#153 Solsbury Hill

ケイト・ブッシュ回でその名前が挙がったのでこの人を取り上げます。
#22~24のジェネシス特集にて、私がジェネシスマニアであることは述べました。
ですので当然この人もジェネシスにおける活動及びソロワークは鼻血が出るほど聴きました。
その人は言うまでもなくピーター・ガブリエル。英国が生んだ屈指の天才(奇才)ミュージシャンです。

75年にジェネシスを脱退した彼は、その年の終わりからデモテープを作り始め、それは20曲程となります。
76年から77年1月にかけてトロントとロンドンで録音を行い翌2月に1stソロ「Peter Gabriel」を発表。
上はオープニング曲である「Moribund the Burgermeister」ですが、のっけから怪奇色満載で、
かと思えば劇的な曲調に変わる、これだけ聴くとジェネシスかと思う程です。
それもそのはず、1stに収録された多くはジェネシス在籍時に書かれたものだそうです。
初めに白状しておきますと、今回かなりの割合でピーターの自伝『ピーター・ガブリエル(正伝)』
(スペンサー・ブライト著・岡山 徹訳・音楽之友社)を参考にしています。

第一弾シングルである「Solsbury Hill」。ソルズベリー・ヒルとはイングランド南西部の
サマセット州にある古代塚で、当時ピーターの住まいは近くにあったとの事。
これから手に入るかもしれないものの為に、今持っているものを捨てる覚悟を書いた歌詞だと
本人は語っています。子供も生まれ(それに対して他のジェネシスメンバーが無理解だったのが
脱退の要因の一つであった事はジェネシス回で触れた通り)、新しい出発という意味で
第二の人生における希望のシンボルにしていたそうです。
変拍子である所を除けば本曲はメロディックで親しみやすい方ですがエンディングはやはり・・・
本シングルは全英で13位にチャートインし、アルバムも英7位、米でTOP40に入るという
好成績を上げ、英・仏・独でゴールドディスクに認定されました。ソロとして上々の滑り出しです。

平凡な・単調な、という意味である「Humdrum」。確か邦題は「虚ろな日々」だった記憶があります。
ラリー・ファーストのエレピに乗せて気怠く歌われる導入部から、途中では舞踏曲を思わせる箇所もあり、
エンディングは荘厳な展開へ。これもジェネシス時代を思わせる曲です。
キーボーディスト ラリー・ファーストはその後ピーターと永く関わる人物。そしてガットギターは
言うまでもなく盟友ロバート・フリップです。
プロデュースはボブ・エズリン。正直ピンク・フロイドの「ザ・ウォール」とピーターの本作でしか
名前を知らない人でしたが(アリス・クーパーのプロデュースが有名らしいですが私は詳しくなく … )、
大仰な音楽の作り方をする人で有名だそうです。

B面トップの「Slowburn」はイントロだけ聴くとアメリカンロックかと思ってしまいますが、
これもエズリンの影響かと。昔は輸入盤で本作を聴いていましたが、向こうのLPはジャケットの中に
ゴロッとポリ袋に包まれたレコードが入っているだけで、詳しい情報、つまり演奏陣などは
判りませんでした。ですので本曲のギターもロバート・フリップが弾いているものと思っていました。
やがてネット時代になって別のギタリストがいるとわかり合点がいきました。
エズリンはフリップに対してロックギター然としたプレイを要求し、フリップはそれを拒んだそうです。
当初は偽名でクレジットするよう頼んだそうですが(それ程までにエズリンとは合わなかった)、
親友であるピーターの為に渋々実名でのクレジットを許可したとか。余談ですがその後のツアーでは
偽名で参加し、アンプの陰に隠れて弾いていたそうです。
「Slowburn」のエンディングではやはりピーター・ガブリエルワールドが展開されます。

ブルースのパロディのようなナンバー「Waiting for the Big One」。しかし演奏が素晴らしいので
ただのパロディでは終わっていません。

壮大なオーケストレーションとタイトなR&Rが同居する「Down the Dolce Vita」は「Slowburn」と
同カラーの楽曲。次のエンディングナンバーである「Here Comes the Flood(洪水)」への
導入部も兼ねています。

「洪水」は全てが洗い流され、後に新しい世界が到来するといった多分にキリスト教的な内容だそうです。
私は詳しくないのですが黙示録というものでしょうか。自身のソロとしての再出発にもかけた意味合い
との事。本アルバム全体を通してその手のメタファー(隠喩)が込められているとか。

自伝でピーターが語っていますが、本アルバムはかなりの割合でエズリンに主導権を握られていた様です。
それでも彼はフリップの様にエズリンを毛嫌いする事なく、自分には出来ない音楽の作り方をする人と
認めています。しかしそんなピーターでも本曲はいじり過ぎだったと回顧しています。当初のイメージは
もっとシンプルなアレンジだった様であり、それは多分上の様なヴァージョンだったと思われます。
これは79年に放送されたテレビ番組『ケイト・ブッシュ クリスマススペシャル』におけるもの。
スタジオライヴを収録したこのプログラムにピーターはゲスト出演し、本曲を披露しました。
勿論の事、ご覧の通り冒頭でケイトが出ています。

初めに述べた通り私は相当なジェネシス&ピーター・ガブリエルフリークなので、ついつい思い入れ過多の、
独りよがりで
、マスTーBーション的(伏字の意味ねえな)な内容になってしまいがちなので、出来得る限り
” ピーター・ガブリエル?ナニソレ?食べられるの?” という方にも分かり易い内容で書いていきます。

既に ” 付いていけねえ ” と思ってるんじゃねえかな、見てる人いたら? … の話だけどな (´∀` )・・・・・
・・・・・・それは言うなあ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!━(# ゚Д゚)━

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