#93 Synchronicity

カリブ海に浮かぶ島 モントセラト(イギリス領)に、かつてジョージ・マーティンが設立した
レコーディングスタジオ『AIR』がありました。89年に島を襲った大型ハリケーンにより、やむなく
閉鎖に追い込まれましたが、70年代半ばの設立から、数多のミュージシャンがここでレコーディングを
行いました。ポリスも「Ghost in the Machine」、そして「Synchronicity」を当スタジオにて
録音しています。

ポリス最大のシングルヒットである「Every Breath You Take(見つめていたい)」。5thアルバム
「Synchronicity」からの第一弾シングルである本曲は全米で8週連続の1位を記録。
スティングがこの曲を書いてきた時、アンディ・サマーズはスティングにしては普通のポップソングだな、
と思ったそうです。確かに、A-F#m-D-Eという教則本に出てくる様な循環コードから成る本曲は、
一聴すると非常にシンプルです。サマーズはこの曲を、ミュートを効かしたアルペジオ(分散和音)で
プレイしました。録り終わった直後に、全員が彼を称えるような顔付きをしたと語っており、殺伐とした
レコーディングのさなかに起こった、珍しくも素晴らしい瞬間だったようです。このギタープレイが
本曲の印象を決定付けていることは一聴瞭然であり、そしてそれは後世まで語られる名演となります。
余談ですが、このアルペジオは9度の音を加えている所がミソである、とよく紹介されます。ところが、
サマーズの自伝においては『……… ルート・5番・2番・3番でもって・・・』と書かれています。
「番」というのは「度」の事だと思いますが、原文では多分 ”route・5th・2nd・3rd” となっていたの
でしょう。Aのコード、ラ・ド#・ミにシ(B)を加えているのですが、普通は9度(ナインス、
ラを1番目と数えて9番目の音)と思います、勿論私もそう思ってました。しかし翻訳家の方は
多分原文を忠実に訳されたのでしょうから、原文には ”2nd”とあったのだと思います。つまり、
サマーズとしては、このBの音は9度ではなく2度という解釈だったようです。この頃彼は
クラシックを練習曲としてよく演っており、本曲のアルペジオもそこから着想を得たと語っています。

全米で800万枚、世界中で1000万枚以上売り上げたとされるこの大ヒット作によって、ポリスの
人気はその頂点を極めました。しかしアルバム全体がポップかつコマーシャルな創りになっているかと
言うと決してそうではありません。「見つめていたい」、「King of Pain」、「Wrapped Around
Your Finger」、上の「Synchronicity II」の様なメロディアス、あるいはポップでリズミックな
楽曲もある一方で、「Walking in Your Footsteps」、「Mother」、「Miss Gradenko」の様な、
お世辞にも世間受けし易い楽曲とは言えないナンバーも収録されています。「Mother」はサマーズ作で、
何故かスティングがこの曲を気に入り採用されたとの事。かなりエキセントリックな仕上がりです。
前回も述べましたが、バンドの人間関係は最悪の状態になっていました。スタジオのリビング、調整室、
そしてブースと、それぞれが別々に立てこもり録音するという、正常なレコーディングにはなって
いませんでした。しかし、決してやけになって制作したという訳ではなく、人気がうなぎ上りの状況を
考えて、次作はヒットする、いや世界的な成功を収めようと目論んで創った、とサマーズは述べています。
極限状態の様な人間関係が、良くも悪くも本作に緊張感を与えたのであろう、と回想しています。

自伝にて述べらている裏話があります。三人の仲があまりにもひどくなり耐えられなくなったサマーズが、
AIRスタジオのオーナーであるジョージ・マーティンに助けを乞いに、つまりプロデュースを依頼しに
行ったという話です。マーティンは島内に屋敷を構えており、それを知っていたサマーズは場所も
おぼろげながら、炎天下の中を歩いてマーティンのもとを訪ねたそうです。折良くマーティンは屋敷にいて、
上がってお茶でも、と言ってくれたとの事。始めはスタジオの使い勝手は?などと当り障りのない会話で
あったが意を決して、『バンドの人間関係が良くないのです。貴方の力を貸してくれませんか?』と、
切り出しました。マーティンはポリス内の不和を残念そうに述べた後、以下の様な旨を言ったそうです。
『~私が加わっても変わらないだろう、まだ君たちで解決出来る余地があるのではないか。・・・」
かつてビートルズをまとめ上げたマーティンに一縷の望みを求めて、思い切って相談した訳ですが、
結果的には丁重に断られてしましました。しかし、これで吹っ切れたのか、サマーズはマーティンに
礼を述べ、再びレコーディングに向かいました。悩みと言うものは人に話した時点である程度解決したと
同じである(相談者のメンタル的には)、というものの見方もある様ですが、この場合がそうであったの
かもしれません。ちなみにビートルズ後期の状況はマーティンもお手上げでしたが…(#4ご参照)。

「シンクロニシティー」ツアーを収めた映像作品があります。10ccのメンバーであったロル・クレームと
ケヴィン・ゴドレイは、ゴドレイ&クレームとして独立して活動を始めましたが、80年代には映像作家として
数々のミュージシャンのプロモーションビデオなどを手掛けました。「Synchronicity Concert」(84年)は映像クリエイターとしての代表作です。
スティングの喉の調子があまり良くなく、演奏も完ぺきとは言えないのですが、ライヴならではの熱気、
勢いが素晴らしいです。当時VHSビデオで観てシビレたのを思い出します。

ある意味ポリスの音楽性を最も端的に表していると言って過言ではない「Walking on the Moon」。
本ライヴにおける一番の聴き所ではないでしょうか。

前々回のテーマとした「Message in a Bottle(孤独のメッセージ)」。百聞は一見(一聴)に如かず、
問答無用のカッコ良さです。スチュワート・コープランドによる3:16秒辺りのドラミングが素晴らしい。スモールタムをクレッシェンドで盛り上げながら叩き、最後はお得意のフラム(左右を少しずらして打つ)で締める、技術的には何て事ないシンプルなフレーズですが、これをこれ程カッコ良く叩けるのは彼だけでは。

83年の当ツアー中に、スティングはかねてより求めていたソロ活動を行うことを決定します。サマーズと
コープランドもそれぞれソロ活動を始め、バンドは活動停止。86年に6作目を作ることを試みてスタジオ入り
するものの、コープランドの怪我などもあって中止されます。その後20年に渡りメンバーは各々ソロで
活動してきました。スティングの成功はここで改めて述べるまでもないですが、サマーズとコープランドの
二人も様々な音楽活動を続けてきました。しかし07年に、結成30周年を機に再結成しワールドツアーを
行いました。いつの間にか10年も経ってしまった事なのですが、こちらはまだ記憶に新しいです。

ロック・ポップスにおいて、テクニックや音楽性を追い求めると、ヘヴィメタル・ハードロックの様な
速さ・激しさを、もしくはフュージョン的な複雑さ、といった高度な技量や音楽的クオリティーに
向かいがちです。しかし、それらも出来る程の技術・音楽性を持った彼らが目指した音楽は、
それまでの誰とも全く違うベクトルでした。ロックの ”ビートイズム” の様なものは尊重しながら、
レゲエ・アフリカンなどに代表されるエスニックリズムを取り入れた、それまでとは異なるリズムへの
アプローチ。そして、プレイヤーの感覚(指グセ・手クセ・足クセ)に頼った即興演奏をほぼ排除し、
計算されたハーモニー、和音、サウンドエフェクトなどでもって彩られたインストゥルメンタルパートを
フィーチャーしたプレイとサウンド。彼らがそれまでにおけるどのバンドとも異なる点は、ひとえに
この二点が
大きいでしょう。これはやはり当時のニューウェイヴシーンの機運があったからこそです。
スターダストレビューの根本要さんが以前、『俺が思うに、ロックの究極はポリスの様な音楽だと思う』
の様な旨を仰っていた記憶があります。私も同感です。速弾きや、複雑な16ビートが悪いとは決して
思いませんが、ロックの本質とは何か、というテーマを彼らは計らずも体現したのではないでしょうか。

あくまで私見ですが、彼らの後を追うミュージシャンというのはその後現れていないような気がします
(私が勉強不足で知らないだけかも…)。ポリス風のサウンドを奏でるバンドなどはいるかとは思いますが、
彼らの本質を受け継いだ人たちは残念ながら存在していないのではないでしょうか。9年ほどの活動期間
であったにも関わらず、ポリスというバンドがいまだに語り草となっている、ワンアンドオンリーな
存在であるのは、その様な理由からなのではないでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です