#43~#47でジミ・ヘンドリックス、#40にてサンタナを取り上げましたが、両者のDNAとでも
呼ぶべきものを受け継いでいたギタリストがいたと私は思っています。それはプリンスです。
(゚Д゚)ハァ?そうかあ? プリンスがギター上手いのは知ってるけど、他にもっといるんじゃね?
と、声があがるのはもっともです。あくまで私見ですし、プリンスはギタリストとしてだけでなく
トータルなミュージシャンとして評価すべきというのもごもっともです。これは話の枕的なもの…
16年に惜しくも亡くなってしまいましたが、たぐいまれなる才能を持ったミュージシャンで
あった事は衆目の一致するところです。ジャズ・ピアニストの父、シンガーの母の下に生まれ、
当然の様に幼少より音楽に親しみます。作曲・編曲の才能は勿論のこと、いわゆるマルチ・
プレイヤーでもあります。ピアノとギターを弾きこなすプレイヤーというのは割といますが、
彼はドラムまで叩きます。それが少し叩ける、といった程度のものではなく本職顔負けのプレイです。
1stアルバム「For You」(78年)は楽曲作りから演奏まで全てを一人でこなしていますが、
エンディング曲「I’m Yours」を聴けばそのドラミングの実力がわかります。
79年、2nd「Prince(愛のペガサス)」をリリース。シングル「I Wanna Be Your Lover」が
ポップスチャートで全米11位(R&Bでは1位)のヒットを記録し、世間にその名を知らしめます。
初期のプリンスの音楽性を具体的に述べると、当時流行のディスコ、あるいはもう少し”濃ゆい”
ジェームス・ブラウン的な(声質は全く違いますが)ファンクの16ビート。及びこれまた当時、
巷で流行っていたフュージョン(クロスオーヴァー)的なソフト&メローな楽曲(例えば
アル・ジャロウの様な)。そしてハードなロックチューン。と、大まかに分類できます。
その後も「Dirty Mind」(80年)、「Controversy(戦慄の貴公子)」(81年)と
スマッシュ・ヒットを続けます。
そのギターに関して言えば、ジミ・ヘンドリックスの影響が語られます。確かにジミ張りの
ステージアクト(ギターを生殖器に見立てたパフォーマンス等)を行っていたようですが、
しかしリードギターのプレイスタイルとしてはサンタナに近かったと良く言われます。叙情的、
言い換えれば分かり易く感情に訴えかけるフレージングが特徴でした。しかしプリンスのギターの
真骨頂はステージアクトや激しいギターソロではなくリズムギター、ファンキーな16ビートの
カッティングにあると私は思っています(じゃあ枕の話はなんだったんだよ、とは思わずに・・・)。
そしてギタースタイルと同様に、初期プリンスの音楽性における肝は16ビートのファンクに
あると言えるでしょう。そこに両親からの影響であるジャズや、当時のディスコやAORを含んだ
”プリンス流ファンク”とでも呼ぶべき音楽性が主軸になっていたと思います。
先述した「I Wanna Be Your Lover」が初期の曲では最も親しみやすいでしょう。もっとも
これだけ聴くとクインシー・ジョーンズ(つまりマイケル・ジャクソン)かよ! と、思って
しまうかもしれませんが、「オフ・ザ・ウォール」とほとんど同時期のリリースなので、決して
パクリではないでしょう。彼のファンクはもっと多様性がありました(クインシー=マイケルが
一本調子だった、とか言う意味ではありません)。ちなみにその2ndアルバム には、
後にチャカ・カーンのカヴァーで大ヒットすることとなる「I Feel for You」が収録されています。
ギターの話に戻りますと、彼は70年代に日本のモリダイラ楽器が製造したブランドである
”H.S.Anderson”のテレキャスターモデル(MAD CAT)をデビュー時から愛用しており、
初期によく聴くことが出来る気持ちのいい16ビートのカッティングは同器によるものの
ようです。ちなみに先の「I Wanna Be Your Lover」のビデオクリップではレスポールを
弾く姿が出てきますが、多分レコーディングではテレキャスあるいはシングルコイルのギターを
使っていたと思われます。余談ですがH.S.Andersonは所謂”ジャパン・ヴィンテージ”として
現在でも高く評価され、根強い人気を誇っています。
82年、アルバム「1999」をリリース。遂にブレイクを迎えます。全米で400万枚のセールス、
「Little Red Corvette」「Delirious」がTOP10ヒットとなるなど、この頃になって
ようやく世間がその音楽性に気付き始めたといったところだったのでしょうか。
前作・前々作から、つまり80年以降は時代の影響もあって、ニューウェイヴ・テクノポップと
いった要素が強くなっていったのはプリンスも同様でした。シンセサイザーの音色などは
今から聴くと”安っぽい”と思われるかもしれませんが(でもリアルタイムのオジサン世代は
これを”未来の音だ”と感じていたんですよ)、当時における最先端のテクノロジーを貪欲に
取り入れていました。やがて流行などはお構いなし、といった唯我独尊的な音楽性へと
変容していった人ですが、この頃まではある意味”柔軟”な姿勢だったようです。
タイトル曲は世紀末を歌った曲(本当の世紀末は2000年らしいですけど)。サウンドは
80年代風テクノ味ソウルミュージックとでも呼ぶべき快活な曲調ですが、歌詞は世界の終末に
ついて書かれています。”2000年にはパーティは終わってしまう。だから今夜1999年みたいに
パーティするんだ” の様な歌詞で、解釈は人それぞれのようですが、幕末の”ええじゃないか”
みたいな雰囲気を歌っているのかもしれません。
このようにして、着々と成功への足元を固めてきたプリンスですが、これはまだほんの序章と
呼べるものでした。次回は勿論次作である「パープル・レイン」についてです。
しかし2018年の冒頭に「1999」って、なんだよ!狙って書きやがったか!ヽ(`Д´#)ノ
とか、思わないでください。本当に以前から予定していたこの回がたまたま年初に来ただけです
(あっ、でも、ちょっとオイシイかな、とか思わなかった訳では…)。今年もよろしくノシ