B-②「This song has no title」は本作においてはあまり取り沙汰される機会の少ない楽曲です。
しかしながら、私が本アルバムを歴史に残る名盤と思うのは、この様な地味な楽曲ですら
とてつもない程のクオリティーであるという点があります。スティーヴィー・ワンダーの
「キー・オブ・ライフ」においても同じことが言えるのですが、一聴してアルバムの中では決して
目立たないトラックであっても、それが何気に素晴らしい完成度を誇っており、やはりこの時期に
おける二人の異常とも言えるクリエイティヴィティが伺えるのです。
その歌詞は哲学的とも言える内容であるのにも関わらず、” こんな歌にタイトルはいらない ” とは
バーニーお得意の皮肉というか逆張りの発想でしょう。
あまりにも有名な映像で説明不要かもしれませんが、上はダイアナの葬儀にてエルトンが
歌った ” Candle in the Wind/Goodbye England’s Rose ” の模様。
その後すぐに「Candle in the Wind 1997」としてリリースされ瞬く間に世界中でチャートの1位に
昇りつめ驚異的なセールスを記録しました。列挙しようとしましたが25ヶ国に及びますのでやめます …
エルトンファンはもとより、ある程度洋楽に精通している人なら周知の事ですが、本曲は73年の
アルバム「Goodbye Yellow Brick Road」に収録された「Candle in the Wind」のリメイクです。
ダイアナへの追悼版が創られた経緯は諸説あるのですが、日本版ウィキではエルトンはそのつもりではなく
作詞家 バーニー・トーピンに電話を掛けただけのところがバーニーは歌詞を書き直して欲しいという
依頼と勘違いして結果的に本曲が出来上がったとあります。
なにが正しいのかは藪の中ですが一応英語版のウィキを信じるとすれば、元々チャリティー活動などを通じて
良き友人であったエルトンとダイアナ。そのダイアナの死に対して何か敬意を表したいと考えたエルトンの
所にヴァージンレコード創業者であるリチャード・ブランソンから、セント・ジェームズ宮殿には
「Candle in the Wind」の歌詞を引用したお悔やみがたくさん寄せられているようだ、歌詞を書き直して
ダイアナの葬儀で歌ってはどうだ?という打診がなされたそうです(エルトンの自伝に記述されている
そうなのでこれが真実なのでしょう)。エルトンはスペンサー家(ダイアナの元嫁ぎ先、つまり
チャールズ皇太子側)へのそれに関するお膳立てはブランソンがしてくれるならと、バーニーへ
連絡を取りました。バーニーは ” Goodbye England’s Rose ” の節が浮かぶとその後はすんなり
歌詞が出来上がっていた、と語っています。
エルトンはジョージ・マーティンへストリングスとフルート・オーボエのアレンジに関する助力を願い、
プロデュースをマーティンがする事となりました。
ここで一旦時系列を整理してみます。ダイアナが亡くなったのが8月31日、その葬儀が9月6日、
英でリリースされたのが9月13日。その間隔はそれぞれ一週間程度です。8/31~9/5に
歌詞が書かれ、同時にエルトンの中でどのように演るかが練られて葬儀での演奏となり、
またほぼ同時進行でレコーディングもなされたのでしょう。もっとも本シングルはリリースされた直後で
あった「Something About the Way You Look Tonight」(9月8日発売)に急遽カップリングして
両A面シングルとして13日に発売され直したものです。いずれにしても短期間の間に様々な事が
なされたのです。よくこれだけの大物全員の都合があったものだな?と思いますが、というよりは
全てを後回しにしてでも皆が本曲を最優先した、といった所だったのかもしれません。
ちなみにダイアナへの追悼版である「Candle in the Wind」をエルトンが公式に演奏したのは、
本葬儀によるものただ一度だけ。07年に催されたダイアナメモリアルコンサートにて、ダイアナの
息子たちから頼まれてもそれを拒んだそうです。
エルトンにとってこの歌がどれだけ特別であるかを物語るエピソードの一つです。
随分長くなってしまいました。歌詞を書き直した、とある通り73年のオリジナルは歌詞が異なり、
もちろんダイアナの事を歌ったものではありません。
次回は初出の「Candle in the Wind」についてです。
それにしても今回この当時の経緯について調べてみると、思ったより感動的な話でした。
冒頭のふざけた枕は要らなかったかな?と思うほど ……… じゃあ消せよ (*´∀`;)・・・・・
エルトン・ジョンが73年にリリースしたアルバム「Don’t Shoot Me I’m Only the Piano Player
(ピアニストを撃つな!)」は前作に引き続き全米1位を記録します。ちなみに英では初のNo.1
アルバムとなりました(前作は2位どまり)。
A-②「Teacher I Need You」はコーラスに少しフィル・スペクターサウンド臭がします。
A-③の「Elderberry Wine」。エルトン流ソウルミュージックといった感じでしょうか。
しかし歌詞の中身は先だった妻を思う夫の気持ちを歌ったものだそうです。
前作では参加しなかったポール・バックマスターが再び戻っています。A-④「Blues for
My Baby and Me」は彼のストリングスアレンジが堪能できる一曲。デイヴィー・ジョンストンは
シタールもこなします。A-⑤「Midnight Creeper」はまたまたソウル風ナンバー。
ブラスアレンジはガス・ダッジョンで、ギターソロと競って吹いているのが忙しくて面白い。
華々しいイントロから一転して重い曲調に変わるB-①「Have Mercy on the Criminal」には
耳が引き付けられます。このアイデアはエルトン?ダッジョン?それともバックマスター?
B-②の「I’m Going to Be a Teenage Idol」にジョン・レノン臭を感じるのは私だけ?
エルトンとジョンの関係についてはいずれ。
B-③「Texan Love Song」で改めてエルトン&バーニーのカントリー志向が伺えます。
そしてラストナンバーである壮大なバラード「High Flying Bird」でアルバムは幕を閉じます。
たとえ言語の壁によって歌詞の意味がわからずとも、本曲を良いと思って聴いていた感覚に間違いはなく、
楽曲自体が持つ魅力に惹かれたことは紛れもない事実です。
しかし後年になってその意味を知ると、より本曲の創造性・世界観を奥深く味わえるようになったのも、
これまた事実に相違ありません。たしかに一番及び二番の出だしである、
” She packed my bags last night,Pre flight(旅立つ僕に昨日 妻が荷造りをしてくれた)”
” Mars ain’t the kind of place to raise your kids(火星は子供を育てる様な場所じゃない)”
これらの節の陰鬱さはとても大いなる宇宙への希望、などとは真逆のものですね・・・・・