#171 I’m Not in Love_2

上は「I’m Not in Love」のシングルヴァージョンで、6分以上あった原曲を3分40秒程に
短縮したもの。日本版ウィキでは短縮版は米向けで英版はフルサイズとありますが、実際は英でも
短縮版でリリースされ、その時はチャートで28位とあまり奮わなかったらしく、その後に
ファンやプレス連中の要求からフルサイズをラジオで流すようになった所、見事全英No.1を獲得します。
米でも最高位2位を記録しバンド最大のヒットとなりました。ちなみに1位を阻んだのはヴァン・マッコイ
「ハッスル」やイーグルス、ビージーズといった強者達でタイミングが悪かったとしか言い様がありません。
それにしても当時の編集技術では致し方ないとは言え、3:18の処理は残念過ぎます・・・・・

前回でも触れたケヴィン・ゴドレイの提案による ” 声のウォール・オブ・サウンド ” は本曲における
肝であり、ポップミュージック界に大きな衝撃を与えました。BS-TBSの『SONG TO SOUL』では
本曲の回でムーンライダーズの鈴木慶一さんが出演されていました。当時ムーンライダーズは
アイドルタレントのバックバンドとして活動しており、その地方公演の為滞在していたホテルにて
ラジオから流れてきた本曲が初めて耳にしたものだったそうです。いかにも英国的な、練り込まれた
ポップスという印象だったとか。番組出演にあたり改めて本曲を聴き込み及び解析したところ、
何十年という時を経て新たな発見があったとの事。プロの耳をもってしても容易には理解できない
アレンジの緻密さがあるという事です。勿論本曲のマスタリングや再生機材の向上もあるのでしょうが。
” 声のウォール・オブ・サウンド ” の制作過程についてはかなり専門的で長い文章になってしまい
(正直わたしも ”?” という点が多々ありました)、レコーディングエンジニアを経験した人間で
なければ理解できない部分も多いのであまり詳しくは言及しません。出来るだけ簡潔にまとめると、
半音階で12音(13という説も有り)、つまり一オクターブをメンバー四人で録音しました。
それを磁気テープに録音しループ(輪っかにする)させてエンドレスで再生するというもの。
サンプリングマシンが一般化する80年代中期以降であれば全く無意味な作業ですが、当時こんな事を
しようとした人達は他にはいなかったのではないでしょうか。革命的レコーディングという
点ではビートルズのサージェントペパーズ(#3ご参照)に繋がるものがあります。
『SONG TO SOUL』でも語られていましたがテープの継ぎ目でどうしてもノイズが入る、
その為ループを出来るだけ長くする必要があり、その解決策としてスタジオを対角線に使い、
角と角にマイクスタンドを設置してそれをテープのガイドローラーとしての役割を負わせ、
12フィート(約3.6m)のテープが工場のベルトコンベアの如く廻ってマルチレコーダーに
録音させたそうです。ミュージシャンというより工作技術者といった方が相応しい程です。
そうして624声という素材をミックスダウンさせる事に成功したそうです、頭が下がる … <(_ _)>

文章ばかりでは飽きるので、ハマースミス・オデオンにおける77年のライヴを。
本曲では偶然の産物という結果もありました。冒頭から聴こえる、特にエレピが入る前において
よくわかりますが ” サー ” というノイズが聴こえます。私の様なアナログ世代ならお馴染みですが
これは磁気テープ特有の ” ヒスノイズ ” というもの。意図的に入れたものかと思いきや真相は
異なり、理由はわかりませんがこの時フェーダー(音量を上げ下げするツマミ)の下部にガムテープを
張って一番下まで下がらないようにしており、その為無音ノイズとも呼べるヒスノイズが全編に
渡って入っています。本来であれば余計なノイズなのですがこれが結果的に本曲における独特の
浮遊感・空気感を産み出しています。

冒頭から聴こえるベースドラムの音というのが実はシンセサイザーによるものだというのは
今回調べていて初めて知りました。てっきりマレットでもって手で弱く叩いているものかと思って
いましたが、当時ロル・クレームが購入した最新鋭のムーグを使用したそうです。
心臓の鼓動をイメージして作ったというこのビートもまた本曲を構成する重要な要素の一つです。
また本曲におけるベースパートはエリックのエレピによるもの。つまり弦のベースではなく
フェンダーローズの左手によるベースラインにて賄われています。それは制作段階からであり、
ベースギターが入る余地はないと考えられていたのですがある日エリックの頭にアイデアが
浮かびます ” ベースソロを入れたらどうだろうか? ” と。
ジャズにおいてバラード中でベースソロを入れるというのは普通にある事ですが、ポップソングで、
しかも70年代中期の段階ではまず無かった試みでした。
とにかく10ccというバンドの中に流れていた信念は ” 他人と同じ事はやりたくない ” というものでした。
” 普通でない ” アイデアを出すためには何日~何週間という時間をかけるのも珍しくなかったらしく、
このバンドの精神性はその辺りにあると思います。もう少し具体的に言えば、全員が器楽演奏・歌・
作曲・編曲をこなす、これだけなら他のバンドでも無くはありませんが(そんなにはいないか・・・)、
更に彼らは全てがレコーディングエンジニアでもあるという特異性がありました。
それを可能にしたのは彼らが活動の拠点としていたスタジオにあります。そのスタジオとは
『ストリベリースタジオ』。元々は68年にエリックが小さなデモ用スタジオを購入し、後にグレアムが
共同出資者となり更にはロルとケヴィンもその経営に参加しスタジオはバンドのものとなります。
前述の通り自分達で作曲・編曲し演奏と歌もこなす、というバンドは70年代に入ってから
決して珍しい存在ではありませんでしたが、彼らは更にその一歩先を見越していました。
つまりポップミュージックは録音・編集まで含めてのトータルな表現であると。その先見性には驚愕します。日本では大滝詠一さんが早くから自身のスタジオを所有していましたが、やはり同じような考えで
あったという事は言わずもがなです。
偶然かもしれませんが大滝さんの『福生45スタジオ』も75年から存在していたとされています。
ちなみに『ストリベリースタジオ』という名の由来は言うまでもなくビートルズ「ストロベリー・
フィールズ・フォーエバー」。10ccの面々が影響を受けたのは自明の理です。更に言えば
エリック達は初期におけるエルビス・プレスリーのレコードの様な音に惹かれ、あのような音を
自分で創りだしたいと思ったとの事。それは少し割れて(歪んで)しまっていたりするものや
真空管マイクで録音した独特のヴォーカルなど、68年においてもかなりレトロなサウンドで
あったのですが、これらに興味を持ったのが始まりだったようです。

そして中間部のパートと言えば忘れてならないのが、あ!・・・ またいつの間にこんなに長く …
二回でも無理でしたね・・・という訳で続きは次回「I’m Not in Love」その3にて。

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