#84 The Rose of England

前回も少し触れましたが、エルヴィス・コステロの初期作品群をプロデュースしたのがニック・ロウです。
コステロは79年にニック・ロウ作の「(What’s So Funny ‘Bout) Peace, Love And Understanding」
をカヴァーしています。

ニック・ロウのオリジナルはこちら。ブリンズリー・シュウォーツ による74年のシングル曲。

両者の個性が表れており、聴き比べると興味深いものがあります。本曲は決してヒットナンバーであった
訳ではないのですが、その後も多くのミュージシャンによって取り上げられ続けています。

 

 

 


ニック・ロウのデビューは67年、つまり50年以上のキャリアを持つミュージシャンです。
バンドでの活動を経て、76年にソロでレコードデビュー。最大のヒットは79年のシングル
「Cruel to Be Kind(恋するふたり)」(全米・全英共に12位)。

コステロ回でも述べた事ですが、オールディーズのR&Rやポップス、カントリー&ウェスタンと
いったアメリカのルーツミュージックを演奏するイギリス人ミュージシャンの代表格です。
予備知識なしに一聴すると、てっきりアメリカのミュージシャンと思ってしまうでしょう。
上は84年発表の「Nick Lowe and His Cowboy Outfit」のオープニングナンバーである
「Half a Boy and Half a Man」。小気味良いR&Rですが、やはりどこかに英国臭さを
感じるのは私だけでしょうか?

ニック・ロウは自身の活動以外にも、プロデューサーとしての手腕も良く知られるところです。
先述のコステロをはじめ、英国パンクの祖であるダムド、米ロカビリー・カントリー界のカリスマ
ジョニー・キャッシュ、デビュー間もないプリテンダーズなど、そのプロデュースワークは
多岐に渡っています。

「The Rose of England」(85年)からの1stシングル「I Knew the Bride (When She Used to Rock ‘n’ Roll)」。当時は全米77位とお世辞にもヒットしたとは言えませんが、現在YOUTUBE上で
200万回超の再生回数を誇っています。時代がようやくニックの音楽性に追いついたのでは?
本曲には当時人気絶頂であったヒューイ・ルイス&ザ・ニュースが参加、というよりもこの曲に限り
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの演奏及びコーラスによるもの(プロデュースもヒューイ)。

タイトルトラックである「The Rose of England」。私が思う本作のベストトラックであり、ニックの
音楽性を最も表していると思うのが本曲です。カントリーを基調としたR&R、アメリカで言えば
サザンロック、スワンプロックに相当するのでしょうが、やはりヨーロッパ的哀愁が漂っており、
コステロにも通じる所がありますが(というよりコステロがニックを踏襲したのでしょうけど)、
この雰囲気はニック・ロウにしか出せないものです。

よくよく考えればカントリー&ウェスタン、ブルーグラスといった米白人によるアメリカンルーツと
される音楽も、元をたどればイギリス・アイルランドで根付いていたポピュラーの変化版と言えます。
アメリカでは西部劇よろしく、ウェスタン扉を押しのけてバーボンをあおりながら演るところを、
イギリス・アイルランドでは、パブでエールやスタウト(ギネスビールなど)といったビールや、
スコッチウィスキー(ヴァランタインやグレンリベット等々 いかん、飲みたくなってきた…)を
嗜みながら飲めや歌えやの宴を催す、といっただけの違いです。その根っこは同じものなのでは?

今年4月、ニックは来日公演を行いその健在ぶりを日本のファンに披露しました。セールスや
チャートアクションだけを取れば、大成功を収めたミュージシャンという訳ではありません。
しかし半世紀以上に渡り継続的な活動を続けてきたのは、コアなファンからの支持や、
同業者達から一目置かれる存在であり続けた”Musician’s Musician”としての功績に
よるものではないかと私は思うのです。

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