#157 The Rhythm of the Heat

WOMADというワールドミュージックの祭典があります。現在ではギネスブックに載るほどの
メジャーなフェスティバルですが、これはピーター・ガブリエルが発起人となり始まったものです。
しかし最初から上手くいった訳ではなく、82年における第一回目は多額の赤字を被ったとの事。
その窮状を見かねてフィル・コリンズ達はカンパを提案しましたが、そういう事には意地っ張りな
ピーターはそれを受け取らないだろうという事で、赤字を補填すべくフェスの五週間後に
ジェネシス再結成コンサートが行われたのです。

再結成ライヴは決して出来の良いものではなかったそうですが、それでも再び彼らが一堂に会したのは
非常に意味がありました。一つのエピソードとして、カリスマレーベルの創業者であり兄貴的存在であった
トニー・ストラットン・スミスが亡くなった後、遺品であるノートにおいて ” あの再結成ライヴは
良かった ” という記述があり、ピーター達は胸を熱くしたそうです。
上は4thアルバム「Peter Gabriel」(82年)のオープニング曲である「The Rhythm of the Heat」。
” リズミック ” ”アフリカン ” というコンセプトはここに極まれり、という楽曲です。
静と動が同居、もっと具体的に言えば厳粛なパートがあったかと思えば、脳内麻薬が出ているかのような
打楽器の乱れ打ちも。前作の音楽性を更に押し進めた本曲は当アルバムを象徴しています。

「San Jacinto」もアフリカ音楽的な楽曲。古の大地を想起させる様なサウンドです。最もピーターと
してはアメリカのインディアンをイメージして作った曲だったとの事。

アフリカンファンクとでも呼ぶべき「I Have the Touch」は、身体的接触に馴れていない英国人が、
返って肌に触れる事で異常に性的興奮を覚えるといった内容。

実はジェネシスを脱退した頃のピーターに対して映画の話があったそうです。本作や86年の「So」に
おける楽曲のいくつかはそれ用に書かれたものだったとの事。
彼は早い時期からプロモーションビデオに力を入れていましたが、その独特なステージアクトと同様に
視覚へ訴えかける手段を重んじていました。勿論それが86年のNo.1ヒット「スレッジハンマー」の
PVにて華開いた事は言うまでもありません。

本作からのシングル「Shock the Monkey」。最も親しみやすい楽曲であり、実際米では彼にとって
初のTOP40入りを果たします。評論家筋にはえらく不評だったらしいですが、いつの時代にも
けなすだけの簡単なお仕事はあるものです。ただし本曲は重要な意味を持っており、彼はモータウンの様な
ソウルミュージックを意識してこの曲を書いたらしく、最終的にはソウルっぽい雰囲気は失われて
しまいましたが、これは「スレッジハンマー」や「ビッグタイム」へと繋がる流れです。

「Lay Your Hands on Me」は触る事をタブーとされてきながら、身体的接触を求めるという歌詞。
「I Have the Touch」と対を成すような内容ですが、どちらもピーターの中にある感情の表れです。

エンディングナンバーである「Kiss of Life」は躍動感溢れるリズミックな楽曲。(多分)フランジャーを
かけたパーカッションが素晴らしい効果を上げています。

本作は結果的に前作程の成功を収める事が出来ませんでした。米ではゴールドディスクに認定されて
いますが、それは5thアルバム「So」の大ヒットを受けてから改めて売れた為(これは3rdも同様)。
当時は酷評する者が多数を占めたそうでしたが、一部ではその先進性を認めた評論家筋もいた様です。
この路線が決して間違っていなかった事は次作「So」で証明される訳ですが、その時本作を酷評した
連中はどう釈明したのでしょう。テレビの自称コメンテーターとかいうのと同じで、どうせ都合の悪い事には
ダンマリを決め込んだのでしょうけど … 世の中カンタンなお仕事が多すぎですね・・・・・

4thアルバムのプロモーションツアーを収録したライヴ盤「Plays Live」が83年にリリースされます。
ソロとしては初のライヴアルバムである本作はセールス的にこそ決して奮いませんでしたが、
ピーターのライヴアクトの模様を切り取った秀作です。出来れば映像で観たい所ですが、この時のものは
出回っていません。ライヴバンドとして鳴らしたジェネシスは全員の演奏力も勿論でしたが、
ピーターのステージングに因る所が大きかったのは言うまでもありません。「So」「Us」の大成功を受け、94年にリリースされてこれまたヒットを収めた「Secret World Live」(こちらは映像有り)の
原点は間違いなく「Plays Live」にあります(厳密にいえばジェネシス時代からですが)。
上は3rdに収録される予定が未収録となり、コンサートのみで披露されていた「I Go Swimming」。
上のサムネはアルバムジャケットですが、ジェネシス時代同様の特異なメイク・コスチュームです。

ピーターが映画に並々ならぬ興味を持っていた事は既述ですが、この時期にはサウンドトラックへ
楽曲の提供もしています。上は『カリブの熱い夜』に収録された「Walk through the fire」(84年)。
私と同世代(昭和45年生まれ)の洋楽ファンの方ならご存知でしょうが、本映画からは
フィル・コリンズによるタイトルソング「Against All Odds (Take a Look at Me Now)
(見つめて欲しい)」が全米No.1の特大ヒットを記録し(ちなみに年間シングルチャートでも
5位)、ピーターの方は完全に霞んでしまいました。もっともサントラの仕事はやれば小銭が
稼げるから、といった程度でこなしていたそうです。

この時期、妻であるジルと危機的な状況にあったそうです。殆ど家に帰らないピーター、
引っ越しをしたのですがその環境にジルが馴染めなかったという事、そしてピーターには
浮気相手がおり、精神的に不安定になったジルもこれまた不倫をしてしまいました。
ちなみにジルも貴族の家柄でイイとこのお嬢様。そしてメンタルの脆さはピーターと同様でした。
3rdにて躍進の兆しが見えかけたかと思われたピーターでしたがそれもつかの間、またまた
暗いトンネルへと突き進んでいくかの様でした。その後に関しては次回にて。

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