#33 L.A. Woman

69年3月のマイアミ事件の後、バンドはステージから遠ざかることとなります。その期間が
彼らに(特にモリソン)どのような変化を与えたのかは分かりませんが、事件後に発表した
5thアルバム「Morrison Hotel」はブルース色を強めたものとなりました。
初期の異国的・ジャズ的な、当時のロックとしては耳新しかった音楽性を好んでいたリスナーには
戸惑いがあったようです。しかし前回の記事で述べましたが、レコードデビュー前、モリソンの
書く曲の殆どは3コードの楽曲だったということから鑑みて、これは原点回帰と言えるのでは。
モリソン生存中、最後のオリジナルアルバムとなった「L.A. Woman」は前作同様、いやむしろ
更に無骨でタイトなR&R、ブルースを演っています。時折サイケ色が垣間見え、”ドアーズらしさ”が
伺えますが、果たしてどちらが本当のドアーズなのか、ちょっとわからなくなります。
このバンドはやはり、初期の、特に1st・2ndの(当時としては)斬新な音楽性と、モリソンの
カリスマ性に魅せられたファンが圧倒的に多いと思いますが、後期の地味ではあるが無骨なブルースを
歌うモリソンを好む人も決して少なくありません。今回のテーマである「L.A. Woman」を
後期の傑作と捉えるファンも大勢いるのです。
またドアーズはやはりライヴにおいてその本領が発揮されるバンドであったので、ライヴ盤を抜きに
語ることは出来ません。鉄板としては二枚のライヴアルバム(とは言ってもブートレグは別にして、
そんなにオフィシャルなライヴ盤が数多く出てる訳ではないです)「Absolutely Live」(70年)と
死後かなり経てからリリースされた「Alive, She Cried」(83年)があり、じっくり聴きたい人は前者、
取りあえず彼らの勢いのある”ライヴ感”を味わいたいなら後者(時間も短い)をお勧めします。

 

 

 


モリソンはお世辞にも美声とは言えず、また歌唱技術が特に優れている訳でもありませんでした。
では何故皆こんなにも彼の歌声に魅かれるのでしょうか?これはもう”カリスマ性”という以外には
言いようがありません。勿論他のメンバーの音楽性・演奏技術や、ステージパフォーマンス、そして
プレス向けの過激な発言など、全てが混然一体となっての「ドアーズ」であったのでしょうが、
やはりモリソンのパーソナリティに因っていたのは事実でしょう。しかし、モリソン本来の
音楽性であるブルースを強く打ち出した「Morrison Hotel」「L.A. Woman」の様な作品にて
デビューしていたとしたら、あれほどの成功を収めていたかどうかはこれまた疑問です。
ドアーズというバンドはかなりの幸運な巡りあわせ、タイミングの良さ、エレクトラレコードのやり手
プロデューサー ポール・A・ロスチャイルドに見いだされた等の周囲に恵まれた事など、
時代の波に乗れた、また幸運の女神に微笑まれた、というラッキーな面があります。もっとも
逆の見方をすれば時代が彼らを生み出した、ドアーズ、モリソンの様な存在を求め、それが
具現化されたという見方も出来ます。これはオカルト的な意味合いではなく、社会学的な意味合いで。
大衆が求めた時、そういうカリスマの様な存在が現れる、といった様な。ただ私はそういう方面に
全く疎いのでその辺りについてこれ以上は言及しません。
しかし人間の”人生の質量”のようなものは平等なのか、(太く短くor
細く長く、ってやつです)
モリソンは成功したロックミュージシャンに少なからず訪れる運命から逃れることは出来ませんでした。
71年7月3日、恋人を伴った休暇先のパリで亡くなります、享年27歳。ヘロインの過剰摂取が
原因とされています。
この27歳という年齢がロックミュージシャンにとって何か意味を持っているかのような言われ方が
される時がありますが、私は全く意味の無い、たまたま同時期に成功した、同年代のミュージシャンが、
自己管理が出来なかった結果、近い時期に、同じ年齢で急逝したという事実があるだけだと思っています。
それは後からの、特にロックなどの音楽をネタにする売文家の方達による影響だと思います。
しかし夭折の天才が伝説化されるのは古今東西の常であり、不遜を
承知で言うと、だからこそ(レコード
デビューから数えれば)4年間という短かすぎるモリソン在籍時のドアーズが輝いて見えるのも事実です。

モリソン亡き後、バンドは2枚のアルバムをリリースしますが、以前の様なヒットには至らず、
その後解散。
91年には映画『ドアーズ』が制作されました。内容については賛否両論あるそうです。
特にマンザレクは映画でのモリソンの描かれ方にかなりの憤りを覚えたと言われています。

死とエロスを歌ったシンガー・詩人として、現在でも圧倒的なカリスマとして崇められるモリソンですが、
先述しました通り、一介のブルースロックバンドとしてデビューしていたとしたら、あれ程の成功は
成し得なかったように思います。やはりマンザレク達との幸運な出会いが大きかったでしょう。
しかしやはりモリソン自身のパーソナリティが注目を集めた故の圧倒的な成功、という事実も
間違いないと思われます。ドアーズという存在は、一人のカリスマ、優れたサイドマンとマネージメント、
そして時代の波に見事にマッチした(時代の流れを”創った”とも言える)、混沌とした時代に咲いた
耽美かつあまりにも絶望的な花のような存在だったのではないかと思います。

2回に渡ってドアーズを取り上げました。実はかなり久しぶりに聴いたのですが、改めてモリソンの
歌の”表現力”の様なものを再確認させられました。テクニックは必要ない、などとは決して思いません。
しかし音楽というものはそれだけではない、ということを気づかせてくれます。これは
インストゥルメンタルでも同じ事が言えるでしょう。
良かったらこれを機に、彼らの素晴らしい音楽、音楽以外の”表現”を含めた功績に触れてみて
ください(ドラッグとか✖✖✖の露出とかはダメですよ、捕まります………)。
これにてドアーズ編は終了です。次は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

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