#222 Honky Château_2

71年1月に前年末からチャートを駆け上がってきた「ユアソング」が全米8位/全英7位の大ヒットとなり、
エルトン・ジョンが世界中に知られる存在となった事は既述であり、また同年におけるコンサートツアーが
それに拍車をかけ、またそのツアーが熾烈(内容そしてエルトン達にかけるストレスという両方の
意味
にて … )であったことも書きました。

同年におけるエルトンのスケジュールをちょっとだけ書き出してみると、年明けにフランスで催された
音楽フェスに参加する為渡仏し、その後少しではあるが北欧ツアーをこなし、その後に長い北米ツアーへと
旅立ちます。これも既述ですが、その合間をぬって2月と8月に「マッドマン」のアルバムレコーディングも
行っている訳です。そしてこの時期、実はマネージャー不在で営業を行っていたらしく、前年の米ツアー時に
クビにしてから一年の間マネージメントするスタッフ無しで、営業面は行き当たりばったりだった様との事
(その後スコットランド人のマネージャーを迎え、その面は解消された)。
上はB-①「Salvation」。作詞家 バーニー・トーピンはキリスト教徒というわけではなく、
むしろそれらには辛辣な姿勢であったらしく、本曲は単純な内容ではないらしい・・・

そのバーニーはツアーにも同行して、ステージの最中にエルトンから呼ばれるのを舞台袖で待ち続け、
ほんの一瞬ステージで挨拶をした後、オーディエンスに小さく手を振ってまた舞台袖に戻っていく、
という事を繰り返していたそうです。
エルトンだけではなく、バーニーもこの様な日々の繰り返しに相当なストレスをため込んでいたらしく、
お互い心身ともに疲弊していきます。エルトンはアルコールと過食、バーニーはドラッグへと
溺れていくのでした・・・
B-②の「Slave」はエルトンお得意のカントリー調ナンバー。牧歌的な曲調ですがアメリカにおける
奴隷の奴隷の辛い境遇を歌ったものらしい・・・

皮肉なことに「ユアソング」のヒット以降、ミュージシャンとしては成功の一途をたどり続けるのと
反比例して、その肉体と精神はどんどん病んでいく事となった訳です。
ちなみにDJMレーベルとの間ではこの時期年に2枚のアルバムをリリースする契約となっていて、
これがエルトン達へのプレッシャーとなっていたことも言わずもがな。
自分たちを拾ってくれたDJM社長 ディック・ジェームズへは恩義もあったでしょうが、
不満も持っていた事は事実で、これがのちにおける泥沼の裁判沙汰へとつながったのかも・・・・・
「Amy」は一筋縄ではないファンクナンバー。エレクトリックヴァイオリンと相まって
魔訶不可思議な雰囲気がプンプンします。レオン・ラッセル調とよく評されますが、私は少し
スティービー・ワンダー臭も感じます。同時期に活躍した天才・鬼才(奇才)たちですから、
影響を受けあって何ら不思議はないです。ちなみにレオンが42年生まれ、エルトン47年、
スティービーは50年生まれです。

かようにツアーに明け暮れた71年が明けて、翌72年初頭からシャトウスタジオにて腰を据えて
制作に取り組んだ作品が「Honky Château」であるというのが前回の内容でした。
そこではコンビを組みたての頃の様にするすると楽曲たちが生み出されていった、と書きましたが、
別の資料によればこの時期のエルトンもかなり精神的に不安定だったとあり、生来の癇癪が
いつ爆発するか、回りは最新の注意を払いながら何とか5月の発売へこぎつけたとあります。
もっともこの資料というのは児童書の ” 伝記 エルトン・ジョン ” みたいな本なんですけどね …
地元の図書館で検索したら唯一ヒットしたのがこの児童書でした・・・ (*´∀`*) ………
B-④「Mona Lisas and Mad Hatters」は隠れた名曲として知られてます(こういう言い方は
よく目(耳)にしますが隠れてるのか知られてるのかどっちなんでしょう? (´・ω・`) ……… )。
エルトン自身が ” one of my all-time favourites ” と称している楽曲であり、N.Y. を歌った
ナンバーである本曲はアメリカ同時多発テロ事件への鎮魂曲として捧げられました。
ベン・E・キングの「スパニッシュ・ハーレム」にインスパイアされて創られたことも
ファンにはおなじみの事。

同年にエルトンはレジナルド・ケネス・ドワイトからエルトン・ハーキュリーズ・ジョンへと
改名します。25歳の時でした。またロンドンから小一時間の所に家を買い、その家を
「ヘラクレス(ハーキュリーズ)」と名付けました。エルトンはステージでしばしば椅子などを
持ち上げたりして怪力を誇示するようなパフォーマンスを行っていたそうで、ギリシャ神話の英雄で
怪力の持ち主である象徴のヘラクレスに何か思い入れがあったのでしょうか?
そして本アルバムのラストを飾るのが「Hercules」。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です