今日では有名なワールドミュージックの祭典であるWOMADがピーター・ガブリエルを中心に
始められたという事は前々回述べました。3rdアルバムの「Biko」などに象徴される通り、
80年代に入ってからのピーターはアフリカ等の第三世界、及びそれらの国々で未だ解決されていない
人権問題などに着目しました。後に世界的シンガーとなるユッスー・ンドゥールや、
フランス国籍の黒人ドラマー マヌ・カチェなどは86年のアルバム「So」にて世間の注目を
浴びる事となった訳ですが、ピーターが彼らを起用した背景は前述の活動が下地としてありました。
前回に続き「So」について。上はA面三曲目に収録されている「Don’t Give Up」。
本曲はイギリスにおける失業問題を歌っています。00年代以降イギリスは景気を取り戻して
いきましたが、80年代中頃は ” 英国病 ” とも言われる、過去に行われた過度な福祉政策
(ゆりかごから墓場まで。というやつ)によってまだまだ永く続いた不景気の真っ只中でした。
特に若者の失業は70年代から続く深刻な問題だったそうです。
デュエットの相手は言わずと知れたケイト・ブッシュ。ケイトの唯一無二の歌声が素晴らしいのは
言うまでもないのですが、ピーターの歌唱も筆舌に尽くしがたいものです。
その独特な音楽性や歌詞、時に奇抜とも言えるメイクやステージアクトによって見過ごされがちですが、
シンガーとしての実力は並々ならぬものです。ケイトのパートが終わってピーターの歌に戻る
3:20過ぎからの歌には鳥肌が立ちます。
本曲はそもそものイメージとしてはカントリーバラードがあったそうですが、出来上がったものは
ゴスペルの要素をも含んでいる様に思えます。いずれにしても素晴らしい楽曲に変わりはなし。
A-④の「That Voice Again」はオープニングの「Red Rain」同様に快活なリズムトラックの上で
哀愁感漂うピーターの歌及び世界観が展開されます。本作よりかなり前に、映画の構想と共に
創られたという点においても「Red Rain」と共通しています。マヌ・カチェのドラムが秀逸過ぎます。
ちなみにピーターとマヌは反アパルトヘイトに関するコンサートで知り合ったとの事。
後半で聴く事が出来るユッスー・ンドゥールの歌が印象的である「In Your Eyes」ですが、
実は他にもコーラスでシンプル・マインズのジム・カーや、ピアノにリチャード・ティーの名前も
クレジットされています。
ンドゥールが世界的歌手となるキッカケとなった事は先述の通りですが、これはピーターの方から
ンドゥールへラブコールを送ったのがはじまりだそうです。ンドゥールとコンタクトを取るためには
直接セネガルまで出向かねばならず(何故ならンドゥールの家には電話がなかったから)、
そこでンドゥールのステージを観る事となりました。彼はその時点ではセネガルの国民的歌手と
なっており、そのライヴにピーターは大変感銘を受けたとの事。余談ですがこの時まで
ンドゥールはピーター・ガブリエルというミュージシャンを知らなかったそうです。
「So」への参加の約束を取り付け、いざそのレコーディングの時がやって来ます。
当初ンドゥールは英語で歌おうとしたのですが、セネガルの言葉であるウォロフ語にそれを訳して
即興で歌い始めました。あまりの素晴らしさにピーターがそれに加わり、とてつもなくエキサイティングな
瞬間が生まれたそうです。
86年の後半から翌年まで約一年の間、ンドゥールはピーターのツアーに同行しました。
ピーターはンドゥールを紹介する際に ” 素晴らしいミュージシャンを紹介します。彼はアフリカから
最高の音楽を持ってきてくれました ” という言葉を用いました。ンドゥールはこれに
大変感激しました。観客は最初のうちこそ ” 誰だこのアフリカ人は? ” という反応でしたが、
彼の歌を聴くうちに ” もっと演ってくれ! ” となっていったそうです。
本曲はラテンフィール、アフリカン、そしてゴスペル等の要素が良い意味でごった煮になった様な
まさしく ” ワールドワイド ” な名曲です。
本曲を皮切りにンドゥールは西欧で知名度を上げ、ポール・サイモンのヒット曲などにも参加し
スター街道を突き進みます。上はンドゥールのソロアルバムにおけるピーターとのデュエット曲である
「Shaking The Tree」(89年)。翌90年におけるピーターの初となるベストアルバム
「Shaking the Tree: Sixteen Golden Greats」のタイトルともなり再録されています。
ピーター・ガブリエルの「So」についてはまたまた次回まで続きます。