#199 Laura

自分にとっての「サージェント・ペパーズ(ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド)」を創る。
ビリー・ジョエルは「The Nylon Curtain」(82年)を上の様な想いから制作に取り掛かりました。
「サージェント・ペパーズ」は言うまでもなくビートルズが67年にリリースしたアルバム。
よく言われるのは3分間ポップソングでしかなかったロックを新たな高みまで引き上げた作品である、
という事。私は「サージェント・ペパーズ」が一番好きなアルバムという訳ではなく、また3分間ポップスも
悪いとは全く思いませんが、従来のロックミュージックとは一線を画した作品である事に異論はありません。
その辺は#3で触れていますので宜しければ。

82年の4月15日にビリーはバイク事故を起こします。かなりの重傷で、しかもピアニストにとって命である
指と手首にかなりの損傷を負いました。この事故により6月にリリース予定であったアルバムが
9月まで伸びることとなりました。
「The Nylon Curtain」は全体を内省的な雰囲気が覆っている作品ですが、まるでバイク事故によって
ビリーのスター人生に影を落とす事を予見していた様だ、とオカルト信者は言い出しそうですけれども、
事故はあくまでたまたまの出来事でしょう。もっともその前から妻であるエリザベスからバイク禁止令が
出されており、そのストレスが事故に繋がったという見方もあるので全く関係ないとは言い切れないかも …

上はA-②「Laura」。ビートルズファンや洋楽にある程度精通している人なら ” まるでジョン(レノン)
みたいだ ” と感じることでしょう。ビリーはそのメロディメーカーとしての世間的イメージから
ポールとよく比較されるところですが、精神的・音楽的にはジョンの影響が強いと思われます。
多分「レット・イット・ビー」や「ロング・アンド・ワインディングロード」の映像でピアノを
弾きながら歌うポールのイメージが強すぎての事だと思いますが、ポールは言うまでもなく卓越した
ベーシストであり、またギタリストとしても非常に優れたプレイヤーでした。ビートルズ初期において、
最もギターが上手かったのはポールだと言われています(ピアノが下手と言う訳ではなく)。
「Laura」から感じられるのはジョンの「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」や
「アイ・ウォント・ユー」において感じられる ” 粘っこさ ” です。
歌詞においてもかなり難解な面があり、やはりジョンの影響かな?と思われる所があります。

自分にとっての「サージェント・ペパーズ(ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド)」を創る、
というのは唐突に思い立った事ではなく、言うまでもなく80年12月におけるジョンの悲劇的な死を
受けての事だったと思われます。エド・サリヴァンショーにおけるビリーを観てロックンロールの洗礼を
受けたビリーにとって当然ジョンはヒーローの一人でした。
ジョンの死、及び周囲との確執(妻 エリザベスやその親族)などがビリーの中で徐々に黒い影を
落とし始め、そして82年4月の大事故が起きてしまいます。
周囲との確執って何? というのは次回以降にてまた。

ところでこのブログを書いているのは12月7日。明日はジョンの命日です。ビリー・ジョエルに
関する記事なのですが、ジョンの話に繋がったところで何か一曲。これもビリーは相当好きだったのでは
ないかな? と思うものです。厭世的な歌詞などが特にビリー好みだったのでは・・・

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