#8 Crossroads

ロンドンのやや南に位置するリプリーという町に、1945年3月30日、一人の男の子が
誕生しました。母親が十代半ばという若さでの出産だった故、祖父母を両親、母を姉、
そして叔父を兄として、少年はある時期まで育てられました。”兄”エイドリアンが
音楽好きだったため、ベニー・グッドマンなどのジャズ、初期のR&Rといった
アメリカ音楽を、その少年は”兄”の影響あって聴き育ち、やがてその中の一つである
” ブルース ”に少年は魅せられてしまいます。中古で買ってもらったギターで、ひたすら
寝食を忘れて練習する日々が続きました。少年の名はエリック・パトリック・クラプトン。
言わずと知れた”ギターの神様” エリック・クラプトンその人です。

クラプトンの公式な音源として最も古いものは、63年12月にアメリカのブルースマン
サニー・ボーイ・ウィリアムソンのバックを
ヤードバーズの一員として務めたものです。
ここでのプレイは決してその後の様なものではなく、クラプトンだと知っていて聴けば、
その後の片鱗を見い出せるかな、といったプレイであり、知らずに聴いたら、言い方は
本当に申し訳ないですが、凡庸なブルースギタリスト、といった印象を個人的には
受けるものです。実際、ウィリアムソンは「ロンドンでブルースを演っているという
若い連中とプレイしてきたが、退屈な演奏だった」の様な旨を後に語っていたそうです。
(余談ですが、その語った相手は後にクラプトンにも多大な影響を与える「ザ・バンド」の
メンバーでした)。ところが翌64年3月、「Five Live Yardbirds」においては、
技術面・フィーリング等において、クラプトンのスタイルは基本的に完成されています。
このたった三ヶ月ほどの間に何があったのか?ある著書で述べられていたことですが、
”まさしく「十字路」で悪魔に魂を売り渡す契約をしてしまったのではないか?
それ程までに驚くべき進歩だ” とでも思わざるを得ないほどの劇的な成長なのです。

”ポップ化”していくヤードバーズに嫌気が差し、当時イギリスにおいては、希代のブルース
コレクターでもあった、”ブルースの師匠” ジョン・メイオールのバンドに参加し、ここで
レスポール&マーシャルアンプという、その後のロックギターサウンドに多大な影響を
与えるトーンを創り出します(クラプトンの使用機材遍歴については、語っていると
それだけで一冊本が書けてしまうので、今回はあまり詳しくは記さないこととします)。
その後、”最強のロックトリオ” クリームを結成し、大きな話題を集めます。
このバンドの様な長い即興演奏は、人によって好みが分かれる所でしょうが、
ロックにおいて、ブルースをベースに各メンバーの力量を思う存分振るう、といった
スタイルの音楽は当時としてはかなり斬新であり、また衝撃的だったことでしょう。

ロバート・ジョンソン 作の「Crossroads」。アルバム「Wheels of Fire」に収められている
このライブ演奏は、50年近く経った現在でも、クラプトンの、というよりロック史に燦然と輝く
名演として取り上げられるプレイです。この時期の本曲の演奏はブートレグを含めて、
幾つか聴くことが出来ますが、本作収録の68年3月10日ウィンターランドでの演奏が白眉です
(だからこそ収録されたのでしょうけれども)。
ヘヴィメタル・ハードロックを好んで聴く方達からすると、”そんなに速く弾いてないじゃん”
と思う向きもあるかもしれませんが、このフレーズセンス、音色、そしてグルーヴの素晴らしさが、
半世紀を経た今の世でも語り継がれる理由でしょう。ジミ・ヘンドリックスのような革新的な
プレイではありませんが、流麗で艶っぽく、時に泣き叫ぶ(またはむせび泣く=ウーマントーン)
様なクラプトンのプレイが、多くの人たちの心を掴んで離さないのでしょう。
この当時でも、クラプトンがロックギタリストの中で最も上手かった(速く、複雑、かつ正確に
演奏する、という意味における技術において)かというと、必ずしもそうではないと思います。
既にデビューしていた中では、例えばイエスのスティーヴ・ハウ、テンイヤーズ・アフターの
アルヴィン・リーなどは、その意味のテクニックにおいてはクラプトンより上だったかもしれません。
また先述したザ・バンドのロビー・ロバートソンもかなりの技巧派だったようです。
なぜクラプトンが同時期に活躍していた彼らよりも突出して注目を浴びるようになったのか?
私見ですが、”分かり易さ”だと思っています。シンプルであるが、それでいて人間の根源的な感情に
訴えかけてくる様なマイナーペンタトニックスケールに根ざしたフレーズ(演歌民謡に通じる様な)、
うっとりするほど綺麗なチョーキングビブラートなどは、かなり長い年月を聴いてきた現在でも
今だに惚れ惚れしてしまいます。スティーヴ・ハウはバリバリにクラシックを、アルヴィン・リーは
ジャズをかじっていた人なので、テクニックのバックボーンはクラプトンとは異なる、というか上で
あったと言っても良いでしょう。Charさんが以前テレビにて、「自分がどうして少年時代、あれほど
クラプトンに魅かれたのか、それはフレーズが全部口で歌えた、からではないかと思う。当時はまだ
よく分からなかったが、クラプトン自身もシンガーであることに起因していたのではないか」
の様なことを仰っていました。口で歌える、言い換えれば「歌心があるギター」と言えるでしょうか。
ハウやアルヴィンのクラシック・ジャズ的要素は、ポップミュージックにおいては、時に容易な
音楽的理解を妨げる、有体に言えば、分かりずらい・難しい、という側面も持ち合わせしまっています。
さらにもう一つ、これを言ったら身も蓋も無い事なのですが、クラプトンは見た目が良かった、
という点もあったと思います。あのルックスで、あのギターの腕前で、人気が出ない方が
どうかしてしている、と言って良い程でしょう。ハウやアルヴィンがもっとイケメンだったら、
少しロック史が違っていたかもしれません(お二人とも、本当すいません <(_ _)><(_ _)><(_ _)>)。

人間関係等からバンドが長続きせず、またザ・バンドの様に歌と音楽に心を注ぐ方向を目指したくても、
テクニック面のみに注目が集まってしまい、音楽そのものに対する評価が得られない状況などに
ストレスを抱え、クラプトンはドラッグとアルコールに溺れていきます・・・・・それだけでは
ないですね。当然ご存じの方は「一番大きな問題があっただろう!」とツッコミが入るでしょう。
それは次回のネタですので……… あまりにも有名なエピソードですので、普通に語られて
いるのとは、ちょっと変わった切り口でその件については書いてみたいと思っています。

もっと簡潔に書くつもりだったのですが、随分長い文章になってしまいました。おじさん、
クラプトンの事になると筆が止まらなくなっちゃうんです。(´・ω・`)
次はもっと長いかもしれません。覚悟していなさい。

 

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