#164 Phil Collins_3

所謂 ” 十八番・おはこ ” というものは歌舞伎に由来する、などと耳にしたことがあります。
その役者が最も得意とする演目を指すとか何とか。ただし音楽の場合はそれとは若干ニュアンスが
違う場合があります。ジャズやクラシックでは歌舞伎のそれとほぼ同じ意味合いで捉えて良いでしょう。
先人の残した交響曲やピアノソナタ、ジャズではスタンダードナンバーの中でそのミュージシャンが
得意とする、という意味ではまさしく ” おはこ ” です。しかしロック・ポップスにおいては異なります。
ローリング・ストーンズのおはこは「サティスファクション」だ、という表現は聞いた事がありません。
この場合のおはことはそのミュージシャンの歌唱・演奏が最も映える曲調や奏法という意味です。

フィル・コリンズはどんなスタイルの曲でも自分の歌に出来る優れたシンガーですが、” おはこ ” 、
言い替えればその歌唱における真骨頂は絶唱型のバラードだと私は思っています。
上は84年の映画『カリブの熱い夜』の主題歌である「Against All Odds(見つめて欲しい)」。
映画オンチの私は当然詳しくないのですが、それでもタイトルくらいは知っている『愛と青春の旅だち』の
監督が満を持して発表した次作だそうです(勿論観た事はありません)。
絶唱型、つまりシャウトが多用されるという事ですが、フィルのそれをあまり好まない人がいる様です。
とどのつまりは好みですので何とも言えませんが、フィルを売れ線シンガーと捉えている人に多いのでは
ないかと思っています。確かにフィルの声質はよく言えば聴き易い、悪く言えば軽く心に響かないとも
言えます。声質は生まれ持ったもので本人の努力如何ではどうにも出来ないものなので、
残る選択肢は二つ、諦めるかそれとも何とかしてそれに抗うかです。
今回検索してみて、フィルの歌が好きではないと書いていた人達の多くが80年頃より前のジェネシスを
聴いた事がないようでした。ピーター・ガブリエル脱退後、ジェネシスのメインヴォーカルを務めたフィルは
バラードに限らずシャウトを多用していました。ピーターの良く言えば迫力がある、悪く言えば
重々しくクセのある歌声と比べるとフィルのそれは前述した通りなので、シャウトの多用はそれを
補うためであったのではないかと私は勝手に推測しています。ですのでその歌唱スタイルは
ソロになってからのものではなく、従前から変わらない歌い方であったのです。
勿論シャウトを用いない前回・前々回にて取り上げた「モア・フール・ミー」や「マッド・マン・ムーン」も
素晴らしい歌であるのは言うまでもありません。
前回フィルとピーターの声質が似ていると言っておきながら上は矛盾した話になってしまいますが、
もっと正確に具体的な事を述べると、ピーター脱退後のフィルは意識的にピーターを模倣した、
もしくは意識せずとも自然とピーターのスタイルに寄っていってしまったのではないかと思っています。
フィルの歌の巧さはピーター在籍時からバンド内でも認められており、であるかしてアルバムの中で
丸々一曲リードヴォーカルを任せられた訳ですけれども、やはり降ってわいたようなフロントマンへの
抜擢はフィルにとっても戸惑いのあるものだった事でしょう。バンドの音楽性もピーター脱退によって
ガラッと変わった訳ではなく、音楽面の実質的なイニシアティブを握っていたのはトニー・バンクスなので、
彼のカラーが良く出ていた「月影の騎士」的な作風へと向かったのは前回の最後で既述の事です。
であるのでフィルがお手本にしたのは「月影の騎士」の頃におけるピーターの歌い方だったとしても
何ら不思議はありません。

フィルのヴォーカルスタイルが確立された、語弊があるのを承知で言えばピーターの呪縛から
解放されたのは本曲及びそれが収録されたアルバムからだと思います。
その曲こそ中期の傑作「Duke」(80年)におけるオープニングナンバー「Behind the Lines」。
躍動感あふれるポップな曲調・リズム、何より水を得た魚の如く活き活きとしてハジけるフィルの
ヴォーカルは従来と明らかに異なります。
厳密に言えばこの前作「…And Then There Were Three…(そして三人が残った)」(78年)から
その前兆はありましたが、ここまでジャンプした作風及びフィルの歌は「デューク」からです。

「デューク」はその音楽性と親しみやすさが非常に高い次元で同居している作品です。さらにサウンド面でも
特筆すべきものがあり、ドラムの音色はゲートリバーヴを使用するようになる直前のもので、
自然な鳴り(多少は電気的なエコーも使っているかもしれませんが)が非常に心地良い、フィルのタイトな
ドラミングが堪能出来ます。また本作でフィルは初めてリズムマシン(ローランド CR-78)を
使用します。今日からすると非常にチープなものに聴こえてしまいますが、これから後にこの無機質な
ビートを使って、ゲートリバーヴによるドラムサウンドと共に80年代の音楽シーンを変えてしまう程の
インパクトをもたらしました。上はそれを聴くことが出来るA-②「Duchess」。
「Behind the Lines」からメドレーになっており、華々しかったオープニングから淡々とした
曲調・サウンドに展開するのですが、このリズムマシンが非常に効果的に使われています。

80年代のフィルはワーカホリックなどという言葉では片づけられない程の仕事振りでした。
それは、泳いでいないと死んでしまう回遊魚か?というくらいに・・・
自身のソロ及びジェネシスの他に、今回最初に取り上げた「見つめて欲しい」の様な映画のサントラ、
他ミュージシャンとのデュエット及びプロデュースなどです。
列挙すると、サントラに収録されマリリン・マーティンとのデュエット「Separate Lives」(85年、
全米1位)、同じくサントラから「A Groovy Kind of Love」「Two Hearts」(88年、どちらも
全米1位。後者はモータウンの伝説的ソングライティングチームである ” ホランド・ドジャー・
ホランド ” のラモント・ドジャーとの共作)、そしてエリック・クラプトンのプロデュース(#11ご参照)
等々。ホントにいつ寝てるんだ?という程の仕事振りです。
以前どこかで書いた記憶がありますけど、85年におけるチャリティー『ライヴエイド』は英米同時公演という
大規模なコンサートでしたが、フィルは英ウェンブリー・スタジアムに出演した後、超音速機コンコルドで
移動し米JFKケネディ・スタジアムへも出演するという離れ業を成し遂げました。先進国の首脳や
アラブの大富豪より多忙で尚且つ稼いでいたのではないでしょうか・・・
正直その全てが素晴らしい、とは個人的に思いませんけれども、それらの中で極めつけは本曲でしょう。
アース・ウィンド&ファイアーのフィリップ・ベイリーとのデュエット曲「Easy Lover」(84年)。
同年におけるベイリーのソロアルバム「Chinese Wall」からのシングルカットである本曲は、
全米2位・全英1位を記録し、英米双方でゴールドディスクを獲得します。
既に述べた事ですが米本国以上にブラックミュージックの影響を受けたイギリスの若者であった
フィルにとって、本場の黒人音楽を体現したベイリーとの共演は喜ばしい事この上なかったでしょう。
では、60年代ソウルミュージックやEW&F全盛であった70年代ディスコをトレースした楽曲で
勝負したかと言うと、全然違いました。上の動画にて一聴瞭然だと思いますが、ソウル・R&B・ディスコ
というものより、むしろロックスピリッツ溢れる曲調そして何よりビートです。勿論80年代前半は
ソウルはおろか、あれほど一世を風靡したディスコも陰りを見せ、黒人音楽と言えばクインシー・ジョーンズ&マイケル・ジャクソンに代表されるダンサンブルなファンク+AORでした。その路線で言っても
当時におけるフィルの勢いならヒットはしたと思いますが、敢えてそれを避けたのは英断です。
フィルお得意のシャウトとベイリーのファルセットが、このハードなロックンロールの中で
見事に融合・昇華されています。どのみち売れ線と批判する手合いは必ずいるのですが、
本曲以上にこの二人のコラボレーションを成功させるものがあったと言うの
ならば、具体的に示してから
売れ線だナンだと言って欲しいものです。実際に本PVではフィルがEW&F風コスチュームを
提案するとベイリーが苦笑いして困惑するというシーンがあり、それが何よりも旧来のEW&Fとの
決別を図る決意であったベイリーの心中を表したものです。
「Chinese Wall」のプロデュースは勿論フィルによるもの。余談ですが、ジェネシス81年のアルバム「Abacab」にEW&Fのホーン隊が参加しています。その辺りがベイリーとの共演との足掛かりに
なったのではないかと思っているのですが、それに関する経緯は出てきませんでした。
最後にそのホーン隊が加わった「No Reply at All」を張ってフィル・コリンズその3を終わります。

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