#120 Songs in the Key of Life

ロック・ポップスの分野において、二枚組の大作と呼ばれるものがあります。
ビートルズ「ホワイト・アルバム」、フー「トミー」、ピンク・フロイドの「ウォール」などが
それです。私は鼻血が出る程のフロイドマニアではありますが、その私を以てしても「ウォール」は
”長いな … ” と冗長さを感じる事がありますし、「ホワイト・アルバム」にしても同様です。
しかしながら、ある二つの作品は二枚組でありながら全くそれを感じさせる事なく、一部の隙も
無いほどの完成度を誇っています。それはエルトン・ジョン「Goodbye Yellow Brick Road」
(73年)と、今回から取り上げるスティーヴィー・ワンダー「Songs in the Key of Life
(キー・オブ・ライフ)」(76年)です。

スティーヴィーの代表作にして一千万枚以上のビッグセールスを記録した本作は、ポップミュージックに
おける金字塔としてあらゆる所で語られ、また研究し尽くされています。であるので、通り一辺倒の
うわべだけをなぞる様な取り上げ方をしても意味が無いと思われるので、自分なりの
「キー・オブ・ライフ」論を書いていきたいと思います(もとい …『論』などと大仰なものでは
ありません、ただの本作にまつわる四方山話です)。貴様の考えなど読みたくないわ! ( ゚д゚)、ペッ
という方、お忙しいお人などはちゃっちゃと読み飛ばして頂いて結構です。なおその様な趣旨ゆえに、
No.1ヒットである「愛するデューク」「回想」や、「可愛いアイシャ」などの超有名曲は取り上げません。
どちらかと言えば本作でもあまり陽の目を見ていない楽曲や、一般的なレコード評では書かれていない
事柄について述べていきたいと思います。
上はオープニングナンバー「Love’s in Need of Love Today(ある愛の伝説)」。スティーヴィーの
多重録音による印象的なコーラスから始まる本曲は、厳かさを感じさせながら、決して堅苦しくない
ソフトな曲調です。大作の一曲目としてはインパクトが薄いのではないか?と思う向きもあるかも
しれませんが、身も蓋も無い言い方をしてしまうと、本作はコンセプトアルバムの様な体を成しておらず、
スティーヴィー自身もそんな意図もなかった様であり、その時点における彼の優れた作品集といった
アルバムです(それがこんな大傑作になってしまうのですからこの時期のスティーヴィーがいかに
凄かったか、という事です)。曲の途中からはお得意の唱法、フェイクやシャウトが入り始め、
結局はスティーヴィーの歌以外の何物でも無い、といった仕上がりになっています。

「Village Ghetto Land」はストリングスをバックにスティーヴィーの独唱による楽曲、と思いきや、
これ実はシンセなのだそうです。本作からお目見えしたYAMAHA GX-1は当時一千万円以上した
もので全く売れなかったとの事。しかし本器が彼の創造に多大な貢献をした事は間違いない様です。
TONTOシンセとそのスタッフであるマゴーレフ&セシルが本作に関わる事はありませんでした。
これはスティーヴィーの意向というより周囲の思惑であったとか。厳かな楽曲ではありますが、
歌詞はかなり悲惨で、貧困層について歌ったもの。狙ったものなのでしょうが曲調との対比が印象的です。

マイケル・センベロのギターをフィーチャーした4曲目のインストゥルメンタル「Contusion」も
素晴らしいのですがここでは割愛。B面の2曲目「Knocks Me Off My Feet(孤独という名の恋人)」は
地味ではありますが心に染み入る曲。個人的には本作でもかなり好きな方の楽曲なのですが、他の有名曲の
陰に隠れてしまっている感があります。尚コーラスから演奏まで全てスティーヴィーによるもの。

「孤独という名の恋人」の様なシンプルに愛を歌った曲があれば、上の「Pastime Paradise
(楽園の彼方へ)」は哲学・宗教的であり、享楽的で他人任せな人間を戒める内容。先述の通り、
音楽的にも、歌詞の面においても本作は ”ごった煮” の様なものです。ただしそれが、恐ろしい程に美味な
”ごった煮” であったからこそ時代を超えて名盤とされているのです。

「孤独という名の恋人」と同様に本作ではあまり陽が当たらない楽曲ですが、私はともすれば
本作のベストトラックではないかと思っているのが「Summer Soft」。題名通り柔らかな
印象の始まり方ですが、サビ( ” And She(He)’s Gone ” ~のパート)からの盛り上がりが見事。
本曲は2回目のサビにおけるエンディングにて半音転調し、その後それを繰り返していくという
”どこまで行くんだ~《 ゚Д゚》” というテンション感が肝になっています。35年程本曲を聴いてきましたが、
今回初めて気が付いた事がありました。転調は2回目サビ終わりからと思い込んでいたのですが、
ギターを手に取って実際弾いてみると、2回目サビ頭で違和感が? 実は2回目サビ頭の時点で
(2:17辺り)半音上がっているんですね。その後4回転調を繰り返し、整理すると1回目サビがBm、
2回目サビ頭でCm、そこからC#m、Dm、E♭m、そして最後はEmまで上がります。
何気なく聴いていただけではわからない事がまだまだあるものです(でも音楽はあまり難しく考えずに
何となく聴くものだと思っていますけどね、私は)。オルガンが効果的に使われていますが、
これはサポートミュージシャンによるもの、スティーヴィーは生ピアノをプレイしています。
エンディングのオルガンソロはもうちょっと長く聴いてみたかった、と個人的には思っています。

冒頭で本作を二枚組と紹介しましたが、私以上(49歳)の年代ならおわかりでしょうけれども、
アナログレコードではLP二枚+EP一枚というパッケージでした(CDでは二枚に収録)。
二枚では収まり切らなかったんでしょうけど、それは彼の溢れ出る創作が如何に凄かったかの表れでしょう。
そのEP盤におけるA面2曲目「Ebony Eyes」。宗教的厳かさを感じさせる曲、スリリングな
16ビート、これまでのポップミュージックにはカテゴライズされない斬新な楽曲と、
様々なスタイルが詰め込まれている本作ですが、この曲の様に飄々とした、どこかコミカルでさえある
ナンバーもあります(でもそれさえも素晴らしいのですけれどね)。本作が万人に愛されている所以は、
「エボニー・アイズ」の様な肩肘張らずに聴く事が出来る楽曲も存在している事ではないのでしょうか。

以上で丁度半分を紹介しましたが、当然これ程の大作を一回で書き切れるとは思っていません。
ですので次へ続きます。次回は「キー・オブ・ライフ」その2です。

#119 Fulfillingness’ First Finale

73年8月6日、スティーヴィーを乗せた車がトラックを追い抜いた際、接触により積み荷の木材が
崩れ落ち、それがスティーヴィーを直撃し一時は生と死の境をさまよいました。
前回の最後にて触れた交通事故の概要は上の様なものですが、驚異的な回復を遂げ、一か月半後に
エルトン・ジョンのコンサートへ登場したのも既述の通りです。
しかし本来予定していた「インナーヴィジョンズ」のプロモーションは当然出来ませんでした。
ところがこのアクシデントがメディアにおいて報じられる事によって注目を浴び、結果的に
セールスを押し上げた面もあったとの事(そんな事は関係なく名盤であるのは言わずもがなですが)。

一度死に直面した人が、その後の思想・人生観などを変えてしまうという事はよく耳にします。
率直に言って音楽面においては、その事故前後によってスティーヴィーの作品が極端に変わったとは
思いませんが、音楽面以外では影響が出ている様です。
74年6月リリースの「Fulfillingness’ First Finale(ファースト・フィナーレ)」。タイトルや
それまでの彼の歩みを網羅した様なアルバムジャケットからして、スティーヴィーがそのキャリアに
一区切り付けようとした事は明らかです。命は有限であるという、当たり前の事なのですが、普段は
忘れてしまいがちな事実を再確認したのでしょうか。
かと言って、本作が生と死、あるいは思想・宗教観などに向き合った様な重厚な作品、などと言う事は
全くなく、むしろ三部作中では最も聴きやすい仕上がりになっていると私は思います。
上はオープニングナンバー「Smile Please」。本作から参加しているマイケル・センベロのギターが
印象的なイントロです。私の世代だとセンベロと言えば映画『フラッシュ・ダンス』のサントラに
収録されたNo.1シングル「マニアック」(83年)がすぐに思い浮かびますが、元は非常に優れた
セッション・ギタリストです。次作「キー・オブ・ライフ」においても多大な貢献をする事となります。

「Too Shy to Say」は「You and I 」からの流れをくむ様なバラード。ただし「You and I 」と
異なるのはシンセを使わずスティール(スライド)ギターを採用した事。この当時のシンセでも
似たような音色は作れたかとは思いますが、やはり細部においてはスライド(厳密に言えば
このプレイはペダルスティールによるもの。ハワイアンでお馴染みのやつ)特有のフレーズを
聴く事が出来ます。多分シンセで演ってはみたものの満足がいかなかったのではないでしょうか。

「Boogie On Reggae Woman」はシンセベースがとにかく印象的な曲。ベースの奇抜さと
ハーモニカソロ以外は割と飄々かつ淡々と演奏している様に
聴こえますが、歌詞はかなり性的なもの。
どんな歌詞かって?……… ここでは言えません・・・♡♡♡(´∀` )♡♡♡

ラテンフィールの「Bird of Beauty」。クイカというパーカッションによる独特のサウンドから
始まるサンバとクロスオーヴァーファンクの混合とも言えるナンバー。70年代クロスオーヴァーの
香り漂う、この時期のマイルス・デイヴィスやハービー・ハンコックにも通じるリズム・サウンドです。

本作は「フィンガーティップス」と同時発売のライヴ盤(63年)以来となる、ポップスチャートでの
1位を記録しました。先述の通り生死を彷徨った直後ではありながら、決して死生観・宗教などの
重苦しいテーマ・雰囲気を漂わせるような事無く、ポップミュージックとして完成しているのが
功を奏したのも一因ではないかと私は思っています。

その中にあって唯一の例外が上の「They Won’t Go When I Go(聖なる男)」。厳粛な雰囲気に
満ちた本曲は、直接的な表現こそ無いものの、天国や地獄といった来世について歌っている様です。
ここでもシンセの使い方が実に巧妙で、それ無しでは本曲は成立しなかったと思われます。

エンディングナンバー「Please Don’t Go」。最後を飾るに相応しいまさしく大円団といった
雰囲気の楽曲。途中からゴスペル風になる本曲は、前曲の「聖なる男」が静的なゴスペル調の曲で
あったのに対して、本曲は動的なゴスペルで締めくくる、まさに ”ファースト・フィナーレ”
といったエンディングの迎え方です。

所謂 ”三部作” は本作にて完結し(スティーヴィーが ”三部作” などと考えて創っていたかどうかは
わかりませんが)、いよいよ「キー・オブ・ライフ」の制作へと向かう訳ですが、その辺りはまた次回にて。

#118 Innervisions

あまりに周知の事実と思って今まで触れてきませんでしたが、スティーヴィー・ワンダーは
盲目です。未熟児として生まれ、保育器における酸素の過剰摂取により視力を失ったそうです。
「トーキング・ブック」に次ぐアルバム「Innervisions」(73年)。”内なる眼・視界” の様な
意味になるのでしょうか、本作はスティーヴィーだけに見える世界を歌ったものなのかも。

スティーヴィーの代表作にて最高傑作は「キー・オブ・ライフ」(76年)とされるのが
一般的ですが、本作「インナーヴィジョンズ」こそ最高傑作とするファンが決して少なくなく、
それがうなずける程に音楽的に優れた、密度の濃い(ともすれば息苦しささえおぼえるほどの)
傑作アルバムです。
オープニングナンバー「Too High」。冒頭からのテンション感に ”まともな曲じゃないな”
(誉め言葉ですよ)と思わせる楽曲。クロスオーヴァーとファンクが見事に融合した本曲は、
印象的なシンセベース及び電気ピアノ、ヴォーカルにかけられたエフェクト、コーラスなどが
妖しげな雰囲気を漂わせています。タイトルや曲の雰囲気からしてドラッグについて歌っているのかな?
と推察される所ですが、確かにドラッグに関する歌詞でも、内容はそれを戒めるものです。
”ピ〇〇ル〇き” みたいになっちゃダメだぞ!☆(ゝω・)v  ・・・・ やかましい!(._+ )☆\(ー.ーメ)

「Living for the City(汚れた街)」は歌唱の素晴らしさについてよく賛辞を贈られる楽曲。
ストーリー仕立ての歌詞であり、状況によって歌い方を使い分けているので、ちょっとした
ドラマを観ているよう(中間部には劇のような場面がありますし)。エンディングが次曲に
繋がっているので、本曲だけで聴くとブツッと切れてしまうのが難点です。

レッド・ホット・チリ・ペッパーズによるカヴァーでもよく知られる「Higher Ground」。
「迷信」や「愛するデューク」もそうですが、どうしたらこの様なうねり・粘りといった
グルーヴが生まれるのでしょうか?当然ドラムはスティーヴィー自身。ドラムが本職ではないので、
そのプレイには勿論粗い部分もあるのですが、このドラミングはスティーヴィーにしか
出来ないものだと私は思っています。

前回、「You and I 」を含めて私なりの ”スティーヴィー三大バラード” が あると述べました。
「All in Love Is Fair(恋)」はそれには含まれていませんが、それらに勝るとも劣らない
傑作バラードです。その三曲とはカラーが異なるので別枠としているだけです。
本曲は最初の妻 シリータ・ライトとの別れについて歌った曲だと言われています。実際における
二人の結婚生活がそれほど綺麗事であったかどうかは『?』が付く所であるのは前回述べた所ですが、
少なくとも本曲においては狂おしいほど切ない想いが朗々と、かつ劇的に歌われています。
スティーヴィーによる名唱の一つ、と言って間違いないでしょう。

個人的には本作のベストトラックである「Golden Lady 」。シンコペーションが際立つ
リズム(特に左チャンネルのハイハット)、ムーグによるベースとシンセのフレーズはかなり
テクニカルで、ともすれば歌を邪魔しかねない程ですが、全くそれは感じさせません。
よくバンドなどでは先ずたたき台があって、スタジオでセッションを重ねていく内に、時には
最初描いていた形とは異なる着地点に落ち着く、という話をよく聞きます。しかし、おそらくこの頃の
スティーヴィーは完成形が頭にあって、それにどう近づけていくかという作業に没頭していたのだと
思います。各パートだけを個別に聴くと『いったい何が創りたいんだ?』と理解が困難なのですが、
しかし全てを合わせてみると見事にピースがはまるという訳です。60年代のブライアン・ウィルソンも
(特にペット・サウンズは)そうであったとの事。ちなみに「汚れた街」の次が本曲で、この二曲は
繋がっているので続けて聴くべきです、というより本作は丸々一枚通して聴くべきアルバムです。

「インナーヴィジョンズ」は勿論ラブソングもありますが、ドラッグ、理想社会、人種差別、
宗教、その歌詞だけでは理解できない抽象的・観念的なテーマなど、歌の内容においても変化を
遂げた作品と評価されています。これは人好き好きでしょうが、マーヴィン・ゲイの
「ホワッツ・ゴーイン・オン」等と同様に、ラブソングだけを歌っていれば良かった時代の
終焉を告げるものだったのではないでしょうか。

本作リリースのわずか三日後、交通事故によりスティーヴィーは一時意識不明の重体となります。
しかし驚異的とも言える回復を見せ(若干の後遺症は残りましたが)、9月末にはエルトン・ジョンの
コンサートへゲストとしてステージに昇りました。
この事故がその後の創作、大仰に言えば人生観へも影響を与えたらしく、スティーヴィーの作品は
また新たなる境地を示し始めますが、その辺はまた次回にて。

#117 Talking Book

ジェフ・ベックについてはこのブログの初期において取り上げましたが(#5~#7)、
とにかくこの人は子供の様な人なのだそうです。「迷信」をめぐるスティーヴィー・ワンダーと
ジェフの確執についてはよく知られた所ですが、かいつまんで言うと、「迷信」は「トーキング・ブック」においてプレイしてくれたお礼としてジェフのために書いた曲で、72年の夏頃にはジェフは既にバンドで
演奏しており、シングルとしてのリリースも考えていたそうです。ところがスティーヴィーの
前作「心の詩」がセールス的には(60年代と比較して)今一つだった事から、マネージメントサイドが
強引に第一弾シングルとして発売し、あろうことかそれがNo.1ヒットとなってしまい、
ジェフは『スティーヴィーの野郎!オレの為に書いたと言ってたくせに!!』と激怒したとか。
スティーヴィーも意に沿わぬ形でリリースされてしまったもので、ジェフに対しては申し訳ないと
謝辞を述べたと言われています。なのでそこまで怒ることもないとは思うのですが・・・
前回たまたま三大ギタリストという単語が出ましたが、残る二人、ジミー・ペイジはしたたかというか
狡猾というか、失礼を承知で言えば悪魔的な人物で、愛人二人がホテルで鉢合わせしてしまった際、
取っ組み合いのケンカを始めた彼女たちをニヤニヤしながら眺めていたとか・・・
エリック・クラプトンはとにかく神経の細い人で、すぐに酒とドラッグに逃げてしまい、また女性に
対してとにかくルーズであったとか・・・あれ!一人としてちゃんとした人間がいない!!∑(゚ロ゚〃)
今回の枕はこんなしょうもない話から・・・・・

全米No.1シングル「You Are the Sunshine of My Life(サンシャイン)」をオープニングナンバーと
するアルバム「Talking Book(トーキング・ブック)」(72年)。言わずと知れた大ヒット作であり、
スティーヴィーの黄金期は本作から始まったと、一般的には言われる作品です。
前作「心の詩」と同時期には既に録られていたとされる「サンシャイン」。バックヴォーカルを務めていた
男女のシンガーによるパートを一聴するととても心地よいポップな曲調ですが、スティーヴィーのパートに
入ると様子が変わってきます。動的なリズム・サウンドになり、快適さと躍動感が同居する如何とも
形容しがたい稀有なナンバーです。ちなみに自身でプロデュースするようになってからは殆どが自らの
シンセベースでしたが、本曲に限っては弦のベースです(セッションベーシストによる)。
決してシンセベースが悪いという訳ではありませんが、ボサノヴァ的なこの曲のグルーヴは、
やはりシンセでは不可能と判断したのかもしれません。

ジェフ・ベックとのいわくについては既述の「Superstition(迷信)」。「フィンガーティップス」
以来の全米1位を記録した本曲は今更説明不要なほどの代表曲ですが、このファンキーなグルーヴは
何百回聴いてもたまりません。

そのジェフの為に「迷信」を書くキッカケとなった曲が上の「Lookin’ for Another Pure Love」。
本曲ではジェフのみならずバジー・フェイトンもギターで参加しています。そのキャリアとしては
ラスカルズのリードギタリストとして有名なフェイトンは、前作「心の詩」に収録の
「スーパーウーマン」にて素晴らしいプレイを披露しています。間奏のソロはジェフだというのは
よく言われる事でそれは間違いないと思いますが、歌のパートから既に右・左チャンネルにて
それぞれギターが聴こえます。正直どちらがどちらかは判別が付きかねます(ギターソロは
センターに定位されていますので)。そのギターソロはジェフ節満開、といったプレイ。
”トュルルトュルルトュルルトュルル・・・”といったトリルの連続はジェフの十八番。
1:58~59にて ”Yeah!Jeff!!” とスティーヴィーの掛け声が聴こえます。そうすると
メインの歌とジェフのソロは一緒に録ったのかな?と推察も出来る所ですが真相は?・・・
「迷信」の件の埋め合わせとして「ブロウ・バイ・ブロウ」にて「哀しみの恋人達」と他一曲を、
ジェフの為に提供したのは結構知られた話です。

シリータ・ライトとは72年の春頃に離婚しています。「Tuesday Heartbreak」はシリータとの
別れについて書かれた曲だと言われています。離婚後もかなりの期間において、関係は続いて
いたとされる二人ですが(音楽面、また ”それ以外” においても)、本曲では女性が新しい恋人を
作ったからという一節がありますけれども事実は異なる様で、スティーヴィーも異性関係は
かなり派手だったそうなので、”どっちもどっち” というのが真相の様です。
また本曲ではデイヴィッド・サンボーンが参加しています。当時はまだそれほどビッグネームでは
なかったと思いますが、バジー・フェイトンと共にポール・バターフィールド・バンドに
在籍していた事があるので、そのつながりだったのかもしれません。その後ジャズ・フュージョン界を
代表するアルトサックス奏者となるサンボーンですが、意外にも出発点はブルースのバンドだったのです。
彼についてよく言われる ”泣きのサックス” というのは、その辺りに起因するのかもしれません。

スティーヴィーの独唱・独演による「You and I 」。前回、「心の詩」の「Seems So Long」にて、
バラードのスタイルが出来上がった、と述べましたが。本曲はそれの先ず最初の完成形にて大名曲。
ファンキーでグルーヴィーなチューン、爽やかなポップソング、スリリングなクロスオーヴァー的
16ビート、それまでのポップスの枠に当てはまらない斬新な楽曲、彼はどの様なスタイルでも
創りこなしてしまうソングライターですが、バラードというのが一つの重要な要素であるのは
間違いない所です。私は本曲を含めスティーヴィーの ”三大バラード” があると思っています
(後の二つはいずれ)。このようなメロディックな曲はシンプルにピアノだけで良く、シンセは
不要なのではと普通は思ってしまいますが、これに関してはシンセが無ければ成立していなかったでしょう。
はじめに独唱といった通り、バックコーラスは無く、その代わりを担っているのがシンセであり、
所謂オブリガード、裏メロ的な使われ方です。これが人の声だったとしたならば、スティーヴィーの
エモーショナルな歌がスポイルされていたのでは、と私は思っています。本曲を音楽的に解説している
サイトが幾つかありますので、メロディ・コードの展開などを詳しく知りたい方はそちらを参照して下さい。本曲の素晴らしさについて衆目が一致する所はエンディング部のヴォーカルです。それまでの抑制が
効いた歌は、全てがこのパートへ帰結するためのものだと言えます。

全曲について述べたいところですが、きりがないのでこの辺で。

#116 Music of My Mind

スティーヴィー・ワンダーは50年5月生まれ、ですので70年5月に20歳になった訳です。
そして翌年の21歳をもってモータウンレコードとの契約期間終了を控えていました。
モータウンにはこの頃から内部で不協和音が響き始めていました。社長のベリー・ゴーディは
独断で会社をデトロイトからL.A. へ移しミュージシャン達から反感を買いました。また、
世の音楽は転換点を迎えており、アルバムを一つのトータルな作品とみなし、コマーシャリズムだけを
追及する音楽スタイルからの脱却を図り始めていましたが、ゴーディはあくまで3分弱のポップソング
こそが理想、という考え方でした。であるから当然曲に社会的・政治的メッセージ性を込める事にも
否定的で、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」にも決して良い顔をしませんでした。

スティーヴィーは既にマーヴィンやダイアナ・ロスと並んでモータウンのドル箱スターと
なっていましたので、勿論ゴーディも契約更改をさせようと目論んでいました。しかし、
スティーヴィーも当然ミュージシャンとしての自我(かなり強烈な)が芽生えており、
今までの様なモータウンのやり方には素直に従うつもりはなかったのです。二人の間で具体的に
どのようなやり取りがあったかはわかりませんので、その後の作品から推して知るべしですが、
プロデュースは自身で行う、共同作曲者も付けない等、少なくとも音楽的には好きに演らせてもらうと、
出来得る限り余計な干渉はしてくれるな、というものだったのでしょう。
という訳で二十歳になったスティーヴィーは70年の夏頃から次作の制作に取り掛かり、そうして
出来上がったのが71年4月リリースの「Where I’m Coming From(青春の軌跡)」です。
前回、71年という年が重要な意味を持つような言い方をしたのはこういう訳です。
上はオープニングナンバー「Look Around」。いきなりクラシック的雰囲気を漂わせる本曲を
一曲目に持ってくる所からして、作風の変化が一聴瞭然です。アルバム全体を通して、
これまでよりも内省的、悪く言えば地味で暗い作品です。チャートアクションだけを取れば
ポップス62位・R&B7位と、芳しくないものでした。唯一の例外はシングル
「If You Really Love Me」がポップス8位・R&B4位というヒットを記録した事。本曲は
”60年代モータウン的スティーヴィー” のカラーを残しつつ、良い意味で新しいスタイルと
巧く折り合いをつけた佳曲です。

地味で暗い、などと酷い言い方をしましたが、本作はその後のスティーヴィーにとって大変重要な
意味を持つアルバムです。上の「Never Dreamed You’d Leave in Summer」は、その後の
「You and I」や「Lately」といった、スティーヴィーならではの劇的なバラードの萌芽的楽曲です。

エンディング曲「Sunshine in Their Eyes」。アレンジに旧モータウン色を脱して切れていない感も
若干ありますが、7分に渡る本曲は、ソングライティング面における彼の新境地を見出す事が出来ます。
ちなみに70年9月にスティーヴィーはソングライターであったシリータ・ライトと結婚しています。
結婚生活自体は18ヶ月間と短いものでしたが、シリータは妹のイヴォンヌと共にスティーヴィーの
作品と深く関わる事となった人物であり、「青春の軌跡」は全て共作名義となっています。

70年代のスティーヴィーを語る上で欠かせないのがシンセサイザーです。彼はこの時期にその後の
音楽性に多大な影響を与えるものと出会います。TONTOシンセサイザー。私は電子キーボード類に
明るくないので、詳細に興味がある方は自身で調べてください。ムーグシンセサイザーを改良、
発展させた本器の音を聴いたスティーヴィーはすぐさま開発者達に会いに行ったそうです。
本器を使用し、また開発者達にもエンジニアとして加わってもらい新作が完成します。72年3月に
リリースされた「Music of My Mind(心の詩)」です。

76年の超大作にて代表作である「キー・オブ・ライフ」、そしてそれにつながるとされる
「トーキング・ブック」「インナーヴィジョンズ」「ファースト・フィナーレ」を俗に ”三部作”
と呼んだりしますが、実際は「心の詩」からつながっていると思います。もっとも三部作という
言い方を欧米でもするのかはわかりません。 ”三大ギタリスト” と同じく日本だけのものかも。
オープニング曲「Love Having You Around」。まさしくニューソウルと呼ぶに相応しい、
前作にてその片鱗を覗かせてはいましたが、それが見事に開花したナンバーです。
様々なアイデア、従来とは異なる手法が採用されています。音質は非常にクリアで、ステレオの
定位(左右の振分け)が実に巧妙、ヴァリエーションに富んだバッキングヴォーカル、その中でも
トーキングモジュレーター(管に声を通して音色を変化させる)が効果的に使われています。
エレクトリックピアノに関しては、本作からフェンダー社のローズピアノが使用されていると言われ、
それが前作より表情豊かなプレイを可能にしているようです。非常に計算されつくしたバッキング
トラックでありますが、それが要であるスティーヴィーの歌を邪魔する事は全くなく、全てが
渾然一体となって、このブラックフィーリング溢れるナンバーを盛り立てる事に成功しています。

シンセやエレピと並んで、スティーヴィーの音楽にとって重要なキーボードがクラビネットです。
「迷信」のイントロが良く知られる所ですが、上の「Happier Than the Morning Sun」も
クラビが印象的な曲。マルチで重ねたようにも聴こえますが、エフェクターのコーラスをかけたものと
言われています。ビートルズの「ヒア・カムズ・ザ・サン」に影響されたとかされないとか。

「Seems So Long」も新境地が垣間見える楽曲。フリーなコンテンポラリージャズのような
スタイルのバラードは、淡々と始まり、やがて劇的なエンディングを迎えるといったスティーヴィーの
バラードにおける一つの型が出来上がった初期の作品と言えます。パーカッション的なフリーな
ドラミングも素晴らしく、彼のセンス・グルーヴを堪能出来ます。

私が思う本作のベストトラックであり、黄金期の幕開けを象徴するナンバーが上の「Superwoman」。
異なる二曲をつなぎ合わせたこの8分に渡る大曲は、先の「Seems So Long」同様にTONTOシンセが
効果的に使用されています。楽曲、アレンジ、演奏、そして勿論スティーヴィーの歌といった全ての要素が
非常に高い次元で結び付き、更に高みへと昇華されている初期の名曲です。

「心の詩」はポップス21位・R&B6位と、前作よりはだいぶ良かったものの、次作「トーキング・ブック」
以降と比べるとチャートアクション的には決してヒットとは呼べないもので、それが現在においても
今一つ評価が低い原因かと思われますが、所謂スティーヴィーの黄金期は本作から始まったと
私は思っています。
また音楽的な面ではないのですが、21歳時の契約更新の際にはやり手弁護士を雇い、スティーヴィー本人は
創作に専念出来たというのも、この時期に急激な(異常とも言える)音楽的飛躍を遂げた遠因に
なっていると言う人もいます。

かくして黄金期へのお膳立ては揃った訳ですが、今回はここまで。
次回は当然「トーキング・ブック」についてです。

#115 My Cherie Amour

前回の最後の方にて触れたスティーヴィー・ワンダー。年初からブラックミュージック特集を
続けていますが( 誰もおぼえてませんよね!(*゚▽゚) )、本当は特集のトリを飾る人に
しようと思っていました。ですが、ちょうどスティーヴィーの名前が出てきた所で取り上げて
しまおうと思います。人間いつどうなるか先はわからないので、例えば無実の罪で投獄されたり
∥||Φ(|’Д`|)Φ||∥、突如来襲してきた宇宙人にさらわれてしまったり ~👽👽👽Φ(‘Д`)Φ👽👽👽~、
朝目が覚めると一度も来た事がないダンジョンの最深部に取り残されていたり /~~\(‘Д`)/~~\、
かように、人生は何があるかわかりませんので書けるうちに書いておきます・・・ネーヨ (´∀` )

https://youtu.be/Xhmq8JuPfJA
ポップミュージック史上、最も才能を持ったミュージシャンだと私は思っています。
その音楽的才能においてはジョン・レノン、ポール・マッカートニーをも凌ぐ存在です。
数多くのヒット作を放ち、今更説明不要な程・・・と思ったのですが … 。これだけのビッグネームで
ありながらその全キャリアにおいて、特に60年代における彼の音楽性及びその背景については
意外と語られていないのでは。それは彼の黄金期が70年代前半から80年代初頭にあるので、
致し方ありません。かく言う私もその時代こそが彼の真骨頂だと思っている一人です。
しかし60年代の活動に触れずしてその後の音楽性を語ることも片手落ちであるので、出来るだけ
簡潔に60年代をまとめていきます。機会があればこの時代についてはいずれまた触れます。
上は63年の全米No.1ヒット「Fingertips」。レコードではA面がパート1、B面がパート2と
分かれています。そして同日発売のライヴ盤も同じく全米1位。レコーディング時は12歳であった
少年のプレイがNo.1となった、これは快挙としか言いようがありません。
スティーヴィーを語る上で、モータウンレコードの創設者 ベリー・ゴーディに触れない事は
不可能ですが、彼のプロフィールはどうぞウィキ等で。
きっかけはスティーヴィーの少年期における音楽的相棒の親族に、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズの
メンバーがいた事。凄い子供がいるといってモータウンのスタジオで、ゴーディの前にてお披露目が
行われました(ダイアナ・ロスもその場にいたらしい)。ゴーディは最初、その歌声よりも器楽演奏の腕前に目を付けたそうです。ピアノ・ハーモニカ・ドラム・パーカッションを巧みにこなすその天賦の才に将来性を感じたとの事。意外にも歌声にはそれほど魅かれなかったらしいです。それは致し方なかったかも
しれません。声変わり前の少年なので、今後その歌声がどの様になっていくかは未知数であったのですから。もっともその心配は全く的外れなものとなりましたが。
「Fingertips」及びアルバムの中にはその後の、具体的に言えば60年代後半からの
スティーヴィーの才能の片りんを見出す事は難しいです。ミュージシャンによっては10代でデビューし、
その時点で既に音楽が完成されているという人もいますが、スティーヴィーは決してそうでは
ありませんでした(12歳ですからね)。当時における彼の才能は、むしろ聴衆を盛り上げる
ステージパフォーマンス、テンションの高さに顕著で、ゴーディ達もその天性の素質に注目していました。
この頃のステージでは、興奮し過ぎたスティーヴィーが持ち時間が終わってもステージを降りないので、
大人たちが抱えて引きずりおろすという事もあったそうです。
しかし、その後二年半の間は「Fingertips」の様なヒットには恵まれませんでした。スティーヴィーの
音楽的才能が開花し切っておらず、またモータウン側もどのように彼を扱えば、売り出していけば
良いのか試行錯誤が続いていたようです。

潮目が変わったのは65年暮れ、上の「Uptight (Everything’s Alright)」が「Fingertips」以来の
大ヒットとなります(ポップスチャート3位・R&B1位)。絵に描いた様な快活なソウルナンバーである
本曲は、ローリング・ストーンズの「サティスファクション」にインスパイアされた曲。アメリカの
ソウル・R&Bに心酔したロンドンの若者たちによる楽曲が本場の黒人少年に影響を与える、
このあたりは誠に興味深いものがあります。

https://youtu.be/C6ZSpuTwy7c
ここから60年代におけるスティーヴィーの快進撃が幕を開けます。70年までにポップスチャートにて、
「アップタイト」を含め10曲のTOP10ヒットを世に送り出す事となりました(60年代って
言っているのになんで70年を含めるの?というのには理由があります、それは次回にて)。
全てがオリジナルという訳ではありませんが、彼のソングライティング能力が萌芽した時期と言えます
(ただしこの時期は全て共同作曲者が付いていました)。そしてゴーディが懸念していた
声変わりという点においても全く問題なく、シンガーとして更なる飛躍を遂げたのです。
上の二つはこの時期において、自作曲でなおかつその歌唱が素晴らしいと私が独断で選んだもの。
「I Was Made to Love Her」(67年、ポップス2位・R&B1位)はチャカ・カーンも
カヴァーしたのは以前取り上げた通り(#105ご参照)。「I’m Wondering」(67年、ポップス12位・R&B4位)はアルバム未収録曲ですが歌声が見事で、「I Was Made・・・」同様にその後の
ヴォーカルスタイルが確立されたものの一つではないかと思っています。

今回のテーマである「My Cherie Amour」(69年、ポップス4位・R&B4位)。本曲はビートルズの
「ミッシェル」に影響を受けて創られた曲、なので仏語の ”Amour” が冠せられたという訳。
ビートルズ、とりわけポール・マッカートニーとは縁が深く、82年の「エボニー・アンド・アイボリー」は
あまりにも有名ですが、二人は60年代半ばには既に会っていたとの事。曲は16歳(66年)の時に既に
書き上げていたらしく(「ミッシェル」の発売直後)、恋人との別れが元になっています。67年中には
ヴォーカル以外のパートが録音され、翌68年1月には歌が録られたそうですが、モータウン側が歌に
問題があるとして一年後の69年1月まで取り直し、ようやくリリースにこぎつけたそうです。67年頃
(17歳)には、その歌唱スタイルはほぼ完成されていたと思うのですが、何が問題であったのかは謎です。
メロディメイカーとしての才能が開花されたこの名曲は、はじめは「I Don’t Know Why」という曲の
B面でした。本曲はモータウンらしくない ”硬派” な曲で、玄人には評価が高いのですが(ストーンズが
後にカヴァー)、一般ウケはしそうにないのですぐに「マイ・シェリー・アモール」をA面として
再発されました。人によっては売れ線、アレンジが古臭いと揶揄する人もいるようですが、そのメロディの
素晴らしさは文句の付けようがなく、スティーヴィーによる傑作の一つと位置づけて良いでしょう。

この他にも、ボブ・ディランのカヴァー「Blowin’ in the Wind(風に吹かれて)」(66年、
ポップス9位・R&B1位)はスティーヴィーが社会的メッセージ、政治観を歌詞へ反映させる契機と
なった作品ですし、バート・バカラックの名作「Alfie」(68年、ポップス66位)はハーモニカによる
インストゥルメンタルであり、イージーリスニング的と敬遠するファンもいますが、そのハーププレイは
素晴らしいもので、一概に否定は出来ない楽曲と私は思っています。
この様に、色々な切り口からスティーヴィーを取り上げると、60年代だけでもまだまだ書き尽くせない
のですが、きりがないのでその辺りは機会があればいずれまた。
次回は71年からのスティーヴィーについてです。

#114 Kiss

アヴェレージ・ホワイト・バンドとタワー・オブ・パワーを続けて取り上げてきましたが、
彼らの音楽において基礎的部分を担っているのがファンクミュージックである事は
間違いありません。ファンクと言えば、ジェイムズ・ブラウンやスライ&ザ・ファミリー・ストーンが
真っ先に思い浮かぶ方が多いのではないかと思われますが、私にとってはこの曲です。

プリンスによる86年のNo.1ヒット「Kiss」。プリンスは昨年のはじめに80年代特集の皮切りとして
取り上げましたが(#49~#51ご参照)、これ程までに才能の塊の様な天才的ミュージシャンは
何度触れても触れ足りないほどですので再度取り上げます。
本曲が収録されているアルバム「Parade」及びその時期のプリンスの音楽性については、#51で
多少なりとも既述ですので重複は避けますが、ファンク・ロック・ポップスといった枠には収まり切らなく
なっていった、転換点とでも呼ぶべき作品です。

#51でも書いたことですが、これは86年時点におけるプリンスなりのアメリカンミュージック集大成的作品
ではないかと私は思っています。「Kiss」はその中の一音楽、端的に言うとジェイムズ・ブラウンを

米音楽における重要な構成要素として織り込んだ楽曲です。
前回までのデヴィッド・ガリバルディも少年期にジェイムズのステージを観て、その後のミュージシャン
人生に多大な影響を及ぼされた人である事は述べましたが、プリンスも同様です。というよりも、
60年代以降、ジェイムズに直接、或いは間接的に影響を受けなかったミュージシャンは、ビートルズに
おけるそれと同様に、存在しないのではないでしょうか。

「Kiss」は上のジェイムズによる大ヒットナンバー「Papa’s Got A Brand New Bag
(パパのニュー・バッグ)」を良く言えばリスペクト、悪く言えば模倣した楽曲です。実はこの曲、
元はプリンスファミリーの為に書かれた楽曲であり、当初は全く違うアレンジであり、
しかもエンジニアであった人物がある程度仕上げた段階のものを、プリンスが一方的に手を加え
(この段階で「パパのニュー・バッグ」的なギターカッティングを加えるなどしてジェイムズのように
仕上げ直したらしい)、しかも『やはりこれは自分の曲にする』と言い放ったそうです。
工エエェェ(´゚д゚`)ェェエエ工 周囲の人間はたまったもんじゃないでしょう …………
しかし天才とはそういうものなのです。個人的に付き合いたくはないですが、絶対に・・・
クロスオーヴァー(フュージョン)の16ビートと混同してしまいがちですが、ファンクのそれは
元来とてもシンプルなものです。「Kiss」はムダな音を極限まで排除した楽曲、とよく言われます。
確かにその通りで、本質だけを見事に切り取ったものでしょう。ジェイムズとプリンスの歌唱スタイルが
似ているとは決して言えませんが、プリンスはファンクが持つ、人間を根源的に踊り揺さぶらせる様な
ファンクビートのエッセンスを抽出し、この曲を創り上げました。そしてそのお手本となったのが
やはり彼をおいては他ならない、ジェイムズ・ブラウンその人だったのではないでしょうか。

前述の通り、黒いの白いの問わず、アメリカ音楽総まとめの様なアルバムであったので、ファンク・
R&Bなどに限らず様々な要素が盛り込まれています。上のオープニングナンバー「Christopher Tracy’s Parade」は、華やかな幕開けの様に始まったと思いきや、途中からおかしくなっていきます・・・
前作「Around the World in a Day」(85年)の流れを汲んで「サージェント・ペパーズ」的な
サイケデリックカラーを漂わせ、これが評論家達曰くヨーロッパ風になっていったと言わしめて
いるのでしょうが、私は「サージェント・ペパーズ」よりもブライアン・ウィルソンの「スマイル」を
イメージした創った様な気がします。
なので、本作は20世紀以降のアメリカ音楽、レナード・バーンスタイン、ジョージ・ガーシュウィン、
映画及びミュージカル音楽、デューク・エリントンなどのジャズ、勿論ファンク・R&R・ソウル、
その他諸々のポップミュージックがごった煮になっている状態です。その中で私がある意味
一番面白いと思うのが次のナンバー。

B面トップを飾るナンバー「Mountains」。フックのパートはプリンスらしいキモい(ホメ言葉です)
歌い方になるのですが、それより前は楽曲・歌共に誰かっぽくないですか? そうです、言うまでもなく
マイケル・ジャクソンです。同じ歳でよく比較され、CBSのマイケル、ワーナーのプリンスと対立軸に
されてしまった二人。マイケルファンには先に謝っときますが、音楽的才能はプリンスの圧勝だと思って
います、あくまで私見ですよ! ε=ε=ε=ε= (#゚Д゚)( °∀ °c彡)ヽ( ・∀・)ノ┌┛・・・
 (((((゚Å゚;)))))
本曲をマイケル&クインシー・ジョーンズへのからかいと見なす事も出来なくはないのですが、
人間性はともかく・・・プリンスという人は音楽に関しては真摯な人物であったらしいので、
やはりこの曲は80年代初頭からのマイケル&クインシー達によるダンサンブルファンクを
認めた上でのセレクションだったのではないかと思います。プリンス本人もデビュー当時は
ダンサンブルなファンクナンバーを得意としていましたし。

アメリカンポップミュージックにおいて、大変重要な意義を持つ音楽がまだあります。上の
「Anotherloverholenyohead」を聴いて『何かに似ている…』、と思われる洋楽ファンは
私だけでしょうか?その ”何か” は言わずと知れたスティーヴィー・ワンダー、更に言えば
スティーヴィーを含めたニューソウルと呼ばれるもの。マーヴィン・ゲイ、ダニー・ハサウェイ達と
共に70年代以降、新時代のソウルミュージックを切り開きました。
タイプは違いますが、米音楽界における天才であるこの二人は、お互いを尊敬し合っており、
互いのステージにゲスト、ともすれば飛び入りで出ることもあったとか。
16年にプリンスが急逝した際には、スティーヴィーはいち早く追悼のコメントを発表しました。

プリンスはこの後も素晴らしい、かつ問題作?とも言われる作品を発表し続けます。またワーナーとの
確執などもあり、そのミュージシャン人生は波乱に満ちたものでした。
また折に触れ、プリンスは取り上げて行きたいと思いますが、今回はこの辺で。

#113 David Garibaldi_3

デヴィッド・ガリバルディ特集の3回目、今回が最後です。
https://youtu.be/GkqXd2kQPjs
ガリバルディのグリップは映像を観る限りではマッチドグリップ(左右が同じ握り方)ですが、
本人の弁によると74年頃までにおいてはレギュラーグリップで、またフットペダルの
奏法についてもヒールダウン(踵を付けたまま足首の動きだけでペダルを踏む)を用いていたと
語っており、つまり昔ながらのジャズドラマー的スタイルでした。75年頃からマッチド、
そして足も踵を上げて足全体で踏み込むヒールアップを使用するようになったそうです。
細かいニュアンスはレギュラーグリップ、パワーを出したいならマッチドグリップが
向いているとよく言われます。確かに一般的にはそうであるとは思います。思いますが・・・
ガリバルディをはじめ、ジェフ・ポーカロ、ビル・ブラッフォード(#20~21)、そして神保彰さんなど
マッチドグリップの使い手を観ていると、とてもマッチドが細かいニュアンスを付けるのに
不向きなどとは思いません。逆にレギュラーはパワーが出ないからロックは出来ない、などと言う人は
スチュワート・コープランド(#94~95)
のプレイを観た方が良いでしょう。要はそのプレイヤー
次第なのです。上は教則ビデオ「タワー・オブ・グルーヴ」に収録の「Escape From Oakland」。
左手のプレイを視覚的に十分確認する事が出来ます。それにしても「Back to Oakland」に対して「Escape From Oakland」とは皮肉が効いています。もっとも本編では苦笑まじりに
『いや、オークランドはイイ所だけどね・・・』とフォローしていますが…

タワー・オブ・パワー時代のセッティングはスリンガーランドのセットで、ベースドラム20インチ、
タム12インチ、フロアタム14インチという小口径の所謂3点セット。スネアはラディックの
定番スティール(ステンレス)シェルで浅胴と深胴の二種類を使っていたとの事。「Back to Oakland」
制作時辺りから裏面ヘッドを外すようになったと述べており、打面側にテープでミュートをし、とにかく
タイトなサウンドを、目指したのはジェームス・ブラウン(のドラマー)だったと語っています。
上は73年、ソウルトレイン出演時の模様。あまり映りませんが、裏面ヘッドを外しグリップは
レギュラーグリップを用いているのが確認出来ます。ユーチューブで ”tower of power live” にて
検索するとこれ以外にも若干ですが70年代の映像が出てきます。30分超の画質音質共にこの時代と
しては良好な、やはり73年のライヴ映像も上がってますので興味がある人は。
80年代以降はヤマハドラムスのエンドーサーとなり、シンバルに関してはパイステ、比較的最近の
映像を観るとセイビアンを使用している様です。

タワー・オブ・パワーを離れてからはセッションワークをこなすようになります。上はその内の一つ。
ドゥービー・ブラザーズ トム・ジョンストンのソロ作「Everything You’ve Heard Is True」(79年)に収録されている「I Can Count On You」。タワー・オブ・パワーにおける様な手数の多いプレイでは
流石にありませんが、ツボを押さえた16ビートファンクグルーヴは彼ならではのもの。
しかしガリバルディはそのままセッションドラマーとして、例えば同じウェストコーストでも
ジェフ・ポーカロやハーヴィー・メイスンといったプレイヤーの様には多くのセッションワークを
残す事はありませんでした。本人曰く、『ポーカロ達の様なドラマーは ”unique vibe” ( ”独特の雰囲気”
みたいな意味かな?と私は思います)を持っていながら、それをOFFにする事も出来る。自分には
それが出来なかった』、と語っています。個性が強すぎるプレイスタイル故に、セッションドラマーと
しては大成出来なかった、また本人にもそこまでして仕事をこなそうという意識もなかったようです。

こうして90年代後半までは、地道なライブ活動や音楽学校での指導に就きます。教則ビデオの制作も
この時期です。そして98年、古巣タワー・オブ・パワーへ復帰します。これ以降の映像はユーチューブで
かなり上がっていますので容易に観ることが出来ます。
しかし、一昨年17年1月に信じられない様なニュースがありました。ガリバルディが列車にはねられた
というものでした。その後詳細が判り、路面電車との事故であったとのことで、バンドメンバーである
もう一人もはねられたそうです。ガリバルディは手術を受けるほどの怪我ではなかったそうですが、
もう一人は一時意識が無い状態だったそうです。インターネットでそのニュースを読んだ時は、
驚きましたが、どうやら演奏に支障が出るような怪我ではなかったようで、18年のライヴ動画を
幾つか確認すると、ちゃんとガリバルディが叩いています。ヨカッタ・・・(*´∀`*)
ベーシストのロッコ・プレスティアは10年代前半辺りから体調不良により、演奏に参加出来ない事が
多いそうです(ちなみに列車事故に遭ったのは代役のベーシスト)。再び二人による鉄壁のリズム
セクションを聴く事が出来るのを願って止みません。

最後にガリバルディとロッコがプレイしている映像を観ながら。98年に催された『Bass Day 1998』に
おける「Oakland Stroke」。ロッコのステージにガリバルディがゲスト参加した際のものです。
タワー・オブ・パワーのステージでは後ろに隠れてしまう二人ですが、この様にフィーチャーされた
映像は極レアです。こういうのを本当の音楽と言うのです。

#112 David Garibaldi_2

デヴィッド・ガリバルディのプレイにおける特徴としてよく挙げられる点として、パラディドルを
用いたリズムパターンと変則的なビートがあります。この二点は密接に結びついている、
というよりも、ある種不可分のものであるとも言えます。
パラディドルは変形の手順、右左を交互に叩くオルタネイトスティッキング(シングルストローク)
ではなく、シングルとダブルストロークを組み合わせたものと理解すれば良いかと思います。
代表的なものには右左右右左右左左などがあります。彼の教則ビデオ「Tower of Groove」でも、
序盤でこれをそのまま用いたリズムパターンを実演しています。右手ハイハット・左手スネアで
2・4拍のスネアにアクセントを付ける、口で言えば『チタチチチタタチタチチチタタ』という感じ。

 

 

 


私の英語力が拙いせいもあって、説明の内容は断言できませんが、彼が念を押して言っているのは
次の二つだと思われます。①アクセントとノーアクセントをはっきり叩き分ける②スネアとハイハットの
音色を近づける。
強弱の差をきちんと付ける、これは基本的な事です。大きい音はより大きく、小さい音はより小さく、
どの楽器においてもダイナミクスというものは大事なことです。次のスネアとハイハットの音色、
これはスネアにおけるチューニングと密接なつながりがあります。ここでのスネアはノーアクセントの
ショットを指すと思われますが、前回も触れたゴーストノート、主にスネアで叩かれるものですが、
ハイハットの『チッ』という音色に近いサウンドがこの場合は求められます。スティーヴ・ガッドも
同じことを言っており、比較的高いピッチの軽いスネアショットとハイハット(手で叩くのと
足で踏んで鳴らす場合の両方)の音色を出来るだけ近づけるようにしていると語っていた記憶があります。
この二つのサウンドはブレンドし易く、それがフュージョン・ファンクの16ビート、及び勿論ジャズの
4ビートにおいても、相似的な音色の連なりがグルーヴを生み出すとして必要とされているのでしょう。
これは全てがフルショットを必要とされるヘヴィメタル・ハードロックでは機能しないものです。例外的な
人もいますが、それらの音楽では『ズダーン』といったド迫力の重いスネアサウンドが求められます。
これはどちらが良い悪いではなく、音楽的ニーズから来る音色の差です。

もう一点である変則的なビート。やや乱暴に言ってしまえば2・4拍のスネアによるバックビートが
必ずしもないリズム、と言い替えても良いかと思います。1st・2ndアルバムでもその様なリズムは
若干ありましたが、大々的に取り入れられたのは三作目から。前々回取り上げた「Oakland Stroke」や、
上の「Soul Vaccination」にてそれは完成したと言えます。彼はこのアイデアをラテンミュージックの
ドラムから得たと語っています。ラテンも基本的には2・4拍にアクセントがあるアフタービートの
音楽ですが、ロックの様に強烈なものではなく、またそのリズムはシンコペーション、裏拍を強調した
ものであるため、流動的とも言えるビートです。所謂ロックは ”タテノリ” 、ジャズ・ラテンは
”ヨコノリ” と呼ばれるものです。
この変則的ビートは先述のパラディドルを用いる事でより緻密かつグルーヴ感溢れるものになります。
何よりガリバルディのプレイにおいて重要なのは、ただいたずらに複雑なリズムにしている訳では
無いという点です。所謂手クセ・足クセで演奏するのではなく、タワー・オブ・パワーにおいては
ホーンセクションのソリ(ホーン隊がユニゾンで吹くフレーズ)に合わせ、計算されたフレージングで
あるのです。よく聴くと、スネアのアクセントがホーンのソリと合わせていたり、また掛け合いの様に
なっていたりします。

タワー・オブ・パワーにおけるガリバルディのプレイを語る上で、欠かす事が出来ないのはベーシスト
フランシス・ロッコ・プレスティアの存在です。所謂チョッパー(スラップ)などの派手なテクニックは
使わず、基本的に指弾きで正確無比かつ怒涛の様な16ビートを敷き詰めるそのスタイルはある意味
圧倒的であり、同時代におけるスラップベース生みの親であるラリー・グラハムとは対照的です。
しかしベーシストからはグラハムと遜色ないほど、現在においても尊敬を受け続けているプレイヤーの
一人だと言わています。名盤「Back to Oakland」の制作時には、ガリバルディやロッコ達の
リズム隊はジャムセッションにかなりの時間を費やしたと語っており、「Oakland Stroke」などは
その過程から生まれたそうです。5thアルバム「Urban Renewal」に収録されている
上の「Only So Much Oil In The Ground」は、ロッコ、ガリバルディ、そしてホーン隊による
スピード感に溢れながら、
なおかつ一糸乱れぬ16ビートプレイが堪能出来る快演です。

13年の暮れに「Hipper Than Hip」というライヴ盤が発売されます。74年にラジオ番組用として
収録された音源が40年近くの時を経て作品となり日の目を見ました。ほぼ同時期に山下達郎さんと
ピーター・バラカンさんがラジオで取り上げ、バラカンさんは ”何故これが40年もお蔵入りに?” と、
達郎さんは ”本当の音楽っていうのはこういうのを言うんですよ…” と語っていました。
絶頂期のバンドを収めた見事過ぎるアルバムです。前々回も取り上げた名曲「Squib Cakes」も
演奏されていますが、『ライヴでこれかよ!!!』と叫んでしまう様なクオリティーの名演です、
いや、むしろライヴならではの名演、といった方が適切でしょうか。
ちなみに米におけるドラム&パーカッション専門誌 モダンドラマーにおいて、「Back to Oakland」は
ドラマーが聴くべき最も重要なアルバムの一つと認定されている事を付記しておきます。

ガリバルディは70年代後半からバンドと距離を取り始め、80年には完全に一度袂を分かちます。
理由はバンド内におけるドラッグの蔓延。これが彼には我慢出来なかったとの事です。
良い子のみんなはマネしちゃダメだぞ!☆(ゝω・)v  ・・・・・・ しねえよ!(._+ )☆\(ー.ーメ)
☆(ゝω・)v ダメだよ、真似しちゃ!〇エー〇た … やかましい!( °∀ °c彡))Д´)・・・・・
マネはダメヨ!☆(ゝω・)v 三〇〇子さんの次男 … いい加減にしろ!ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ;`Д´)ノ

デヴィッド・ガリバルディ特集はまだ続きます。

#111 David Garibaldi

デヴィッド・ガリバルディ。この名前を聞いてピンと来る人は、洋楽に通じている人でも
そう多くないのではないかと思います。
日本が世界に誇るドラマー 神保彰さん。圧倒的なテクニックと、エレクトリックドラムなどの
ツールを使って常に新しいプレイを追及し続ける神保さんが、昔ドラムマガジン誌上にて
影響を受けたドラマーは?と尋ねられ、その時に挙げたのがスティーヴ・ガッド、ハーヴィー・メイソン、
そしてデヴィッド・ガリバルディだった記憶があります。
70年代フュージョンシーンを担ったガッドとメイソンは、ドラムを演ってない音楽ファンでも
その名前くらいは聞いた事があるかもしれませんが、ガリバルディというと『誰?』、となるのでは
ないでしょうか。


 

46年、オークランド生まれ。10歳でドラムを始め、17歳からプロとして活動し始めましたが、
66年、つまり二十歳の時にベトナム戦争へ徴兵されます。空軍の軍楽隊に所属していたそうです。
除隊してから帰郷して70年7月にタワー・オブ・パワーへ加入します。9月から11月までレコーディングを
行い、そうして出来上がった1stアルバム「East Bay Grease」をその年のうちにリリースします。

前回既に述べた事ですので重複は避けますが、フィルモア・ウェスト/イーストの設立者 ビル・グレアムが立ち上げたばかりのレーベルから本作は発売されました。二作目以降のワーナーと比べれば録音環境は
劣っていたのでしょう。ドラムの音などは殆ど生音ですが、それが却ってガリバルディのプレイを
生々しく忠実に伝えてくれています。
オープニングナンバーである「Knock Yourself Out」。ガリバルディは17歳の時にサンノゼ公会堂で
ジェームス・ブラウンのステージを観て衝撃を受けたそうです。午後の早い時間に会場へ行くと
バンドがリハーサルを演っていて、間近でそれを観ることが出来たとの事(大らかな時代だったんですね)。
彼のファンクミュージックへの興味はこの辺りから湧いてきたようです。

ガリバルディのプレイにおける特徴であるスネアのゴーストノートや16分裏の強調はこの時点で既に
完成されています。ジェフ・ポーカロ回(#63~#66)でもゴーストノートについては触れましたが、
2・4拍で強く叩くスネアショットとは別に、ごく小さな音量でプレイされるスネアショットを
こう呼びます。このゴーストノートがある事によって独特なグルーヴ感が生まれ、特にファンクなどの
16ビートドラミングには欠かす事が出来ません。本作からもう一曲「The Price」。16分裏のリズムが、特にベースドラムによって強調されているナンバー。口で言えば『ッド・・・』という感じ。

二作目である「Bump City」は、前作にあった怒涛の様なファンク色はやや薄れています。ただし
良い意味で洗練され、音質も向上しています。大レコード会社ワーナーへの移籍に因るもので
あるのは言うまでもないでしょう。それに伴いガリバルディのプレイも、1stにあったようなゴリゴリの
16ビートドラミングは少し鳴りを潜めていますが、その本質は基本的に変わっていないものと私は
思っています。上はシャッフルビートの曲「Flash in the Pan」。シャッフルについては、これまた
ジェフ・ポーカロ回で述べていますが、『タッタタッタタッタタッタ・・・』と所謂 ”ハネる” リズム。
本曲では ”タッ” の裏拍に左手でハイハットやスネアを叩く事でよりオフビートを強調しています。
これは割と古いスタイルのブルース・R&Bのドラミングによくあったプレイスタイルですが、
ガリバルディがプレイすると古さなど微塵も感じさせず、彼のドラミングになってしまいます。
先達の技を踏襲しながら、その上で自身なりの新しいスタイルを築く、まさしく温故知新です。

https://youtu.be/ZbfU2ZYb3NI
私見ですが、インストゥルメンタルと ”歌もの” の演奏は別、との意見が散見されますけれども、
共感出来る部分も無くはないのですが、基本的に根っこは同じだと私は思っています。そして一流の
プレイヤーは例外なくどちらも巧い。上は初期におけるバラードの傑作「You’re Still A Young Man」。
歌ごころあふれるガリバルディのバッキングプレイが堪能できます。二代目ヴォーカリスト
リック・スティーブンスの名唱が見事。一昨年惜しくも他界してしまいました、合掌。

93年にVHSビデオで発売された「Tower of Groove」。ガリバルディ自身が自らのプレイに
ついて実演しながら解説し、バンドとのスタジオライヴを交えてその素晴らしいグルーヴを披露して
くれています。VOL1・2がありますが、DVDでは一枚にまとめられています。現在は
ユーチューブで観れてしまいます。上はその中の一曲「Lakeside Shuffle」。タイトルは
シャッフルですが、ただのシャッフルでは終わらぬ一筋縄ではない楽曲。四分の四のシャッフルと、
八分の六拍子のアフリカンビートが交錯する所謂ポリリズム。途中でジャズのスウィングの
パートもあり、ガリバルディとしては珍しい4ビートプレイを観ることが出来ます。
本編ではこの演奏の後に本曲のプレイについて解説していますので興味のある方は。もっとも
英語ですから何を言っているか私には断片的にしか判りませんが …
一点だけ気になったのは、4ビートのパートで、シンバルレガート(チーンチッチ・チーンチッチと
いったジャズの基本的なリズムをトップシンバルでプレイする事)の際に、裏拍にアクセントが
付いている箇所がかなりある事。口で言えば ”チーンチッ・チーンチッ・チッチーン・チーンチッ
の様な感じ。エルヴィン・ジョーンズなどもこういったレガートをよくしましたが、これは裏拍を
強調し、よりリズムをドライヴさせる効果があります。おそらくエルヴィンにしろガリバルディにしろ、
自然とそうなったのだと思いますが。

余談ですがその昔DCⅠビデオは非常に高価で、七・八千円から一万円以上しました。おいそれと手が
出るものではなかったです。その点日本の、リットーミュージックの教則ビデオなどは良心的で、
ものによっては三千円台で買えました。リットーミュージックさんお世話になりました。
えっ? (*゚▽゚) ナニ
のビデオでお世話になったって …( °∀ °c彡))Д´)( °∀ °c彡))Д´)( °∀ °c彡))Д´)

当然一回では書き切れないので次回以降へ続きます。一字一句を惜しんで少しでもガリバルディの
魅力をより多くの方たちへ伝えていく所存であります! (`・ω・´)キリッ ・・・・・・・・・・・・・・
だったら上みたいなくだらねえこと書いてんじゃねえよ!!!ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ;`Д´)ノ