#74 Dancing in the Street

ポピュラーミュージックにおける「バンド」の定義というのは、厳密に定められている訳では
ありませんが、概ね次の様に定義付け出来るのではないでしょうか。
・トリオ(3人)編成以上であり。
・ベースとドラムから成るリズムセクションを従え。
・残る一パートはコード楽器、つまりギターないしピアノ・キーボードのいずれかから成る事。
クリームやグランド・ファンク・レイルロード、そしてエマーソン・レイク・アンド・パーマーは
ロックにおいて言うまでもなくバンドと認識されており、ジャズではピアノトリオは数え切れない程、
またギタートリオも数は少ないですがこれもあります。しかしホール&オーツやカーペンターズを
バンドと呼ぶのは聞いたことがありません。例外として後期のジョン・コルトレーンがピアノレス
トリオという編成を好みました、つまりベース、ドラム、そしてテナーサックスという編成。
”コード楽器が無い事により空間が広がる”、評論家によればその様なサウンドであるそうです。私も
幾つかトライして聴いてみましたが、20分余りに渡ってベース・ドラムだけの上で延々とアドリブを
紡いでいくそのコルトレーン独自の音世界を、”これがジャズなんじゃ~!モードでござる~!(@∀@l|)°。” と、アタマからバネが飛び出そうになるのを必死で押さえながら理解しようとした事もありましたが、
私には向いてなかったようです・・・
前回スーパーグループについて語りましたが、グループと言うくらいなので当然バンド編成です。そして
80年代を境にそれは流行らなくなっていったという事も述べました。では、大物シンガー二人による
デュエットは?、と言えばこれは枚挙にいとまがありません。
今回は80年代における大物デュエットについて取り上げたいと思います。

”とっぱじめからこんなベタベタな曲からかあ~~~い!!(#゚Д゚)!!!! ” と、批判は覚悟の上・・・
説明不要な程の超有名曲ですね(じゃあ、するな!( `・ω・´) ……… 説明させてください。゚(´;ω;`)゚。 )。
ポール・マッカートニーとスティーヴィー・ワンダーによるあまりにも有名なデュエット曲
「Ebony and Ivory(エボニー・アンド・
アイボリー)」(82年)。
全米で7週連続No.1、その年の年間シングルチャート第4位という大ヒットを記録。楽曲はポールに
よるもので、アルバム「Tug of War」(82年)に収録。ピアノの黒鍵と白鍵のように左右に並んで
皆一緒に生きよう、つまり肌の色の違いで差別などしないで、という人種差別反対の曲。
PVでピアノに並んで歌う二人が印象的ですが、実はこれは合成の映像。スケジュールがどうしても合わず
その様な方法を取ったとの事。ただし原曲の歌入れはちゃんと二人でスタジオライヴの形で、つまりマルチ
トラックで別々に録るのではなく一緒に歌っているそうです。ハーモニーや、特にエンディングにおける
コール&レスポンス(掛け合い)などはその賜物でしょう。ビートルズ後のポールにとっては最も長く
チャートの首位を保持した楽曲となりました(ビートルズ時代は「ヘイ・ジュード」が9週連続第1位)。

お次もこれまたポールに関する曲であり超ベタなやつですが、マイケル・ジャクソンとのデュエット曲
「Say Say Say」(83年)。ポールのアルバム「Pipes of Peace」からの先行シングルとしてリリース。
大物二人による夢の競演、また当時のマイケルのスリラー人気も相まって当然の様に全米No.1ヒット。
本曲のレコーディングが始まったのは実は81年5月まで遡り、先述したポールの「Tug of War」の制作と
同時期という事になります。最終的に完成し終えたのは83年2月。プロデュースがジョージ・マーティン、
エンジニアがジェフ・エメリックと、要はビートルズの制作陣によるもの。
本曲制作中のいつ頃の事かはわかりませんが、マイケルは英国滞在中(ロンドンのスタジオだった為)は
ポールの家に泊まっていて(勿論リンダも一緒=当時のポールの奥さん、ウィングスのメンバーでもある)、
これを機に大変親密になったそうです。その滞在中におけるある晩の夕食にて、ポールはマイケルに対し
楽曲の版権類を見せながら、『こいつらが金を生むんだ。誰かが演奏したり、ラジオで流したりする毎に
金を稼ぐことが出来るから』と話したそうです。何か大変生々しい話でポールの印象が悪くなりそうな
逸話ですが、ミュージシャンの生業として割り切って考えれば当たり前のことでしょう。この晩の話が、
後にマイケルがビートルズの楽曲の版権を買い取ることにつながったのは間違いありません。

最後はミック・ジャガーとデヴィッド・ボウイによる「Dancing in the Street」(85年)。
最初に吹き込んだのはモータウンのガールグループ マーサ&ザ・ヴァンデラス(64年)。彼女たちの
代表曲であり、モータウンを象徴する楽曲の一つ。これまで色々な人達にカヴァーされてきました。

ミックとボウイという一人でさえ”濃ゆい”シンガーが組んだら一体どうなるの?と、思ってしまいますが
意外にもそれが”中和(?)”されてなのか、クドさはそれ程感じずに絶妙なロック&ソウルナンバーへと
仕上がっています(全英1位・全米7位)。本曲は同年の英国ミュージシャン達によるチャリティー
『ライヴ・エイド』の為の企画ものでした。当初の計画ではボウイはロンドン(ウェンブリー・
スタジアム)、ミックがフィラデルフィア(ジョン・F・ケネディ・スタジアム)の異なる二会場で
衛星同時中継で共演する予定だったらしいのですが、0.5秒のディレイ(遅れ)が生じてしまう為
その計画は断念することになってしまいました(代わりにPVを流した)。

スーパーグループにしろ大物同士のデュエットにしろ、話題性が先行してしまい、時としてその中身が
正しく語られる事が少ない場合もありますが、チャリティーなどに関してはその話題性・注目を集める
方法としてはうってつけの面はあるでしょう。ちなみに欧米でのこうしたチャリティーは如何に
拘束時間が長くとも出演者に報酬が支払われる事はまず無いそうです。噂に聞いた程度なのですが、
チャリティーなのに出演者へ報酬が支払われるイベントが毎年あり、それは主催会社もしっかりと利益を
得ているチャリティー番組であるとの事(走る人がいるとか何とか…どこの国の話かは知りませんよ…)。
しかしそれではチャリティーの意味が無いのでは…(コンコン)おや?誰か来たようだ・・・

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