璧だと思っています。
オープニング曲「Dancing with the Moonlit Knight(月影の騎士)」が本作の世界観を
象徴しています。英国貴族風ロマンティシズムとでも呼ぶべき冒頭部から、劇的かつ動的な
インストゥルメンタルパートへと移行するところは圧巻の一言です。ちなみにアルバム邦題の
「月影の騎士」は本曲にちなみます。本曲中に”Selling England by the Pound”という
歌詞が出てきますので、事実上のアルバムタイトルナンバーと解して良いでしょう。

それまで前面に押し出されていたピーターのオリジナリティーが良い意味で薄れ、メンバー全員が
一丸となって創った(その意味では最後と言ってもよい)結晶の様なアルバムです。
それが最も顕著な曲「Firth of Fifth」。美しいピアノのイントロに始まり、アンサンブルパートに
入ると非常にドラマティックで荘厳なサウンド・歌詞が堪能できます。この曲はトニー・バンクスが
イニシアティヴを握っていたと言われており、ピーターに負けるものか、という競合精神が良い意味で
昇華された楽曲です。さらに特筆すべきは後半のギターソロ。スティーヴ・ハケットによる、思わず
「キング・クリムゾンかよ!」と言ってしまいそうになるくらい、抒情的かつ哀愁を帯びた名演が
聴けます(というか、ロバート・フリップはクリムゾンで、少なくともこの当時までにおいて、
こんなに素直でメロディックなソロは弾いたことはありませんが…)。またフィル・コリンズが
「More Fool Me」でリードヴォーカルを取っており(以前にも取ったことはあります)、更に
「I Know What I Like」はバンドとしては全英で初めてシングルヒット。そしてB面終盤にて、
その後の重要なライヴナンバーとなる「The Cinema Show」が収録されています。
ジャケットを見ればお分かりになると思いますが、それまでよりかなり垢ぬけています。これが
何よりも象徴しており、この時期が初期ジェネシスの最も良い時代だったのだと思います。
本作は全英チャートで3位となり、本国にてその人気を不動のものとしました。

74年の夏からバンドは次作の制作に取り掛かりますが、バンド内の関係は綻びが見え始めました。
コンセプトアルバムを作ることでは一致していたのですが、ピーターは一人で歌詞を書くことを望み、
それに対して他メンバー(特にトニー)は納得がいきませんでした。結果的にはピーターが詩を書き、
それとは全く別に他メンバーが曲を作るという無秩序な制作過程を経てしまう事となりました。
そうして出来上がったのが二枚組コンセプトアルバム「The Lamb Lies Down on Broadway
(眩惑のブロードウェイ)」です。発表当時はかなり賛否両論分かれたそうです。前作にて
かなり親しみやすくなったのが、本作では舞台こそ現代のニューヨークに移しはしましたが、
前々作までのシュールかつ難解な作風が復活しています。
この時期ピーターには子供が出来ます。ピーターは家庭を顧みる時間を増やすのが当然という
考えなのに対し、他メンバー達は仕事を優先すべきだという考えでした。ますます溝は深まり、
遂にピーターは脱退を決意し、バンドは新しいヴォーカリストを探します。
ピーターの脱退は公には伏せたままだったので、”ジェネシスタイプのバンド”という文句で
オーディションの広告を打ちますが、思った通りの人材に巡り合えず、以前からヴォーカルを
取っていたフィルが歌うことで落ち着きます。
世の中というものは何が良し悪しに働くか全くわからないものです。結果的にこれが、バンドの
世界的成功のきっかけとなるのです。フィルの声質はピーターに驚く程似ており、従前の
ナンバーを歌っても全く違和感はなく、更にそれまでにはなかった、良い意味でのポップさ、
躍動感の様なものをもたらしました。ピーター脱退後初となる、76年発表の「A Trick of the Tail」
は全米でTOP40に入り、結果的にこれまでのどのアルバムよりもセールス的に成功を収めます。
それまでの英国的哀愁・ロマンティシズムといった作風は踏襲しつつ、よりシンプルで、躍動感のある
(アフリカンリズムのテイストを取り入れたと言っても良い程)リズムを前面に押し出します。
フィルはフロントに立つべくして立った人なのでしょう。子役として演劇活動をしていた幼少期
(実はビートルズの映画「ハードデイズ・ナイト」にエキストラとして出演もしている)の経験も
あったでしょうし、また非常に人懐っこい、ヒューマンな人柄も功を奏したと言えるでしょう。
ここからバンドはヨーロッパのみならず、全米での(つまり世界での)人気を着実なものに
していきます。

その後、スティーヴ・ハケットが脱退しバンドは3人となり、78年に「…And Then There Were Three…(そして3人が残った)」という、超有名小説をもじりながら、当時のバンド状況を
自嘲・自虐的に表したタイトルのアルバムを発表します(このセンスはブラックユーモアを解する
イギリス人ならではだと思います)。しかしながら、これがまた大ヒット。初の全米TOP20に
チャートインすることとなります。北米にとどまらず中南米、そしてアジア圏(勿論日本を含む)

でもその名声はとどろいて行きます。
やがて時代は80年代へ。快進撃はさらに加速します、その辺りはまた次回にて。

#22 Supper’s Ready

80年代、フィル・コリンズの来日公演を観ていた女子大生風の女の子達が、
「フィルってドラムも叩けるのねw」の様な事をのたまわった、という笑い話がありました。
つまりその位、フィルがソロミュージシャンとして名声を確立してしまい過ぎて、
元々はジェネシスのドラマーとしてが、そのキャリアの出発点だということを忘れ去れている
というたとえ話、都市伝説のようなものだと思っていました。しかし00年代になって、
この話が本当であることが、その時その場にいた本人の口から語られました。
日本を代表するピアノ・キーボードプレイヤー 難波弘之さんです。某公共放送の
洋楽紹介番組のジェネシス回でご本人が仰っていました。この話の出所はなんと
難波さんだったのです。「マジで!Σ(゚Д゚;」と、その時は驚愕しました
(そこまで大げさな話ではないか・・・)。
やや強引な枕でしたが、今回から取り上げるのはジェネシスです。

このバンドについて述べられるとき、”貴族がつくったバンド”という形容詞で
語られるときがあります。確かにそれは間違いではありません。創設メンバーは全員
パブリックスクール(英国で貴族の子弟が通う学校)に在籍していた人達でした。
しかしごく初期の内にメンバーチェンジが行われ、71年の3rdアルバム時にて、
フィル・コリンズ(ds)、スティーヴ・ハケット(g)が加入し(二人は庶民階級)、
オリジナル
メンバーであったピーター・ガブリエル(vo)、トニー・バンクス(key)、
マイク・ラザフォード(b)とともにバンドは”第一次黄金期”を迎えることとなります。

先述の3rdアルバム「Nursery Cryme(怪奇骨董音楽箱)」にて初期ジェネシスの
音楽性は確立されました。神話や寓話(マザーグース等)をモチーフにし、そこに
”ひねり”を加えたシュールな歌詞、ジャズやクラシックの要素を取り入れた高度な
音楽性と演奏技術。そして何より話題となったのは、リーダーかつフロントマンである、
ピーター・ガブリエルの奇抜なコスチュームと、その演劇的なパフォーマンスでした。
正直言ってピーターの創る歌詞や演劇的ステージは私もあまり理解出来ません。(歌詞は
英語が分からないので当たり前、と言うか、たとえネイティヴであっても理解できるか
どうかは疑問符が付くところです)その位シュール(悪く言えば荒唐無稽)なのです。
しかし時代がそういうものを求めていたのかどうか、そのパフォーマンスはかなり
好意的に受け入れられ、イギリスの音楽専門誌 メロディーメーカー誌のライヴアクト
部門では数年に渡って一位に選出されました。
難解な歌詞の中でも比較的理解し易く、また初期ジェネシスの世界観を最も堪能出来るのが、
「怪奇骨董音楽箱」のエンディング曲「The Fountain of Salmacis(サルマシスの泉)」。
(神話に詳しくないので間違っていたらご勘弁…)泉の精サルマシス(両性具有の象徴)は、
泉に近づき、そしてその水を飲んだ神の子ヘルマプロディートスと一つになろうとする。
荘厳かつ抒情的なサウンドと歌詞で中盤まで進行するこの曲は、突然超展開します。
サルマシス、ヘルマプロディートス、そしてナレーター役と一人三役を演じてきたピーターの
真骨頂とも言えるパートです。そのパートの歌詞をあえて意訳(超訳)しますと、
ヘルマプロディートス:「こっちに来んな!お前と一緒になる気などない!!(`Д´)、」
サルマシス:「私たちは一つになるのよおおおおー!!ε=ε=ε=ε=(;゜д゜)ノ ノ」・・・
サウンドもそれまでの荘厳・神秘的なものから一転、リズミックでコミカル
(ギャグパートと呼んでも良い様な)な曲調に変わります。
この様な発想の源泉はピーターの幼少期にあるようです。貴族の家だけあって、彼は毎晩
乳母に寝付くまで話をしてもらっていたそうです。しかし彼はその話の”ウラ”を常に
考えていたとのこと。また彼は屋敷の中でたびたび幽霊の様なものを見たと語っています。
それが本物なのか、幻覚、または彼の想像上の産物なのか分かりませんが、これらの事が
彼の書く歌詞、パフォーマンスの源になっているようです。
「怪奇骨董音楽箱」は大変な力作にも関わらず、当初セールス的には奮いませんでした。
ところが思わぬ所から人気に火が付きます。ベルギーのチャートで前作「Trespass(侵入)」
が1位を記録。早速海外公演の準備に取り掛かっている所へ更に朗報が。イタリアで
「怪奇骨董音楽箱」が最高位4位を記録。本国以外のヨーロッパの国で高評価を得て、
それにつられるように本国イギリスでも注目を集めるようになります。

勢いが出てきたところでバンドは次作に取り掛かります。今回のテーマ「Supper’s Ready」を
含む4thアルバム「Foxtrot」は最高傑作と評される作品です。全英12位を記録し、本国でも
その人気を確実なものとします。「Supper’s Ready」はB面の殆どを費やした23分の大作。
その創作の元になったのはドラッグです。ピーター、妻のジル、そして友人の三人にてLSD
(幻覚剤)を嗜んでいた時の事、突然ジルが普段とは違う声で(さながらエクソシストの様に)
喋り出し、大変な状況になったそうです。所謂”バッドトリップ”だったのでしょうが
(良い子のみんなはマネしちゃダメだぞ!☆(ゝω・)v)、ピーターはこの経験から人間の中に
潜む善と悪、二面性について思いを巡らします。そして書き上げたのが本曲の歌詞です。
舞台はリビングでの男女のひとときに始まり、いつの間にか戦闘シーン、その後の惨憺たる
人肉の山、奇怪な植物が登場する農場、と目まぐるしくシーンを変えながら最後は黙示録に
あるような天使と悪魔による一大決戦の場を迎えて、その物語は幕を閉じます。
正直言って、あまりにシュール過ぎて和訳を読んでも意味は分かりません(先述の通りはたして
英国人でも理解出来ているのか…?)。この様な歌詞は意味を追うより、単語・フレーズが
持つイメージや、言葉の響き、韻の踏み方などを味わうのが正解だと私は思っています。しかし、
楽曲構成、サウンド、そして演奏は完璧と呼べるものです。この様な組曲ではコンセプト性を
持たせる為、序盤でのテーマ・リフなどが、その後の曲中にて形を変えて演奏されるという
クラシックでの手法が使われることがありますが、本曲でも序盤のテーマが、エンディングの
パートにて見事なリプライズとしてプレイされます。
ただ、御多分にもれずバンド内には不和が生じ始めていました。ピーターのステージアクトは
時に、その楽曲とは全く無縁のものがなされることがあり、特にサウンド面でイニシアティヴを
担っていたトニー・バンクスはそれを快く思っていなかったそうです。

多少の問題を内部に抱えていたバンドでしたが、基本的には、その後も上り調子にて
活動を続けていくこととなります。その辺りはまた次回にて。

#21 Bill Bruford_2

ドラムの基礎テクニックに「ルーディメント」と呼ばれるものがあります。意味は”基本”の様な
ものらしいです(そのまんまや…)。右左を交互に打つ、オルタネイトスティッキングも
”シングルストローク”として立派なルーディメントの一つなのですが、普通ルーディメントと
いうと、もうちょっと小難しいスティッキング・手順のことを指します。代表的なのは
パラディドル(変形の手順)やフラム(装飾音符)などです。
ジャズにおいては、その初期からドラミングに取り入れられていましたが、ロック・ポップスの
ドラムにおいては、あまり馴染みのないものでした。それをこれほどまでに積極的、かつ
音楽的に(決していたずらに無理やり取り入れたりせず、必要かつ自然に、と言う意味合いで)
ロックドラミングに取り入れ、そして見事なまでに昇華せしめたドラマーは、間違いなく
ビル・ブラッフォードが最初です。
ジャズドラミングをルーツとするブラッフォードにしてみれば、当然の事だったのでしょうが、
イエスのデビューアルバムから既にそのプレイは聴くことが出来ます。特にそれが印象的な
フレーズとして最初に聴くことが出来るのは、「Fragile(こわれもの)」のエンディング曲
「Heart of the Sunrise(燃える朝焼け)」です。テーマのフレーズのバッキングそのものが
高速のパラディドルフレーズで組み立てられており、非常にスリリングなプレイです。そして
その延長・発展形とも言えるのが、#19の記事にて取り上げた「Close to the Edge(危機 )」
です。18分超の長い曲ですがとにかく聴いてみてください。


「燃える朝焼け」同様、高速のパラディドルプレイがこれでもかと繰り広げられます。手順は

RLRRLL(多分・・・)。00:57秒頃~と、14:15秒頃~にて聴けます。
更にこのパートでは、所謂”ポリリズム”(異なるリズムの同居・混在)が駆使されています。
チタチチタタタチチタタチタチチタタタチチタタ(12/8拍子の16ビート)
タ ッ タ  ッ タ タ ッ タ  ッ タ (4/4拍子での所謂”シャッフル”)
赤で塗りつぶした箇所が2・4拍のアクセントです。上記の二つの異なるリズム、グルーヴが、
アンサンブルの中でメンバー全員によって見事にプレイされています。
この様なリズムトリックやポリリズムはロックにおいては、私が知る限りでは、本曲にて
初めて行われたと記憶しています。ジャズ・フュージョンの分野では、60年代末以降の
マイルス・デイヴィス、ウェザーリポート、マハヴィシュヌ・オーケストラなどによって
導入されていたかも、というより、あった様な記憶があるのですが、それが思い出せません
(歳を取るっていやですね・・・(´・ω・`))。

もう一つ、彼のプレイにて重要な要素はファンク的な16ビートです。ブラッフォード流
ファンクとでも呼べるプレイが存分に堪能できる私のイチ押しはこれです。
キング・クリムゾン アルバム「Red」収録の「One More Red Nightmare」。


チャイナシンバルの音色が印象的なリズムパターン、アイデアの”てんこ盛り”の様な
フィルイン。実はこの動画は途中でフェイドアウトされていて、これより後に、もう一度
テーマのプレイが繰り返され、そこではまた前半とは違うフレーズがプレイされます。

またクラシックや現代音楽における打楽器や、短い期間でしたがキング・クリムゾンの
アルバム「太陽と戦慄」で一緒にプレイした
ジェイミー・ミューアの前衛的なパーカッション
プレイも、彼のプレイにエッセンスとして加えられているのは間違いありません。そして、
勿論ブラッフォードといえば言わずと知れた変拍子の使い手であり、これに関しては枚挙に
いとまがありません。変拍子プレイは彼の演奏ではいたるところにて聴くことが出来ますが、
お勧めするといえばベタな所ですが「太陽と戦慄 パートI」等、また前衛的な
パーカッシヴプレイと言えば、#17の記事で取り上げた「Starless」での中間部のソロ、
特にライヴアルバム「USA」のヴァージョンが白眉です。
彼の演奏技術に関して、こんな短い文章で語りつくすことは当然不可能です。しかし
このブログがそのほんの一端、さわりだけでも紹介することが出来、彼の素晴らしい
数々の演奏に触れるきっかけになることが出来れば幸いです。

09年、60歳になったことをもって、演奏活動からの引退を発表しました。これは
かねてから温めていた考えであると語っており、ファンとしては少し早いような
気もしますが、本人の熟慮の上の決断なのですから、致し方無い事でしょう。

20回目にしてやっとドラムに関する記事を書くことが出来ました(次はいつに
なることか・・・(´・ω・`))。これにてビル・ブラッフォード編は終了です。

#20 Bill Bruford

イエス、キング・クリムゾン、ジェネシス、ナショナル・ヘルス、UK、と
所謂”プログレッシヴロック”とカテゴライズされる、英国を代表するこれらの
バンドに関わり、ブリティッシュロックの”生き字引”と行っても過言ではない
ドラマー、それが今回取り上げる ビル・ブラッフォード(Bill Bruford)です。

1949年生まれ。英国ケント州出身。幼少の頃からジャズを聴いて育ち、自然と
ドラムに親しむようになる。彼の名を一躍世間に知らしめたのは、言うまでもなく
前回までの記事にて触れたイエスへの加入によってです。
技術的にこれまでのロックドラマーとは明らかに一線を画していました。それは
勿論ルーツにジャズがあるからであり、本人もその旨を公言しています。
と、言っておきながら何ですが、技術の部分に関して述べるのは後回しにして、
先ず触れたいのはその音色についてです。
それまでのドラマー(ジャズ、ロック含めて)は基本的に、エレキギターで当然に
行われているような、音色で個性を表現するというアプローチは無かったと断言出来ます。
(もっとも普通の楽器はそれが当たり前であり、基本的にはその楽器のナチュラルな
音色を最大限に引き出すことが至上命題なのであり、コロコロ音色を変えられる
エレキギターや電子キーボードの方が特殊なのですが…)
ドラマーで初めて”意識的に”その音色に個性を持たせたのはブラッフォードが最初です。
ちょっとまて!ボンゾのスネアの音や、あまりに強力なキックで歪んでしまった様な
ベースドラムのサウンドは個性ではないのか?と異論・反論があるのはごもっともです。
しかしあれは”結果的に”あのようなサウンドになったのです。ボンゾ、ジンジャー・ベイカー、
イアン・ペイス、カーマイン・アピス。皆24~26インチの特大のベースドラムに、
22インチのこれまた口径の大きいトップシンバル、ドラムにはミュートなど一切せず、
シンバルは床に対して平行にセッティングして減衰(サスティーン)を長くする、といった
音作りは彼らがドラムを始めた頃にお手本としたビッグバンドドラマー ジーン・クルーパや
ルイ・ベルソンといった人たちのセッティングを模倣したものでした。これらは、まだ
PA環境が全然整っていないスウィングジャズ時代に、大勢の管楽器奏者達に音量で
負けないために施された措置でした。それをジンジャーやボンゾ達が模倣し、今日では
ハードロックドラムの定番セッティングとなっているのです。
ただし、一人だけ例外と言えなくもないドラマーがいます。言わずと知れたリンゴ・スターです。
タオルミュートなどの独特のアイデアで、ビートルス後期のサウンドにて、それまでのいかなる
ドラマーとも異なる音色を作り出しました。ただそれは、”ドラマー リンゴ・スターとして
個性を発揮してやるぜ!” といった意図ではなく、その時期のビートルズの音楽性から自然と
生まれたものでしょう(アルバムで言えば「Sgt. Pepper’s」以降)。それまでは”普通に”
比較的ハイピッチの、ドラムの自然な鳴りを引き出すようなチューニングであったのが、
後期は重く沈み込むようなローピッチの音色、先述したタオルミュートなど、軽快な
ロックンロールが主だった前期の音楽性とは、方向性が異なってきたバンドの音楽性に
寄与するためのリンゴの試行錯誤の末の結論としての”あの音色”だったのでしょう。

以前BS-TBSで、洋楽の名曲が生まれた背景をドキュメントする番組があったのですが、
イエスの「Roundabout」を取り上げた回で、ブラッフォード本人が出演し、あの当時
使っていたスネアを紹介し、実際に叩いていました。その映像を見る限りではメーカーの特定は
出来ませんでしたが、スティール(ステンレス)シェルのスネアでした。初期はラディックや
ハイマンを使用していたとのことなので、ラディックのLM-400あたりかもしれないと
思っているのですが、知っている人いたらどうか教えてください(´・ω・`)。
そのスネアの音は非常にハイピッチでありながらも”甘い”音がする、つまりハイのみでなく、
ミドル~ローまでしっかり出ているということです。普通ドラムヘッドをただ”きちきち”に
きつく張っても、”カッ” ”パッ”という、やたらハイだけの耳障りな音にしかなりません。
しかも彼の場合は、オープンリムショット(ヘッドとリム=縁の部分、を同時に叩く。
”カン” ”ゴッ”の様なけたたましい大きな音がします)をすることが非常に多く、
ともすれば余計に耳障りになってしまいそうなものなのですが、それが全く感じられません。
楽器全般に言えることですが、基本的に良い音色と感じるのは、ハイ~ローレンジまで
バランス良くなっていることが必須です。勿論ある程度以上のスペックの機材であること、
また同じ製品でも当たりはずれもあります。それらを前提として、更にチューニングの妙が
彼にはあるのです。言わば”ブラッフォードマジック”とでも呼ぶべき秘伝のチューニングが。
そしてこれも一流のプレイヤーに言える事ですが、例えそれまで使っていた機材と異なる
ものを扱っても、自分の音にしてしまう、こうなるとそのトーンは楽器の良し悪しだけでなく、
演奏者の指・手・足、全てに起因するものと言えるでしょう。生半可なプレイヤーが一流の
プレイヤーと全く同じ機材・セッティングにしても同じ音にならないのは当然とも言えます。
実際ブラッフォードは80年頃に日本のTAMAを使用するようになりましたが、その音色は
基本的に、やはりそれまでと変わらぬ紛うことなきブラッフォードの音です。
また、ロートタムをいち早く取り入れ、80年代に入るとこれまた先駆けてシモンズ
(電子ドラム)を導入しました。これは勿論、彼が活躍していたフィールドが、
プログレッシヴロックという多彩な音色によって成り立っている音楽である、という部分が
大きかったのは間違いないことであり、自然と音色にも貪欲になっていったのでしょう。

ここまで偉そうに書いてきましたが、白状しますと実はかなりの部分で、ある方の著書から
引用させて
頂いております。
※「Basic Method」ベーシック・メソッド 製作 リズム教育研究所 編著 江尻憲和
https://www.dlmarket.jp/manufacture/index.php?consignors_id=13896
私がドラムを始めた80年代中期、ネットなど当然無い時代、ドラミングに関する情報は
基本的に活字媒体によってしか得られませんでした。むさぼるように読んだこの教則本。
江尻先生(勝手に先生呼ばわりしております…(´・ω・`))のドラミング理論は非常に
合理的で、分かり易く、何しろ読んでいて楽しい。その他の著書も含めて、現在の私の
血と肉になっているものと思っております。ブラッフォードに関する音色の話はその
中のこぼれ話的な一つですが(そのこぼれ話の数々も大変興味深い、”金属にも意識が
ある?”のくだりは非常に興味をそそられたものです)、ドラムを始める前からイエスや
クリムゾンを聴いて、ブラッフォードのドラムに関心を寄せていた私は、「そうか!
他のドラマーと何か違うと感じていたのはそこだったのか!!」と納得しました。
現在でも電子書籍で入手可能です(上のリンクから)。興味のある方は、というか、
ドラムをプレイする人間は必読書と言っても過言ではないと思っております。

今回は音色の話だけでスペースを費やしてしまいました。本当は音色だけでもまだまだ
書きたいことは
山ほどあるのですが、あまり長くなるとただでさえ少ない読者の方に
愛想をつかされて
しまいそうなので、涙を飲んでこの辺で (´;ω;`)。
次回はやっと、テクニック編です。”ビル・ブラッフォードpart2” 乞うご期待。

#19 Close to the Edge

ピンク・フロイド「Echoes」、キング・クリムゾン「Lizard」、ジェネシス
「Supper’s Ready 」、キャメル「The Snow Goose」。今、思いつく限り挙げて
みましたが、これらの共通点がすぐにわかってしまった人は、かなり重症のオールド洋楽
シンドロームにかかっています。対処法としては、このブログを定期的に読むことです。
それしか治療法はありません(たまにでいいから読んで下さい、おながいします… (´;ω;`))
その共通点とはLP時に、片面全てを使って一曲(「The Snow Goose」はAB面通して)
という、とんでもない楽曲構成ということ。今こんなことをやったら頭おかしいの?
と思われることでしょうが、70年代はこれが許されてしまったのです。そして、
お分かりの人は”一つ大事なのが抜けとるぞ!ゴルァ!!(#゚Д゚)” とすぐにお気づきに
なられるでしょう。そうです、今回のテーマ、72年発表イエスの代表作にて最高傑作と
評される「Close to the Edge(危機 )」そのタイトル曲です。

前作「こわれもの」のヒットにて、世界にその名が知られ、米国アトランティックからも
ようやく認められた彼らでしたが、バンド内の不和はかなり深刻な状態でした。なかでも
ビル・ブラッフォード(ds)とジョン・アンダーソン(vo)の関係はかなり険悪で、
アンダーソンが度を過ぎて”きっちり・かっちり”とした構成を求める為に出口が見えない程、
レコーディングしては修正、またレコーディングしては修正、という無限ループの様な状況。
また難解な文学的歌詞の志向に、ブラッフォードはウンザリしていたそうです。彼は
ジャズにそのルーツを持つ人なので、もっとフリーにプレイしたい、といった願望が
ありました。以前からキング・クリムゾンの音楽性に魅かれ、ロバート・フリップと接点を
もっていた彼は、結果的にアルバム発表後のツアー中に脱退して、クリムゾンへ加入しました。
しかし、そのブラッフォードをもってしても、完成した本曲を聴いた時には、その出来栄えの
素晴らしさに感嘆したそうです。

19分近くに及ぶ本曲は、とにかく聴いてみてもらうしかありません。今回は細かく
楽曲の構成を四の五の言わないようにします。ただ”聴きどころ”だけを三点挙げると、
①SE的イントロを経て、00:57秒頃に始まるテンション感溢れる動的アンサンブル
②08:30~14:15秒頃までの静的パートにおける、終盤盛り上げりのパイプオルガンと
シンセの音色、その後に続く上記①を更にテンションアップした動的パート
③16:32秒辺りのエンディングへと向かう展開
勿論この箇所だけを抜き出して聴いても意味はありません。YouTubeで聴けますので
(お金に余裕のある人は、上のアマゾンリンクから買ってください)、人生における
たった20分弱の時間です、騙されたと思ってこの曲に耳を傾けてみて下さい。

ブラッフォード脱退に伴い、新メンバーとしてアラン・ホワイトが加入。ブラッフォードより
シンプルで、ロックフィーリングに溢れたそのドラミングはイエスに新たなエッセンスを
もたらしました。その後リック・ウェイクマンも脱退し、70年代も人事的に安定しないのは
相変わらずでした。遂には中心メンバーであるアンダーソンですら一時バンドを離れます。
バグルスのトレヴァー・ホーン (vo)、ジェフ・ダウンズ(key)が参加(というより
イエスとバグルスの”合併”と言った方が正確かも)してバンドは何とか存続の道を探ります。
83年発表の「90125(ロンリー・ハート)」からのシングル「ロンリー・ハート」が、
全米NO1ヒットとなったのは前回で触れた通り。その後一時期、スクワイアを除く黄金期の
メンバーとそれ以外のメンバーで、イエスが分裂した時期もありました。
08年にアンダーソンが完全に脱退。15年には創設メンバーであったクリス・スクワイアが
死去(享年67歳)。その後は別活動を行っていたアンダーソンと「イエス」ではない名義で
合併し、実質上の「イエス」として、流動的ではありますが、今日でも彼らの音楽は連綿と
そのDNAを紡いでいます。

ピンク・フロイドがロジャー・ウォータース、キング・クリムゾンがロバート・フリップの、
その強烈・強力な音楽的個性及びリーダーシップによって成り立っていたのに対し、イエスは
先に述べた様に(良くも悪くも)民主的なバンドだったのでしょう。強いて言えば、
中心的役割を担ったのは創設メンバーであった、アンダーソンとスクワイアと言える
でしょうが、それとて絶対的なものではなく、実際に一貫して在籍し続けたメンバーは一人も
いない(分裂期を考慮しなければスクワイアは唯一亡くなるまで居たとも言えますが)という
事実を鑑みても、”イエスはこの人ありき”といったバンドではなかったと思いますが、しかし
(80年代初頭はかなり薄れましたが)その血統・DNAの様なものは50年近く受け継がれて
いるといって良いでしょう。ロックシーンにおいて、かなり珍しい存続のあり方を辿ってきた
バンドだったのではないかと思います。
これにてイエス編は終了です。次回はどのバンド、それともミュージシャン?・・・

#18 Roundabout

テレビアニメ『ジョジョの奇妙な冒険』のエンディングテーマとして使用されたことから、
耳にした事がある方も結構おられるのでは。イギリスのロックバンド イエスの71年発表
「Fragile(こわれもの)」のオープニング曲にて、シングルヒットした「Roundabout」。

初めから演奏力が突出したバンドでしたが、3rdアルバムからギター スティーブ・ハウが、
そして4thアルバムである本作「こわれもの」からキーボード リック・ウェイクマンが加入し、
黄金期のラインアップが揃います。こぼれ話ですが、以前からイエスと交流はあった
ウェイクマンでしたが、バンドの練習を見に来ないか?と電話を受けたときは、寝不足で
翌日も朝が早かったので、大変不機嫌な状態で行ったとのこと。しかし、その時殆ど
完成していた本曲「Roundabout」を耳にして、すっかり魅了されてしまい、そのまま
なし崩し的にバンドに加わったというエピソードがあります。
その演奏技術においてイエスは、当時のロックバンドの中で
最高峰だったと思います。
”鉄壁なアンサンブル”という言葉はこの人達の為にあるのでないかと
思われる程で、
更にコーラスワークまで見事です。イエス=”テクニックのバンド”というレッテルが
張られるほど。これには功罪いずれの側面もあるとは思いますが、本作にてアメリカでも
アルバムトップ10に入り、世界的にその名が知れ渡ります。

キング・クリムゾンが重厚かつ高度で深遠な世界観(悪く言えば、難解かつ、陰鬱で沈んで
いく
様な内向きな音楽性)であったのに対し、イエスは高度な音楽性でありながら、
外向きに
解放された(決して軽いという意味ではなく)音楽世界を構築しました。
もっとも人事面においては、クリムゾンに”負けず劣らず”安定しないバンドで、頻繁なメンバー
チェンジからそれは見て取れます。クリムゾンが基本的にロバート・フリップの強力なリーダー
シップによって構築された音楽(決して皆、唯々諾々と従った訳ではないことは前回までの
記事で触れた通り)であったのに対し、イエスはある意味、”民主的”な集まりだったそうです。
些末な事柄でも、全員で話し合い、徹底的に”民主的”に決定するという姿勢が、メンバーに
よっては、「タルい、時間がかかってしょうがない」、といったバンド内の状況だったそうです。
「こわれもの」というタイトルは当時のバンド内の人間関係を表したものとも言われています。

「ラジオ・スターの悲劇」のヒットで有名なバグルスのトレヴァー・ホーンが主導権を握って
いた頃の、83年発表、全米1位の「Owner of a Lonely Heart(ロンリー・ハート)」
(この時期のイエスは基本的に”別物”と捉えた方が良いと私は思っています)を除けば、
「Roundabout」は全米トップ20に入った最大のシングルヒット。
8分以上に渡るこのような楽曲がシングルヒットするのは、極めて異例だと言えます
(時代がそれを許容していたというのもあるでしょう)。本曲は高度な音楽性と
コマーシャリズムが同居した、ポップミュージックにおいては誠に稀有な楽曲だと言えます。
イントロの生ギター(これはナイロン弦ではなくフォークギターだと思います、多分…)の
ハーモニクスが非常に印象的で、これだけで”イエス的音楽世界”へ引き込まれてしまいます。
リズム隊が入ると颯爽とした、軽快感さえ感じる展開へ。ジョン・アンダーソンのハイトーン
ボイスも相まって、非常にキャッチーな楽曲として始まりますが、やはりそこはイエス。
クリス・スクワイアの重厚なベース、リック・ウェイクマンのオルガン、ムーグシンセを
見事に使い分けたオブリガード的フレーズと、キャッチーでありながら一筋縄ではない
高度なプレイと音色のセレクションです。曲は更にディープな展開へ。変拍子の”キメ”の後、
03:20秒辺りからのポリリズム(異なるリズムの混在)を駆使した、ヘヴィーなパートへ。
そして05:00秒頃にて、イントロ同様の生ギターのフレーズに戻り、静的パートへと回帰。
そしてウェイクマンとハウによる怒涛のソロの掛け合いを経た後、ヴォーカルのパートを挟み、
ラストは見事なコーラスワークと生ギターによる冒頭のフレーズをなぞったエンディング。
8:30秒という長さを全く感じさせない見事としか言いようのない楽曲構成です。
エンディング曲「Heart of the Sunrise(燃える朝焼け)」は、次作の大作志向が既に
現れている10分以上に及ぶ楽曲。これだけ長い楽曲は自ずと、静と動、緩急を使い分ける
構成になりますが(そうでなければ飽きます…)、やはり見事の一言です。高い技術の
裏付けがあるからこそ出来る、激しい複雑かつ高速なプレイのパート、決して”ダレる”
ことなく緊張感を保った静的パート。この様な楽曲は、イエス、キング・クリムゾン、
ジェネシスといった高度な技術・豊富な音楽的素養を有するバンドであるからこそ作り上げ、
またそれを実際に演奏して具現化出来たものでしょう。
レッド・ツェッペリンとともに、期待の英国新人バンドとして、米大手アトランティック
レコードと契約したイエスでしたが、ツェッペリンが初めから爆発的なヒットを飛ばしたのに
対して、イエスは芽が出るまでに若干時間を要しました。色々な要因がありますが、例えば、
初代マネージャーがマネージメントの専門家では無かった、本国アトランティックと上手く
意思疎通・情報伝達が出来なかった為、販売促進活動が的を得たものにならなかった
(米国側は、当初彼らを”フォークグループ”だと思っていたらしい・・・)等々。しかし、
ようやく本作のヒットにて、世界的なロックバンドへと認知されるようになりました。

しかし先に触れたように、人事的には大変混乱しており、決して順風満帆な状況では
ありませんでした。その様な”危機”をどの様にして乗り切っていったのか、または
乗り切れなかったのか。その辺りは次回にて。