オーティス・レディングのレコード・CDの発売元を見るとその殆どがヴォルト(Volt)とあり、これはスタックス(Stax)の子レーベルです。サザンソウルの首都メンフィス(テネシー州)を代表してかつては一世風靡したレコード会社ですが、オーティス回の最初で書いた事ですけれども、オーティスはアトランティックソウルの代表格とされています。昔はこれが理解出来ませんでした。スタックス?アトランティック?キッチリしなさい!
( ゚Д゚)!! と叫びだしたくなる衝動に駆られますが(それほどの問題じゃないだろ・・・)、ネット時代になってその謎が解けました。スタックスはやはり米南部の一レーベルに過ぎず、その音源を全米及び世界に配給していたのが大手アトランティックだったという訳です。今回は興味の無い人にはどうでもイイようなこの枕から …
オーティスは26歳という若さでこの世を去ります、原因は飛行機事故。67年12月10日に悪天候の中その飛行機は飛び立ち、そして墜落してしまいました。「ドック・オブ・ベイ」の歌詞が自身の死を予言しているとかいうオカルトめいた噂が昔からまことしやかに一部で囁かれているのですが、これは全くナンセンスなものです。上は翌68年1月にリリースされたシングル「(Sittin’ On) The Dock of the Bay」。死の直前に録音された本曲は結果的にオーティス最大のヒットとなり、ポップス・R&B双方のチャートで1位を記録、全英でも3位に入り代表曲の一つとなります。
67年6月のモントレー・ポップ・フェスティバル出演の直後オーティスは喉の不調を感じ、それはポリープによるものでした。あまりにも激しいシャウトなどにより喉を酷使した為ですが、手術をする事になり彼はその後の歌唱法を変えざるを得ないようになります。「ドック・オブ・ベイ」がこの様な背景から生まれた曲であるのは有名です。発売は死後ですが、シングル化するのは彼の意志であったと言われています。淡々と語りかけるようなスタイルの本曲に、周囲はこれまでと違い過ぎる曲調・歌唱に戸惑いを覚えたとされていますが、オーティスは本曲に自信を持っていたそうです。勿論若すぎる不慮の死という事実がそのセールスを後押ししたのは否めませんし、私もこれがオーティスのベストトラックかと問われれば決してそうではありませんけれども、熱い歌も、淡々としたヴォーカルスタイルも、どちらもオーティスなのだと思っています。翌2月にはアルバム「The Dock of the Bay」が発売され、ポップス4位・R&B1位・全英1位というこれまた大ヒットを収めます。
ソウルシンガーの真骨頂はライヴによってであると私は思っています。70年に有名なモントレーにおけるステージがA面ジミヘン・B面オーティスという抱き合わせの形でリリースされゴールドディスクの大ヒットとなりましたが、単独のライヴ盤で有名なのは生前唯一の「Live in Europe」(67年)と68年にリリースされた「In Person at the Whisky a Go Go」でしょう。
上は「Live in Europe」から言わずと知れたローリング・ストーンズの「Satisfaction」。恥をしのんで白状しますが、その盛り上がり方からこれはロンドン公演を収録したものと永い事思っていましたが、今回調べてみると本作は全曲67年3月のパリ公演を収録したものでした・・・それはさておき(何が ” さておき ” だ … )、ロンドンの若者たちが米ブラックミュージックに憧れて創った曲を、本場の黒人シンガーが本曲をレパートリーにして欧州で大歓声を浴びる、何とも素敵な関係性ではありませんか。以前にも同じ事を書いた様な気がしますが、政治的にアメリカとイギリス・フランスといった欧州諸国の関係が必ずしも良好ではないかもしれませんが、ことポップミュージックの分野においては幸せな関係を築いていると思います。
「~ Whisky a Go Go」は白人ミュージシャンの聖地とされていた当ライヴハウスに黒人として初めてステージに立ったのがオーティスである事でも有名。上は言うまでもないジェームス・ブラウンの「Papa’s Got a Brand New Bag」。二枚のライヴ盤はリリース順は「~ヨーロッパ」の方が「~ウィスキー・ア・ゴーゴー」よりも先ですが、収録はその逆。「~ウィスキー・ア・ゴーゴー」は66年4月、「~ヨーロッパ」は先述の通り67年3月であり、つまり「~ヨーロッパ」はモントレーの直前です。聴き比べると「~ヨーロッパ」の方が苦しそうな歌い方をする個所があります。この時から喉の不調は始まっていたのかもしれません。
ボクシングでファイタータイプのボクサーというのがいます。漫画でいうと「〇〇〇の一歩」みたいな。自分がダメージを受けてもそれを物ともせず前に出て戦う、それは決して良いスタイルではなく、基本は ” 打たせずに打つ ” が理想なのだそうですが、人はそんな自らの選手生命を縮めてでもその瞬間を生きる様なタイプのボクサーに思い入れします。突拍子もない喩えですが、私はオーティスにファイタータイプのボクサーを重ねてしまいます。声楽・ボイストレーニングには無知な私ですが、オーティスの歌唱スタイルは決してシンガー生命を永く持続させる様なものではなかったと何かで読んだ記憶があります。しかしそれでも、喉を潰すことも厭わずに全身全霊を振り絞って歌う彼の姿に人々は心を震わされたのだと思います。ポリープの手術後、「ドック・オブ・ベイ」の様な路線で歌い続ける事となったのか、それともまた激しいシャウトで聴かせることとなったのか、亡くなってしまった後の事を妄想しても仕様もないことですが、それでもファンはそれに思いを馳せてしまうものなのです・・・・・・それも残された者の特権ですからね。
最後に印象的な動画を一つ。66年にイギリスのテレビ番組にアニマルズのエリック・バードン達と出演したもの。「シェイク」から途中で「ダンス天国」へ、ちょうどウィルソン・ピケット版が大ヒットしていた頃ですから。イギリス人のブラックミュージック好きは折に触れ述べてきましたが、黒人音楽に心酔仕切ったバードンらと共に盛り上がるその姿は観ていて清々しいです。私は世界平和とか、人類みなナントカとかは土台無理だと思っている人間です。どうしたって分かりあえない、利害の相反する事が先立っていがみ合う国や民族は存在します(どこの国とは言ってませんよ・・・)。それでも少なくともポップミュージックの分野においては、米国黒人と英国白人達がこんなにも溶け合っている姿は好ましいと思ってしまいます。
オーティス・レディングは今回で終わりです。もう11月も半ばですね ………………
アレ!!ってコトは!!今年もあと少しじゃね ( ゚Д゚)!! ・・・・・・・・・・・・・・・・