#55 Shout to the Top!

前回の記事でも少し触れましたが、バブル景気で隆盛を極めていた80年代の日本において、
スクリッティ・ポリッティなどと共にオシャレなポップスとして好まれていたイギリスの
ミュージシャンがいます。エヴリシング・バット・ザ・ガールやシャーデー、やや遅れて
デビューしたフェアーグラウンド・アトラクションといった、ロックにとどまらずに
ジャズ、ソウル・R&B、ブラックコンテンポラリー、ラテン音楽、そしてもちろん
英国人らしくブリティッシュトラッドをはじめとしたヨーロッパの音楽、といった様々な
音楽性を持った人達でした。前回既に名前を出しているのでもうお分かりかもしれませんが、
今回のテーマはその筆頭格とも言えるバンド、スタイル・カウンシルです。

 

 

 


70年代後半にデビューし、イギリスで、特に若者から絶大な人気を誇っていたザ・ジャムを
解散し、その直後にポール・ウェラーが結成したバンド。正式メンバーはウェラーと
ミック・タルボット(key)の二人ですが、実質的にはスティーヴ・ホワイト(ds)と
D.C.リー(cho)を加えた四人編成のバンドと捉えて良いでしょう。
その音楽性はヴァラエティーに富んでいると呼べばよいでしょうか、ジャズ・ボサノヴァ・
ラテンジャズ・イージーリスニング・フレンチポップス、ヒップホップ、もちろんの事
ソウル・R&Bまで、と何でもあり。無いのは節操くらい…(失礼 <(_ _)> )・・・
あと、もう一つありました。ザ・ジャム時代のストレートなR&Rだけはありませんでした。
私はリアルタイムで本バンドから聴いたので、ザ・ジャムは後追いなのですが、確かに
よく言われる”青筋立てて”ウェラーがギターをジャカジャカかき鳴らしながら、当時の若者や
労働者階級の不満を代弁してくれるような熱いロックに心酔していた従来のファン達は
かなり戸惑った、というより失望してしまった人が多かったようです。オレたちの・アタシたちの
ウェラーが変わってしまった、と。もっとも初期こそパンクロックと捉えられていたザ・ジャム
でしたが(70年代後半にイギリスでデビューするとみんなパンク扱いされたそうですけど…)、
徐々にウェラーが本来持っていた黒っぽい要素が強まっていき、ある意味スタイル・カウンシルは
必然的に結成されたとも言えるでしょう(それにしても変わり過ぎ、とされても仕方ないかと…)。

83年、1stシングル「Speak Like a Child」をリリース。同年ミニアルバム「Introducing
The Style Council」を本国イギリス以外で発表します。
84年に1stアルバム「Café Bleu(カフェ・ブリュ)」を本国でもリリースし、最高位2位を記録。
先述した通り従来のザ・ジャムファンの戸惑いはありましたが、非常に高い評価を得ました。
ただ単に色んなジャンルを演ってみました、ではなく楽曲のクオリティーが全て高く、統一感には
欠けますが、非常に上質な作品に仕上がっています。

今回のタイトル「Shout to the Top!」は84年10月リリースのシングル。元はアメリカ映画の
サントラの為に作られた曲です。一聴すると爽やか系で快活な楽曲ですが、歌詞は労働者階級の、
特に若者たちへ向けて、トップ(上司や経営者、ひいては政治家、当時のサッチャー首相を
頂点とする)にいる奴らに向かって叫べ!といった内容です。もっともサッチャー首相が強力に
推し進めた市場原理を尊重した改革によって、イギリスではその後金融業をはじめとした好景気に
よって永く続いた不況を脱するのですが… あ、話がずれてしまいましたね・・・
前回も書きましたが、本バンドは当時、オシャレ系のポップスとしてナウでヤングな最先端スポットで
(プールバーとかカフェバーとか)かかっていたようですが、その歌詞はとてもオシャレスポットには
そぐわないものだったようです。知らない方が良い事ってあるもんですね・・・

85年、2ndアルバム「Our Favourite Shop」をリリース。全英No.1に輝き、バンドとしての
最盛期がこの頃であったでしょう。
87年の3rdアルバム「The Cost of Loving」も全英2位を記録するヒットでしたが、これを
境にバンドは勢いを失っていき、80年代末にバンドは自然消滅します。

ちなみに全米でのチャートアクションは、アルバムは一枚もTOP40には入らず、シングルも
「My Ever Changing Moods」の29位が最高でした。アメリカ音楽に傾倒していき、
その音楽性を発揮した作品が、その本場ではあまり受け入れられなかったというのは、
皮肉めいたものを感じます。プロモーションの問題などもあって一概には言えませんけれども、
スクリッティ・ポリッティもそうでしたが、英国流ブルーアイドソウルが本国にて
受け入れられるか否かの基準はよくわかりません。シンプリー・レッド やシャーデーが
アメリカでも受け入れられたのに対して、彼らがそうならなかったのは何故なのか。
多分、明確な答えなどは永遠に出ないのでしょうけれども・・・

私の音楽の知識は80年代で止まっているので、90年代以降については殆どわからないのですが、
オアシスをはじめとした、90年代以降のイギリスのミュージシャン達に絶大な影響を与えた
そうです。日本でもウェラーの人気は根強いものがあり、日本とイギリスは文化的に相通じる
ものがあるのではないかと思っています。

ザ・ジャム時代からすると本バンドは音楽的には劇的に変容を遂げましたが、ウェラーが書く
歌詞の内容は変わらなかったようです。彼は典型的な労働者階級の家に生まれた事もあってか、
その思想はかなり左傾化されたものであり、人によって賛同出来るか否かは分かれる所で、
またそのようなメッセージを音楽に乗せることを良しとするかどうかも賛否は様々です。
ただその考え方は脇に置いておくとして、40年に渡って”ブレずに”一貫したスピリットを
保っているのは、やはり並大抵の事ではないでしょう。

最後にご紹介するのは「Our Favourite Shop」のエンディング曲「Walls Come
Tumbling Down!」。快活なソウルナンバーですが、その歌詞は、『我々が団結すれば
壁(体制)は崩れる!』といった内容。当時のイギリスの事情を詳しくは知りませんが、
先述した通りその体制が推し進めた政策によって永く続いた不況を、その後脱する事に
なったのも事実です… 何だかよくわからなくなってきますね・・・
ただしそのサウンドはゴキゲンそのものです。これも先述したことなのですけれども、
歌詞が判らなくて
良かったということも結構あるのです。

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