ニック・ロウのアルバム「The Rose of England」(85年)にヒューイ・ルイス&ザ・ニュースが
参加している事は前回触れましたが、エルビス・コステロの1stアルバム「My Aim Is True」(77年)が、ヒューイ・ルイスが当時在籍していたバンドによって全面的にサポートされている事もコアなロックファン
には結構知られている事です。ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの2ndアルバム「Picture This」(82年)の邦題は『ベイエリアの風』と冠せられるほど、米西海岸を代表するバンドとされたヒューイ・ルイスが
イギリスのミュージシャンとつながりが深いというのはなかなか興味深い事ですが、果たしてその理由は?
ヒューイ・ルイスは50年生まれの現在68歳。生まれはN.Y.ですが小学校入学前にカリフォルニアへ
移り住み中学までを過ごした後、両親の離婚に伴い高校はニュージャージー州、大学はN.Y.の
コーネル大学と、東西を行った来たする少年期~青年期を送ったようです。彼の音楽にドゥーワップや
R&Bといった要素が大きなウェイトを占めているのはこれに起因するようです。
父親はアイルランド系アメリカ人、母親はポーランド人と、意外にもそのルーツはヨーロッパにあります。
その豪快かつパワフルなヴォーカルスタイルからアメリカを代表するシンガーと捉えられるヒューイですが、
彼の血筋、また音楽的バックボーンに様々な要素が入り混じっているのは興味深いことです。
高校までは学業・スポーツ(野球選手だった)共に優秀だったようですが、大学に入ると身を持ち崩して
しまったそうです。69年、大学3年生の時に中退し、音楽の道を志してサンフランシスコのベイエリアへと、
再度ウェストコーストへ戻ってきます。
71年、ヒューイはベイエリアのバンド「クローバー」へ加入。地元でローカルな好評価を得た後、
76年にバンドはL.A.へ進出。クラブシーンで成功を収めると共にその頃ニック・ロウの目に留まり、
ニックの勧めから渡英し、78年にカルフォルニアへ戻るまでイギリスで活動します。先述したコステロの
デビューアルバムへの参加はこの時期の事です(もっともヒューイはそれには参加しませんでした)。
クローバーはアメリカへ戻ってすぐに解散。ヒューイはメンバーを集め、ザ・ニュースの前身となる
バンドを結成。シングル1枚をリリースした後、80年にヒューイ・ルイス&ザ・ニュースへと改名し、
バンド名を冠した1stアルバムを発表。82年に前述の2ndアルバム「ベイエリアの風」からのシングル曲
「Do You Believe in Love」が全米7位の大ヒットを記録。バンドは檜舞台へと躍り出ます。
83年、彼らの人気を決定的なものとした代表作「Sports」をリリース。上記の3rdシングル
「The Heart of Rock & Roll」を含め、4枚のTOP10ヒットを輩出し、世界で800万枚以上を
売り上げた大ヒットアルバムです。本作からもう一曲「If This Is It」。
ストレートなR&R、美しいコーラスで彩られたウェストコーストサウンド、はたまたドゥーワップと、
その多様な音楽性は他のウェストコースト系ロックバンドとは一線を画していました。
ザ・ニュースのメンバーは器楽演奏は勿論一流ですが、全員がシンガーとしても優れていて、見事な
コーラスワークを聴かせてくれます。この時期だったかと思いますが、ベストヒットUSAへ出演した際に、
小林克也さんがその場で、コーラスを披露してくれないか?と頼んだところ、嫌な顔一つせずに快諾して
素晴らしいアカペラを披露していたのを記憶しています。克也さんも彼らの度量の深さについて、
後に(総集編だったかな?)褒めたたえるコメントをしていました。同番組にてカメラが回っている時と、
そうでない時の態度が180度違う、ある女性シンガーとは全く正反対の対応です。
(・・・誰も言ってませんよ、マ〇ンナなんて… 言ってませんからね・・・・・)
おそらく彼らの代表曲となるのは、超有名映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のテーマ曲である
「The Power of Love」でしょう。有名すぎるのでここでは張りませんが、同曲は初の全米No.1
ヒットとなりました。
86年、4thアルバム「Fore!」をリリース。ここからも上の「Stuck with You」を含む2曲の
No.1シングルを生み、バンドの人気はピークに達しました。
ヒューイは大学入学前、ヨーロッパを無銭旅行で回った事があるそうです。ハーモニカを持って各地を
巡り、スペインのマドリッドではブルースプレイヤーとしてストリートミュージシャンを演り、
旅費を稼いでいたとの事。ちなみにヒューイはこの時マドリッドで初めての(路上ではない)
コンサートを経験したそうです。
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの音楽からヨーロピアンロックのフレーバーが直接香り立つことは
正直ないと思います。ストレートなR&R、カントリーロック、コーラスワークを生かしたウェストコースト
サウンド、R&B・ドゥーワップ・ファンクといったブラックミュージックが、彼らの表立っての音楽性と
言えます。ですが両親のルーツ、若き日のヨーロッパでの放蕩、クローバー時代のイギリスでの
活動及びニック・ロウをはじめとしたブリティッシュミュージシャンとの交流が、その音楽に深みを
与えている様な気がしてなりません。
90年代以降のヒューイ・ルイス&ザ・ニュースは80年代の様なヒットを飛ばすことはなくなりましたが、
一度も解散することなく今日までその活動を続けています。結成以来比較的メンバーの異動も少なく、
コンスタントに活動を続けて来られたのは、ヒューイをはじめメンバーの人柄及び結束力が大きな要因かと
思われます。ヒューイは決してぽっと出で成功した人ではなく、下積みを経験した人ですので、
80年代のブレイク以降も驕り高ぶることなく、非常に義理堅く真摯な人柄であるそうです。
前述のニック・ロウとのコラボレート、同郷(ベイエリア)の超絶技巧ブラスファンクバンド
タワー・オブ・パワー(いつか必ず取り上げます)のサポートなど、仲間たちとの関係を非常に
大切にしてきた人物です。
リアルタイムで聴いていたというひいき目を考慮しても、現在でもその音楽には当時を想起させてくれる
(別に良い思い出ばかりだった訳では決してありませんが・・・(´Д`))、私の心の琴線に触れる
音楽となっています。昔の音楽が全て良かったなどとはつゆも思いません(50’s~80’sにもくだらない
ものはたくさんありました)。しかし現在でも多くのリスナーが支持する彼らの音楽は、
断じてオッサン達の懐メロというだけではない、普遍的、言い換えればエバーグリーンな輝きを
持った音楽として存在し続けているのだと思います。