#4 Abbey Road

意外と知られているか、いないか。発売順では「Let it be」が最後ですが、
録音された時点においては、本作「Abbey Road」が
実質的ラストアルバムだと言われていました、少なくとも80年代までは。
しかし90年代に入って、「Let it be」に本作後の音源が
含まれていることが判明し、何をもって実質的ラストアルバムか、というのが
ちょっとした議論になりました。しかし四人とプロデューサーG・マーティンが、
”一応”一丸となって、一つのアルバムに取り組んだという意味においては、
本作を実質的ラストとして良いと私は思っています。そして、
このバンドがエルヴィス・プレスリーと並んで、ポップミュージック界を
代表する存在として、いまだに神格化されているのも、
本作があったからこそではないか、と思うのです。
気持ちがバラバラになっていたメンバー達が、ポールの「もう一度」という
声かけに応じ、とても解散寸前のバンドとは思えない、この様な大傑作を
作ってしまった。もし、ホワイトアルバムの後、”ゲット・バック・セッション”が
頓挫し、「Let it be」がリリースされたにしろ、されなかったかにしろ、
いずれにしろ、そのまま尻切れトンボで終わっていたとしたら、
これほどの伝説的存在にはなっていなかったのではないでしょうか。

 

 

 


あくまで私見ですが、本作を大傑作たらしめているのは、B面途中からのメドレーに
よるもので、そしてそれは主にポールとG・マーティンの功績、と思っています。
” ちょっとまて、ジョンの曲も素晴らしいのは勿論、ジョージは「Something」と
「Here Comes the Sun」でソングライターとしての才能が開花した。そして、
リンゴのプレイは、グルーヴ、フレーズのセンス、そしてそのアイデアにおいて、
もはや円熟の域に達しているではないか。” といった意見が出るのはごもっとも。
異論は大いに認めます(…………でもお手柔らかに♫ (ゝω・)v …………)

ポールから「もう一枚レコードをプロデュースして欲しい」と声がかかった時、
ゲット・バック・セッションが悲惨な結果に終わり、ビートルズとして、
彼らから声がかかる事はないと思っていたマーティンは驚き、そして、
四人がまとまって制作に取り掛かり、そして”本当の意味で”
(バンド内のいざこざのツケが押し付けられるだけの役目ではなく、音楽的に)
プロデュースさせてくれるなら、との条件で引き受けたそうです。
多分初めは疑心暗鬼だったのではないかと思います。しかし、
制作が進むにつれ、「こいつは凄いのが出来上がるかも」という思いが
胸中に芽生えていった(勿論メンバー達にも)のではないでしょうか。
B面メドレーは、一つ一つの楽曲がそれ単体では完結しなかったことにより、
その結果としてあの様な形になった、と言われています。が、一部には、

いや、少なくともポールの楽曲に限っては、初めからその構想が
あったんじゃないか?と、これまたマニア達には議論の的です。
制作途中にジョンが交通事故で入院するといったアクシデントもあり、
私は前者の方が真相ではないかと思っていますが、
そのアクシデントまで含めて、全てが良い方に向かうように、
制作時には”風”のようなものが吹いていた気がしてなりません。
私は無神論者で、運命論など微塵にも信じない不信心者ですが、
音楽の神様か何か分からないが、”上の方にいる見えない何か”から、
「おまいらに最後もう一度傑作を作るチャンスをやるよ (゚Д゚)ノ⌒○」
の様な力が働いたのでは、と思わざるを得ないことが稀にあります。
勿論それは、基本的に関係者全員の才能及び努力によるものだと
いうのは言わずもがなですが・・・

その後、70年4月にポールが脱退を表明、裁判沙汰や、その後も
メンバー間の確執が残るなど、決して有終の美を飾った終わり方では
ないですが、年が経つにつれ徐々に仲直りすることが出来た様で、
近年のインタビューにてポールは、「ジョンが亡くなる前に仲直り
出来て良かった」の様なコメントを残しています。昨16年には、
G・マーティンも亡くなり、携わった人達がいなくなっていくのは誠に
寂しい限りですが、ポールとリンゴはいまだ現役で活動しています。
なにより、ビートルズがその終焉を迎える前、一時ではあったにせよ、
奇跡の様な音楽が作り上げられた幸福な時間を、本作を聴くたび、
後世の我々も共有することが出来るのです。
これはちょっと素晴らしいことではないでしょうか。

 

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