#203 The Longest Time

前回、さらにはそれ以前にもビリーと元妻 エリザベスの親族との間にトラブルが生じた事は
既に触れてきましたが、ここで具体的に書いてみます。

エリザベスとの離婚後においても、弁護士である彼女の実兄及び義弟がマネージャーとして
ビリーのマネージメントに引き続き就いていました。
簡単に言えば使い込みをしていたという事なのですが、驚くべきはその金額。80年代のおよそ十年間で
3000万ドル(当時のドル円が200円程度だったので日本円で60億円)という巨額なものでした。
元々金に疎く、さらにはあまりにも多忙であったビリーの目が届かないのをイイ事に、
その金を投資につぎ込んでいたそうで、さらにその投資の失敗を穴埋めするためにまた使い込むという、
典型的なパターンでした。
80年代の後半になってさすがにおかしいと思ったビリーは調査チームを雇って調べ上げた所、
上記の様な使い込みが発覚しました。その後はお決まりの泥沼法廷闘争となり、結果的にはビリー側の勝訴
(当たり前だ)。しかし被告側が破産して全額回収する事は出来ませんでした。
後にビリー本人も愚かであったと振り返っているそうです。

上は言わずと知れた「The Longest Time」。アルバム「An Innocent Man」(83年)のA-③に
収められた本曲は、今ではごく当たり前に聴くことが出来るアカペラスタイルの楽曲ですけれども、
80年代、特にその前半において、アカペラなど全く注目されていませんでした。90年代から
ヴォーカルグループが陽の目を見るようになり、それ以降はポップミュージックの一ジャンルとして
定着しましたが、70~80年代においては完全に過去の廃れた音楽として扱われていました。
しかしビリーにとってはその少年時代、N.Y. の街角で当たり前の様に歌われていた、慣れ親しんだ
ストリートミュージックだったので、何の奇のてらいもなく取り上げる事が出来たのでしょう。
さりげなく創ったような楽曲が(アルバムの全素材を六週間で書き上げた事は前回で既述)、
素晴らしい楽曲、そして素晴らしい歌唱になる所がこの時期におけるビリーの音楽的テンションの
高さを物語っています。
余談ですが、それを考えると80年に「オン・ザ・ストリートコーナー」をリリースした山下達郎さんが
いかにすごかったのかを改めて思い知らされます。達郎さん曰く、「ライド・オン・タイム」が
ヒットした今しかこんなアルバムは創らせてもらえない、とその時は創ってしまったそうです。
ちなみにオンストはその3までリリースされています。

こちらも有名な「This Night」。ベートーヴェンの曲をモチーフにした事がよく知られていますが、
父親のルーツがドイツ系という事もあり、クラシックで取り上げるとしたならばやはり
ベートーヴェンだったのかな? とか勝手に推測したりします。
ちなみにその歌詩は、その時期に短期間付き合ったスーパーモデル エル・マクファーソンについて
書かれたものだそうです。

次回以降も「An Innocent Man」について。

 

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