ロバータ・フラックは37年生まれ(39年説も有)、ディオンヌ・ワーウィックが40年生まれ、
アレサ・フランクリンが42年という順番です。
ディオンヌ同様音楽一家に生まれ、9歳の時からピアノに興味を持ち始めました。
ワシントンD.C. にある名門ハワード大学へ15歳で入学します。これは登録されている中では
最も若い入学者だったそうです。大学に入った後、その専攻をピアノから声楽に移していきました。
19歳で卒業し大学院へ進学するのですが、父親の突然の死によって、音楽及び英語教師の
職に就く事を余儀なくされました。
話の時系列は飛び飛びになりますが、前回の続きである3rdアルバム「Quiet Fire」(71年)より
「Will You Love Me Tomorrow」。米ガールグループ シュレルズによる60年のNo.1ヒット。
言わずと知れたキャロル・キングと(当時の夫)ジェリー・ゴフィンのペンによる名曲。
前回と同じ事を書いて誠に芸が無いのですが、ロバータの手にかかると何でもロバータ色に
染まってしまいます。
ビージーズによる67年のTOP20ヒット「To Love Somebody」。私の初聴はジャニス・ジョプリン版
でした。ジャニスは見事なまでのソウル風アレンジですが、原曲の方はというと如何にもこの時代らしい
ポップ&サイケなアレンジでした。ビージーズも60年代後半は時代の色に染まっていたんですね。
ロバータ版はロバータワールドとしか言いようがありません。リチャード・ティーのオルガン、
バーナード・パーディによるブラシワーク(ドラム)、どちらもただただ素晴らしいの一言。
ずっと後になってからの評価ですが、評論家によっては3rdがロバータのベストとするほどの傑作。
ただしリアルタイムで全然売れなかったのは1st・2ndと同様です。
「Quiet Fire」のリリースは71年11月ですが、それより半年ほど前の5月に一枚のシングルが
出ています、それがロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ「You’ve Got a Friend」。
今更説明不要な程の超有名曲ですが、キャロル・キングの作にて自身の超特大ヒット「つづれおり」に
収録されており、それをジェームス・テイラーがシングルとしてリリースし、全米No.1ヒットと
なったのはあまりにも有名。
実はロバータ&ダニー版もテイラーと同日発売でした、テイラー版の陰にかくれてしまってはいますが、
ポップス29位・R&B8位と、ロバータとダニー両方にとって初の全米TOP40ヒットでした。
ドラム教室のブログらしく(当然みんな忘れてますよね!(*゚▽゚) … )ドラムの話。この頃における
ロバータの作品ではバーナード・パーディやグラディ・テイトがプレイしていましたが、本セッションでは
マハビシュヌ・オーケストラなどで知られる元祖超絶技巧ドラマー ビリー・コブハムが叩いています。
怒涛のような高速かつ複雑・難解なプレイのイメージがあるコブハムですが、歌ものを演っても
やはり超一流です。エンディングに近づくにつれ音数が増える所が彼らしいとも言えるでしょうか。
前回、69年のデビュー作「First Take」がチャートで首位となるのは72年になってから、
という事は既に述べました。これにはある映画が関係しています、その映画とはクリント・イーストウッド
初監督作『Play Misty for Me(恐怖のメロディ)』。71年11月封切の本映画において、
「The First Time Ever I Saw Your Face(愛は面影の中に)」が使用されたのです。
私は映画オンチなので当然観たことはないのですが、その内容をググってみました。
イーストウッド扮するDJの番組へ執拗に「ミスティ」(エロール・ガーナー作の超有名
ジャズスタンダード)をリクエストするリスナーがいました。イーストウッドはある女性と一夜限りの
関係を持ちますが、実はその女性がリスナーだったのです。それから徐々に女性の行動が
エスカレートして行き、結末はと言うと・・・・・言いませんけど・・・・・・・
まだストーカーという言葉・概念さえ無い時代の映画ですが、なかなかに背筋が寒くなる内容です。
・・・・・・ |ω・`)チラッ・・・・・・・・・・・(((((゚Å゚;)))))
イーストウッドがロバータを起用したキッカケを調べてみましたが判りませんでした。スマッシュヒットの
「You’ve Got a Friend」で知ったのか(時期的にはぎりぎりかな?)、はたまたそれ以外でか?
イーストウッドはジャズの偉人 チャーリー・パーカーの伝記的映画『バード』(88年)を
製作したりもしていますので、音楽にもかなり造詣が深い人だと思われます。
いずれにしろ映画のヒットと共に「愛は面影の中に」もチャートをあれよあれよと駆け上がって
全米No.1ヒットとなり、1stアルバム「First Take」も200万枚近くを売り上げ1位となります。
イーストウッドは使用料として2,000ドルを支払ったそうです(360円時代だから70万円位?)。
それが高いのか安いのかピンとはきませんが、以降も二人は良好な関係を続けていることから
当時としては十分な額だったのでしょう。83年のダーティハリーではエンディングテーマを担当しています。
「愛は面影の中に」は72年における年間シングルチャートの1位となり、翌年のグラミー賞にて
レコード・オブ・ジ・イヤーを獲得します。
72年5月、一枚のアルバムをリリースします。それが「Roberta Flack & Donny Hathaway」。
マーヴィン・ゲイ「ホワッツ・ゴーイン・オン」、スティーヴィー・ワンダー「インナーヴィジョンズ」、
カーティス・メイフィールド「スーパーフライ」などと並ぶ、ニューソウルにおける名盤です。
録音は71年5月から10月となっていますので、決して「愛は面影の中に」のヒットを受けて、
急かされながら創ったものではないでしょう。
本作からのシングル「Where Is the Love」はポップス5位・R&B1位と大ヒットを記録します。
その後、数多くのミュージシャンによってカヴァーされ続けている不朽の名曲の一つです。
ちなみにパーカッショニスト ラルフ・マクドナルドのペンによる楽曲。彼にはソングライターとしての
一面もあり、本曲やグローヴァー・ワシントン・ジュニア「Just the Two of Us」などが有名。
勿論ロバータの作品にはパーカッションでも参加しています。
またまただいぶ長くなってしまいました。本作及びそれ以降については次回にて。