当の本人が精魂込めて ” これぞ俺の渾身の力作・最高傑作だ!” と、創り上げたものが世間では
イマイチ評価されなかった … という事は往々にしてあります。ビリー・ジョエルのアルバム
「ナイロン・カーテン」(82年)などがそうでした(#199ご参照)。
逆にこれは売れないだろうと思っていたのに大ヒットというパターンもあります。
これもビリーで例えると「素顔のままで」がそうです(#183)。
エルトン・ジョンが73年に発表したアルバム「Goodbye Yellow Brick Road」に収録され
全米No.1シングルとなった「Bennie and the Jets」もそんな一曲です。
本曲を形容するならばエルトン流ソウルミュージック、とでも言ったところでしょうか。
それまでにおけるエルトンの曲風とは異質なものである意味で耳を引きます。
エルトンはブラックミュージックもこよなく愛しており、ソウル・R&B調の楽曲もアルバムに
入れたかったとの事ですがそこはエルトン、ただの黒人音楽の模倣で終わらないのは言わずもがな。
” Bennie ” とは『空想のロック女神』であるそうです。近未来における女性R&Rバンドの
ヴォーカリスト、しかもロボットであるとかないとか・・・・・
上は76年ロンドン アールズ・コートでのライヴ。相当に ” ショー化 ” されたステージは
観ていて楽しいものです。もっともエルトンがブレイクしたのはアメリカツアーにおける
そのかっ飛んだパフォーマンスであったのでこうなるのは自明の理。英国が誇るパーカッショニスト
レイ・クーパーの若き頃が拝めるのも興味深いです。
本曲について語られる時、その疑似ライヴアレンジが必ず挙げられます。
プロデューサー ガス・ダッジョンによるそれは、現在のテクノロジーからすれば
ややチープにこそ聴こえてしまいますが、当時としては画期的なものであったようです。
ちなみにその歓声等の音源は72年におけるロイヤルフェスティバルホールと、
なんとジミ・ヘンドリックスの有名なワイト島におけるものを使用したとの事。
上は00年、マジソンスクエアガーデンで行われた『One Night Only』での模様。
ビリー・ジョエル、ブライアン・アダムスといった大物たちも参加したライヴです。
エルトンは本曲はシングルに向かないと言っていたそうですが、オンタリオのラジオで本曲が頻繁に
取り上げられたり、デトロイトマーケットで1位に上り詰めたことからリリースに踏み切り、
結果として全米ポップスチャートでNo.1となり、R&Bチャートでも15位を記録します。
余談ですが、エルトンはこれと逆の事をある人へ提言したことがあります。言わずと知れた
ジョン・レノンの74年「真夜中を突っ走れ」です。デュエットで参加したこの曲を
ジョンはシングルにしてもどうせ売れないよ、と言ったそうですがエルトンはシングル化を
進言し、もし1位になったら僕のコンサートへゲスト出演してくれ、と要求し結果は見事
エルトンに軍配が上がりました。有名なマジソンスクエアガーデンにおけるライヴがそれです。
時系列的には本アルバムの後なので後日取り上げます。
しかし「Goodbye Yellow Brick Road」についてもまだまだ序盤・・・・・
いつになることやら …………………… (*´∀`;)