#31 Surrealistic Pillow

前回まで取り上げていたピンク・フロイド(デヴィッド・ギルモア含めて)は、後世ではプログレッシヴロックを代表するバンドとして扱われていますが、#25でも多少触れましたが、デビュー当初はイギリスにおけるサイケデリックロックの流れの一翼を担う存在として認知されていたようです。そのサイケデリックロック、及びヒッピー・フラワームーヴメントというもの。60年代半ばから興ったこのムーヴメントの経緯やその定義は、一冊本が書けてしまうほどなのでどうぞ各々各自でググってください。ここではロックミュージックだけに限って触れていきます。

その走りはバーズの「Eight Miles High(霧の8マイル)」、ビートルズの「リボルバー」など、人によって意見は分かれるところです。そのサイケデリックロックの特徴と問われれば、
①綺麗なアンサンブル・音色の中に”歪んだ”音色(主にファズなどによるギター)をあえてコントラストとして組み込みトリップ感を醸し出す→バーズ、ジェファーソンエアプレイン等
②サウンド・エフェクトなどによりトリップ感を表現する→ピンク・フロイド他
③即興演奏にて自然偶発的な酩酊感・高揚感を表現→グレイトフル・デッド、初期ソフト・マシーン

④歌詞においてドラッグのトリップ感覚や退廃的雰囲気を唄う→ドアーズなど
いずれにしろLSD等のドラッグを使用した時の酩酊感を表現しようとしたものが主でした。
(良い子のみんなはマネしちゃダメだぞ!☆(ゝω・)v)...最近これ多いな・・・
勿論①~④や、それ以外の要素も色々混ぜ込んで、独自のスタイルを築いたバンドが雨後のタケノコのようにこの時期は出現しました。そしてあまり個人的に好んで聴くことはないのですが、これらが行き過ぎて、稚拙な演奏技術と音楽的素養しか持たないミュージシャンが、フリージャズのような高度な技術・音楽性が必要な演奏を、酒やドラッグの力を借りて、”既成概念を打ち破ったロックミュージックを演ろうぜ!”などと試みた者達
も少なからずいます(と、本人達が思っているだけ。実際はタリラリランのラリパッパな連中が 聴くに堪えない演奏をしただけ・・・)。

 

 

 


そんなサイケロック黎明期にて音楽的・商業的共に成功したのは、ビートルズを除けばバーズとジェファーソン・エアプレインでしょう。どちらも初期はフォークロック的なテイストが多分にあり、親しみやすく(それが商業的には良かったのでしょう)、この手のロックに馴染みがないリスナーでも抵抗なく聴くことができます。また私も不勉強で決して詳しくはないのですが、特に本国アメリカにおいては圧倒的人気を誇るグレイトフル・デッドも忘れてはなりません。今回はその中でも、名盤として名高いジェファーソン・エアプレインの2ndアルバム「Surrealistic Pillow(シュールリアリスティック・ピロー)」を中心に取り上げます。

シスコサウンド、ひいてはサイケロックの象徴的名盤と奉られることが多い本作。サイケロックにありがちな”カオス感”はまだ控えめで(ドラッグの匂いが強いのは「White rabbit」くらいではないでしょうか)、全編に渡って美しい調べの中で、コーラスワークと若干歪んだギターによって、ある種の浮遊感の様なものが漂っています。音楽的に似ているという訳ではありませんが、私はこの感覚に、ビーチボーイズの「PetSounds」と同様のフィーリングを感じます。
本作から加入した女性シンガー グレイス・スリックのパーソナリティがかなりフィーチャーされており、実際本作よりシングルヒットとなった「Somebody To Love」と「White rabbit」は、彼女が直近に居たバンドの曲。その”パンチ”の効いた歌声と美貌(元はモデルらしい)が注目を浴び、”シスコの歌姫”とまで称されたそうです。以下に張るのは結構目にすることのある当時の映像、多分TVプログラム用のもの。この見目麗しき女の子(当時19~20歳)が、時を経てたくましいオバ … 大人の女性へと変容を遂げます(グレイスさん、ホントスイマセン・・・<(_ _)><(_ _)><(_ _)>)。

ウェストコーストで発生したこの波は、あっという間に世界中へ伝播(電波?)して、ロンドンではピンク・フロイドやソフト・マシーンなどが、当時のロックミュージックのメッカ「UFOクラブ」にて、英国流サイケロックを発展させます(勿論ビートルズも、それどころかR&Rとブルースに一途なはずのローリング・ストーンズでさえ影響を受けます。もっともストーンズは決して時代の影響を受けない訳ではないです。ディスコやニューウェイヴが流行れば、それらをちゃんと取り入れたりしています)。日本ではクレイジー・キャッツのハナ肇さんが、ヒッピー風の格好をして”アッと驚く為五郎~”、と・・・

本作発表の67年頃を境に、ロックは”カオス化”を深めていきます。ドアーズ、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス達の衝撃的なデビュー。イギリスでは、既に取り上げましたがクリーム、レッド・ツェッペリン、キング・クリムゾンなど革新的”過ぎる”ほどのバンドが出現します。これを良いと捉えるか否かは人によって意見が分かれるところです。古き良きR&Rやポップスを好む人達もこの当時でも当然大勢いました。現在はネット時代になって多様な情報が入手可能なので良いのですが、私がリアルタイムで聴いていた80年代はそれが乏しく、一部の”ロック評論家・ライター”と称される人達のメディアでの論評のみが幅を利かせ、それが60年代後半~70年代のロック史だと思い込まされた所があります。50’sの流れを組む様なロック・ポップス、ソフトロックとカテゴライズされる音楽はあまり取り上げられず、ディープかつエポックメイキングとなった音楽(言い換えれば彼らが文章にしたい・語りたい、もしくは、文章にし易い・語り易い事)が中心に
紹介されていました。分かり易い例を挙げれば、ビートルズとストーンズはよく取り上げられるが、ビーチ・ボーイズはあまり取り上げられない。しかし当時のチャートアクションを見ると決して革新的な、ディープなロックだけが聴かれていたかというと決してそうではなかったようです。勿論チャートの上位に喰い込んだ音楽だけが良い、などと言うつもりは毛頭ありませんが、80年代の日本においては、情報の少なさからかなり歪められたロック史が形成されていた様な気が、個人的にはしてならないのです。

と、ここまで書いとけば御膳立ては十分でしょうか?これからしばらくはディープでロック史においてエポックメイキングになったとされるロックを主に取り上げていきます…
(今までの前フリは何なの!!!Σ(oДolll)ノノ) 次回へ続く・・・

#30 David Gilmour_2

デヴィッド・ギルモアのプレイにおける真骨頂とは、全くの私見ですが、ストラトキャスターというギターの持ち味であるクリーントーンを活かした、浮遊感とも呼べる独特のサウンド(勿論、リバーブ・コーラス・ディレイといったエフェクター類の存在も欠かせません)と、それに基づくブルースフィーリングに溢れたプレイにあると思っています。当然、場面場面ではディストーションサウンドも効果的に使いますし、一概に言えるわけではありません。そして同じく重要な要素として、ピッキング等によるニュアンスの付け方の巧みさがあります。アンプのセッティングやエフェクター類の使い方にも長けているのですが、何よりも大本の”演奏者自身によるトーンコントロール”がしっかりなされているということです。
私は一応ギタリストでもあり、鼻血が出るほどギターが好きな人間ですが、本職がドラムなのである意味客観的に見ることが出来ます。エレキギター奏者や電子キーボード奏者の中には、テクノロジーに溺れてしまって、基本的に音色とは人間の口・指・手足から生まれるものだという、その他の全ての楽器において当り前の事を忘れてしまっている人達が少なからずいる、という現実があります。ギルモアのプレイはそれを改めて思い出させてくれるのです。それが顕著に堪能できるのがこの曲です。

勿論本曲中において、エフェクター類による音色の操作を行ってないわけではありません。むしろ効果的にそれらを使いこなしていると言えます。しかしそれとは別の次元で”指”によるニュアンス、ひいてはトーンの変化の付け方が絶妙なのです。これらはジェフ・ベックなどに通じる所があると私は思っています。これ以外ではベタなところですが、「Time」「Another Brick in the Wall part2」なども名演としてよく挙げられるプレイです。が、あえてその辺りは外してもう一曲選ぶとすればこの曲です。

また前回の記事で述べましたが、ギルモアの演奏において欠かすことが出来ないのはスライド(スティールギター)によるプレイです。「One of These Days(吹けよ風、呼べよ嵐)」か、これか散々迷いましたが張るのはこちらにします。勿論「吹けよ風、呼べよ嵐」も是非聴いてください。

「Shine On You Crazy Diamond part2」。”泣き叫ぶギター”、というのはまさしくこういうプレイの事を言うのではないでしょうか。勿論スライド(これはラップスティールによる演奏らしいです)以外の、本曲中における多重録音によるプレイも含めて見事であるのは言うまでもありません。

期せずして、全てがアルバム「Wish You Were Here」からの選曲となってしまいました。この偏りは流石にどうかと思いはしましたが、良いものは良いのですから仕方ありません・・・
( ̄m ̄*)…
他にも「Atom Heart Mother」や「Echoes」などの長尺曲中におけるギターソロ、「Wish You Were Here」でのアコースティックギターによる素朴なプレイ、またアルバム「おせっかい」収録の「SANTropez」はピンク・フロイドとしては珍しいジャジーな楽曲。アコギ、エレキ、そしてスライドのそれぞれを効果的に用いた隠れた名演です。

前回までの記事で既に述べましたが、ピンク・フロイドというバンドはポップミュージック界において、非常に革新的な音楽を創り上げた側面がある一方、ファンダメンタルな音楽的要素として、ブルースをベースとしたとても分かり易いものも持ち合わせていました。それが世界的な成功を成し遂げた要因の一つであると思いますが、ギルモアのギタープレイはそれに大変寄与した、というよりも彼のギターがあったからこそ、あの音楽スタイルは築かれたと言っても過言ではないと思うのです。

ギルモアと同世代にはあまりにも多くの”ギターヒーロー”達がおり、ピンクフロイドの名声に比べて、彼自身が取り上げられることは今ひとつ少ないかと思われます。しかしプレイヤーとしてのオリジナリティと、そのバンドサウンドにおける調和という、どちらかが際立てば片方がスポイルされるという相反する側面を見事に両立させ、バンドを長く存続し得ることが出来た。見落とされがちな事ですがこれはプレイヤー・音楽家(この場合は作家・プロデューサー的意味合い)として、共に非凡な能力を有していなければ決して成し得ない、稀有なミュージシャンの一人だと私は思うのです。

2回に渡ってデヴィッド・ギルモアを取り上げてきました。先述の通り、エリック・クラプトンやブライアン・メイといった同年代のスーパーギタリスト達のように、ギタリストとしてスポットライトが当たることは決して多くはありませんが、その唯一無二の個性を持ったギタリスト、ひいては音楽家としての素晴らしい功績を、僅かばかりでも紹介できる一助になることが出来れば幸いに思います。

#29 David Gilmour

エレキギターの代名詞と言っても過言ではないフェンダー社製ストラトキャスター。この楽器には数多の使い手・名手がいます、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、勿論ジミ・ヘンドリックス。ですが私個人的にストラトキャスターらしさを存分に引き出しているギタリストとして、若干意外と思われるかもしれませんが、この人を挙げずにはいられません。それが前回まで取り上げていたピンクフロイドのギタリスト デヴィッド・ギルモアです。
1946年イングランド生まれ。幼少の頃からギターを始めます。#25でも少し触れましたが、ドラッグの過剰摂取によって音楽活動がままならなくなった初代リーダー・ギタリストであったシド・バレットの後任として、シド在籍中からバンドに加入しました。

ギルモアについて語る前に、ストラトキャスターという楽器についての講釈に少しばかりお付き合いを。51年に世界初の量産型ソリッドギター(=ボディに空洞が無いタイプ。あと厳密に言えば49年には別名で基本的に同じ様な製品が出ていたのですがその辺は割愛)として世に出た「テレキャスター」の後継機種として54年に発売。テレキャスの扱いづらいとされた幾つかの点(それがテレキャスの持ち味と言うファンもいっぱいいます、私も…)を改良したストラトは当初不人気で、フェンダー社は本気で生産の打ち切りを検討したそうです。それを180度変えたのは他ならぬジミ・ヘンドリックスです。エレキギター・メーカーにおけるもう一方の雄であるギブソン社製ギターは、太くて甘い音色を特徴としてジャズギタリストに好まれていたのに対し、フェンダー社はヌケの良い、高音が良く透る、枯れた音色が特徴、カントリーやブルースギタリスト達を客層としていました。それが60年代中期に一変します。ギブソン・レスポールはエリック・クラプトンによって(#8 Crossroadsの記事ご参照)、ストラトは先述の通りジミヘンによって。共にロックミュージックに欠かすことの出来ない楽器の双璧となります。どの位ジミヘンによるストラトの使い方が横紙破りだったかと言うと、ストラトの代表的特徴であるトレモロユニット(ブリッジ下部にあるトレモロアームを動かすことで音程を下げる事が出来る機能)は、当初はカントリーなどで曲のエンディングに和音を軽く揺らす程度の使い方を想定したものでした。ところがジミヘンは”これでもか”と音程を極端に変えるワイルドなピッチダウンやヴィブラートを多用し、有名なエピソードですが、フェンダー創業者であるレオ・フェンダーはそれを観て、「あれ(トレモロ)はあんな使い方をするためのもんじゃない!」と憤慨したとか・・・。

そのストラトキャスターと英国製アンプ「Hiwatt (ハイワット)」からギルモアサウンドは産み出されました。ハイワットは音量を上げても歪みにくい、クリーントーンを身上としたと言っても過言ではないアンプでした。先述のクラプトンによるレスポール&マーシャルのディストーションサウンドが注目を浴びるまで、現在では信じられない事ですが、ギターアンプが音量を上げたときに生じる”歪み”はあまり良くないものとされていたそうです。同じフェンダー社製のツインリバーブなどがクリーントーン向けと良く言われますが、その意味ではクリーントーンを持ち味とするフェンダーギターには、ハイワットとの組み合わせもベストマッチの一つであったかもしれません。
(ただし値段も高い・・・(´Д`))
そしてピンク・フロイドと言えば、前回までの記事でも述べましたが、エコー処理の妙、空間的音響技術の巧みさを売りとしていので、当然ギルモアもリバーブ、コーラス、ディレイといった、ギタリスト用語でいうところの”空間系・揺らし系”のエフェクターも重要なファクターでした。ただし私はエフェクターマニアではありませんし、その辺りまで述べるとかなり冗長になってしまいますので割愛します。
またギルモアのギタープレイを語る上でか欠かせないのは、スライドギター(スティールギター)です。ブルース、カントリー、ハワイアンなどでは欠かせないものでしたが、ロックミュージックではデュアン・オールマンやライ・クーダーによって取り込まれました。通常のギターをスライドバーで弾く奏法と、ハワイアンなどで御馴染の横に置いて弾くスティールギターがありますが、当然どちらもプレイしたのでしょうが、ギルモアは膝の上に置いて弾ける小型のラップスティールを好んで使っていたようです。

決して所謂”速弾き”をするプレイヤーではありませんが、情感溢れるチョーキングやヴィブラート、ピッキングの微妙なニュアンス、場面場面での絶妙なトーンセレクトなど、ブルースをそのルーツとする非常に感情表現に長けたギタリストです。”速く、複雑、かつ正確に”といったファンダメンタルなテクニックが必要無いなどとは決して思いません。しかし何でもかんでも、速けりゃイイのか?難しけりゃイイのか?と所謂テクニック至上主義を考え直させてくれる、ワンアンドオンリーなプレイヤーの一人であることは間違いありません。

また、あまり取り上げられない面かもしれませんが、ギタリストとしてだけではなく、その朴訥・無骨なスタイルを持った独特なシンガーとしての側面、そして全く無名であったケイト・ブッシュという、オリジナリティという点においてはイギリスが世界に誇る超個性的女性シンガーを発掘し、世に売り出すことに成功した、非凡ならざるプロデューサー音楽家としての顔もあります。

次回パート2では、具体例を挙げてその”ギルモアワールド”をご紹介したいと思います。

#28 The Final Cut

「Animals(アニマルズ)」コンサートツアー最終日のカナダ公演にて、演奏そっちのけで大騒ぎする最前列の観客達に対して、ロジャーが唾を吐きかけるというアクシデントが起こります。それまで溜まった様々なフラストレーション、具体的には昔の曲ばかりを聴きたがる聴衆、大規模なツアーによる心身の疲弊、大会場で行われる故に生じる聴衆との溝、などによるストレスが極限まで達して先の暴挙に至ったようです。後にロジャーは反省したようですが、この経験から、オーディエンスとの溝=”壁”をイメージし、次作である「The Wall(ザ・ウォール)」の制作へと向かいます。かねてからロジャーはレコード・映画・コンサート現在で言う所の”メディアミックス”的展開を構想しており、それにはこのアイデアはうってつけでした。「ザ・ウォール」の内容をあくまでざっくりと。主人公ピンクはロックスターという設定。先ず冒頭にある短いメロディと一言”….we came in?(来たの、おれたち?)” これについては後述します。その直後オープニング曲「In The Flesh?」はコンサートの開始を彷彿させる楽曲(歌詞は非常にシニカル)。爆撃音のような音の後に、赤ん坊の泣き声。ピンクの誕生した瞬間へ遡ります。かなり割愛しますが(本気で全内容を知りたい人は、和訳と解説を丁寧に記しているサイトが幾つかありますのでそちらをご参照)、行き過ぎた管理教育、親の過保護、やがてロックスターへと成長、しかしお決まりのドラッグへの傾倒、スターであるのにも関わらず孤独・疎外感を感じ、ますます”壁”を構築。終盤でオープニングのリプライズ「In The Flesh」(?がとれている)ではこれまで溜まっていた観客への罵倒。その後ピンクの気がふれた精神世界における、蛆虫達による自らへの弾劾裁判。母親や妻などが関係者として証言の後、”ピンクの壁を崩せ”という大合唱とともに壁が崩れ落ちる大音量のSE。エンディング「Outside The Wall」では牧歌的なメロディーの上で、”何だ、結局壁の外とは結局こんな所なのか?…”の様な失望と諦めの境地のような歌詞。そして最後に一言”Isn’t this where(ここって?)”。先の冒頭部におけるメロディはエンディングと同じもの。ラストの歌詞冒頭の一言をつなげると”Isn’t this where we came in?(ここってはぼくらが入って来たとこじゃないのかい?”という意味。つまり振り出しに戻るということ。SFなどにある所謂”ループもの”の様なオチ、しかもかなりバッドエンドの・・・。

 

 

 


前作の「アニマルズ」から宇宙的・神秘的音世界はなりを潜め、現実社会における矛盾を怒りでもって
歌い上げ、サウンドもストレートなロックサウンドとなっていきました。特にそれまでフロイドの”売り”とも言えた、広がりのあるサウンド、具体的にはエコー処理・音響空間の創造の巧みさがなくなっていってしまったのです。従来からのファンは、当時ややもするとフロイドを見限り始めた所だったようなのですが、意外にも若いロックファンに受け入れられたそうです。フロイドのような大作主義は70年代後半にムーヴメントとして興ったパンク世代達などには、嫌悪される標的だったそうですが、「ザ・ウォール」のように、ここまで徹底した大作であるとかえって新鮮に映ったのかもしれません(あとパンクというのは一過性のもので79年頃は既に廃れ始めていました)。結果的にはこれも特大のヒットを記録。当時で既に1,000万枚を超えるセールスを上げました。
バンドは「ザ・ウォール」ツアーを行いますが、何と1ステージ毎に本作の世界を再現するといった暴挙… 斬新な試みに出ます。具体的にはステージと客席の間に実際に”壁”を作り、エンディングでそれを崩し去る、といったとんでもないセットを組みました。当然話題になり大盛況でしたが、当たり前の事に経費もとてつもなく掛かったために莫大な赤字を被りました …
…(´Д`)…

83年、ロジャー在籍時最後のアルバム「The Final Cut」発表。実質的にロジャーのソロ、そして内省的・私小説的作品とでも呼べるもの。人によって好き嫌いは分かれるでしょうが、イギリスでは1位を記録。「ザ・ウォール」のアウトテイクも収録されており、楽曲的・サウンド的に秀逸なアルバムとは思いませんが、フロイドファン、ロジャー・ウォーターズファンにはその内面をうかがい知ることが出来る作品であり、ジョン・レノンにおける「ジョンの魂」的アルバムと私は思っています。
その後実質的にバンドは解散状態に。各々がソロ活動を経て、87年にロジャー抜きで活動を再開。ロジャーとギルモア達は長い間反目し合いますが、00年頃から雪解けムードが漂い始め、05年にはチャリティー・イベントにて一時的ではあるものの再結成。しかし06年にシド・バレット、08年にはリチャード・ライトが死去。14年にリックへの追悼を込めたスタジオ録音のアルバム(ロジャーは不参加)を発表しますが、これを最後にピンク・フロイドとしてはその活動に終止符を打ちます。

#26の記事の内容と重複しますが、彼らは決して突出した作曲能力や演奏技術の持ち主ではありません。元々はブルースのカヴァーを演っていたバンドであり、やがて時代の波であったフラワームーヴメント・サイケデリックロックの一翼として世に出ました。それらの殆どが一過性のブームとして消えていってしまったと言えるもので、フロイドと同時期のデビューでその後息の長い活動を続けられたのはグレイトフル・デッドとジェファーソン・エアプレイン(←名前も音楽性も移り変わって行きましたが…)くらいではなかったでしょうか。そのようなバンドがここまでモンスター級の成功を収めたのは、先の記事でも述べましたが、非常にレコード(アルバム)制作に長けていた、つまりそれまではラジオでかけるのが前提である3分位の曲の寄せ集めでしかなかったアルバムを、トータルに音楽作品として昇華せしめたのは、若干の例外を除いて彼らが初めてで、そして最も秀逸だったと言って過言ではなかったと思うのです。ちなみにその例外の一つはザ・フーの二枚組ロックオペラ「Tommy(トミー)」(余談ですが「トミー」「ザ・ウォール」共にプロデュースはボブ・エズリン。これは偶然でも何でもなく、「トミー」の様な超大作を仕上げた実績があるからこそロジャーはエズリンを起用したと言われています)。アルバムが”作品”と呼ぶに値するに相応しかった70年頃から90年代半ば位までの限られた時期に出現した、ポップミュージックにおけるある種の究極形音楽と言えるのではないかと思うのです。この期間は、今はまだそう感じられないかもしれませんが、もっと後世にポピュラーミュージック史が語られる時、極々短い期間として扱われるのではないでしょうか。サイケの時代には、意識の垂れ流しと呼んでも過言ではないような感性のみに頼ったバンドが多かった中、彼らは感性+理性(=構築力、この場合は一般的な音楽の編曲能力と言うよりは、以前に述べた様な美術・アート建築的なもの)を併せ持った稀有な存在だったのだと思います。

またまただいぶ長くなってしまいました。中~高校生にかけて鼻血が出るほど聴きまくったバンドの事ですので、筆が止まらなくなってしまうことは何とぞご容赦を。これにてピンク・フロイド編は終了です。プログレッシヴロックで続いてきた流れもここで一旦終了しようと思います。はて、次は何を書こうか?… ま、どうせ昔の洋楽ネタには変わらないんですけど・・・