#189 Scenes from an Italian Restaurant_3

ビリー・ジョエルの「Scenes from an Italian Restaurant(イタリアンレストランで)」
についてその3。

ブレンダとエディは75年の夏にはもうこうなる運命にあったんだよ
上から下まで経験してショウの終わりを迎えたんだ
これからの残りの人生街のチンピラに戻るわけにもいかず
二人にできる最良のことは粉々になった破片を拾い集めることだけ
でも僕らがずっと知ってた通りあの二人はきっと切り抜ける道を見つけたよ

上の第四部で再びAメロに戻った際の歌詞は、” 75年の夏 ” というフレーズが再度使われ、
前のAメロと対を成しています。75年の夏に結婚することを決めたという前の歌詞に呼応する、
その時点で既に二人の破綻は見えていたという皮肉な話しに始まり、ブレンダとエディの ” ショー ” は
終わりを迎えたという流れ。若さや情熱だけで人生を乗り切る事は出来なかったのです。
ただし少し救われるのは最後の切り抜ける道を見つけるというくだりです。破滅の道は
歩まなかった、しかも皆はそれをずっと知っていたというフレーズが意味深です。

さあ僕が聞いたのもここまでだ ブレンダとエディのことは
今話した以上のことは知らないのさ さあこのへんで
ブレンダとエディに手を振ってこの話を終わりにしようじゃないか

第四部は上の様な歌詞にて締めくくられます。注目すべきはここでは ” 僕が ” つまり ”I” という
単語が用いられ一人称の語りになっていることです。それまで語り部が現れず説明的に述べられて
いたのが最後になって登場し、手を振って終わりにしよう、となっています。
そして勿論 ” Brenda And Eddie goodbye ” というフレーズが最初のAメロの終わりと
対を成しています。もう少し詳しく言うと初めが無茶を押して結婚する彼らに、
But there we were wavin’ Brenda and Eddie goodbye.
(でも僕らは手を振ってブレンダとエディを見送った)
だったのに対して最後が
And here we are wavin’ Brenda And Eddie goodbye.
(さあこのへんでブレンダとエディに手を振ってこの話を終わりにしようじゃないか)
と見事にコントラストを成しています。
楽曲及び演奏面も秀逸で、特に後半におけるベースのオフビート、所謂裏打ちが
この上なく見事です。全然ハッピーな結末ではないのに高揚させてくれちゃってます。


A bottle of reds, 
ooh a bottle of whites
Whatever kind of mood you’re in tonight
I’ll meet you anytime you want In our Italian Restaurant
赤ワイン ああ それとも白ワイン 今夜はどんな気分なんだい?
きみが好きなときに いつだって会いに来るよ
あの僕らのイタリアン・レストランで …

最後が第五部で上記の歌詞です。楽曲は第一部と同じ(エンディングらしくもっと
仰々しくなっていますが)、歌詞も当然なぞっています。
上の動画は06年、東京ドームでの模様です。ビリーのライヴアクトは70~90年代初頭くらいまでが
圧倒的に良くて、それ以降は個人的にあまり好きでないのですが、これはその中では秀逸な演奏。

前々回も述べましたが私はポップミュージックにおいて歌詞にあまり重きを置かない方です。
歌詞を深読みし過ぎて、特にボブ・ディランやジョン・レノンマニアの一部は音楽そっちのけで
珍妙な解釈を展開する人たちが少なからずいます。多分ディランやジョンはそんな事考えて
書いた訳ではないというのに・・・・・
しかし本曲についてはその歌詞、そこからイメージされる映像が重要であるのであえて語ります。

まず最も議論になるのが第一部及び第五部でイタリアンレストランにいるのはブレンダとエディ?
はたまた別人達か?というもの。これはどちらでも成り立ちます。ビリーもそれについては
コメントしていないようです。多分よく質問されてきたのでしょうが、” さあ?どうかな?アハハ!”
みたいにはぐらかしてきたのでしょう。ただしブレンダとエディのモデルになった人物たちは
いるらしく高校の同級生だったようです。10年後の同窓会は仕事で出席できず、20年後のは
出席できたらしいのですが(91年頃)、その時に会ったモデルの二人は、見る影もなかったそうです…

第二部が第一部の続きの様に捉えられがちであるが、それだと結婚生活順調な既婚男性が昔の恋人を
誘っているという鬼畜な流れになってしまうのでそれは考えづらいというのは前々回で既述。
そしてこれも議論の的になるのが第二部はブレンダとエディであるのか?というもの。
これもそうであってもなくても成り立つので解釈は人それぞれですね。

これから述べるのはあくまで私個人の解釈であり、そこから浮かぶ映像のイメージです。忙しい方は
ちゃっちゃと読み飛ばしてください ………… あっ … でも … ちょっとは読んでほしいかも・・・・・

第一部は勿論イタリアンレストランで。語り部は男性で、差し向かいで座っているのは恋人の女性と
考えがちですが、友人でも成り立ちますのであえて向かいの席の相手は映しません。

第二部における昔の恋人との邂逅は偶然街中で、とかのベタな設定で構わないでしょう
” やんちゃ ” な10代を振り返るパートは当時を懐かしむ二人のシーンで。
そして男性は第一部の人物でもありません。第二部の男女は全く別のストーリーなのです。
フレームストーリーというビリーの言からこういう設定は十分考えられます。

第四部は前回述べたようにブレンダとエディの物語が、マンガなら背景に、映画なら字幕テロップで
説明的に綴られます。二人にあえてセリフはありません。その方が引き立つような気がします。

そして第五部ですが、その直前における第四部終盤で一人称になる所で、ブレンダとエディの
映像は映画館のスクリーンに映し出され、それを観てスクリーンに手を振っている何人かの人々が
登場します。その中には第二部の男女もいます。勿論第一部の男性もいますが、中央に居る
彼に関してはあえてその顔を映しません。
やがてフィナーレを迎える第五部に突入した所で舞台は映画館からイタリアンレストランへ
変わり(CGとか使えば出来るんでしょ、多分)、中央に居る男性が振り返るとそれはビリー・ジョエル。
つまり第一部の男性はビリーと同じ背格好・髪型で、当然着ていた物も同じにしていたという訳です。
少し凝り過ぎかな?とも思いますが、このぐらいのサプライズはあってもいいのでは。

結局ビリーが本曲で言いたかった事は何なのか? 若い時くらいはムチャをしろ!でしょうか、それとも
若さやパッションだけでは人生は乗り切れない、もっと計画的に。という事でしょうか。
どちらでもなく、またどっちでもある、と私は思っています。本曲はその曲調とは裏腹に、かなり達観した、
かなり飛躍するかもしれませんが、手塚治虫の名作『火の鳥』のような、” 上からの目線 ” で(
この場合の
上から目線はエラそうにという意味ではなく、文字通り上空からの、鳥の視点でという意味)、
人々の生き様を見つめているものの様な気がします。
若気の至りで突っ走っても、ミラクルなどが起こる事はまずあり得ず、人生は当然の結果を迎えるんだ。
だけど若さや情熱で勢い余ってしまうのは悪いことなのか?そうでもないぜ、それもまた人の生き方さ!
前回にて第四部のBメロの最後(ブレンダとエディの結婚生活が破綻していく箇所)に
” yeah rock n roll ! ” と叫んだことをただのノリかもしれないが、結構重要なポイントであるかもしれないと述べました。現実生活では当人たちにとってかなり危機的な状況であっても、客観的に見れば
何百万という人々が経験している事であり、それもまた人の人生さ!ロックンロール!! という、
あれはそういうニュアンスかな、と私は思っています。

ビリーが若い時から鬱病を患っていた事は以前に触れました。この人は決してポジティヴな思考の人では
ありません。これはビリーによる青年たち(ヤンチャな気質の)が経験する通過儀礼を良いとも悪いとも
せずに、いわば ” ケセラセラ ” 的な、かなり控えめな応援歌なのでないかと私は思っています。
そしてイタリアンレストランとは結局何なのか? モデルとなる店が存在したというのは既述ですが、
このレストランは、世間一般に決して成功したとは言えない、。若い時にヤンチャした者たちを、
甘やかす訳でもなく、かと言って冷遇するでもなく、ただ淡々と受け入れてくれるこの世のどこにも
実在しない精神的な拠り所なのではないかと考えています。そうであるなら第一部における語り部の
相手が必ずしも女性でなくとも成り立ちますしね。ちなみに、
” A bottle of reds, ooh a bottle of whites Whatever kind of mood you’re in tonight ”
というフレーズは、ビリーがその店で実際にウェイターから投げかられた言葉だそうです。
意外にキッカケは何てことないものだったんですね。でもそのウェイターはちょっと粋ですけどね …

音楽的にはハリウッドの映画音楽・ミュージカル、ディキシーランドジャズ、ラグタイム、そして
R&Rと、この時点におけるビリー流アメリカ音楽の集大成になっていると私は思っています。

かなりの長文になってしまいました。四回に分けようかとも思いましたが、切りのイイ所で三回に
まとめたらこの文量です。正直まだ書き切れてない事柄もオッパイ … もとい、いっぱいあります・・・・・
35年前にベスト盤で本曲を聴いて以来、自分にとっては「ストレンジャー」のベストトラックでもあり、
ビリーの中でも三本の指に入るお気に入り曲であったので、思い入れが強く、ブログを始めたら
必ずこの曲については書きたい!、と思っていた曲なのでこの様になりました。
” 大丈夫、誰も読んでねえから (´∇`) ” 、とか自虐ネタ
はしません。はじめにそう決めましたから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そう … キメたんですか … ら ……
………………………………………………………………………………………………………………… °(´∩ω∩`)°。

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