前回の最後において驚愕の事実に気づいてしまった訳ですが(オメエが忘れてただけだ (´∀` ) )、
それは今年もあと五~六週しかないという事です。
年初からブラックミュージック特集を始めてこのネタで半年持てばイイかな?程度に考えていましたが、
一年経ってしまいました・・・まさしく好淫 … もとい、光陰矢の如しというやつです。
スティーヴィー・ワンダー回で、最後はスティーヴィーにしようかと予定していたという事は既述ですが、
ラストを飾るのはスティーヴィーかそれともこの人か、と考えていたミュージシャンです。
それはマーヴィン・ゲイ。モータウンのトップスターとして君臨し、70年代からは社会的・思索的な
作風へ転換しニューソウルのリーダー的存在となり、また波乱に満ちた私生活でタブロイドメディアを
沸かせ、最後は悲劇的な死を遂げてしまったソウルシンガー。駆け足になってはしまいますが、
マーヴィン・ゲイというシンガー・コンポーザー・エンターテイナーである、このソウル界における
稀代のスーパースターを取り上げ、ブラックミュージック特集の最後を締めくくりたいと思います。
マーヴィンの記念すべきデビューアルバム「The Soulful Moods of Marvin Gaye」(61年)の
オープニング曲が上の「(I’m Afraid) The Masquerade Is Over」。60年代中期以降のマーヴィンから
すると想像できませんが、デビューはコテコテのジャズでした、しかもムードジャズとでも呼ぶべきもの。
しかしこれは不思議なものでは決してなく、マーヴィンの音楽的興味はまずドゥーワップから、
そしてR&Bへ。しかし最も大きな影響を受けたのはフランク・シナトラのジャズであり、
ヴォーカルスタイルについてはナット・キング・コールなどの歌い方でした。
モータウンレコード側とは本作の方向性について衝突があったようです。モータウンはティーンエージャー
向けのR&Bを、しかしマーヴィンはアダルトなジャズを演りたいと。彼のコメントにおいて
” ダンスや腰を振るよりも、椅子に座って口ずさむように歌いたいんだ ” というものがあったそうです。
一般的に知られる(私も勿論そのイメージでした)男性的魅力・セックスアピールに溢れたその後の
マーヴィンとはすぐには結び付かないものです。しかし本作はセールス的には失敗してしまいます。
前作の反省から方向転換を迫られました。マーヴィンはそれでもR&B路線には抵抗を示していたと
言われていますが、モータウンの創業者 ベリー・ゴーディーはそれを要求しました。
納得しかねるマーヴィンでしたが、「プリーズ・ミスター・ポストマン」で知られる同社の
マーヴェレッツへマーヴィンが共作者として提供した楽曲で成功した事を受け(実はマーヴィンの
最初の成功はマーヴェレッツのヒット曲の作曲者という形でした)、その志を変えたとされています。
そうした経緯からレコーディングされたのが上の「Stubborn Kind of Fellow」(62年)です。
我々が持つ、その後のマーヴィンのイメージは本曲の様なものでしょう。歌についてはだいぶ粗い個所も
ありますが、それもワイルドな魅力と捉えることも出来ます(あばたもえくぼというやつでしょうか … )。
本曲はR&Bチャートで8位の大ヒットを記録します。ここでのマーヴィンはハスキーで力強い歌唱で、
それは成功を収めてやるという強い決意、つまりソフトジャズ路線に決別し、一般黒人層へ
訴えやすいR&Bスタイルを受け入れた始まりとなったのです。余談ですが本曲のバッキングヴォーカルには
マーサ・リーヴスが参加しており、その年の末におけるマーサ&ザ・ヴァンデラスの結成へと繋がります。
アルバムとして最初の成功を収めたのは65年の「How Sweet It Is to Be Loved by You」で、
R&Bチャートで4位の大ヒットとなります。上はそのタイトル曲。この時期モータウンお抱えの
ソングライティングチームであったホーランド=ドジャー=ホーランドのペンによる、
初期におけるマーヴィンの代表曲の一つです。本作からもう一曲「Baby Don’t You Do It」。
同じくホーランド=ドジャー=ホーランドによる本曲は、ボ・ディドリー風ジャングルビートに
乗せ、レイ・チャールズ的R&Bとして完成させました。初期はジャズ志向であったマーヴィンでは
ありますが、勿論レイを尊敬していたのは言わずもがな。
飛ぶ鳥を落とす勢いであったマーヴィンの最初における頂点が上の「I’ll Be Doggone」(65年)。
彼にとって初のR&Bチャート1位及びミリオンセラーとなった本曲は、モータウンの先輩 スモーキー・
ロビンソン他による楽曲。余談ですが、二人は同学年です(日本の4-3月とした場合)。
てっきりスモーキーの方が年上と思っていましたが、むしろマーヴィンの方が生まれは早いのでした。
「I’ll Be Doggone」が収録されたアルバム「Moods of Marvin Gaye」(66年)にはもう一曲の
R&BチャートNo.1ヒットが収められています、それが上の「Ain’t That Peculiar」。
本曲もスモーキー他のペンによるもの。
マーヴィンのポップミュージック界におけるステイタスを決定づけたのは本曲によると言って
差支えないでしょう、それは「I Heard It Through the Grapevine」(68年)。
ポップス・R&B双方のチャートでNo.1となり、さらに全英でも1位を記録。
特に英では40万枚以上を売り上げるという異例の大ヒットとなります。
モータウン所属の複数人達によってレコーディングされた本曲は、録音順ではミラクルズ、
マーヴィン、グラディス・ナイト&ピップスですが、世に出たのはピップスが先で全米2位の
大ヒットとなりました。アレンジの違いを聴き比べる事を是非お勧めしますが、
マーヴィンはミラクルズ版を踏襲したものです。エレクトリックピアノまで一緒ですが、
マーヴィン版はさらにストリングスを加えています。
白人ミュージシャン(特に英国の)がブラックミュージックに影響された楽曲を創ると、
80年代までは ” 黒っぽい ” という表現をよくしました。最近はこういう表現をあまり
聞かない気がしますね。イチャモンを付ける輩でもいるんですかね(コンコン!おや、誰か来た?… )
本曲は黒っぽいフィーリングの王道ではないかと私は思っています。本家本元達が演っているんだから
当たり前ですが、ローリング・ストーンズはもとより、ビートルズの中期「ドライブ・マイ・カー」
「タックスマン」など、ブラックミュージックに心酔した英国白人ミュージシャン達が夢中に
なったのが本曲のようなフィーリングだったのではないでしょうか。
シングルとしての本曲に先立ってリリースされた同名アルバム(発売時は別タイトル)もR&Bチャートで
2位の大ヒットとなりました。本作には既出のシングル曲も収録されています。オープニングを
飾る「You」ですが、バッキングヴォーカルにはグラディス・ナイト&ピップス参加がしています。
後の「I Want You」に繋がる様な、胸が張り裂ける程の切々としたヴォーカルです。
ちなみに「I Heard It Through the Grapevine」の邦題である「悲しいうわさ」について。
なぜブドウで噂?と、昔はナゾでしたが、ネット時代になってようやく意味がわかりました。
興味がある人は自分でググってください。
翌69年にも「Too Busy Thinking About My Baby」(ポップス4位・R&B1位)、
「That’s the Way Love Is」(ポップス7位・R&B2位)と大ヒットを連発。
マーヴィン人気ここに極まれりといった感じです。
60年代のマーヴィンについて一回で書き切ろうと思っていましたが、やはり無理なようです。
えっ?!69年までいったじゃん!と思われる方はごもっとも。しかし、わかってる人には
全然書いてない部分があるだろ!とのツッコミもごもっとも。次回はその辺について・・・