#174 She’s Got a Way

今回からビリー・ジョエルを取り上げます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前回まで10ccという、英国人らしい少し斜に構え、でありながらして非常に練り込まれた
ポップミュージックを創ったバンドを取り上げていたのに、ジャズ・R&R・R&B・ドゥーワップといった
アメリカ音楽の体現者とも言える存在であるビリー・ジョエルへなぜ話が流れるのか?
洋楽に精通している方であれば ” はは~ん、そのつながりで来たか ” とすぐにピンとくるかも
しれません。ましてやブログタイトルはビリーのデビューアルバム「Cold Spring Harbor」における
オープニングナンバー「She’s Got a Way」であるのに、初っ端の動画がそれより6年後の
「素顔のままで」なのはそれが理由。そうです、ビリーの代表曲である「素顔のままで」は
10cc「
I’m Not in Love」にインスパイアされて創った曲なのです。

1stアルバム「Cold Spring Harbor」は71年の作品。とにかく鳴かず飛ばずだったのは有名ですが、
さらにオマケとしてマスタリングのミスで再生速度を速くしてしまい、ピッチ(音程)が高くなって
しまったという曰く付きです。
83年にピッチを本来のものに直して再発され面目躍如と相成ります。日本では永らく廃盤だった
本作が再発されたのもこのタイミングでした。私が洋楽を聴き始めたのがちょうどこの頃なので
よく覚えています。
「She’s Got a Way」は多くのリスナーが81年のライヴ盤「Songs in the Attic」、
あるいはそれを収めたベストアルバム「Greatest Hits –Volume I & Volume II」(85年)で
本曲を知った事と思います(勿論私も)。10余年を経て世間に認知される事となった本ナンバーは、
最初の妻であるエリザベスを歌ったもの。

上の動画が71年初出のテイク。83年の再発時にはシンバルやストリングスが加えられました。
私はブラスやストリングスなどを加えるとすぐオーバープロデュースだ、とか騒ぐ自称ロック評論家は
全く信用しません。技巧や演出を否定してシンプルがイチバン、とか言えば聞こえが良いですが、
要はオレたちがわからないものは作るな?と言っているのと同義なだけです。
これだけ逆を張ってから敢えて言いますが、本曲に関してはピアノのみである初出版の方が良いです
(ピッチの問題は別として)。

上が81年のライヴヴァージョンですが、ピアノの弾き語りである本テイクはこの曲の完全版では
ないかと思っています。10年の月日を経てビリーが本当に演りたかった「She’s Got a Way」が
出来たのではないでしょうか。83年の再発盤で面目躍如と先ほど述べましたが、本曲だけに限っては
ピアノオンリーの方がベターです。

全然余談ですが、私はしばらくの間本曲を「She’s Got away」だと思っていました。
” 彼女はいってしまった ” 的な、別れた彼女を想う内容と信じて疑わなかったのです
(ホール&オーツの「She’s Gone」(#56ご参照)みたいな)。
この内省的雰囲気漂う佳曲に相応しい歌詞だな~、なんて・・・・・・・・・・・・・・
「She’s Got a Way」とは ” 彼女は独特だ、あるいは我が道を行く女性だ ” の様な意味に
なるそうです。エリザベスという女性が個性的な女性であったのか?その辺りはわかりません。
さらにこれも不確かな情報ですが、エリザベスはビリーがソロデビューする前に組んでいた
バンドメンバーの妻(当時)であり、仲間の女房に横恋慕してしまった自責の念から
自殺さえ試みたとか・・・
それが事実であれば、既述の本曲における内省的な香りも納得がいきますけれども ……………

#173 The Things We Do for Love

#169にて「Donna」(72年)が” 三番目くらい ” に知られる曲であろうという事は述べましたが、
では二番目は?と言うとこの曲でしょう。「I’m Not in Love」に次ぐ10ccのシングルヒットである
「The Things We Do for Love」(76年、全米5位・全英6位)です。

「I’m Not in Love」が収録されたアルバム「The Original Soundtrack」(75年)について。
とにかく「I’m Not in Love」ばかりが取りざたされるという事は既述ですが、本作も前二作と
毛色こそ違えど実験精神にあふれた作品です。
上はオープニング曲である「Une Nuit a Paris」。オペラ仕立ての様な楽曲構成である本曲ですが、
ある有名な曲と比べてしまいます、そうクイーンの「ボヘミアンラプソディー」です。
クイーンがこれにインスパイアされた、口の悪いヤツはパクったなどと色々言われています。
またクイーン擁護派はレコーディング時期がさほど変わらず制作前には聴けなかったはずだ、等々。
真相は藪の中ですが、客観的事実だけを述べると「ボヘミアンラプソディー」の録音は75年の
8月から9月、「The Original Soundtrack」のリリースは3月ですから制作前に聴く事は
出来ました。ただしフレディ・マーキュリー達が本作にヒントを得たというコメントなどは無い様です。
しかし「ボヘミアンラプソディー」には更にもう一点、声のウォール・オブ・サウンドという
「I’m Not in Love」との共通点もあります。あの有名なオペラパートにおけるコーラスの多重録音ですが、
千回以上のオーバーダビングを行ったという事ですから頭が下がります m(_ _)m
全くの私見ですが、やはりクイーンの面々あるいはプロデューサー トーマス・ベイカーは
「The Original Soundtrack」を耳にし、インスパイアされたのではないかな?と思っています。

「Blackmail」は骨のあるロックチューンでありながらファルセットヴォーカルという異色の
組み合わせで、更に(おそらくエリックの)スライドギターが映える良い意味での珍曲(?)です。
やはり普通では終わらせないこのバンドの精神がよく表れているナンバーです。

5thアルバム「Deceptive Bends」(77年)の制作過程でロル・クレームとケヴィン・ゴドレイは
脱退します。二人が抜けた事で当然の事ながらその音楽性にも変化が表れ、つまりヘンな事をする
メンバーの1/2がいなくなった事によって10ccは良くも悪くもストレートなロック・ポップスを
演る様になっていきます。上はオープニングナンバーの「Good Morning Judge」。
「The Things We Do for Love」も本作に収録された楽曲ですが、このアルバムでは四人時代の
名残を残しつつ新しい方向性を定めた礎石の様なナンバー、といった感じです。
と言っても完全に方向転換などは出来る訳もなく、やはり端々には10ccスピリットを垣間見る事が
出来ます。

本作のエンディングを飾る「Feel the Benefit」。三部構成からなるこの大作は、本アルバムにおける
ある意味一番の聴きどころです。ビートルズの「ディア・プルーデンス」か?と思わせる導入部に始まり、
ドラマティックなバラードパート、リズミックな16ビートパート、再びバラードへと戻りこのまま
大円団かと思いきや、そうは問屋は卸さずに、アグレッシヴかつブルージーなギターでフィニッシュ。
イメージは「アビー・ロード」のB面なのかな?といった感じの組曲に仕上がっています。
「オー!ダーリン」のパク …… オマージュである「ドナ」に始まり、やはりビートルズをイメージした
組曲で二人体制の門出を締める、10ccがポストビートルズ的音楽を演っていたかと言えば必ずしも
そうとは思えませんが(もっと他にいます)、その実験精神を最も継承したのはひょっとしたら
彼らだったのではないでしょうか。

唐突ですが10ccとはポップミュージックにおいて鵺(ぬえ)の様な存在ではないかと私は思っています。
この空想上の妖怪は ” つかみどころがなくて、正体のはっきりしない人物や物ごと ” を表す時に
用いられます。#169で既述ですが、R&R、ポップス、フォークロア、ハードロック、クロスオーヴァー、ラテン、アヴァンギャルド etc ….. といった節操のない音楽性を持って、悪く言えばロック・ポップスを
おちょくっているのか?と感じられなくもないその姿勢の裏側には、恐ろしいほどに真摯かつ懸命な
音楽創りへの情熱があります(良い意味で偏執的と言える程に ” フツウで終わらせない ” 姿勢が)。
普通のミュージシャンやエンジニアであれば ” そこまでやらなくても… ” といった突飛なアイデアも
何の迷いもなくトライしてみる、そういった姿勢が「I’m Not in Love」をはじめとした、それまでの
誰もが思いつかなかった様な作品を産み出していったのでしょう。

今回調べていてわかった事ですが、米でのゴールドディスクは「The Things We Do for Love」のみで、
アルバムは一枚もゴールドを獲得しておらず、「I’m Not in Love」ですら同様だったのです。
彼らの作風がアメリカでは受けなかったというのは合点がいきます。ですからレコードセールスだけを
取れば決して大成功を収めたバンドではありません。
しかし逆を言えば、その様なバンドが現在でも聴き継がれているという事実は、
決して「I’m Not in Love」の知名度のみによるものではなく(所謂 ” 一発屋 ” )、耳の肥えたリスナー達がその特異とも言える創造性を理解しているという事に他ならないのです。

#172 I’m Not in Love_3

「I’m Not in Love」その3。今回で最後です
中間部におけるベースソロパートと言えば忘れてならないのが … という所で前回は終わりました。
本曲を知っている人なら当然 ” ああ!あれね!! ” とお分かりの事。あの女性による囁き声、
所謂ウィスパーボイスについてです。

ベースソロを入れ終えてから聴き返していた面々でしたが、ケヴィン・ゴドレイはまだ何か欠けていると
感じていました。” 次にやるアイデアは?!” と皆に問いかけたそうです。
そのフレーズである ” Be quiet, bigboys don’t cry ” とはロル・クレームが何気なく発した言葉で
あったらしく、これを取り上げる事に皆の異論はありませんでした。問題は誰に歌わせるかという事
でしたが、まさにその時幸福な偶然が起こりました。ストロベリースタジオの秘書であった
キャシーという女性がエリックへ電話が入っているとスタジオ内へ入ってきて告げたのです。
” この声だ!俺が求めていたのは!!” とロルが歓喜し、早速彼女をブース内へ招き入れ録音を
始めました。キャシーは困惑し拒否さえしたそうですが、皆で説得、というか口八丁手八丁で
丸め込み ” 電話口で話す様にしてくれればイイんだ!” 、などと何とかその声を録り終えます。
あの中間部のパートにはこんないきさつがあったそうです。
ちなみに上の動画は93年に一時的に戻ってきたエリックを加えての日本公演における模様。
お世辞にも出来が良いとは言えませんが、エリックが歌っているというだけで貴重でしょう。

さて「I’m Not in Love」というタイトルについてですが、これについては触れられることも多く
今更私が書きタレる事もないかと思いますが、一応念のため。
当時結婚して八年になるエリックは妻 グロリアから ” あなたは何故もっと愛してるって
言ってくれないの? ” と問われました。エリックは言葉にすればするほどその意味は劣化する、
という思いから口に出さないという考えでした。具体的に言えば、
ねえ?愛してる?? J(・ω・)し … あ~愛してる、すっげえ、チョ~アイシテルヨ~!(´∀`) ………
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ケンカ売ってるレベルですね・・・・・
ここまではないにしろ(当たり前だ … )、口に出した途端ウソっぽくなるというのはわかります。
昨今、何でも口にしなければ伝わらない、の様な風潮があるように感じられますが、それらを全て
否定するつもりはありませんけれども、やはりむしろ口にしない方が重みを増す想いもあるのです。
唐突ですがこの歌は、史上初の ” ツンデレ ” ソングなのではないかと思っています。つまり、
(;´・ω・`;) べ、別にお前の事なんか愛してる訳じゃないからな! … か、勘違いするなよな!!
って感じでしょうか?(それも違うと思うぞ (´∀` )・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

https://youtu.be/nrEF6CITwmg
上の動画は95年にリリースされた「Mirror Mirror」をプロモートする為に出演したテレビ番組らしいです。
本作はエリックが戻ってきて、更にポール・マッカートニーが
参加している事も話題となりましたが、
内容はエリックとグレアムが各々別々に作った作品の寄せ集め、などと評価は芳しくありません。
93年のと比べると、演奏の出来に関しては編成が異なるので一概には比較できませんが(95年の方は
エリックのエレピ、グレアムのギターそしてシンセのみ)、こじんまりした「I’m Not in Love」という
感じと、エリックの歌が二年経って少し昔を取り戻した(?)という点で個人的には95年の方がベター。

「I’m Not in Love」という曲は、元来はラテンタッチの小作品といったものであったのが、
一度はボツにされたものの奇妙なプロセスを辿って、最も酷評していたケヴィン・ゴドレイの
アイデアをはじめメンバー全員の力によって驚くほど別の姿として再生(playじゃなくてrebirthの方)を
果たします。それは全員が優れたプレイヤー(シンガー)、作曲・編曲者、そしてさらには
レコーディングエンジニアであるという特異性から生まれた、奇跡的でもありそれでいてなおかつ
必然的でもあった曲なのではないかと思っています。「I’m Not in Love」は10ccにおいては
異端の曲などと最初に述べましたが、それはそれ以前の作品と一聴して比べた時に感じるものであり、
やはり中身は10ccエッセンス・10ccスピリッツにみなぎっている曲なのです。
また ” オトナの事情 ” によりシングル化にあたって短縮させられ、ふたたび陽の目を
見ずに終わりかけたところを(短縮はBBCが要求したそうです)、本曲の魅力を理解していた
周囲がフルヴァージョンを推し進めたことで英本国、更には米及び世界へと広がったという
逆転サヨナラ本塁打のような曲です(たとえが適切じゃないかな・・・)。
本曲の良さがその様な道筋を辿らせたのだ、などと言えば文章的にはキレイにまとまるのでしょうが、
やはりそれだけではなく運もあったと思います。良いものは必ず認められるなどというのは
成功した側からの結果論に過ぎません。素晴らしい出来であったのにその時はさっぱり売れず、
後世に認められた。ヘタすりゃいまだに世に認知されていない名曲も当然たくさんあるでしょう。
と、……… これだけ伏線を張ってからあえて言いますが、やはりこの曲を埋もれさせまいとする
不思議な力、オカルトではなく人の思いの集合の様な力が「I’m Not in Love」という曲を成功に
導いたのではないかと私は思っています。

最後に余談的なエピソードですが、本曲の作者はエリックとグレアム。これだけ歴史に残って
流され続け、また取り上げられる楽曲ですので印税収入もすごい事でしょう。ロルとケヴィンは
その恩恵に与れなかったので可哀想、と思ってしまいますが実は違っており。当時バンド内では
誰が創った曲であろうと印税は四分の一ずつと取り決めをしており、二人もきちんとその分け前を
得ているようです。一人親方の集まりである様な彼ららしいエピソードです。

#171 I’m Not in Love_2

上は「I’m Not in Love」のシングルヴァージョンで、6分以上あった原曲を3分40秒程に
短縮したもの。日本版ウィキでは短縮版は米向けで英版はフルサイズとありますが、実際は英でも
短縮版でリリースされ、その時はチャートで28位とあまり奮わなかったらしく、その後に
ファンやプレス連中の要求からフルサイズをラジオで流すようになった所、見事全英No.1を獲得します。
米でも最高位2位を記録しバンド最大のヒットとなりました。ちなみに1位を阻んだのはヴァン・マッコイ
「ハッスル」やイーグルス、ビージーズといった強者達でタイミングが悪かったとしか言い様がありません。
それにしても当時の編集技術では致し方ないとは言え、3:18の処理は残念過ぎます・・・・・

前回でも触れたケヴィン・ゴドレイの提案による ” 声のウォール・オブ・サウンド ” は本曲における
肝であり、ポップミュージック界に大きな衝撃を与えました。BS-TBSの『SONG TO SOUL』では
本曲の回でムーンライダーズの鈴木慶一さんが出演されていました。当時ムーンライダーズは
アイドルタレントのバックバンドとして活動しており、その地方公演の為滞在していたホテルにて
ラジオから流れてきた本曲が初めて耳にしたものだったそうです。いかにも英国的な、練り込まれた
ポップスという印象だったとか。番組出演にあたり改めて本曲を聴き込み及び解析したところ、
何十年という時を経て新たな発見があったとの事。プロの耳をもってしても容易には理解できない
アレンジの緻密さがあるという事です。勿論本曲のマスタリングや再生機材の向上もあるのでしょうが。
” 声のウォール・オブ・サウンド ” の制作過程についてはかなり専門的で長い文章になってしまい
(正直わたしも ”?” という点が多々ありました)、レコーディングエンジニアを経験した人間で
なければ理解できない部分も多いのであまり詳しくは言及しません。出来るだけ簡潔にまとめると、
半音階で12音(13という説も有り)、つまり一オクターブをメンバー四人で録音しました。
それを磁気テープに録音しループ(輪っかにする)させてエンドレスで再生するというもの。
サンプリングマシンが一般化する80年代中期以降であれば全く無意味な作業ですが、当時こんな事を
しようとした人達は他にはいなかったのではないでしょうか。革命的レコーディングという
点ではビートルズのサージェントペパーズ(#3ご参照)に繋がるものがあります。
『SONG TO SOUL』でも語られていましたがテープの継ぎ目でどうしてもノイズが入る、
その為ループを出来るだけ長くする必要があり、その解決策としてスタジオを対角線に使い、
角と角にマイクスタンドを設置してそれをテープのガイドローラーとしての役割を負わせ、
12フィート(約3.6m)のテープが工場のベルトコンベアの如く廻ってマルチレコーダーに
録音させたそうです。ミュージシャンというより工作技術者といった方が相応しい程です。
そうして624声という素材をミックスダウンさせる事に成功したそうです、頭が下がる … <(_ _)>

文章ばかりでは飽きるので、ハマースミス・オデオンにおける77年のライヴを。
本曲では偶然の産物という結果もありました。冒頭から聴こえる、特にエレピが入る前において
よくわかりますが ” サー ” というノイズが聴こえます。私の様なアナログ世代ならお馴染みですが
これは磁気テープ特有の ” ヒスノイズ ” というもの。意図的に入れたものかと思いきや真相は
異なり、理由はわかりませんがこの時フェーダー(音量を上げ下げするツマミ)の下部にガムテープを
張って一番下まで下がらないようにしており、その為無音ノイズとも呼べるヒスノイズが全編に
渡って入っています。本来であれば余計なノイズなのですがこれが結果的に本曲における独特の
浮遊感・空気感を産み出しています。

冒頭から聴こえるベースドラムの音というのが実はシンセサイザーによるものだというのは
今回調べていて初めて知りました。てっきりマレットでもって手で弱く叩いているものかと思って
いましたが、当時ロル・クレームが購入した最新鋭のムーグを使用したそうです。
心臓の鼓動をイメージして作ったというこのビートもまた本曲を構成する重要な要素の一つです。
また本曲におけるベースパートはエリックのエレピによるもの。つまり弦のベースではなく
フェンダーローズの左手によるベースラインにて賄われています。それは制作段階からであり、
ベースギターが入る余地はないと考えられていたのですがある日エリックの頭にアイデアが
浮かびます ” ベースソロを入れたらどうだろうか? ” と。
ジャズにおいてバラード中でベースソロを入れるというのは普通にある事ですが、ポップソングで、
しかも70年代中期の段階ではまず無かった試みでした。
とにかく10ccというバンドの中に流れていた信念は ” 他人と同じ事はやりたくない ” というものでした。
” 普通でない ” アイデアを出すためには何日~何週間という時間をかけるのも珍しくなかったらしく、
このバンドの精神性はその辺りにあると思います。もう少し具体的に言えば、全員が器楽演奏・歌・
作曲・編曲をこなす、これだけなら他のバンドでも無くはありませんが(そんなにはいないか・・・)、
更に彼らは全てがレコーディングエンジニアでもあるという特異性がありました。
それを可能にしたのは彼らが活動の拠点としていたスタジオにあります。そのスタジオとは
『ストリベリースタジオ』。元々は68年にエリックが小さなデモ用スタジオを購入し、後にグレアムが
共同出資者となり更にはロルとケヴィンもその経営に参加しスタジオはバンドのものとなります。
前述の通り自分達で作曲・編曲し演奏と歌もこなす、というバンドは70年代に入ってから
決して珍しい存在ではありませんでしたが、彼らは更にその一歩先を見越していました。
つまりポップミュージックは録音・編集まで含めてのトータルな表現であると。その先見性には驚愕します。日本では大滝詠一さんが早くから自身のスタジオを所有していましたが、やはり同じような考えで
あったという事は言わずもがなです。
偶然かもしれませんが大滝さんの『福生45スタジオ』も75年から存在していたとされています。
ちなみに『ストリベリースタジオ』という名の由来は言うまでもなくビートルズ「ストロベリー・
フィールズ・フォーエバー」。10ccの面々が影響を受けたのは自明の理です。更に言えば
エリック達は初期におけるエルビス・プレスリーのレコードの様な音に惹かれ、あのような音を
自分で創りだしたいと思ったとの事。それは少し割れて(歪んで)しまっていたりするものや
真空管マイクで録音した独特のヴォーカルなど、68年においてもかなりレトロなサウンドで
あったのですが、これらに興味を持ったのが始まりだったようです。

そして中間部のパートと言えば忘れてならないのが、あ!・・・ またいつの間にこんなに長く …
二回でも無理でしたね・・・という訳で続きは次回「I’m Not in Love」その3にて。

#170 I’m Not in Love

https://youtu.be/Ki78MK9JywE
前回で「I’m Not in Love」とは10ccにおいて異端の曲だ、などとほざきましたが、
やはりポップミュージック史に残る名曲であることは間違いありません。
で、今回のブログは丸々「I’m Not in Love」尽くしとします。
今回はおフザケも噛まさず、ボケもないです。かなり真面目にこの偉大なる楽曲を自分なりに
掘り下げます。
(ボケ? オメエ今まで全部スベってたの気づいてねえのか? (´∀` ) …… ハイ!おフザケ終わり)

「I’m Not in Love」は3rdアルバム「The Original Soundtrack」のA面2曲目に収録されています。
サウンドトラックと銘打っていても別に何かの映画のそれという訳ではなく、架空のサントラといった
設定です。本作全体については次回以降で触れます。
75年にリリースされた本曲の制作はその前年に始まります。きっかけはエリック・スチュワートが
書いた素材。「I’m Not in Love」という印象的なタイトル(歌詞)は後述しますが、妻とのやり取りから
思いついたというのは結構有名な話しです。
既に曲の骨格は出来上がっていたらしくスタジオへ行きグレアム・グールドマンに助力を乞います。
本曲ではフェンダーローズ(エレクトリックピアノ)があまりにも印象的な為に信じられないのですが、
実は当初エリックとグレアム共にギターで本曲を練り上げていたそうです。そしてまたまた
信じられない事に、初めはアップテンポのボサノヴァ調であったとか。
08~09年だったと思いますが、BS-TBSで放送されていた『SONG TO SOUL』にて
本曲が取り上げられています。録画して何回も観ましたが非常に興味深い内容でした。
今回のブログはその記憶と(消さなきゃよかった … )、ネット上における多くの方々の文章
(やはり『SONG TO SOUL』を観ていた人が多いです)、そして英語版ウィキが基になっています。
グレアムはそのメロディから違うコードを提案し、またイントロとブリッジセクション( ” 
~ Ooh, you’ll wait a long time for me. ~ ” のパートだと思われます)を思いついたそうです。

2~3日間で曲を書き上げ、ギター・ベース・ドラムという普通の編成で前述の通りボサノヴァのリズムで
演奏してそれを録音しました。しかし出来上がったものはロルとケヴィンのお気に召さないものでした、
特にケヴィンにとって。ケヴィンはこう言いました ” これはゴミだよ ” 、と。
バンド内ではこの様なディスカッションというか批判は珍しくなく(バンド内が必ずしも円滑でなかったのは
前回で触れた通り)、エリックが ” OK。じゃあこれを良くする為に何か付け加えるものなど、何らかの
建設的な意見は?” と問うとケヴィンは更にこき下ろします。” No!ただのゴミだよ!どうしようもない、
やめよう!” と、身も蓋もない言い方で締めてしまいます。よほど気に食わなかったのか、それとも
この時期にエリックとの間に感情的な何かがあったのかはわかりかねますが、皆はそれに同意し、
デモテープも消去してしまったそうです。
『SONG TO SOUL』ではエリックの記憶を頼りに再現した当初のボサノヴァ調「I’m Not in Love」が
流れました。確かに「I’m Not in Love」には違わないのですが、リズムとアレンジが異なると
まるで別の曲です(当たり前ですね)。ジャズ界には ” ジャズに名曲なし、名演あるのみ ” という言葉が
あります。どれだけジャズという音楽がプレイヤーの力量に因る所が大きいかを示した言葉ですが、
私はロック・ポップスにおいても、ジャズほどではないにしろこれが当てはまると思っています。
誰がどんな風に演奏しても(歌っても)絶対的に名曲になるものなどはありません。一般的には
特に歌い手による差が大きいと思われがちですが(古今東西問わず音楽とは九割方がメインの歌しか
聴いていないものですから)、アレンジも曲を決定づける重要な要素です。どんな名曲もアレンジ次第では
駄作になってしまうのです。もっともボサ「I’m Not in Love」はそこまで酷くはなかったですが・・・

拙い文章ばかりでは嫌気がさしてしまうので少し動画を。上は11年4月にウェールズ州で行われたライヴ。
オリジナルメンバーはグレアムだけですが、やはりこのアレンジは崩していない、というか崩せないと
いうのが正しい所でしょう。発想の転換で根本からアレンジを変えて、名曲に仕上がったものも
世にはありますが、本曲に関してはそれをやった瞬間に雲散霧消してしまいます。

この様にして一度は放棄された本曲ですが、ある日スタジオのスタッフ達が ” I’m Not in Love ~ ” と
口ずさんでいるのを耳にします。彼らにはあの旋律がこびりついてしまったのです。
エリックはメンバーに対してもう一度この曲を生き返らせるよう説得することを決意します。
ですがケヴィンはまだ懐疑的でした。しかしながら彼はその時思いついたラジカルなアイデアを
エリックに対して提案します。それはこういうものでした ” いいか!この曲を活かす術は誰も
やった事のないレコーディング方法を用いる事だ。楽器を使わずに全部『声』だけで演ってみようぜ!! ”
陳腐な物言いになりますが、名曲が生まれた瞬間、とはまさにこの時を言うのでしょう。
不意を突かれた三人でしたが、このアイデアに同意し ” 声のウォール・オブ・サウンド ” を
創り出します。そしてそれは本曲のカギを握るポイントとなるのです。

またまただいぶ長くなってしまいました。一回では無理ですので二回(ひょっとしたら三回?)に
分けて書きます。これ程の名曲、かつポップミュージック史に偉大なる足跡を残した楽曲ですから
それだけの価値はあるのです。という訳で次回に続く。

#169 10cc

前回までジェネシス関係を取り上げ続けてきましたが、彼らはイギリスでなくては
産まれなかったバンドだと言えます。カラッとしたアメリカの風土に比べて
(勿論米にも ” 闇 ” はあるのですが)、陰影に富んだ英国独特の国民性・精神性といったものに
起因しているのだと思われます。
英国独特のバンドと私が思うものの筆頭としてジェネシスと並ぶ人達がいます。決して音楽性が
似ているという訳ではないのですが、その ” 妙ちくりん ” な音楽性は『やっぱイギリスだな~』と
思わざるを得ません。そう、それが今回のテーマである10ccです。

10ccも早く取り上げたいと思っていたバンドなのですがなかなかキッカケがなく、
またジェネシスツリーの後は何を書こうかと思っていた所へ、そうだ!彼らにはこんな共通点が
あるじゃないか!と、何の違和感も無くとてもスムーズに話が繋がった訳であります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・” ムリヤリ ” って言葉知ってる? (´∀` )

10ccと言えば「アイム・ノット・イン・ラヴ」、という程に圧倒的な本曲による知名度のせいで、
バンドの実体的姿が正しく理解されていない様な気がしています。「アイム・ノット・イン・ラヴ」は
70年代を、というよりポップミュージックを代表する名曲の一つに間違いありません。
勿論私も本曲で彼らを知ったクチですが、むしろこの曲は彼らの中では異端な部類に入る方だと
知ったのはもう少し後の事でした。
上の動画は多分10ccにおいて ” 三番目くらい 
” に知られる曲であろう「Donna」(72年)。
洋楽を多少でもかじった人ならば当然お分かりでしょうが、ビートルズ「オー!ダーリン」のパク ……
リスペクト・オマージュです。
英国人は洒落を解するんでしょう。デビューシングルである本曲はいきなりの全英2位を記録します。

上は初の全英No.1ヒットとなった「Rubber Bullets」(73年)。「Donna」と同様に
バンド名を冠した1stアルバムからシングルカットされました。
ストレートなロックンロールナンバーなのですがやはり彼らが演るとパロディっぽくなります。
そう。このバンドの重要な要素としてコミック・パロディがあるのです。
「アイム・ノット・イン・ラヴ」を聴いている限りはとてもそんなバンドには思えないのですが・・・
それにしても上の映像は当然の事ながら口パク・当て振りなのですが、せめてもう少しくらいは
ちゃんと演奏してる様にする気概くらいはなかったのでしょうか・・・

しかしコミック・パロディといっても、半端者のつくったのはとても聞けたもんじゃないのですが、
きちんとした素養・技術がある人間が大真面目にやると大いに聴きごたえのある作品となります。
勿論10ccは後者の方です。
2ndアルバム「Sheet Music」(74年)は前作より更に ” コユイ ” 内容となったアルバム。
R&R、ポップス、フォークロア、ハードロック、クロスオーヴァー、ラテン、アヴァンギャルド etc …..
これらを全て良い意味で  ”斜に構えながら ” 取り入れ、いたって真剣に創った作品です。
上はA-②「The Worst Band in the World」。シャレなのか自虐なのか、しかし演奏・アレンジともに
しっかりとしているのでとてもワーストワンなどとは言えない曲です。

「Hotel」はのっけからサイケ感満載のナンバー。と思えばリズミックな曲調へ一転し、またサイケな
パートを再び含むという変態的な楽曲。
本曲はロル・クレームとケヴィン・ゴドレイによるもの。私の世代では圧倒的に映像作家チーム
「ゴドレイ&クレーム」としてなじみがあるのですが、彼らが10ccのメンバーであったというのは
ゴドレイ&クレームを認知した時点よりも後の事でした。
彼らは四人全員が作曲・アレンジが出来、しかもヴォーカルをこなせるという稀有なバンドでした。
なので一人が強力なリーダーシップによりバンドを牽引していくといったタイプとは真逆の、
一人親方が群れた様な集団でした。であるからして当然の如く、バンド内は調和がとれた状態とは
曲がりなりにも言えなかったそうです。
有名な話しですが、グレアム・グールドマンとエリック・スチュワート組と、ロル&ケヴィン組で
よく対立したと言われています。そして ” ヘンな ” 曲はロル&ケヴィンによるものが多かった様です。

https://youtu.be/wUeRghINsGE
グレアム&エリック組もヘンな曲は創っています。上の「Baron Samedi」はライヴですが、
オリジナルでも同様に ” サンタナかよ!” とツッコミたくなる曲ですけれども、サンタナ風味の10ccと
でも呼ぶべき ” おかしな ” 仕上がりです(ホメ言葉ですよ)。それは演奏力と構成力が
しっかりしている為であることは言うまでもありません。
ちなみにロルが3:27からギターを交換する場面が映っていますが、弦でも切れたのかと思いきや、
ロルとケヴィンが開発したギターアタッチメントである『ギズモ』を装着したギターであり、
どうやら次曲の冒頭でギズモを必要としていた為に、本曲の後半で持ち替える必要があったようです。
ギズモは興味がある人は自身でググってください。結局はうまくいかなかったエフェクターの様ですが …

1stと2ndこそ10ccの真骨頂とするファンが多いようです。実際そうだと思います。
「アイム・ノット・イン・ラヴ」で興味を持ってベスト盤などを聴いてみたら全くの期待外れだっと
言う人が多いのは、例外の方から入門してしまった為でしょう。しかしやはり
「アイム・ノット・イン・ラヴ」もよく聴けば10ccフレーバーがてんこ盛りなんですけどね。

ちなみにバンド名の由来は、男性が一回に放出する〇ー〇ンの量だとかなんだとか … 嘘か真かは
わかりかねます。これも興味があったならご自身でググれカス・・・・・・・・・・・
次回へ続く。

#168 A Curious Feeling

#153から15回に渡ってピーター・ガブリエル、そしてフィル・コリンズを取り上げてきました。
この流れでないと今後触れる機会がないかもしれないので、ジェネシスの他メンバー、つまり
トニー・バンクス、マイク・ラザフォード、そしてスティーヴ・ハケットについて取り上げたいと
思います。

先ずはトニー・バンクス。上は79年のソロアルバムで「A Curious Feeling」におけるオープニング曲の
「From the Undertow」。一聴するとジェネシスの「トリック・オブ・ザ・テイル」や「静寂の嵐」に
収録されていても全く違和感のない曲です。バンドの楽曲・サウンド面を主に担っていたのがトニーで
ある事を物語っています。
50年生まれなので現在70歳。ピーター・ガブリエルと同年、というよりマイク・ラザフォードも
同い年であり、オリジナルメンバーの三人は同級生であったという事です。そしてピーター回において
既述ですが勿論彼も貴族の家柄。8歳からピアノを始めたとの事です。
ジェネシスはガーデン・ウォール及びアノンというバンドに在籍していたメンツが結集して出来ました。
いずれも貴族の子弟であり、この辺りから貴族が作ったバンドと言われる所以です。
フィルとハケットは後から参加して、一般階級の出であるのは以前触れた事。

https://youtu.be/SD5engyVXe0
私がトニーの最高傑作だと信じて疑わないのが「Firth of Fifth」。「月影の騎士」(73年)に収録された
楽曲です。以前も書いた事ですが、「月影の騎士」では良くも悪くもピーター色が薄れ、メンバー全員の、
特にトニーの音楽性が前面に押し出され洗練されたものとなりました(しかし次作である
「幻惑のブロードウェイ」(74年)で再びピーター色が強まったのも既述)。
抒情味溢れる本曲はただ小綺麗なだけではなく、リズミックなパートや後半におけるスティーヴ・ハケットの
素晴らしいギターソロが堪能できるメランコリックなパート、そして再度テーマに戻り劇的かつ感動的な
フィナーレを迎える展開は珠玉の名曲です。
「月影の騎士」はそれまで前面に押し出されていたピーターの個性により、一般には受け入れられ難かった
シュールな物語性等が、トニー達の発言権が強まった事により中和され、実験性・革新性と親しみやすさが
絶妙な所で良い意味において折り合いを付けた作品となっており、それが本アルバムを名作たらしめて
いるのでしょう(でも「怪奇骨董音楽箱」や「フォックストロット」といったピーター色全開の作品も
コアなジェネシスファンにはたまらないんですけどね … )

マイク・ラザフォードのソロプロジェクトであるマイク & ザ・メカニックスは現在まで息の永い
活動を続けています。上は1stアルバム「Mike + The Mechanics」(85年)よりシングルである
「All I Need Is A Miracle」。全米5位の大ヒットとなりバンドは華々しい門出を迎えます。

バンドとして最大のヒットは2ndアルバムからのシングルである「The Living Years」(89年)。
全英2位・全米1位を記録しマイク & ザ・メカニックスはそのキャリアにおいて頂点を極めます。
どちらもかなり80年代的アメリカナイズされた楽曲に聴こえます。時代のすう勢というものも
勿論あったのでしょうが、マイクの作風が元々こういうポップセンス溢れるものだったのだと
私は思っています。

マイクはジェネシスにおいて、スティーヴ・ハケットの脱退までは基本的にベースを担当していました。
そしてハケットの脱退後はスタジオ盤ではギターも弾くようになります。もっともそれより前から
コンサートではベースとギターが一体化したダブルネックを使用して両方弾いていましたけれども。
私はマイクのギタープレイが好きで、#164でも取り上げた「Behind the Lines」のギターソロなどは
素晴らしいものだと思っています。決して速弾きなどする人ではありませんが、曲調にマッチした歌心溢れるプレイをする稀有なギタリストの一人です(何でも速く弾きゃイイってもんじゃないんですよ … )。
私が「Behind the Lines」と双璧を成すマイクの名演とするのが上の「Tonight, Tonight, Tonight」。
ジェネシス最大のヒット作である「Invisible Touch」(86年)に収録された本曲は、これまた最大の
シングルヒットとなったオープニング曲であるタイトルソングの次、つまりA-②に収められたのですが、
この配置は絶妙です。この当時の彼らをやたら売れ線、うれセンと批判する輩がいますが、やはり
英国プログレッシブロック界の重鎮である彼らはそのスピリッツを失っていませんでした。
コマーシャルな「Invisible Touch」が終わると無機質かつダークでヘヴィーな本曲が始まります。
無機質な印象はフィル回で散々言及したリズムマシンの使用や、敢えてシーケンサー的なプレイに
徹するトニーのシンセなどに因ります。であるからして、これまたフィル回で触れたこの時期における
彼による絶唱型の歌唱や、マイクのエキセントリックなギターのフレーズ・音色が映えるのです。
凍てつくような寒さを感じさせる導入部から始まり、やがて徐々にヒートアップしていくことで

熱くたぎるヴォーカルとギターのオブリガード及びソロがとてつもなくドラマティックな効果を生んでいる、本作においてのベストトラックだと思っています。

スティーヴ・ハケットの名演と言えば、トニーの所で触れた「ファース・オブ・フィフス」に他なりません。
多くの人が述べている事ですが ” キングクリムゾンかよ!” と言われる程にロバート・フリップの
影響を受けたとしか思えないソロプレイです。陰鬱な始まりから後半は救われるかの如き演奏の展開は
これまで何百回も聴いてきていますが涙腺が脆くなってしまいます。
「ファース・オブ・フィフス」と甲乙付け難いプレイと言えば上の「The Knife」。ジェネシス初の
ライヴ盤である「Genesis Live」(73年)におけるエンディングナンバーである本曲では、
「ファース・オブ・フィフス」とは一転してエキセントリックなプレイを聴く事が出来ます。

正式なメンバーでこそありませんが、フィルがヴォーカルを取るようになってからのチェスター・トンプソンと、ハケットが脱退してからのダリル・スチュアマーはツアーサポートとして欠かせない人たちであり、
もはや準メンバーと言っても過言ではないと私は思っています。ちなみにフィルやトニーのソロ作でも
二人は関わっており、やはり紛れもなくジェネシスツリーの一員であるという事です。

脈絡もなく突拍子も無い事を言いますが、ジェネシスというバンドは ” マンガ ” だと私は思っています。
……… オマエはとうとう脳漿にウジが湧いたのか?などとどうぞ思わずに、順を追って話を・・・・・
中学の半ばからプログレッシブロックというものに魅せられて40年近くその手の音楽を聴いていますが、
それらのカテゴリーに分類されるバンドを絵に例えたとしたならば・・・
ピンク・フロイドはまさしく絵画といったもの。正確に言えば「狂気」の様な芸術といっても差し支えない
ものから(芸術が必ずしも良いとはこれっぽっちも思ってませんけどね … )、「ウマグマ」みたいに
前衛・抽象画と呼ぶべきもの、「あなたがここにいてほしい」は万人にもわかりやすい絵、と様々ですけど。
そしてキング・クリムゾンは1stこそ「狂気」と同様に芸術的ですが、3rdの「リザード」から変わり始め、
「太陽と戦慄」からは前衛美術といったもの(「レッド」はまた叙情味があって異なりますがね)。
イエスは非常に高度な、繊細かつ緻密であるグラフィックアートの様なものでしょう。
そしてジェネシスはと言えば、『マンガ』です。ただしそのマンガとは、荘厳でクラシカルなパート、
神話や寓話をモチーフとしたシュールかつ幻想的なシチュエーション、かと思えば一転して
コミカルにもなり、泥臭い(=ブルージーな)場面や前衛的な表現さえも垣間見え、しかしその多くが
きちんとした構成力により起承転結が付けられ、伏線を回収しつつ感動のエンディングを迎えます。
これ程までに多くの要素を併せ持ったマンガと言えば、マンガの神様とされる手塚治虫さんによるもの
くらいではないのでしょうか。・・・あ、でも別に私 … そんなにマンガは詳しくないので、…………
その方面からのツッコミはご勘弁を・・・・・・

初期のジェネシスは特に ” 硬派な ” ロックを好むとするリスナーからは敬遠されます。80年代のある
洋楽紹介番組で、過去にロックバンドをやっておりその後テレビタレントの様なものになった人物が、
『昔のジェネシスなんか自分達だけがわかればイイって音楽演ってたんだろ!』と発言した事がありました。
一応ミュージシャンであって(あった?)も認識はそのくらいなのだな、とその時は思いました。
私には特にピーター在籍時のジェネシスはとにかく人々に理解して欲しいという願いから、そのシュールな
アルバムジャケット、前衛演劇かの如きライヴアクトやコスチューム(専らピーター)が
なされていると信じていました。ただそのベクトルが一般人とはちょびっと(?)ずれていただけで …………
90年代以降はオシャレでポップな80年代の呪縛(?)も解け、混沌とした音楽シーンになったことも
あいまってか、初期ジェネシスもそれ程敬遠されなくなったようです。とにかく古今東西でその評価など
ころころ変わるものなのです。
今まで何度も書いてきていますが、少なくとも音楽に関しては
周りの意見など気にせずに己が良いと
思ったものを聴くべきなのです。ただそれだけなのです。

今年の初めにピーター・ガブリエルを取り上げてからその後フィル・コリンズ、そして今回は他の
メンバーを駆け足ながら触れていきましたが、結局はジェネシスについての総まとめと
なってしまいました。まあそれも致し方ないでしょうね・・・・・(ナニが ” 致し方ない ”だ?)

この3~4か月ひたすらジェネシス及び各ソロ作を再び聴き返しました。これも既述ですが中には
20年振り位に耳にしたものもあります。自分の中ではジェネシス及び各メンバーの音楽性を
再確認出来た様な気がしています。
多分向こう一年以上はジェネシスツリーを聴くことはないな、という程に・・・・・・・・・・・

#167 Phil Collins_6

フィル・コリンズ特集その6。今回で最後です。

https://youtu.be/cHWJ-7BUCNg
上はフィルによるヒット曲としては最新(最後)と言える「You’ll Be in My Heart」(99年)。
ディズニーアニメの主題歌として有名ですが、その歌唱スタイルはエンディング部を除いて
かなりソフトなものです。#164でフィルの真骨頂は絶唱型のバラードだと述べましたが、
フィル自身は元来この様な歌い方が好きなのかもしれません。もう一つの動画は#160でも触れた
フィルが初めてリードヴォーカルを担った「怪奇骨董音楽箱」に収録された「For Absent Friends」。
70年代後半から80年代はシャウトをよく用いていましたが、初めて世にお披露目された歌と
最後のヒット曲は、当然声質の変化はありこそすれ、実は共通しているのではないかと思っています。

あまり知られていませんが、70年代半ばからフィルは純粋にドラマーとして自身の力量を試そうと
あるジャズロックバンドにも籍を置きます。それがブランドX。80年代に読んだものの本ではフィルの
ドラマーとしてのソロプロジェクト、という書き方がされており、私もそう信じていたのですが、
実は違うらしくあくまでフィルは一ドラマーとして参加しただけの様です。もっともレーベルは
カリスマレーベルですからジェネシスツリーのバンドとされても致し方ありませんが。
ジェネシスもかなりテクニカルでしたが、ブランドXはまた方向性の違う技巧です。上は1stアルバム
「Unorthodox Behaviour」(76年)におけるオープニング曲「Nuclear Burn」。
方向性としてはソフト・マシーンやハットフィールド・アンド・ザ・ノースといった
正統派英国ジャズロック、つまりカンタベリーミュージックの系譜です。
フィルはあるインタビューでこう述べた事がありました。『やはり自分はドラマーとして ” アンタはすごい ”
って言われたいよ』と。自身のファンダメンタルはあくまでドラムにあるという証拠でしょう。
同じインストゥルメンタルでもジェネシスにおけるそれとは明らかに違います。ジェネシスは物語、
言い替えれば世界観・コンセプトの中で演奏する訳ですが、ブランドXにもそれが無いとは
言いませんけれども、やはりジャズのインプロヴィゼーション(即興演奏)を大きく取り入れているので
もっと自由です。フィルが新ジェネシスにおける活動のさなかに忙しい合間を縫ってなぜ参加したのか、
何となくわかる様な気がします。

フィルはドラムソロを否定していました。やはりコメントの中に ” 先がみえみえの陳腐なドラムソロには
うんざりだ。ああいうのだけはやるまいと決めている(中略)僕は一晩中四拍子だけを打っていても平気さ ”
というものがあります。ジェフ・ポーカロとも共通した信念ですが、ドラマーである事がアイデンティティーでありながらもやはり音楽本位の姿勢が伺えます。上はアルバム「Genesis」(83年)のプロモーション
ツアーである『Mamaツアー』におけるメドレー。#165でも触れたましたが「シネマショー」が
本メドレーのハイライトとなっており、ここぞという場面でチェスターとのツインドラムに移行します。
ドラムを知り尽くしている人間だからこそ、最も映えるシチュエーションを理解しているのです。
7:50頃からがそうですが、何度聴いてもチェスターによるダブルベースドラムの連打からシネマショーへ
移る箇所は鳥肌モノです。むやみやたらとただ連打するのではなく、ツーバスとはこの様に使うべきものだと
改めて教えてくれます。ちなみにメドレー最後の「アフターグロウ」でも再びフィルとのツインドラムが
始まる直前にツーバスの連打がその呼び込みとなっています。このパートも素晴らしい事この上ない。

ソロデビュー以降のフィルを売れ線ミュージシャンと毛嫌いする人達がいます。80年代における
ポップミュージックの良くも悪くも体現者の様なスタンスにいた彼は、所謂 ” 硬派な ” ロックを好む層からは
目の敵にされた所があります。私もフィルの音楽全てが好き、とは言いませんが、俗に売れ線と言われる
他のミュージシャンとは全く一線を画しているものと思っています(その売れ線とされるミュージシャン達にしたって、結局は主観の問題なのですけどね。前述した ” 硬派なロック ” とされているものの中でも
全く屁とも思わない音楽もたくさんあります。例えば・・・・あぶねー … うっかり言う所だった・・・)。

フィルは天才肌のミュージシャンではないと私は思っています。彼の資質を具体的に述べるならば、
器楽演奏・歌唱・作曲能力がいずれも高い次元で完成されていて、更に特筆すべきは
エンターテインメント音楽における ” ツボ ” を的確に把握しているミュージシャンであるという点でしょう。
この辺りが彼を売れ線と批判する輩が多い要因なのでしょうが、これ程完成・洗練されたロック・ポップスを
創って歌い上げ、しかも高度な演奏をもこなすミュージシャンが一体何人いるでしょうか。
関係があるかどうかはわかりませんが、少年期における子役としての活動がエンターテインメントの
センスを彼に培わせたのではないか?などと勝手に推測しています。

以上でフィル・コリンズ特集は終わりです。40年弱に渡って聴き続けてきたミュージシャンを
出来るだけまんべんなくその魅力を網羅して書こうと思いましたが、ホントにまんべんなく言及すると
際限が無い事に気づきました(当たり前だ)……… 可能な限りポイントを絞ったつもりでしたが、
どれ程彼の魅力を伝える文章になった事か?・・・・・ 先ほど聴き続けてきた、などと述べましたが、
実を言うと中には20年以上振りで耳にした曲もあります。中学・高校時代に初めて聴いた時の感覚が
よみがえると同時に、以前は気が付かなかった箇所が改めてわかったりしました。
もとより誰も読んでいないこんなブログを書き続けているのは(とうとう自分で言いだした ……… )、
思春期から聴き続けている洋楽について、己が再確認する為に付けている記録・誰に提出する訳でもない
レポートの様なものなので、もうすぐ五十路を迎えるこのオッサンがいつ死んでもイイように、自分の為だけに書き綴っているものと割り切っています・・・・・ あれ?これってなんか死亡フラグっぽくね? ………

スゴイこと思いついた!!( ゚∀゚)o彡゚!!! 死ぬまでにあとどのくらいとか、ブログに毎回
カウントダウンしていったら、スゲー話題になるんじゃねえ?! いまだかつて誰もやった事ないし!!!
世間の注目チョー浴びまくりで、ブログランキングの一位とかになんじゃねえの???!!!!!!
ネエみんな?! そう思うよね?・・・・・ねえ?・・・・・・・・・・・・ねえねえ?・・・・・・・・・・・・・・・・・

#166 Phil Collins_5

前回に引き続き、今回もドラマー フィル・コリンズに焦点を当てて書いていきます。

上は92年における『We Can’t Dance Tour』ツアーの模様を収録した「The Way We Walk」より
恒例になっているチェスター・トンプソンとのドラムデュエット。
フィルの使用機材は80年代に日本のパールを使った時期もありましたが、その前後ともにグレッチの
ドラムがメインです。本コンサートでもグレッチを使用しているのが確認出来ます。
何と言ってもその特徴はシングルヘッドタム。通常表と裏に張っているドラムヘッドを表面にしか
使用しないというもの。裏面のヘッドが無いので当然ヘッド同士の共鳴が無くなり、
サスティーンが殆ど無くヒットした時のアタック音がより強調、というよりもそのアタック音のみと
言っても過言ではありません。大昔であればとても楽器としては成り立たないものだったでしょう。
悪く言えば ” てんてんてんまり ” の如くチープな太鼓の音にしかならなかったのですが、
レコーディング環境やPA機器の発達により聴くに堪えられる楽器となりました。
厳密に言えばピンク・フロイドのドラマーであるニック・メイスンなどはかなり早い時期から
使用していましたが(コンサートタムというシングルヘッドドラム。「狂気」に収録された「タイム」の
冒頭で聴くことが出来る ” あの ” ドラムです)、シングルヘッドがトレードマークの様になった
ドラマーとしてはフィルがその筆頭でしょう。
シングルヘッドを使うようになったのにはその伏線があり、それはロートタムというドラムです。
太鼓の胴体を無くし、金属製のシャーシー(ドラムヘッドを装着する為の枠)にヘッドを張り、
殆どアタック音だけの打楽器なのですが、70年代において本器が世にお目見えしました。
それを普及させた立役者は何と言ってもビル・ブラッフォードです(#20~21ご参照)。
「トリック・オブ・ザ・テイル」のツアーでフィルがロートタムを使用している画像が確認できます。
さらには同ツアーでブラッフォードがドラムをプレイしているのも。間違いなくブラッフォードに
感化されたのだと思います。ちなみにネットで検索すると相当昔に、ロートタムを生み出したレモ社の
パンフレットでフィルとチェスターがロートタムと共にその表紙を飾っているものが出てきます。
このパーカッシヴでインパクトのある音色からシングルヘッドタムの起用と相成ったのでしょう。
ではいつ頃からシングルヘッドを使用するようになったのかというと、あくまで私がググった限りですが、
ピーター・ガブリエルが在籍していた「幻惑のブロードウェイ」のツアーでは普通に裏面もヘッドを
張っているのが確認出来ますが、ピーター脱退後のツアーでは前述した通りロートタムも用いながら、
ベースドラム上にマウントされた通常のタムタムの裏面にヘッドが張られていない画像が出てきます。
もっともハイハットの右側(フィルは左利きなので右利きで言えばセットの左サイド)には裏面にヘッドを
張ってあるタムも確認出来ます。この頃から音色への探求が始まったのではないかと私は睨んでいます。
また何よりも「トリック・オブ・ザ・テイル」においてロートタム独特のピッチを変えながら音を出し続ける
というプレイが聴けますので本作で使用しているのは間違いありません(ロートタムは本体を回すと
チューニングを変える事が出来ます)。

上は「トリック・オブ・ザ・テイル」のオープニングナンバー「Dance on a Volcano」と、
エンディングを飾る「Los Endos」。この頃はまだ基本的にダブルヘッドのタムを使用していますが、
部分的にロートタムやコンサートタムらしき音を聴くことが出来ます。

フィルがメインで使用しているシンバルはセイビアンです。彼が使い始めた頃はまだ設立されたばかりの
新興メーカーでしたが、やがてジルジャンやパイステといった老舗と並ぶ三大シンバルメーカーの
地位を獲得します。フィルはその発展に貢献した立役者の一人です。
日本版のウィキにはジルジャンの方がセイビアンより音が柔らかい、とあるのですが、私は全く逆の
印象を抱いています。勿論両社全てのシンバルを試した訳ではありませんけれども、クラッシュシンバルに
ついて言えば、同じシンクラッシュ(シンバルは厚みの順にてシン・ミディアム・ヘヴィーと
区分けされるのが一般的)を叩き比べた印象は、ジルジャンは良くも悪くも ” 金物 ” といった感じがあり、
セイビアンのクラッシュはジルジャンよりも金属音が抑えられ、” スッ ” と衝撃音が消えていく
印象があります。当然ドラム本体やギターなどと同様に個体差があるのは言わずもがなですが。

フィルのドラムにおいて絶対に切り離せないのがゲートリバーヴの存在です。80年代のドラムサウンド、
というよりもその音色によってポップミュージック自体を変化させてしまったと言っても良いほどです。
人によってこの音色が好きか嫌いかは分かれる所でしょう。率直な所、私も基本的にはドラム本来の
ナチュラルなトーンの方が好きです。しかしこれだけ一大ムーヴメントを巻き起こした事象を
無視するのは無責任であります(別に責任なんてネエだろうが・・・)。
上は3rdソロアルバム「No Jacket Required」(85年)のオープニング曲である「Sussudio」。
「No Jacket Required」は全米だけで1200万枚以上を売り上げ、英米を含め9か国で
アルバムチャートの一位に輝くというお化けの様なアルバムでした。さながら世界はフィルを
中心に回っているのではないかという程に。
リアルタイムで当時を体験したから言えますが、当時日本の洋楽関連番組ではフィルの姿や話題が
上らなかった週はなかったと断言出来ます。と言ってもその頃の洋楽番組なんてベストヒットUSAと
MTV位でしたけどね・・・・・

ゲートリバーヴと一口に言っても実はそのサウンドは様々です。ピーター・ガブリエル回で言及しましたが、
ゲートリバーヴドラムサウンドが初めて世にお目見え(お耳聴え?)したとされる「Intruder(侵入者)」(#155ご参照)や、#162でも触れたフィルの大出世曲である「In the Air Tonight」などは
同一のものではありません。ゲートタイム(リバーブを切る迄の時間)の設定やリバーブの種類などで
様々なサウンドが表現出来るようです。その中で私が ” これぞゲートリバーブドラムサウンド ” と思う典型が
上の「Don’t Lose My Number」。やはり「No Jacket Required」に収録された本曲のドラムサウンドは良くも悪くも80年代を一世風靡したサウンドの ” ひな形 ” の様なものだと思っています。
「侵入者」や「In the Air Tonight」よりも、よりゲートタイムが短くタイトなスネアサウンドが
” ザ・ゲートリバーブ ” と呼ぶべきものです。もっとも「侵入者」はベースドラム、「In the Air Tonight」はタムタムの方がより印象的なのですが・・・・・
フィルとピーターの間にゲートリバーヴを生み出したのは自分だ、という考えの相違、ちょっとした
わだかまりがあるという事は#155で既述ですが、客観的に見るとやはりこの音はフィルとエンジニアの
ヒュー・パジャムが創ったものだと言って差し支えないでしょう。ただしピーターにはこの音に
いち早く興味を示し、自身の作品で公にしたという功績があるがあるのは言うまでもありません。

しつこい様ですがこのゲートリバーブサウンドが80年代のドラム、ひいてはポップミュージックに
変革をもたらした(もたらしてしまった)という事は紛れもない事実です。しかし良しとするか
否かは意見が分かれます。勿論これだけではなくデジタルシンセサイザーやリズムマシン・
シーケンサーの登場、エフェクターを多用したギターサウンドなども全てひっくるめて
80年代のポップミュージックが形成されたといったところが正確なのですけれども。
しかし興味深いのは90年代半ば頃からこれらを一切もしくは極力排したサウンド、
エコーが殆ど効いていない生々しい音色、そして煌びやかなシンセなどは
全く用いないワイルドかつ朴訥なサウンドが復興したようです。私は殆ど知らないのですが
クランジロックと呼ばれるものなどが。もっともこれも人の好き好きですけれども・・・・・・・・・

#165 Phil Collins_4

フィル・コリンズその4。今回はドラマーとしてのフィルに焦点を当てて書いていきます。
80年代以降のドラミングしか知らない人にとって70年代のそれはかなり刺激的なものです。
当時におけるジェネシスの、というよりも彼らがカテゴライズされる英国プログレッシブロック全体が
そうであったのですが、ジェネシスもテクニカルな方向へと突き進んでいました。

フィル・コリンズ特集であるのに動画のサムネはピーター・ガブリエルとベースのマイク・ラザフォード
であるのは致し方ありません。当時のフィルはスポットライトが当たる存在ではありませんでしたから。
上は72年ベルギーでのTVショーの映像。ベルギーはジェネシスがブレイクするきっかけとなった国です。
本国でもパッとしなかった彼らだったのですが、突如ベルギーをはじめとした英以外での欧州各国にて
彼らの人気が高まり、それにつれて本国でもジェネシスに注目が集まったのです。
上は「Nursery Cryme(怪奇骨董音楽箱)」(72年)のエンディングナンバーである
「The Fountain of Salmacis(サルマシスの泉)」からアルバム未収録である「Twilight Alehouse」
へのメドレー。当時におけるジェネシスの音楽性に伴いフィルのドラミングも16ビートが主体です。
楽曲展開がコロコロ変わるものが多いのでプレイも目まぐるしく変化します。そしてプログレッシブロックにおいて切っても切れないものが変拍子。当然フィルも変拍子を得意とするドラマーでした。
余談ですがこの頃の映像を観るとフィルは下を向いて一心不乱に叩くクセがあったようです。

変拍子や同一曲内におけるリズムの変化が顕著である楽曲として先ず思い浮かんだのがコレです。
ジェネシス74年の二枚組大作「The Lamb Lies Down on Broadway(幻惑のブロードウェイ)」に
収録の「In the Cage(囚われのレエル)」。
タンタタタンが2回続くリズムである6/8拍子と、ドンタンが3回の6/4拍子が混在するパートが
リズムトリックとでも呼ぶべきこのフレーズは所謂 ” ポリリズム ”(複合リズム)になっています。
タンタタタンタンタタタン(6/8拍子)
ドンタンドンタンドンタン(6/4拍子)

こちらもリズムトリックの一種を聴くことが出来る「Duke’s Travels~Duke’s End」。
前回も取り上げた80年の傑作「Duke」におけるエンディングナンバーである本曲では、
タンタタタンタンタタタン(6/8拍子)
タッタタッタタッタタッタ(4/4拍子における三連の中抜き、所謂 ” シャッフル ” )
というポリリズムが見事な効果を上げています。特にシャッフルビートでは力強い、ともすれば
アフリカンビートの様な感じも受けます。ピーターが抜けてからこの様なよりインパクトのある
ビートが強調されました。前回も書きましたが本作はゲートリバーヴが用いられる直前の
ドラムサウンドでありますが、私はこの頃におけるフィルの音色が一番好きです。
余談ですが本曲はコンセプトアルバムである「デューク」を締めくくるラストとして素晴らしい
内容、というよりも本曲があるからこそ「デューク」は傑作になったのです。
荘厳な導入部から先述した力強いタムタムの連打と雄大な6/8拍子が同居するパート、
4:40辺りからタイトな曲調及びビートへと展開し、そしてAー③の地味な小曲であった
「Guide Vocal」が見事なまでにドラマティックな再演がなされ「Duke’s Travels」は一旦完結。
ほっと息をついたのもつかの間。「
Duke’s End」はオープニングの「Behind the Lines」が
よりハードにリプライズされ、感動のフィナーレへと向かいます。何度聴いてもこのパートは
身震いがします。ちなみに上の動画では「Duke’s Travels」と「Duke’s End」の境目が
少しかぶっていて本来とは異なります。是非アルバムを丸ごと聴いてみてください。

変拍子でもう一曲。73年の名作「月影の騎士」から「The Cinema Show」。ヴォーカルパートに
おけるミディアムテンポの16ビートも心地良いものですが、圧巻はインストゥルメンタルパートに
移ってからの7/8拍子です。7拍子としてはオーソドックスな4+3の構成ですが、
それが楽曲と違和感なく見事に溶け込んでいます。変拍子はとかくテクニカルさが際立ってしまい、
” 凄いなあ~ ” とは思っても ” 良い曲・気持ちの良いリズムだな~ ” と感じる事は少ないです。
本曲はその稀有な例の一つ。本当に難しいのはこういうアレンジ及び演奏だと思います。
また本ドラミングではフィルの特徴であるダイナミクスの妙を味わう事が出来ます。具体的には
アクセントの付いたスネアショットと囁くようなストローク、所謂 ” ゴーストノート ” というやつです。
聴こえるか聴こえないか、という程の軽いストロークによるスネアショットですがこれがリズムを
ドライヴさせる、俗に言うグルーヴ感を出す秘訣です。別にフィルの専売特許という訳ではなく
プロアマ問わず多くのドラマーが行っている事ですが(ジェフ・ポーカロ回#64等ご参照)、
フィルもこのテクニックが非常に巧みです。おそらくは彼が夢中になった60年代のソウルミュージック等で
プレイされたシェイクなどのリズムが元になっているのでしょうが、フィルやビル・ブラッフォードなど
イギリスのプレイヤーは、米のジャズフュージョン(当時で言う所のクロスオーバー)なども
貪欲に取り込み、英国風ジャズロックとでも呼ぶべき演奏スタイルを確立しました。
本曲はジェネシスによって重要なライヴナンバーであり、コンサートのハイライトで演奏されます。
フィルがヴォーカルを取るようになってからは、かつてウェザー・リポートにも在籍した凄腕ドラマー
チェスター・トンプソンがツアーサポートを務めますが、本曲における7/8拍子のパートでは
見事なツインドラムがお約束になっていました。
77年の二枚組ライヴ盤「Seconds Out」では、本パートにおいて先述したビル・ブラッフォードとの
ドラムデュエットを聴く事が出来ます。当時ブラッフォードは一時的にどこにも所属していない時期であり、ジェネシスのツアーに同行していました。同じプログレ界の先輩ドラマーとしてフィルは
ブラッフォードを尊敬しており、この時是非参加して欲しいと声を掛け実現したそうです。
同じくライヴアルバムである「Three Sides Live」(82年)ではメドレーの中の一曲として
演奏されていますが、前述した「囚われのレエル」から「シネマショー」へのつながりは本当に見事で、
チェスターによるツーバスの連打から本曲へ移行する所は何度聴いても鳥肌が立ちます。その後の
二人のツインドラムが素晴らしいのも言わずもがな。とどのつまり何が言いたいのかとするなら、
スタジオ版、「Seconds Out」版、そして「Three Sides Live」版の全てが名演だという事です。

ハッ!(゚Д゚;)!! またこんなに書いてしまった・・・フィルの使用機材やゲートリバーヴについてまで
述べようと思っていたのですが、それは次回フィル・コリンズその5にて。