#15 The Court of the Crimson King

生物学において、突然変異・ミッシングリングという言葉がありますが(決して詳しく
ないので、詳しい人がいたとしても突っ込まないで下さい ((゚Å゚;)))、例えば前回までの
記事にて、取り上げていたレッド・ツェッペリンに関しては、クリームやジミヘンの存在が
あって、やがてツェッペリンの登場に繋がって言ったのでは、と書きました。
しかし、このバンドはロック史の流れにおいて、突然変異としか思えない、その誕生の
前段階になるようなミュージシャン達の存在も確認出来ない、としか言いようがないのです。
そのバンドの名はキング・クリムゾン。69年「In The Court Of The Crimson King
(クリムゾン・キングの宮殿)」で鮮烈なデビューを飾った、当時ツェッペリンと共に”
ニューロック”などと称され、新しい時代のロックを象徴するバンドの急先鋒でした。
その音楽性を文章で表わすと、アナーキーかつノイジーな破壊的サウンド、ヨーロッパ古来の
フォークミュージック(本当の意味での”フォークロア”、古謡・民謡とでも呼ぶべき音楽)
のフレーバーを漂わせ、フリージャズもしくは現代音楽のようなインプロヴィゼイジョン
(即興演奏、所謂”アドリブ”)を取り入れ、そしてクラシックにあるような、
様式美・構築美を併せ持ったようなサウンド、とでも表現したら良いでしょうか。
こんなバンドはそれまでポピュラーミュージック界には間違いなくいませんでした。
一つ一つの要素を見れば、クラシックらしさを取り入れていたのは、プロコル・ハルムや
ムーディー・ブルースが、ジャズ的な即興演奏はソフト・マシーンが既に行っていました。
しかしそれらはあくまで断片的であり、クリムゾンはそれらも取り入れながら、
さらにプラスαし、全く別次元のロックへと昇華させてしまったのです。
「21st Century Schizoid Man(21世紀の精神異常者)」は90年代位にテレビCMで
使われたと記憶していますが、あの強烈なイントロがTVから流れるようになるとは、
時代も変わったものだと当時は思いました。「Epitaph」やタイトル曲の重厚かつ荘厳さは、
それまでのポップミュージックには無かったものです。メロトロンという当時の最先端の
キーボードが実に効果的に使われています。こぼれ話ですが、ここで使用されたメロトロンは
その後ジェネシスに譲渡され、これまたジェネシス黄金期のサウンドを支える事となります。
”ビートルズの「Abbey Road」をチャート1位の座から引きずり落としたアルバム”
のような文言がレコード帯に書いてあった記憶がありますが、そのような事実は
なかったというのが実際のところです。ただしそのくらいインパクトがあった、
新しいロックが登場した、というようなニュアンスだったのでしょう。

本作におけるサウンド面においては、リーダーのロバート・フリップよりも、イアン・
マクドナルドがイニシアティブを握っていたと言われています。それを快く思わなかったか
どうかわかりませんが、2ndアルバム「In The Wake Of Poseidon(ポセイドンのめざめ)」
の制作途中でイアンは辞めさせら…脱退します。イアンは才能の塊みたいな人で、豊富な
音楽的素養を持ち、尚且つマルチプレーヤー(サキソフォンまでこなします)でもある
ミュージシャンです。余談ですがその後、英米混合バンド フォリナーの立ち上げに関わり
ますが、程なくして脱退。初めから成功したバンドではありましたが、今でいうところの
”メガヒット”を飛ばすようになったのは彼の脱退した80年より後、「Girl Like You」や
「I Want to Know What Love Is」といった大ヒットを生んだ頃には、バンドを辞めて
いました。偶然かもしれませんが、その後成功するバンドを軌道に乗せてあげて、自身は
その一番美味しい恩恵には預かれない、損な役回りの人だったのかも、と思ってしまいます。
また、グレッグ・レイク(b)はEL&Pへ加入するため、更に作詞担当の
ピート・シンフィールドとマイケル・ジャイルズ(ds)も、つまりフリップ以外は
全員いなくなったのです。ロバート・フリップという人はとにかく変わり…超個性的な
性格の人物であると言われ、その後のバンドにおけるメンバーの頻繁な変遷には少なからず
それが関わっていたのは間違いない事でしょう。しかし逆に言えば、自らの音楽性に
微塵の妥協も許さず、厳格に音楽第一主義を貫く人とも言えるのではないでしょうか。
2ndアルバムは基本的に1stの延長上にある作品です。余談ですが、本作にてまだ無名時代の
エルトン・ジョンが参加していたかもしれなかった、というこぼれ話もあります。
3rdアルバム「Lizard」はフリージャズピアニスト キース・ティペットが参加し、
より即興性の強い音楽となっており、(少なくともその当時の)フリップの嗜好が出ています。

00年代半ばに、永らく行方不明となっていた本作のマスターテープが発見されたそうです。
なんと当時のスタジオ、発見時は貸オフィスとなっていた給湯室の棚から見つかったそうです。
当時テープは貴重で、使い回す(重ね録り)のが当たり前だったそうですから、例えそんな所で
あっても、残っていたというだけで運が良かったと思わなければならないでしょうが、
それにしても台所の棚の中とは…(´Д`)

その後もメンバーチェンジを繰り返しながら70年代初頭も活動を続けます(レコード会社との
契約消化の為もあったそうですが)。4thアルバム「Islands」、ライブアルバム
「Earthbound」(カセットレコーダーで録った音源なので音質が悪い)を発表し、
ツアーを行いながら、フリップはその活動と並行して、頭に描いていた次なるバンドの
青写真を具体化するために動き出します。その辺りは次回にて。

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