上はビリー・ジョエルのアルバム「Glass Houses」(80年)においてB面のトップを飾る
「I Don’t Want to Be Alone」。当時流行しつつあったレゲエ・スカのリズムを取り入れた
本曲はイギリス勢の影響を受けたのではないか? と思っています。そしてこの歌い方、
どこかで聴いた事が? と首をひねりがちになるんですけれども・・・
そう! エルヴィス・コステロにどことなく似ているんです。コステロは前年に3rdアルバムが
全米TOP10入りするほどに躍進していましたので、コステロをはじめ英国勢の若手が好んで取り入れた
レゲエ・スカといった音楽やその歌い方に関して影響を受けたとしてもなんら不思議はありません。
70年代後半にイギリスでパブロックと呼ばれる米のオールドスタイルR&Rをリスペクトしながら
独自の音楽が生み出されました。デイヴ・エドモンズ、ニック・ロウ、そしてエルヴィス・コステロ達が
その代表格であり、まだ売れる前のヒューイ・ルイスが欧州で武者修行していた時にエドモンズや
ニックと知り合い交流を深めた、というのは以前に書きました(#85ご参照)。
またストレイ・キャッツが認められたのも初めは英国においてです。
全くの推測ですが、ビリーは彼らの動きに先を越された!くらいの感じを受けたのではないでしょうか。
本国では廃れつつあったオールドスタイルR&Rのスピリットを、海を隔てた英国のミュージシャンたちが
復興させた事に本国のミュージシャンとして歯痒い想いを抱いたのではないかと。
ちなみにコステロの米における発売元はビリーと同じコロムビアレコードです。
再びタイトなロックチューンである「Sleeping with the Television On」。中間部のチープな
オルガンの間奏がこれまたコステロっぽく聴こえます。
” テレビをつけっぱなしで寝る ” というのは、むなしい朝を迎える、退屈な日常を繰り返す事の
比喩の様です。アメリカでは昔からテレビ(この場合は地上波というやつ)は無趣味・無教養な
人間が視るもの、貧乏人の娯楽と蔑まされていました。日本でもようやくアンテナの敏感な
若い人達の間ではそうなっていますね。まともな感性であんなくだらないものは視れません。
これまた素晴らしいロックナンバーである「Close to the Borderline」。本作においては
ドラムのリバティ・デヴィートとベースのダグ・ステグマイヤーが重要な役割を果たしている、
というのは前々回にて既述ですが、本曲においてそれが十二分に発揮されています。
憧れのジョージ・マーティンとの仕事を袖に振ってまで守り抜いた自身のバンド。それが本作で
見事に結実されたのです(#186ご参照)。特にデヴィートのドラムが素晴らしく、彼のドラム抜きに
本作は完成出来なかったのではないかと思えるほどです。
アルバムラストの「Through the Long Night」。多くの人が本曲だけがこのアルバムの中で
浮いていると思うのではないでしょうか。勿論私もそうです。内省的な曲調・歌詞は
本作のコンセプトからはベクトルが外れています。どう考えても次作である「ナイロン・カーテン」に
収録されていた方が良かったのでは?・・・ そうです。ビリーはこの時からすでに
「ナイロン・カーテン」の構想があったのでは? と私には思えてなりません。本曲はビリーが
最後に提示した次作の方向性だったのはないでしょうか。
” Glass Houses ” が諺中の単語であることを知らなかった頃は、冒頭のガラスが割れる音は
前作迄のイメージをぶっ壊してやる!的なビリーの意気込みくらいだと思っていました。
勿論そういった想いもあったかもしれませんが、諺の意味を知ってからはまた別の意味合い、
これは好き勝手言ってばかりいるリスナーやプレス、特に評論家をはじめとしたプレス連中への
強烈な皮肉だったのではないかと個人的には解釈しています。
現在でも俗にいうマスコミの状況は全く変わっていませんけれども・・・・・