#170 I’m Not in Love

https://youtu.be/Ki78MK9JywE
前回で「I’m Not in Love」とは10ccにおいて異端の曲だ、などとほざきましたが、
やはりポップミュージック史に残る名曲であることは間違いありません。
で、今回のブログは丸々「I’m Not in Love」尽くしとします。
今回はおフザケも噛まさず、ボケもないです。かなり真面目にこの偉大なる楽曲を自分なりに
掘り下げます。
(ボケ? オメエ今まで全部スベってたの気づいてねえのか? (´∀` ) …… ハイ!おフザケ終わり)

「I’m Not in Love」は3rdアルバム「The Original Soundtrack」のA面2曲目に収録されています。
サウンドトラックと銘打っていても別に何かの映画のそれという訳ではなく、架空のサントラといった
設定です。本作全体については次回以降で触れます。
75年にリリースされた本曲の制作はその前年に始まります。きっかけはエリック・スチュワートが
書いた素材。「I’m Not in Love」という印象的なタイトル(歌詞)は後述しますが、妻とのやり取りから
思いついたというのは結構有名な話しです。
既に曲の骨格は出来上がっていたらしくスタジオへ行きグレアム・グールドマンに助力を乞います。
本曲ではフェンダーローズ(エレクトリックピアノ)があまりにも印象的な為に信じられないのですが、
実は当初エリックとグレアム共にギターで本曲を練り上げていたそうです。そしてまたまた
信じられない事に、初めはアップテンポのボサノヴァ調であったとか。
08~09年だったと思いますが、BS-TBSで放送されていた『SONG TO SOUL』にて
本曲が取り上げられています。録画して何回も観ましたが非常に興味深い内容でした。
今回のブログはその記憶と(消さなきゃよかった … )、ネット上における多くの方々の文章
(やはり『SONG TO SOUL』を観ていた人が多いです)、そして英語版ウィキが基になっています。
グレアムはそのメロディから違うコードを提案し、またイントロとブリッジセクション( ” 
~ Ooh, you’ll wait a long time for me. ~ ” のパートだと思われます)を思いついたそうです。

2~3日間で曲を書き上げ、ギター・ベース・ドラムという普通の編成で前述の通りボサノヴァのリズムで
演奏してそれを録音しました。しかし出来上がったものはロルとケヴィンのお気に召さないものでした、
特にケヴィンにとって。ケヴィンはこう言いました ” これはゴミだよ ” 、と。
バンド内ではこの様なディスカッションというか批判は珍しくなく(バンド内が必ずしも円滑でなかったのは
前回で触れた通り)、エリックが ” OK。じゃあこれを良くする為に何か付け加えるものなど、何らかの
建設的な意見は?” と問うとケヴィンは更にこき下ろします。” No!ただのゴミだよ!どうしようもない、
やめよう!” と、身も蓋もない言い方で締めてしまいます。よほど気に食わなかったのか、それとも
この時期にエリックとの間に感情的な何かがあったのかはわかりかねますが、皆はそれに同意し、
デモテープも消去してしまったそうです。
『SONG TO SOUL』ではエリックの記憶を頼りに再現した当初のボサノヴァ調「I’m Not in Love」が
流れました。確かに「I’m Not in Love」には違わないのですが、リズムとアレンジが異なると
まるで別の曲です(当たり前ですね)。ジャズ界には ” ジャズに名曲なし、名演あるのみ ” という言葉が
あります。どれだけジャズという音楽がプレイヤーの力量に因る所が大きいかを示した言葉ですが、
私はロック・ポップスにおいても、ジャズほどではないにしろこれが当てはまると思っています。
誰がどんな風に演奏しても(歌っても)絶対的に名曲になるものなどはありません。一般的には
特に歌い手による差が大きいと思われがちですが(古今東西問わず音楽とは九割方がメインの歌しか
聴いていないものですから)、アレンジも曲を決定づける重要な要素です。どんな名曲もアレンジ次第では
駄作になってしまうのです。もっともボサ「I’m Not in Love」はそこまで酷くはなかったですが・・・

拙い文章ばかりでは嫌気がさしてしまうので少し動画を。上は11年4月にウェールズ州で行われたライヴ。
オリジナルメンバーはグレアムだけですが、やはりこのアレンジは崩していない、というか崩せないと
いうのが正しい所でしょう。発想の転換で根本からアレンジを変えて、名曲に仕上がったものも
世にはありますが、本曲に関してはそれをやった瞬間に雲散霧消してしまいます。

この様にして一度は放棄された本曲ですが、ある日スタジオのスタッフ達が ” I’m Not in Love ~ ” と
口ずさんでいるのを耳にします。彼らにはあの旋律がこびりついてしまったのです。
エリックはメンバーに対してもう一度この曲を生き返らせるよう説得することを決意します。
ですがケヴィンはまだ懐疑的でした。しかしながら彼はその時思いついたラジカルなアイデアを
エリックに対して提案します。それはこういうものでした ” いいか!この曲を活かす術は誰も
やった事のないレコーディング方法を用いる事だ。楽器を使わずに全部『声』だけで演ってみようぜ!! ”
陳腐な物言いになりますが、名曲が生まれた瞬間、とはまさにこの時を言うのでしょう。
不意を突かれた三人でしたが、このアイデアに同意し ” 声のウォール・オブ・サウンド ” を
創り出します。そしてそれは本曲のカギを握るポイントとなるのです。

またまただいぶ長くなってしまいました。一回では無理ですので二回(ひょっとしたら三回?)に
分けて書きます。これ程の名曲、かつポップミュージック史に偉大なる足跡を残した楽曲ですから
それだけの価値はあるのです。という訳で次回に続く。

#169 10cc

前回までジェネシス関係を取り上げ続けてきましたが、彼らはイギリスでなくては
産まれなかったバンドだと言えます。カラッとしたアメリカの風土に比べて
(勿論米にも ” 闇 ” はあるのですが)、陰影に富んだ英国独特の国民性・精神性といったものに
起因しているのだと思われます。
英国独特のバンドと私が思うものの筆頭としてジェネシスと並ぶ人達がいます。決して音楽性が
似ているという訳ではないのですが、その ” 妙ちくりん ” な音楽性は『やっぱイギリスだな~』と
思わざるを得ません。そう、それが今回のテーマである10ccです。

10ccも早く取り上げたいと思っていたバンドなのですがなかなかキッカケがなく、
またジェネシスツリーの後は何を書こうかと思っていた所へ、そうだ!彼らにはこんな共通点が
あるじゃないか!と、何の違和感も無くとてもスムーズに話が繋がった訳であります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・” ムリヤリ ” って言葉知ってる? (´∀` )

10ccと言えば「アイム・ノット・イン・ラヴ」、という程に圧倒的な本曲による知名度のせいで、
バンドの実体的姿が正しく理解されていない様な気がしています。「アイム・ノット・イン・ラヴ」は
70年代を、というよりポップミュージックを代表する名曲の一つに間違いありません。
勿論私も本曲で彼らを知ったクチですが、むしろこの曲は彼らの中では異端な部類に入る方だと
知ったのはもう少し後の事でした。
上の動画は多分10ccにおいて ” 三番目くらい 
” に知られる曲であろう「Donna」(72年)。
洋楽を多少でもかじった人ならば当然お分かりでしょうが、ビートルズ「オー!ダーリン」のパク ……
リスペクト・オマージュです。
英国人は洒落を解するんでしょう。デビューシングルである本曲はいきなりの全英2位を記録します。

上は初の全英No.1ヒットとなった「Rubber Bullets」(73年)。「Donna」と同様に
バンド名を冠した1stアルバムからシングルカットされました。
ストレートなロックンロールナンバーなのですがやはり彼らが演るとパロディっぽくなります。
そう。このバンドの重要な要素としてコミック・パロディがあるのです。
「アイム・ノット・イン・ラヴ」を聴いている限りはとてもそんなバンドには思えないのですが・・・
それにしても上の映像は当然の事ながら口パク・当て振りなのですが、せめてもう少しくらいは
ちゃんと演奏してる様にする気概くらいはなかったのでしょうか・・・

しかしコミック・パロディといっても、半端者のつくったのはとても聞けたもんじゃないのですが、
きちんとした素養・技術がある人間が大真面目にやると大いに聴きごたえのある作品となります。
勿論10ccは後者の方です。
2ndアルバム「Sheet Music」(74年)は前作より更に ” コユイ ” 内容となったアルバム。
R&R、ポップス、フォークロア、ハードロック、クロスオーヴァー、ラテン、アヴァンギャルド etc …..
これらを全て良い意味で  ”斜に構えながら ” 取り入れ、いたって真剣に創った作品です。
上はA-②「The Worst Band in the World」。シャレなのか自虐なのか、しかし演奏・アレンジともに
しっかりとしているのでとてもワーストワンなどとは言えない曲です。

「Hotel」はのっけからサイケ感満載のナンバー。と思えばリズミックな曲調へ一転し、またサイケな
パートを再び含むという変態的な楽曲。
本曲はロル・クレームとケヴィン・ゴドレイによるもの。私の世代では圧倒的に映像作家チーム
「ゴドレイ&クレーム」としてなじみがあるのですが、彼らが10ccのメンバーであったというのは
ゴドレイ&クレームを認知した時点よりも後の事でした。
彼らは四人全員が作曲・アレンジが出来、しかもヴォーカルをこなせるという稀有なバンドでした。
なので一人が強力なリーダーシップによりバンドを牽引していくといったタイプとは真逆の、
一人親方が群れた様な集団でした。であるからして当然の如く、バンド内は調和がとれた状態とは
曲がりなりにも言えなかったそうです。
有名な話しですが、グレアム・グールドマンとエリック・スチュワート組と、ロル&ケヴィン組で
よく対立したと言われています。そして ” ヘンな ” 曲はロル&ケヴィンによるものが多かった様です。

https://youtu.be/wUeRghINsGE
グレアム&エリック組もヘンな曲は創っています。上の「Baron Samedi」はライヴですが、
オリジナルでも同様に ” サンタナかよ!” とツッコミたくなる曲ですけれども、サンタナ風味の10ccと
でも呼ぶべき ” おかしな ” 仕上がりです(ホメ言葉ですよ)。それは演奏力と構成力が
しっかりしている為であることは言うまでもありません。
ちなみにロルが3:27からギターを交換する場面が映っていますが、弦でも切れたのかと思いきや、
ロルとケヴィンが開発したギターアタッチメントである『ギズモ』を装着したギターであり、
どうやら次曲の冒頭でギズモを必要としていた為に、本曲の後半で持ち替える必要があったようです。
ギズモは興味がある人は自身でググってください。結局はうまくいかなかったエフェクターの様ですが …

1stと2ndこそ10ccの真骨頂とするファンが多いようです。実際そうだと思います。
「アイム・ノット・イン・ラヴ」で興味を持ってベスト盤などを聴いてみたら全くの期待外れだっと
言う人が多いのは、例外の方から入門してしまった為でしょう。しかしやはり
「アイム・ノット・イン・ラヴ」もよく聴けば10ccフレーバーがてんこ盛りなんですけどね。

ちなみにバンド名の由来は、男性が一回に放出する〇ー〇ンの量だとかなんだとか … 嘘か真かは
わかりかねます。これも興味があったならご自身でググれカス・・・・・・・・・・・
次回へ続く。

#168 A Curious Feeling

#153から15回に渡ってピーター・ガブリエル、そしてフィル・コリンズを取り上げてきました。
この流れでないと今後触れる機会がないかもしれないので、ジェネシスの他メンバー、つまり
トニー・バンクス、マイク・ラザフォード、そしてスティーヴ・ハケットについて取り上げたいと
思います。

先ずはトニー・バンクス。上は79年のソロアルバムで「A Curious Feeling」におけるオープニング曲の
「From the Undertow」。一聴するとジェネシスの「トリック・オブ・ザ・テイル」や「静寂の嵐」に
収録されていても全く違和感のない曲です。バンドの楽曲・サウンド面を主に担っていたのがトニーで
ある事を物語っています。
50年生まれなので現在70歳。ピーター・ガブリエルと同年、というよりマイク・ラザフォードも
同い年であり、オリジナルメンバーの三人は同級生であったという事です。そしてピーター回において
既述ですが勿論彼も貴族の家柄。8歳からピアノを始めたとの事です。
ジェネシスはガーデン・ウォール及びアノンというバンドに在籍していたメンツが結集して出来ました。
いずれも貴族の子弟であり、この辺りから貴族が作ったバンドと言われる所以です。
フィルとハケットは後から参加して、一般階級の出であるのは以前触れた事。

https://youtu.be/SD5engyVXe0
私がトニーの最高傑作だと信じて疑わないのが「Firth of Fifth」。「月影の騎士」(73年)に収録された
楽曲です。以前も書いた事ですが、「月影の騎士」では良くも悪くもピーター色が薄れ、メンバー全員の、
特にトニーの音楽性が前面に押し出され洗練されたものとなりました(しかし次作である
「幻惑のブロードウェイ」(74年)で再びピーター色が強まったのも既述)。
抒情味溢れる本曲はただ小綺麗なだけではなく、リズミックなパートや後半におけるスティーヴ・ハケットの
素晴らしいギターソロが堪能できるメランコリックなパート、そして再度テーマに戻り劇的かつ感動的な
フィナーレを迎える展開は珠玉の名曲です。
「月影の騎士」はそれまで前面に押し出されていたピーターの個性により、一般には受け入れられ難かった
シュールな物語性等が、トニー達の発言権が強まった事により中和され、実験性・革新性と親しみやすさが
絶妙な所で良い意味において折り合いを付けた作品となっており、それが本アルバムを名作たらしめて
いるのでしょう(でも「怪奇骨董音楽箱」や「フォックストロット」といったピーター色全開の作品も
コアなジェネシスファンにはたまらないんですけどね … )

マイク・ラザフォードのソロプロジェクトであるマイク & ザ・メカニックスは現在まで息の永い
活動を続けています。上は1stアルバム「Mike + The Mechanics」(85年)よりシングルである
「All I Need Is A Miracle」。全米5位の大ヒットとなりバンドは華々しい門出を迎えます。

バンドとして最大のヒットは2ndアルバムからのシングルである「The Living Years」(89年)。
全英2位・全米1位を記録しマイク & ザ・メカニックスはそのキャリアにおいて頂点を極めます。
どちらもかなり80年代的アメリカナイズされた楽曲に聴こえます。時代のすう勢というものも
勿論あったのでしょうが、マイクの作風が元々こういうポップセンス溢れるものだったのだと
私は思っています。

マイクはジェネシスにおいて、スティーヴ・ハケットの脱退までは基本的にベースを担当していました。
そしてハケットの脱退後はスタジオ盤ではギターも弾くようになります。もっともそれより前から
コンサートではベースとギターが一体化したダブルネックを使用して両方弾いていましたけれども。
私はマイクのギタープレイが好きで、#164でも取り上げた「Behind the Lines」のギターソロなどは
素晴らしいものだと思っています。決して速弾きなどする人ではありませんが、曲調にマッチした歌心溢れるプレイをする稀有なギタリストの一人です(何でも速く弾きゃイイってもんじゃないんですよ … )。
私が「Behind the Lines」と双璧を成すマイクの名演とするのが上の「Tonight, Tonight, Tonight」。
ジェネシス最大のヒット作である「Invisible Touch」(86年)に収録された本曲は、これまた最大の
シングルヒットとなったオープニング曲であるタイトルソングの次、つまりA-②に収められたのですが、
この配置は絶妙です。この当時の彼らをやたら売れ線、うれセンと批判する輩がいますが、やはり
英国プログレッシブロック界の重鎮である彼らはそのスピリッツを失っていませんでした。
コマーシャルな「Invisible Touch」が終わると無機質かつダークでヘヴィーな本曲が始まります。
無機質な印象はフィル回で散々言及したリズムマシンの使用や、敢えてシーケンサー的なプレイに
徹するトニーのシンセなどに因ります。であるからして、これまたフィル回で触れたこの時期における
彼による絶唱型の歌唱や、マイクのエキセントリックなギターのフレーズ・音色が映えるのです。
凍てつくような寒さを感じさせる導入部から始まり、やがて徐々にヒートアップしていくことで

熱くたぎるヴォーカルとギターのオブリガード及びソロがとてつもなくドラマティックな効果を生んでいる、本作においてのベストトラックだと思っています。

スティーヴ・ハケットの名演と言えば、トニーの所で触れた「ファース・オブ・フィフス」に他なりません。
多くの人が述べている事ですが ” キングクリムゾンかよ!” と言われる程にロバート・フリップの
影響を受けたとしか思えないソロプレイです。陰鬱な始まりから後半は救われるかの如き演奏の展開は
これまで何百回も聴いてきていますが涙腺が脆くなってしまいます。
「ファース・オブ・フィフス」と甲乙付け難いプレイと言えば上の「The Knife」。ジェネシス初の
ライヴ盤である「Genesis Live」(73年)におけるエンディングナンバーである本曲では、
「ファース・オブ・フィフス」とは一転してエキセントリックなプレイを聴く事が出来ます。

正式なメンバーでこそありませんが、フィルがヴォーカルを取るようになってからのチェスター・トンプソンと、ハケットが脱退してからのダリル・スチュアマーはツアーサポートとして欠かせない人たちであり、
もはや準メンバーと言っても過言ではないと私は思っています。ちなみにフィルやトニーのソロ作でも
二人は関わっており、やはり紛れもなくジェネシスツリーの一員であるという事です。

脈絡もなく突拍子も無い事を言いますが、ジェネシスというバンドは ” マンガ ” だと私は思っています。
……… オマエはとうとう脳漿にウジが湧いたのか?などとどうぞ思わずに、順を追って話を・・・・・
中学の半ばからプログレッシブロックというものに魅せられて40年近くその手の音楽を聴いていますが、
それらのカテゴリーに分類されるバンドを絵に例えたとしたならば・・・
ピンク・フロイドはまさしく絵画といったもの。正確に言えば「狂気」の様な芸術といっても差し支えない
ものから(芸術が必ずしも良いとはこれっぽっちも思ってませんけどね … )、「ウマグマ」みたいに
前衛・抽象画と呼ぶべきもの、「あなたがここにいてほしい」は万人にもわかりやすい絵、と様々ですけど。
そしてキング・クリムゾンは1stこそ「狂気」と同様に芸術的ですが、3rdの「リザード」から変わり始め、
「太陽と戦慄」からは前衛美術といったもの(「レッド」はまた叙情味があって異なりますがね)。
イエスは非常に高度な、繊細かつ緻密であるグラフィックアートの様なものでしょう。
そしてジェネシスはと言えば、『マンガ』です。ただしそのマンガとは、荘厳でクラシカルなパート、
神話や寓話をモチーフとしたシュールかつ幻想的なシチュエーション、かと思えば一転して
コミカルにもなり、泥臭い(=ブルージーな)場面や前衛的な表現さえも垣間見え、しかしその多くが
きちんとした構成力により起承転結が付けられ、伏線を回収しつつ感動のエンディングを迎えます。
これ程までに多くの要素を併せ持ったマンガと言えば、マンガの神様とされる手塚治虫さんによるもの
くらいではないのでしょうか。・・・あ、でも別に私 … そんなにマンガは詳しくないので、…………
その方面からのツッコミはご勘弁を・・・・・・

初期のジェネシスは特に ” 硬派な ” ロックを好むとするリスナーからは敬遠されます。80年代のある
洋楽紹介番組で、過去にロックバンドをやっておりその後テレビタレントの様なものになった人物が、
『昔のジェネシスなんか自分達だけがわかればイイって音楽演ってたんだろ!』と発言した事がありました。
一応ミュージシャンであって(あった?)も認識はそのくらいなのだな、とその時は思いました。
私には特にピーター在籍時のジェネシスはとにかく人々に理解して欲しいという願いから、そのシュールな
アルバムジャケット、前衛演劇かの如きライヴアクトやコスチューム(専らピーター)が
なされていると信じていました。ただそのベクトルが一般人とはちょびっと(?)ずれていただけで …………
90年代以降はオシャレでポップな80年代の呪縛(?)も解け、混沌とした音楽シーンになったことも
あいまってか、初期ジェネシスもそれ程敬遠されなくなったようです。とにかく古今東西でその評価など
ころころ変わるものなのです。
今まで何度も書いてきていますが、少なくとも音楽に関しては
周りの意見など気にせずに己が良いと
思ったものを聴くべきなのです。ただそれだけなのです。

今年の初めにピーター・ガブリエルを取り上げてからその後フィル・コリンズ、そして今回は他の
メンバーを駆け足ながら触れていきましたが、結局はジェネシスについての総まとめと
なってしまいました。まあそれも致し方ないでしょうね・・・・・(ナニが ” 致し方ない ”だ?)

この3~4か月ひたすらジェネシス及び各ソロ作を再び聴き返しました。これも既述ですが中には
20年振り位に耳にしたものもあります。自分の中ではジェネシス及び各メンバーの音楽性を
再確認出来た様な気がしています。
多分向こう一年以上はジェネシスツリーを聴くことはないな、という程に・・・・・・・・・・・

#167 Phil Collins_6

フィル・コリンズ特集その6。今回で最後です。

https://youtu.be/cHWJ-7BUCNg
上はフィルによるヒット曲としては最新(最後)と言える「You’ll Be in My Heart」(99年)。
ディズニーアニメの主題歌として有名ですが、その歌唱スタイルはエンディング部を除いて
かなりソフトなものです。#164でフィルの真骨頂は絶唱型のバラードだと述べましたが、
フィル自身は元来この様な歌い方が好きなのかもしれません。もう一つの動画は#160でも触れた
フィルが初めてリードヴォーカルを担った「怪奇骨董音楽箱」に収録された「For Absent Friends」。
70年代後半から80年代はシャウトをよく用いていましたが、初めて世にお披露目された歌と
最後のヒット曲は、当然声質の変化はありこそすれ、実は共通しているのではないかと思っています。

あまり知られていませんが、70年代半ばからフィルは純粋にドラマーとして自身の力量を試そうと
あるジャズロックバンドにも籍を置きます。それがブランドX。80年代に読んだものの本ではフィルの
ドラマーとしてのソロプロジェクト、という書き方がされており、私もそう信じていたのですが、
実は違うらしくあくまでフィルは一ドラマーとして参加しただけの様です。もっともレーベルは
カリスマレーベルですからジェネシスツリーのバンドとされても致し方ありませんが。
ジェネシスもかなりテクニカルでしたが、ブランドXはまた方向性の違う技巧です。上は1stアルバム
「Unorthodox Behaviour」(76年)におけるオープニング曲「Nuclear Burn」。
方向性としてはソフト・マシーンやハットフィールド・アンド・ザ・ノースといった
正統派英国ジャズロック、つまりカンタベリーミュージックの系譜です。
フィルはあるインタビューでこう述べた事がありました。『やはり自分はドラマーとして ” アンタはすごい ”
って言われたいよ』と。自身のファンダメンタルはあくまでドラムにあるという証拠でしょう。
同じインストゥルメンタルでもジェネシスにおけるそれとは明らかに違います。ジェネシスは物語、
言い替えれば世界観・コンセプトの中で演奏する訳ですが、ブランドXにもそれが無いとは
言いませんけれども、やはりジャズのインプロヴィゼーション(即興演奏)を大きく取り入れているので
もっと自由です。フィルが新ジェネシスにおける活動のさなかに忙しい合間を縫ってなぜ参加したのか、
何となくわかる様な気がします。

フィルはドラムソロを否定していました。やはりコメントの中に ” 先がみえみえの陳腐なドラムソロには
うんざりだ。ああいうのだけはやるまいと決めている(中略)僕は一晩中四拍子だけを打っていても平気さ ”
というものがあります。ジェフ・ポーカロとも共通した信念ですが、ドラマーである事がアイデンティティーでありながらもやはり音楽本位の姿勢が伺えます。上はアルバム「Genesis」(83年)のプロモーション
ツアーである『Mamaツアー』におけるメドレー。#165でも触れたましたが「シネマショー」が
本メドレーのハイライトとなっており、ここぞという場面でチェスターとのツインドラムに移行します。
ドラムを知り尽くしている人間だからこそ、最も映えるシチュエーションを理解しているのです。
7:50頃からがそうですが、何度聴いてもチェスターによるダブルベースドラムの連打からシネマショーへ
移る箇所は鳥肌モノです。むやみやたらとただ連打するのではなく、ツーバスとはこの様に使うべきものだと
改めて教えてくれます。ちなみにメドレー最後の「アフターグロウ」でも再びフィルとのツインドラムが
始まる直前にツーバスの連打がその呼び込みとなっています。このパートも素晴らしい事この上ない。

ソロデビュー以降のフィルを売れ線ミュージシャンと毛嫌いする人達がいます。80年代における
ポップミュージックの良くも悪くも体現者の様なスタンスにいた彼は、所謂 ” 硬派な ” ロックを好む層からは
目の敵にされた所があります。私もフィルの音楽全てが好き、とは言いませんが、俗に売れ線と言われる
他のミュージシャンとは全く一線を画しているものと思っています(その売れ線とされるミュージシャン達にしたって、結局は主観の問題なのですけどね。前述した ” 硬派なロック ” とされているものの中でも
全く屁とも思わない音楽もたくさんあります。例えば・・・・あぶねー … うっかり言う所だった・・・)。

フィルは天才肌のミュージシャンではないと私は思っています。彼の資質を具体的に述べるならば、
器楽演奏・歌唱・作曲能力がいずれも高い次元で完成されていて、更に特筆すべきは
エンターテインメント音楽における ” ツボ ” を的確に把握しているミュージシャンであるという点でしょう。
この辺りが彼を売れ線と批判する輩が多い要因なのでしょうが、これ程完成・洗練されたロック・ポップスを
創って歌い上げ、しかも高度な演奏をもこなすミュージシャンが一体何人いるでしょうか。
関係があるかどうかはわかりませんが、少年期における子役としての活動がエンターテインメントの
センスを彼に培わせたのではないか?などと勝手に推測しています。

以上でフィル・コリンズ特集は終わりです。40年弱に渡って聴き続けてきたミュージシャンを
出来るだけまんべんなくその魅力を網羅して書こうと思いましたが、ホントにまんべんなく言及すると
際限が無い事に気づきました(当たり前だ)……… 可能な限りポイントを絞ったつもりでしたが、
どれ程彼の魅力を伝える文章になった事か?・・・・・ 先ほど聴き続けてきた、などと述べましたが、
実を言うと中には20年以上振りで耳にした曲もあります。中学・高校時代に初めて聴いた時の感覚が
よみがえると同時に、以前は気が付かなかった箇所が改めてわかったりしました。
もとより誰も読んでいないこんなブログを書き続けているのは(とうとう自分で言いだした ……… )、
思春期から聴き続けている洋楽について、己が再確認する為に付けている記録・誰に提出する訳でもない
レポートの様なものなので、もうすぐ五十路を迎えるこのオッサンがいつ死んでもイイように、自分の為だけに書き綴っているものと割り切っています・・・・・ あれ?これってなんか死亡フラグっぽくね? ………

スゴイこと思いついた!!( ゚∀゚)o彡゚!!! 死ぬまでにあとどのくらいとか、ブログに毎回
カウントダウンしていったら、スゲー話題になるんじゃねえ?! いまだかつて誰もやった事ないし!!!
世間の注目チョー浴びまくりで、ブログランキングの一位とかになんじゃねえの???!!!!!!
ネエみんな?! そう思うよね?・・・・・ねえ?・・・・・・・・・・・・ねえねえ?・・・・・・・・・・・・・・・・・

#166 Phil Collins_5

前回に引き続き、今回もドラマー フィル・コリンズに焦点を当てて書いていきます。

上は92年における『We Can’t Dance Tour』ツアーの模様を収録した「The Way We Walk」より
恒例になっているチェスター・トンプソンとのドラムデュエット。
フィルの使用機材は80年代に日本のパールを使った時期もありましたが、その前後ともにグレッチの
ドラムがメインです。本コンサートでもグレッチを使用しているのが確認出来ます。
何と言ってもその特徴はシングルヘッドタム。通常表と裏に張っているドラムヘッドを表面にしか
使用しないというもの。裏面のヘッドが無いので当然ヘッド同士の共鳴が無くなり、
サスティーンが殆ど無くヒットした時のアタック音がより強調、というよりもそのアタック音のみと
言っても過言ではありません。大昔であればとても楽器としては成り立たないものだったでしょう。
悪く言えば ” てんてんてんまり ” の如くチープな太鼓の音にしかならなかったのですが、
レコーディング環境やPA機器の発達により聴くに堪えられる楽器となりました。
厳密に言えばピンク・フロイドのドラマーであるニック・メイスンなどはかなり早い時期から
使用していましたが(コンサートタムというシングルヘッドドラム。「狂気」に収録された「タイム」の
冒頭で聴くことが出来る ” あの ” ドラムです)、シングルヘッドがトレードマークの様になった
ドラマーとしてはフィルがその筆頭でしょう。
シングルヘッドを使うようになったのにはその伏線があり、それはロートタムというドラムです。
太鼓の胴体を無くし、金属製のシャーシー(ドラムヘッドを装着する為の枠)にヘッドを張り、
殆どアタック音だけの打楽器なのですが、70年代において本器が世にお目見えしました。
それを普及させた立役者は何と言ってもビル・ブラッフォードです(#20~21ご参照)。
「トリック・オブ・ザ・テイル」のツアーでフィルがロートタムを使用している画像が確認できます。
さらには同ツアーでブラッフォードがドラムをプレイしているのも。間違いなくブラッフォードに
感化されたのだと思います。ちなみにネットで検索すると相当昔に、ロートタムを生み出したレモ社の
パンフレットでフィルとチェスターがロートタムと共にその表紙を飾っているものが出てきます。
このパーカッシヴでインパクトのある音色からシングルヘッドタムの起用と相成ったのでしょう。
ではいつ頃からシングルヘッドを使用するようになったのかというと、あくまで私がググった限りですが、
ピーター・ガブリエルが在籍していた「幻惑のブロードウェイ」のツアーでは普通に裏面もヘッドを
張っているのが確認出来ますが、ピーター脱退後のツアーでは前述した通りロートタムも用いながら、
ベースドラム上にマウントされた通常のタムタムの裏面にヘッドが張られていない画像が出てきます。
もっともハイハットの右側(フィルは左利きなので右利きで言えばセットの左サイド)には裏面にヘッドを
張ってあるタムも確認出来ます。この頃から音色への探求が始まったのではないかと私は睨んでいます。
また何よりも「トリック・オブ・ザ・テイル」においてロートタム独特のピッチを変えながら音を出し続ける
というプレイが聴けますので本作で使用しているのは間違いありません(ロートタムは本体を回すと
チューニングを変える事が出来ます)。

上は「トリック・オブ・ザ・テイル」のオープニングナンバー「Dance on a Volcano」と、
エンディングを飾る「Los Endos」。この頃はまだ基本的にダブルヘッドのタムを使用していますが、
部分的にロートタムやコンサートタムらしき音を聴くことが出来ます。

フィルがメインで使用しているシンバルはセイビアンです。彼が使い始めた頃はまだ設立されたばかりの
新興メーカーでしたが、やがてジルジャンやパイステといった老舗と並ぶ三大シンバルメーカーの
地位を獲得します。フィルはその発展に貢献した立役者の一人です。
日本版のウィキにはジルジャンの方がセイビアンより音が柔らかい、とあるのですが、私は全く逆の
印象を抱いています。勿論両社全てのシンバルを試した訳ではありませんけれども、クラッシュシンバルに
ついて言えば、同じシンクラッシュ(シンバルは厚みの順にてシン・ミディアム・ヘヴィーと
区分けされるのが一般的)を叩き比べた印象は、ジルジャンは良くも悪くも ” 金物 ” といった感じがあり、
セイビアンのクラッシュはジルジャンよりも金属音が抑えられ、” スッ ” と衝撃音が消えていく
印象があります。当然ドラム本体やギターなどと同様に個体差があるのは言わずもがなですが。

フィルのドラムにおいて絶対に切り離せないのがゲートリバーヴの存在です。80年代のドラムサウンド、
というよりもその音色によってポップミュージック自体を変化させてしまったと言っても良いほどです。
人によってこの音色が好きか嫌いかは分かれる所でしょう。率直な所、私も基本的にはドラム本来の
ナチュラルなトーンの方が好きです。しかしこれだけ一大ムーヴメントを巻き起こした事象を
無視するのは無責任であります(別に責任なんてネエだろうが・・・)。
上は3rdソロアルバム「No Jacket Required」(85年)のオープニング曲である「Sussudio」。
「No Jacket Required」は全米だけで1200万枚以上を売り上げ、英米を含め9か国で
アルバムチャートの一位に輝くというお化けの様なアルバムでした。さながら世界はフィルを
中心に回っているのではないかという程に。
リアルタイムで当時を体験したから言えますが、当時日本の洋楽関連番組ではフィルの姿や話題が
上らなかった週はなかったと断言出来ます。と言ってもその頃の洋楽番組なんてベストヒットUSAと
MTV位でしたけどね・・・・・

ゲートリバーヴと一口に言っても実はそのサウンドは様々です。ピーター・ガブリエル回で言及しましたが、
ゲートリバーヴドラムサウンドが初めて世にお目見え(お耳聴え?)したとされる「Intruder(侵入者)」(#155ご参照)や、#162でも触れたフィルの大出世曲である「In the Air Tonight」などは
同一のものではありません。ゲートタイム(リバーブを切る迄の時間)の設定やリバーブの種類などで
様々なサウンドが表現出来るようです。その中で私が ” これぞゲートリバーブドラムサウンド ” と思う典型が
上の「Don’t Lose My Number」。やはり「No Jacket Required」に収録された本曲のドラムサウンドは良くも悪くも80年代を一世風靡したサウンドの ” ひな形 ” の様なものだと思っています。
「侵入者」や「In the Air Tonight」よりも、よりゲートタイムが短くタイトなスネアサウンドが
” ザ・ゲートリバーブ ” と呼ぶべきものです。もっとも「侵入者」はベースドラム、「In the Air Tonight」はタムタムの方がより印象的なのですが・・・・・
フィルとピーターの間にゲートリバーヴを生み出したのは自分だ、という考えの相違、ちょっとした
わだかまりがあるという事は#155で既述ですが、客観的に見るとやはりこの音はフィルとエンジニアの
ヒュー・パジャムが創ったものだと言って差し支えないでしょう。ただしピーターにはこの音に
いち早く興味を示し、自身の作品で公にしたという功績があるがあるのは言うまでもありません。

しつこい様ですがこのゲートリバーブサウンドが80年代のドラム、ひいてはポップミュージックに
変革をもたらした(もたらしてしまった)という事は紛れもない事実です。しかし良しとするか
否かは意見が分かれます。勿論これだけではなくデジタルシンセサイザーやリズムマシン・
シーケンサーの登場、エフェクターを多用したギターサウンドなども全てひっくるめて
80年代のポップミュージックが形成されたといったところが正確なのですけれども。
しかし興味深いのは90年代半ば頃からこれらを一切もしくは極力排したサウンド、
エコーが殆ど効いていない生々しい音色、そして煌びやかなシンセなどは
全く用いないワイルドかつ朴訥なサウンドが復興したようです。私は殆ど知らないのですが
クランジロックと呼ばれるものなどが。もっともこれも人の好き好きですけれども・・・・・・・・・

#165 Phil Collins_4

フィル・コリンズその4。今回はドラマーとしてのフィルに焦点を当てて書いていきます。
80年代以降のドラミングしか知らない人にとって70年代のそれはかなり刺激的なものです。
当時におけるジェネシスの、というよりも彼らがカテゴライズされる英国プログレッシブロック全体が
そうであったのですが、ジェネシスもテクニカルな方向へと突き進んでいました。

フィル・コリンズ特集であるのに動画のサムネはピーター・ガブリエルとベースのマイク・ラザフォード
であるのは致し方ありません。当時のフィルはスポットライトが当たる存在ではありませんでしたから。
上は72年ベルギーでのTVショーの映像。ベルギーはジェネシスがブレイクするきっかけとなった国です。
本国でもパッとしなかった彼らだったのですが、突如ベルギーをはじめとした英以外での欧州各国にて
彼らの人気が高まり、それにつれて本国でもジェネシスに注目が集まったのです。
上は「Nursery Cryme(怪奇骨董音楽箱)」(72年)のエンディングナンバーである
「The Fountain of Salmacis(サルマシスの泉)」からアルバム未収録である「Twilight Alehouse」
へのメドレー。当時におけるジェネシスの音楽性に伴いフィルのドラミングも16ビートが主体です。
楽曲展開がコロコロ変わるものが多いのでプレイも目まぐるしく変化します。そしてプログレッシブロックにおいて切っても切れないものが変拍子。当然フィルも変拍子を得意とするドラマーでした。
余談ですがこの頃の映像を観るとフィルは下を向いて一心不乱に叩くクセがあったようです。

変拍子や同一曲内におけるリズムの変化が顕著である楽曲として先ず思い浮かんだのがコレです。
ジェネシス74年の二枚組大作「The Lamb Lies Down on Broadway(幻惑のブロードウェイ)」に
収録の「In the Cage(囚われのレエル)」。
タンタタタンが2回続くリズムである6/8拍子と、ドンタンが3回の6/4拍子が混在するパートが
リズムトリックとでも呼ぶべきこのフレーズは所謂 ” ポリリズム ”(複合リズム)になっています。
タンタタタンタンタタタン(6/8拍子)
ドンタンドンタンドンタン(6/4拍子)

こちらもリズムトリックの一種を聴くことが出来る「Duke’s Travels~Duke’s End」。
前回も取り上げた80年の傑作「Duke」におけるエンディングナンバーである本曲では、
タンタタタンタンタタタン(6/8拍子)
タッタタッタタッタタッタ(4/4拍子における三連の中抜き、所謂 ” シャッフル ” )
というポリリズムが見事な効果を上げています。特にシャッフルビートでは力強い、ともすれば
アフリカンビートの様な感じも受けます。ピーターが抜けてからこの様なよりインパクトのある
ビートが強調されました。前回も書きましたが本作はゲートリバーヴが用いられる直前の
ドラムサウンドでありますが、私はこの頃におけるフィルの音色が一番好きです。
余談ですが本曲はコンセプトアルバムである「デューク」を締めくくるラストとして素晴らしい
内容、というよりも本曲があるからこそ「デューク」は傑作になったのです。
荘厳な導入部から先述した力強いタムタムの連打と雄大な6/8拍子が同居するパート、
4:40辺りからタイトな曲調及びビートへと展開し、そしてAー③の地味な小曲であった
「Guide Vocal」が見事なまでにドラマティックな再演がなされ「Duke’s Travels」は一旦完結。
ほっと息をついたのもつかの間。「
Duke’s End」はオープニングの「Behind the Lines」が
よりハードにリプライズされ、感動のフィナーレへと向かいます。何度聴いてもこのパートは
身震いがします。ちなみに上の動画では「Duke’s Travels」と「Duke’s End」の境目が
少しかぶっていて本来とは異なります。是非アルバムを丸ごと聴いてみてください。

変拍子でもう一曲。73年の名作「月影の騎士」から「The Cinema Show」。ヴォーカルパートに
おけるミディアムテンポの16ビートも心地良いものですが、圧巻はインストゥルメンタルパートに
移ってからの7/8拍子です。7拍子としてはオーソドックスな4+3の構成ですが、
それが楽曲と違和感なく見事に溶け込んでいます。変拍子はとかくテクニカルさが際立ってしまい、
” 凄いなあ~ ” とは思っても ” 良い曲・気持ちの良いリズムだな~ ” と感じる事は少ないです。
本曲はその稀有な例の一つ。本当に難しいのはこういうアレンジ及び演奏だと思います。
また本ドラミングではフィルの特徴であるダイナミクスの妙を味わう事が出来ます。具体的には
アクセントの付いたスネアショットと囁くようなストローク、所謂 ” ゴーストノート ” というやつです。
聴こえるか聴こえないか、という程の軽いストロークによるスネアショットですがこれがリズムを
ドライヴさせる、俗に言うグルーヴ感を出す秘訣です。別にフィルの専売特許という訳ではなく
プロアマ問わず多くのドラマーが行っている事ですが(ジェフ・ポーカロ回#64等ご参照)、
フィルもこのテクニックが非常に巧みです。おそらくは彼が夢中になった60年代のソウルミュージック等で
プレイされたシェイクなどのリズムが元になっているのでしょうが、フィルやビル・ブラッフォードなど
イギリスのプレイヤーは、米のジャズフュージョン(当時で言う所のクロスオーバー)なども
貪欲に取り込み、英国風ジャズロックとでも呼ぶべき演奏スタイルを確立しました。
本曲はジェネシスによって重要なライヴナンバーであり、コンサートのハイライトで演奏されます。
フィルがヴォーカルを取るようになってからは、かつてウェザー・リポートにも在籍した凄腕ドラマー
チェスター・トンプソンがツアーサポートを務めますが、本曲における7/8拍子のパートでは
見事なツインドラムがお約束になっていました。
77年の二枚組ライヴ盤「Seconds Out」では、本パートにおいて先述したビル・ブラッフォードとの
ドラムデュエットを聴く事が出来ます。当時ブラッフォードは一時的にどこにも所属していない時期であり、ジェネシスのツアーに同行していました。同じプログレ界の先輩ドラマーとしてフィルは
ブラッフォードを尊敬しており、この時是非参加して欲しいと声を掛け実現したそうです。
同じくライヴアルバムである「Three Sides Live」(82年)ではメドレーの中の一曲として
演奏されていますが、前述した「囚われのレエル」から「シネマショー」へのつながりは本当に見事で、
チェスターによるツーバスの連打から本曲へ移行する所は何度聴いても鳥肌が立ちます。その後の
二人のツインドラムが素晴らしいのも言わずもがな。とどのつまり何が言いたいのかとするなら、
スタジオ版、「Seconds Out」版、そして「Three Sides Live」版の全てが名演だという事です。

ハッ!(゚Д゚;)!! またこんなに書いてしまった・・・フィルの使用機材やゲートリバーヴについてまで
述べようと思っていたのですが、それは次回フィル・コリンズその5にて。

#164 Phil Collins_3

所謂 ” 十八番・おはこ ” というものは歌舞伎に由来する、などと耳にしたことがあります。
その役者が最も得意とする演目を指すとか何とか。ただし音楽の場合はそれとは若干ニュアンスが
違う場合があります。ジャズやクラシックでは歌舞伎のそれとほぼ同じ意味合いで捉えて良いでしょう。
先人の残した交響曲やピアノソナタ、ジャズではスタンダードナンバーの中でそのミュージシャンが
得意とする、という意味ではまさしく ” おはこ ” です。しかしロック・ポップスにおいては異なります。
ローリング・ストーンズのおはこは「サティスファクション」だ、という表現は聞いた事がありません。
この場合のおはことはそのミュージシャンの歌唱・演奏が最も映える曲調や奏法という意味です。

フィル・コリンズはどんなスタイルの曲でも自分の歌に出来る優れたシンガーですが、” おはこ ” 、
言い替えればその歌唱における真骨頂は絶唱型のバラードだと私は思っています。
上は84年の映画『カリブの熱い夜』の主題歌である「Against All Odds(見つめて欲しい)」。
映画オンチの私は当然詳しくないのですが、それでもタイトルくらいは知っている『愛と青春の旅だち』の
監督が満を持して発表した次作だそうです(勿論観た事はありません)。
絶唱型、つまりシャウトが多用されるという事ですが、フィルのそれをあまり好まない人がいる様です。
とどのつまりは好みですので何とも言えませんが、フィルを売れ線シンガーと捉えている人に多いのでは
ないかと思っています。確かにフィルの声質はよく言えば聴き易い、悪く言えば軽く心に響かないとも
言えます。声質は生まれ持ったもので本人の努力如何ではどうにも出来ないものなので、
残る選択肢は二つ、諦めるかそれとも何とかしてそれに抗うかです。
今回検索してみて、フィルの歌が好きではないと書いていた人達の多くが80年頃より前のジェネシスを
聴いた事がないようでした。ピーター・ガブリエル脱退後、ジェネシスのメインヴォーカルを務めたフィルは
バラードに限らずシャウトを多用していました。ピーターの良く言えば迫力がある、悪く言えば
重々しくクセのある歌声と比べるとフィルのそれは前述した通りなので、シャウトの多用はそれを
補うためであったのではないかと私は勝手に推測しています。ですのでその歌唱スタイルは
ソロになってからのものではなく、従前から変わらない歌い方であったのです。
勿論シャウトを用いない前回・前々回にて取り上げた「モア・フール・ミー」や「マッド・マン・ムーン」も
素晴らしい歌であるのは言うまでもありません。
前回フィルとピーターの声質が似ていると言っておきながら上は矛盾した話になってしまいますが、
もっと正確に具体的な事を述べると、ピーター脱退後のフィルは意識的にピーターを模倣した、
もしくは意識せずとも自然とピーターのスタイルに寄っていってしまったのではないかと思っています。
フィルの歌の巧さはピーター在籍時からバンド内でも認められており、であるかしてアルバムの中で
丸々一曲リードヴォーカルを任せられた訳ですけれども、やはり降ってわいたようなフロントマンへの
抜擢はフィルにとっても戸惑いのあるものだった事でしょう。バンドの音楽性もピーター脱退によって
ガラッと変わった訳ではなく、音楽面の実質的なイニシアティブを握っていたのはトニー・バンクスなので、
彼のカラーが良く出ていた「月影の騎士」的な作風へと向かったのは前回の最後で既述の事です。
であるのでフィルがお手本にしたのは「月影の騎士」の頃におけるピーターの歌い方だったとしても
何ら不思議はありません。

フィルのヴォーカルスタイルが確立された、語弊があるのを承知で言えばピーターの呪縛から
解放されたのは本曲及びそれが収録されたアルバムからだと思います。
その曲こそ中期の傑作「Duke」(80年)におけるオープニングナンバー「Behind the Lines」。
躍動感あふれるポップな曲調・リズム、何より水を得た魚の如く活き活きとしてハジけるフィルの
ヴォーカルは従来と明らかに異なります。
厳密に言えばこの前作「…And Then There Were Three…(そして三人が残った)」(78年)から
その前兆はありましたが、ここまでジャンプした作風及びフィルの歌は「デューク」からです。

「デューク」はその音楽性と親しみやすさが非常に高い次元で同居している作品です。さらにサウンド面でも
特筆すべきものがあり、ドラムの音色はゲートリバーヴを使用するようになる直前のもので、
自然な鳴り(多少は電気的なエコーも使っているかもしれませんが)が非常に心地良い、フィルのタイトな
ドラミングが堪能出来ます。また本作でフィルは初めてリズムマシン(ローランド CR-78)を
使用します。今日からすると非常にチープなものに聴こえてしまいますが、これから後にこの無機質な
ビートを使って、ゲートリバーヴによるドラムサウンドと共に80年代の音楽シーンを変えてしまう程の
インパクトをもたらしました。上はそれを聴くことが出来るA-②「Duchess」。
「Behind the Lines」からメドレーになっており、華々しかったオープニングから淡々とした
曲調・サウンドに展開するのですが、このリズムマシンが非常に効果的に使われています。

80年代のフィルはワーカホリックなどという言葉では片づけられない程の仕事振りでした。
それは、泳いでいないと死んでしまう回遊魚か?というくらいに・・・
自身のソロ及びジェネシスの他に、今回最初に取り上げた「見つめて欲しい」の様な映画のサントラ、
他ミュージシャンとのデュエット及びプロデュースなどです。
列挙すると、サントラに収録されマリリン・マーティンとのデュエット「Separate Lives」(85年、
全米1位)、同じくサントラから「A Groovy Kind of Love」「Two Hearts」(88年、どちらも
全米1位。後者はモータウンの伝説的ソングライティングチームである ” ホランド・ドジャー・
ホランド ” のラモント・ドジャーとの共作)、そしてエリック・クラプトンのプロデュース(#11ご参照)
等々。ホントにいつ寝てるんだ?という程の仕事振りです。
以前どこかで書いた記憶がありますけど、85年におけるチャリティー『ライヴエイド』は英米同時公演という
大規模なコンサートでしたが、フィルは英ウェンブリー・スタジアムに出演した後、超音速機コンコルドで
移動し米JFKケネディ・スタジアムへも出演するという離れ業を成し遂げました。先進国の首脳や
アラブの大富豪より多忙で尚且つ稼いでいたのではないでしょうか・・・
正直その全てが素晴らしい、とは個人的に思いませんけれども、それらの中で極めつけは本曲でしょう。
アース・ウィンド&ファイアーのフィリップ・ベイリーとのデュエット曲「Easy Lover」(84年)。
同年におけるベイリーのソロアルバム「Chinese Wall」からのシングルカットである本曲は、
全米2位・全英1位を記録し、英米双方でゴールドディスクを獲得します。
既に述べた事ですが米本国以上にブラックミュージックの影響を受けたイギリスの若者であった
フィルにとって、本場の黒人音楽を体現したベイリーとの共演は喜ばしい事この上なかったでしょう。
では、60年代ソウルミュージックやEW&F全盛であった70年代ディスコをトレースした楽曲で
勝負したかと言うと、全然違いました。上の動画にて一聴瞭然だと思いますが、ソウル・R&B・ディスコ
というものより、むしろロックスピリッツ溢れる曲調そして何よりビートです。勿論80年代前半は
ソウルはおろか、あれほど一世を風靡したディスコも陰りを見せ、黒人音楽と言えばクインシー・ジョーンズ&マイケル・ジャクソンに代表されるダンサンブルなファンク+AORでした。その路線で言っても
当時におけるフィルの勢いならヒットはしたと思いますが、敢えてそれを避けたのは英断です。
フィルお得意のシャウトとベイリーのファルセットが、このハードなロックンロールの中で
見事に融合・昇華されています。どのみち売れ線と批判する手合いは必ずいるのですが、
本曲以上にこの二人のコラボレーションを成功させるものがあったと言うの
ならば、具体的に示してから
売れ線だナンだと言って欲しいものです。実際に本PVではフィルがEW&F風コスチュームを
提案するとベイリーが苦笑いして困惑するというシーンがあり、それが何よりも旧来のEW&Fとの
決別を図る決意であったベイリーの心中を表したものです。
「Chinese Wall」のプロデュースは勿論フィルによるもの。余談ですが、ジェネシス81年のアルバム「Abacab」にEW&Fのホーン隊が参加しています。その辺りがベイリーとの共演との足掛かりに
なったのではないかと思っているのですが、それに関する経緯は出てきませんでした。
最後にそのホーン隊が加わった「No Reply at All」を張ってフィル・コリンズその3を終わります。

#163 Phil Collins_2

フィル・コリンズは51年、旧ミドルセックス州(現在のロンドン地区)に生まれます。
五歳のクリスマスプレゼントにドラムセットが与えられ、そこからドラムとの付き合いが始まります。
やがてドラムにのめり込み、ルーディメントと呼ばれるドラミングの基礎を徹底的に練習します。
しかし当時は譜面を読む事をないがしろにしており、後年これは良くなかったと回顧しています。

フィルのドラムサウンドについてはとにもかくにもゲートリバーヴについて取り沙汰されがちですが、
決してそれだけではありません。上はジェネシスの「A Trick of the Tail」(76年)に収録された「Squonk」。ドラミング自体はさほどテクニカルなものではありませんが、淡々としたパターンが
続く中にゆったりとした、もしくはスピーディーなフィルインが緩急を付けて織り交ぜられており、
この曲の形容しようがない高揚感を後押ししています。さらに特筆すべきはそのサウンドであり、
スタジオの自然なエコーなのか、電気的なものなのか、はたまたその双方をミックスしたものなのか、
この広がりのあるドラムの音色や鳴りは何十年も聴いていますが、今でも感嘆してしまいます。

当然の如くビートルズのインパクトをティーンエージャー時に受けており、前回も述べたリンゴ・スターの
影響はそれに因ります。さらにドラミングに関しては元祖スピードキング バディ・リッチに
傾倒したとの事で、前述した通り基礎を徹底的に練習した事と併せてあの様なテクニカルなプレイが
可能になったのだと思われます。
音楽的にはモータウンやスタックスといったソウルミュージックにも夢中になった様であり、この辺りは
ピーター・ガブリエルと共通します。もっとも折に触れ書いている事ですが、英国人のブラック
ミュージック好きは本国以上であり、米白人が ” 黒人のソウルとかR&Bなんて … ” と言っていた頃に、
海を隔てたイギリスの若者はその虜になっていたのです。
上はこれまた大ヒットしたフィルの2ndアルバム「Hello, I Must Be Going!(心の扉)」(82年)からの
シングルカットである「You Can’t Hurry Love(恋はあせらず)」。言うまでもなく初出は
シュープリームスによるモータウンの大ヒットであり、フィルをはじめとして多くのミュージシャンに
カヴァーされ続けているスタンダードナンバーです。私の世代(昭和45年生まれ)にはフィル版が
本曲の原体験であります。役者でハマり役という表現がありますが、フィルにとっての本曲は
まさに ” ハマり曲 ” であったと思います。ちなみに以前にも書きましたが、この大ヒットを皮切りに
80年代前半から中頃にかけて本曲に代表されるモータウンビートのリバイバルが興ります。
ホール&オーツ「マンイーター」、ビリー・ジョエル「あの娘にアタック」、カトリーナ&ザ・ウェイブス
「ウォーキング・オン・サンシャイン」、そして本家本元であるスティーヴィー・ワンダーによる
「パートタイム・ラヴァー」など。日本においては桑田佳祐さん作で原由子さんによる
「恋は、ご多忙申し上げます」が極めつけでしょう。

前回フィルのキャリアはジェネシスのドラマーとして始まる、と書きましたが実を言うとこれは
正確ではありません。ジェネシスの前にフレイミング・ユースというバンドに在籍し、一枚だけですが
アルバムも残しています。そのバンドの名前は昔から知っていましたが、白状すると聴いたのは
今回が初めてです。もっとも80年代はとても手に入りませんでしたからね。
今はこんなレアな映像も容易に観る事が出来るのでとても良い時代です。上のフレイミング・ユースの
動画は当然口パク・当て振りでしょうが、若きフィルを、髪の毛がふさふさのフィルを見る事が
出来る貴重なものです・・・━(# ゚Д゚)━ 謝れ!フィルに、全国の〇ゲに謝れ!!(オマエもな … )
ドラマー、もしくはある程度音楽に詳しい方は気が付かれたかもしれませんが、フィルのドラムセットは
通常と左右が逆、つまり左利きです。ディープ・パープルのイアン・ペイスと共に左利きドラマーの
代表とも言えるフィルですが、私は左利き用セットがそのプレイに与える影響は全くないと
思っていますのでこれには言及しません。それよりも興味深いのは、本動画においてライドシンバルを
シンバル面に対して垂直に(上下の往復で)叩かず、斜め45度位から左右に振り子の如く叩くショットが
確認できる事です。これはリンゴ・スターがよく演っていたプレイスタイルであり、決してドラムの
教科書的には良い奏法ではないのですが、リンゴ独特のグルーヴを醸し出す一因なのではないかと
私は思っています。フィルのリンゴへ対するリスペクト具合が伺い知れる映像です。

ピーター・ガブリエルがジェネシスを離れた後、当然バンドはピーターに代わるヴォーカリストを
探します。ところがピーターの離脱が世間にアナウンスされたのと実質的な脱退時期にはタイムラグがあり、
バンドはピーターが抜けた事を伏せながら新ヴォーカリストを募集しました。新聞広告も打ったそうであり、
そこでは ” 当方ジェネシスタイプのバンド、ヴォーカル求む ” としたとの事。
何人かオーディションをしましたが、これは!という人材に当たる事はなく、結局は以前からヴォーカルを
取っていたフィルで良いだろう、という消去法的な決まり方だったそうです。人生というのは全く
何が起こるかわかりません。それが彼らを世界的なバンドへ押し上げる要因の一つとなったのですから。
上は最初の動画である「Squonk」と同じくピーター脱退後初となるアルバム「A Trick of the Tail」より
「Mad Man Moon」。「月影の騎士」あたりに収録されてピーターが歌っていてもおかしくはない
楽曲ですが、これはフィルの方が適役であったでしょう。前回取り上げた「モア・フール・ミー」と
同様に、彼のソフトな歌唱によってバンドの新境地を切り開いています。新生ジェネシスの到来を告げ、
新しきメインヴォーカリスト フィル・コリンズの魅力を余すことなく伝える名曲です。
余談ですが、ピーターが抜けた事によって「A Trick of the Tail」からバンドのセンチメンタリズムが
増したと言うのは正確ではなく、「月影の騎士」ではピーター以外のメンバー(特にトニー・バンクス)の
発言力が強くなって「月影の騎士」はあの様に洗練されたものに一旦なったのですが、
「幻惑のブロードウェイ」でピーターが独走してしまった為、かくの如く「幻惑のブロードウェイ」は
シュールな作風に戻り、そしてピーターが去って「月影の騎士」を踏襲、というよりも更にロマンティックな
側面を推し進めた作品が「A Trick of the Tail」である、というのが正確な所です。

次回、フィル・コリンズその3へ。

#162 Phil Collins

前回の最後にてフィル・コリンズについて触れました。ピーター・ガブリエル特集のラストなのに
何故フィルの事を?と思われた方もいるかもしれません。そう、貴方は鋭い。今回からの伏線でした。
一人くらいは気づいた方いますよね? … いるんじゃないかな … いたらイイな …… イテクダサイ ………
あなたバカなの~?誰もこんなブログ見てないわよ~!おーほっほっほーーー!!! J( ゚∀゚)しo彡゚
イヤーーー!!!ヤメテーーー!!! 0(*>д<*)0=・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

https://youtu.be/57HicYcY4Ow
という訳で、これからしばらくはフィル・コリンズ特集です。ただしフィルの場合はシンガー・
コンポーザーとして、
またドラマーとしての側面と大きく分けて二つについて論じる必要があります。
どちらかに的を絞ろうかと思いましたが、せっかくなので両面について書いていきます。
であるからして、本特集もかなり長くなります。
フィル・コリンズなのに何故にいきなりシュールな動画のサムネが?と思われる方もおられるでしょうが
別に間違ってはいません。フィルのミュージシャンとしてのキャリアはジェネシスにドラマーとして
加入したところから始まります。ジェネシス回#22~24にて触れた事ですが、ジェネシスは貴族の子弟が
作ったバンドです。しかしそれはオリジナルメンバーの事。後から入ったフィルとギターのスティーヴ・
ハケットは一般階級の出でした。
80年代における彼のドラミングしか知らない層にとって、この頃のプレイはかなり刺激的でしょう。
当時の英プログレッシブロックの多くがそうであった様に、ジェネシスの音楽もかなり複雑で尚且つ
テクニカルです。当然フィルのプレイもそれに沿ったものであり、彼はそれを表現できる卓越した
技術を持つドラマーでした。#22で書いた事ですが、80年代の人気絶頂期に来日公演にて
女子大生風の(おそらく)にわかファンが ” フィルってドラムも叩けるのね~www ” と
のたわまったのは都市伝説、と思いきや、難波弘之さんが彼女達の隣で聞いていたという事も
#22で述べた話。”ドラムも ” ではなく ” ドラムが ” 本職のミュージシャンなのです。
上は初期ジェネシスの名盤「Foxtrot」(72年)におけるオープニング曲「Watcher of the Skies」。
出だしにおけるメロトロンの音色でノックアウトされてしまいますが、続いてフェイドインしてくる
一転してリズミックな6/4拍子のフレーズがとんでもないことこの上ない。ちなみにこの6/4の
パートはモールス信号をイメージしたとか。そして普通の四拍子に移ってからもフィルのプレイは
圧倒的です。おそらく80年代以降のフィルしか知らない方たちは” フィルってこんなに
ドラム巧かったんだ ” と思う事でしょう。そうです、彼は凄腕のドラマーなのです。速く細かく動く手足、極小のピアニッシモから特大のフォルテシモまで叩き分けるダイナミクスレンジの広さ、
フロントのプレイに対して打てば響くといった様な見事なレスポンス及びそのセンスなど、
当時のイギリスにおいてもトップクラスの技巧・センスを誇るドラマーでした。

フィルがジェネシスのメインヴォーカルを担当するようになったのは当然の如くピーター脱退後、
アルバムで言えば76年の「A Trick of the Tail」からですが、実はピーター在籍時にもリードヴォーカルを
取っています。加入後初の作品「Nursery Cryme(怪奇骨董音楽箱)」(71年)に収録された
「For Absent Friends」にて既にその歌声を披露しており、うっかりするとピーターかと
思ってしまう程に二人の声質は似ています。
上は73年の名作「Selling England by the Pound(月影の騎士)」より「More Fool Me」。
本作からジェネシスの音楽性はより叙情味を増し甘いものへと変化していきましたが、
本曲は収録曲中最も甘くハートウォーミングな楽曲。多分ピーターが歌っていたならその少しくぐもった
鼻にかかる声にてクセのあるものになっていたのでしょうが、これはフィルが歌って大正解。
あまり取り上げられる事がない楽曲ですが、フィルの歌唱において隠れた良曲です。

フィルの名声を世界的なものにしたのは言うまでもなく初ソロアルバム「Face Value(夜の囁き)」及び
本作からの1stシングル「In the Air Tonight」(81年)です。参考までにシングルの各国における
チャートアクションを列挙すると、独・仏・蘭・スウェーデン・スイス・オーストリア・NZでNo.1、
本国英と加で2位、豪で3位という特大ヒットを記録。アルバムも前述の国々及び米においても1位から
7位というこれまたトンデモないもの。
「In the Air Tonight」は一聴するとお世辞にも耳馴染みの良いポップソングではありません。
しかしながらこれほどの大ヒットとなったのは、それまでの徐々に高まりつつあったジェネシス人気の
流れにおける上で満を持してのソロデビューという効果があったのは否めませんが、やはり本曲の
特にサウンド面における先進性がアンテナの鋭い層へ訴えかけたのだと思います。
サウンド、言い替えると音色面という事ではピーター・ガブリエル回でも言及したドラムにおける
ゲートリバーブについて触れる事が必須ですけれども、今回もだいぶ長くなってしまったので
その点については次回以降で折に触れ述べてみたいと思います。

今回の最後は「夜の囁き」におけるエンディング曲である「Tomorrow Never Knows」。
言うまでもなくビートルズナンバーですが、あまりにも多くの要素が詰め込まれています。
実はフィルは幼少期に子役として活動しており、映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』
にエキストラ出演しています(ほんのちょっと映っている程度らしいですが)。
フィルのドラミングには間違いなくリンゴ・スターのエッセンスが反映されています(それは本曲のみならず
全てにおけるドラミングにて)。「Tomorrow Never Knows」ではイントロにおいて無機質な
リズムマシンでフェイドインしてきたかと思えば、いきなりエコーの効いたハイピッチなドラム
(特にタムタム)が始まります。勿論原曲におけるリンゴのプレイ・音色を尊重しての事でしょう。
テクニックという点では大変失礼ながらフィルの方がリンゴよりも圧倒的に勝っていますが、
そのフレーズのセンスや先進的なアイデアという点において、二人には近いものを感じるのです。

続きはまた次回にて。

#161 Peter Gabriel

https://youtu.be/5N5HSDvaZcI
86年のアルバム「So」にて大成功を収めたピーター・ガブリエルは、92年に「Us」を発表します。
上はオープニング曲である「Come Talk to Me」。パーカッションなどには相変わらずの
アフリカン・ラテンのテイストが感じられますが、本曲ではバグパイプなど欧州独自の楽器も
使われており、もはや多国籍を通り越して無国籍といった感じです。原点回帰であるのかも。

厳密には「So」と「Us」の間にはサントラである「Passion」(89年)と、ベスト盤の
「Shaking the Tree: Sixteen Golden Greats」(90年)がリリースされています。
「Passion」はマーティン・スコセッシ監督という映画オンチの私でもその名を聞いた事が
ある人による『最後の誘惑』という作品の為のもの。映画の内容も物議を醸しだしたそうですが、
「Passion」の方もかなり難解な音楽性です。それでも一度火が付いた人気というのは凄いもので、
その様な内容にも関わらず米でゴールドディスクを獲得しています。
ベスト盤の方は選曲に関して無難な内容であると個人的には思っています。そのせいか否かは
分かりませんがこれまた大ヒットし、米でのダブルプラチナ(200万枚以上)をはじめとして
各国でプラチナ・ゴールドに認定されました。
上の動画は94年のライヴアルバム「Secret World Live」における「Digging in the Dirt」
(アルバム「Us」より)です。ジェネシス時代からその独創的なステージアクトによりコンサートにおいて
カルトな人気を誇っていたピーターでしたが、それはやはり大多数による支持ではありませんでした。
本作においてようやく永い年月をかけてピーターのパフォーマンスが世に認められました。
ジェネシス時代やソロ初期におけるシュールなメイク・コスチュームなどは影を潜めましたが、
その精神は間違いなく本作でも息づいています。百聞は一見に如かずなので上の動画はもとより、
全ての映像がユーチューブで上がっていますので興味のある方は是非。
本作はレコード・CDとしても米でゴールドに認定されていますが、映像パッケージ(VHS・LD・
DVD等)で98年にゴールド、06年にはプラチナを獲得しています。私は音楽の映像モノというのには
あまり詳しくないのですが、プラチナに認定される作品というのは決して多くないようです。
マイケル・ジャクソンやマドンナといった人達なら普通にそれくらい売っているのでしょうが、
ピーターのライヴ映像がここまで世に受け入れられるというのは永年のファンとしては感慨深いものです。
本作からもう一曲。4thアルバムに収録されている「San Jacinto」。アルバムには未収録です。

夢は必ず叶うとか努力はきっと報われるといった無責任な物言いを私は全く信じていません。
そしてピーターもこれだけの才能に恵まれながら世間に認められないまま終わっていたとしても
おかしくなかった一人であるという事は前回も書きました。またジェネシス初期やソロ活動の
当初におけるあまりにも独創的な音楽性やステージアクトが、決して理解されなくても構わないという
自己満足的なものではなく、むしろ自分の創造精神を理解して欲しいが為に行った故の事であるという事も
これまで述べてきました(子供時代における彼独自の ” サービス精神 ” など)。
キワモノ的扱いを受けてきたピーターは、ジェネシスでのデビューから86年の「So」における
世界的成功まで15年以上に渡って栄華とは無縁の存在でした。それが「So」以降は独創的ミュージシャン、
ワンアンドオンリーの創造者という180度変わった評価を受ける事となります、世間は勝手ですね …
ありきたりな言い方になりますがこの成功は決して信念を曲げなかったからでしょう。多少のポップ化、
悪く言えば世間への迎合はありましたが(それでも「スレッジハンマー」の ” あのPV ” ですが …)、
世間を・時代を自分の方へ引き寄せた稀有なミュージシャンです。

ピーター・ガブリエルは勿論の事、ジェネシスも三人で一応存続しています。あと#158でうっかり
書き忘れたのですが、86年におけるピーターとジェネシスによる同時期の大ヒットの陰で
忘れ去られがちですが、ジェネシスの元ギタリスト スティーヴ・ハケットもこれまたプログレ界の
スーパーギタリスト スティーヴ・ハウと共に結成したバンド「GTR」(アルバムタイトルも同)が
これまた同年にアルバム・シングルともにTOP20入りするという、まさしくこの年は
” ジェネシス年 ” だった訳です。ハケットも現役で活動しています。
上でジェネシスが  ”一応 ” 存続と書きましたが、洋楽通ならご存じでしょうけれどもフィル・コリンズが
かなり前から心身ともにあまり良い状態ではなくなっています。脊髄をおかしくし、そのせいで手が
思うように動かずミュージシャンとしては致命的な身体の状態となってしまいます。
また80年代は世界一忙しい男との異名を取った程ワーカホリックな人でしたが、その反動や病気が
影響したのか老年性の鬱病を発症してしまいます。これまで何度も引退とカムバックを繰り返して宣言し、
口の悪い輩からはビリー・ジョエルと共に引退するする詐欺などと失礼な言われ方をされてきました。

以上でピーター・ガブリエル特集は終わりです。9回にも渡ってしまいましたが、思い入れのある
ミュージシャンなのでこれでも書き足りない程です。出来るだけ客観的に綴ったつもりですが、
ピーター・ガブリエルをよく知らない方々にはどう映ったでしょうか?
本ブログにて多少でも興味を持って頂ければ幸いです。