#124 Stevie Wonder

80年代以降のスティーヴィー・ワンダーについて、才能が枯渇してきたなどと無礼な事を
書いた輩がいますが(誰だ!ゴルァ!!━(# ゚Д゚)━・・・・・オメエだよ (´∀` ))、
確かに70年代における異常な程のクオリティーには及ばないにしても、前回のテーマである
「リボン・イン・ザ・スカイ」をはじめとして素晴らしい楽曲はまだまだあります。

「心の愛」(84年)が評論家やスティーヴィー通に評判が悪いのは前回述べた通りですが、
本曲が収録された映画のサントラ「ウーマン・イン・レッド」。やや不確かな情報ですが、
元々はディオンヌ・ワーウィックに話が来ていたものを、ディオンヌがスティーヴィーを
推した為にスティーヴィーによるアルバムとしてでリリースされた作品とされています。
本作でディオンヌがフィーチャーされているのはその様な理由です。
「ウーマン・イン・レッド」から繋がっているのかどうかは判りませんが、85年のNo.1ヒット
「That’s What Friends Are For(愛のハーモニー)」は当初スティーヴィーとディオンヌの
デュエットであったとされています。本曲は初出がロッド・スチュワート(82年)のレコーディング。
85年にチャリティーとして再び世に出る事となります。スティーヴィーの楽曲を紹介すると言って
おきながら何ですが、本曲は言わずと知れたバート・バカラックによる楽曲です。そしてヒットを
確実にする為に共演者を増やそうと提案したのもバカラックであると言われています。
そうした理由でエルトン・ジョン、そして一般的な知名度という点では他三人には及びませんが、
60年代~70年代前半においては米ソウル界でカリスマ的支持を得ていたグラディス・ナイトを
起用することとなったそうです。
甘ったるいだけのバラード、売れ線などと批判はあります。バカラックによる数多の名曲群において、
本曲が上位に入るかというと私もそれは否と断じざるを得ませんが、これだけの実力派シンガーが
一堂に会したというだけでも貴重なナンバーです。ちなみにロッド版も良いですので聴いてみてください。

「リボン・イン・ザ・スカイ」と並んで、80年代以降におけるスティーヴィーの傑作が上の
「Overjoyed」(85年)だと思います。毎度の如く一筋縄ではないコード進行なのですが、
全くそれを感じさせない歌が素晴らしい。「ホッター・ザン・ジュライ」ではやや過剰なアレンジが
感じられる所もありましたが、本曲でのストリングスは見事。これが無ければこの曲足り得なかった
のではないでしょうか。ギターは当時新進気鋭のジャズフュージョン・ギタリストとして頭角を
現しはじめていたアール・クルー。

とかく80年代に入ってからの作品は酷評される事が多いのですが、「リボン・イン・ザ・スカイ」や
「オーヴァージョイド」以外にも素晴らしい曲はまだあります。
上の「With Each Beat of My Heart」はアルバム「Characters」(87年)からの5thシングルとして
世に出ましたが、ポップスチャートではチャートインすらしませんでした。スティーヴィーの楽曲としては
全く陽の目を見ていないナンバーですが、非常に秀逸な曲だと思っています。メインからバッキングまで
全てスティーヴィーの多重録音によるもの。この様なドゥーワップスタイルのナンバーは
スティーヴィーとしては珍しい部類ですが、元々子供の時分にはデトロイトの街角で演っていた
スティーヴィーですから、原点回帰とでも言えるナンバーでしょう。80年代末から90年代にかけて、
新しい世代のソウル・R&Bシンガー達がドゥーワップ・アカペラを取り上げて一大ブームを
巻き起こす事となりますが、丁度そのブレイク前夜とも言える時期であるのも興味深いです。
日本では山下達郎さんや鈴木雅之さん(更に遡ればキングト―ンズ)が大昔から演っていたのは
言わずもがなです。

90年代以降ベスト盤は別として、映画のサントラとライヴ盤を除くとオリジナルアルバムは
「Conversation Peace」(95年」と「A Time to Love」(05年)のみで、一応現在の所は
「タイム・トゥ・ラヴ」が最新作となります。14年も前の作品ですが・・・
スティーヴィー回の一番最初の方でも書きましたが、ポップス界において最も才能に溢れた
人だと思っています。ジミ・ヘンドリックスもいますが彼は機材の扱いを含めたギター演奏に
関しては飛びぬけた天才であった人です。
スティーヴィーよりも作曲及び編曲・器楽演奏・歌といった個々の分野において秀でている
ミュージシャンは勿論いますが、全てが高い次元で完成されていて、そして70年代をはじめとした
異常とも言えるクオリティーの作品をほぼ一人で創りのけてしまった様な偉業を成し遂げた人は、
彼をおいて他にいないのではないでしょうか。彼に匹敵する才能を持った人と言えば同時期においては
エルトン・ジョン、それ以降ではプリンスくらいだったのではないかと私は思っています。

https://youtu.be/x9gXgiHSskk
最後はライヴ演奏でも上げて締めたいと思います。「キー・オブ・ライフ」回で有名曲は
取り上げなかったので、「I Wish(回想)」と「Isn’t She Lovely(可愛いアイシャ)」の
メドレーを。08~09年の欧州ツアーにおけるロンドン公演の模様、多分DVDで出ているやつです。
女性コーラス三人の真ん中がおそらくアイシャ、途中でアップになる箇所がありますが凄い美人です。
この頃はまだ声もバリバリ出ていました、数年前のコンサートの模様もユーチューブに上がっていますが、
さすがに声の衰えは如何ともし難いところです。もっともこの人は日本で言う所の人間国宝の様な
人ですから、とにかく少しでも長く現役で活動してくれれば良いのだと私は思っています。

以上で10回に渡って続けてきたスティーヴィー・ワンダー回もこれにて終了です。
まだ例えば、ドラマーであるスティーヴィーについてスポットを当てて書いてみるというのも
面白いかと思ったのですが(一応ドラム教室のブログなんですよ・・・)、それはまた別の機会にて。

#123 Ribbon in the Sky

80年代前半におけるスティーヴィー・ワンダーの活動は、チャートアクションだけを
取れば60~70年代と遜色なく輝かしいものに見えます。余りにも有名なポール・マッカートニー
とのデュエット「エボニー・アンド・アイボリー」(82年)、映画のサントラからシングルカットされた
「I Just Called to Say I Love You(心の愛)」(84年)、85年のアルバム「In Square Circle」
より「Part-Time Lover」、そしてディオンヌ・ワーウィックやエルトン・ジョン達との共演による
「That’s What Friends Are For(愛のハーモニー)」などのNo.1ヒットを連発しています。
しかしコアなリスナー、評論家連中、そして何しろスティーヴィー自身もある事に気が付き始めました。
”以前の様な、泉の如く湧き出ていた圧倒的かつ、斬新で、驚異的な楽曲・アイデアなどが
枯渇してきているのではないだろうか?” と・・・・・

82年、スティーヴィーは二枚組のベスト盤をリリースします。「Stevie Wonder’s Original Musiquarium I(ミュージックエイリアム)」。ベストアルバムではありますが、新曲が4曲も
入っているというもの。この当時はこの手のベスト盤がよく出ていた様な記憶があります。
今思いつくだけでもホール&オーツ、ビリー・ジョエル、カーズなど。新しいリスナーは勿論、
既存のファンも買えよテメエらこのヤロウ、という阿漕な … もとい商売上手な手法です・・・
上はその先行シングルであった「That Girl」。ポップスチャート4位・R&B1位と好セールスを
記録しますが、直後における「エボニー・アンド・アイボリー」の大ヒットのせいで影が薄くなって
しまっている曲です。80年代的ブラックコンテンポラリーの影響を受けながらも、スティーヴィー
らしさは失っていない、地味ではあるけれども佳曲だと思います。

84年のNo.1ヒット「心の愛」はコアなスティーヴィーフリークや評論家筋にはとかく嫌われている
楽曲ですが、皮肉にも一般的にはスティーヴィーの代表曲として認知されています。
確かに60年代後半から70年代における綺羅星の如し名曲群と比べれば聴き劣りするかもしれませんが、
私は普通に良い曲だと思っています( ”普通” ってあまり誉め言葉じゃないですね … )。
ちなみに元々は日本の兄弟デュオ ブレッド&バターの為に書かれた曲。しかしその後、先ず自分で
使うので、ブレバタにはレコーディングをペンディングする様に要請があったとの事。スティーヴィーが
リリースした後に、ブレバタは「特別な気持ちで」として発売しています。ちなみに歌詞は呉田軽穂に
よるもの。ファンにはお馴染みの事ですが、呉田軽穂とはユーミンの別名義です。

80年代に入ってから、スティーヴィーの中では焦りの様なものが芽生えてきたと言われています。
セールス及び一般的な評価としては冒頭で述べた通り全く問題無い様に思われますが、評論家や
昔ながらの耳の肥えたリスナーによる否定的なレヴュー、何といっても彼自身の中で満足のいく作品を
創っているという自身が失われていたそうです。
これはあくまで噂話のレベルですが、マイケル・ジャクソンがクインシー・ジョーンズと組んで
モータウンを離れ、「オフ・ザ・ウォール」(79年)により華々しく ”大人のマイケル” として
再デビューを飾り、その後「スリラー」で怪物的なセールスを上げ世界を席巻する訳ですが、
それによってグラミー賞も総なめする事となります。かつてはスティーヴィーが同様の立場だった訳ですが、
新しい世代に取って代わられたという気落ちが彼にあったとされています。グラミーの評価が妥当かどうか?
などの意見は昔からありますが、創り手としては評価というものに対して過敏になるのでしょう。
これは嘘か誠は判りかねますが、ある年のグラミー賞授賞式にて、スティーヴィーは会場を離れ
舞台裏(トイレ)へと逃げるように行ってしまいました。その年もマイケルの独壇場だったそうです。
それを見たクインシーが彼を追いかけ、トイレにて激励(お説教?)をかました、と言われています。
これも真意の程は定かではありませんが、この時期モータウン側からクインシーに対して
スティーヴィーのプロデュースをして欲しいと打診があったいうウワサもあります。
これはあくまで個人的な意見、マイケルファンの皆さんイイですか?あくまで私見ですよ …
ダンスやステージングアクトなどのエンターテインメントにおける力量に関してマイケルは
素晴らしいとは思いますが、シンガー・作曲家編曲家・器楽演奏者としての才能は、
比べるまでもなくスティーヴィーの圧勝だと私は思っています・・・・・・・・・・・
ε=ε=ε=ε= (#゚Д゚)( °∀ °c彡)ヽ( ・∀・)ノ┌┛・・・ だから私見だ!つってんだろ!!!(((((゚Å゚;)))))

結果としてクインシーによるスティーヴィーのアルバムというものは実現しませんでしたが、上の曲は
”クインシーのプロデュース?” と言われても全く違和感の無いもの。「ミュージックエイリアム」の
ラストに収められている「Do I Do」は当時流行のダンサンブルなファンクナンバーで、クインシー&
マイケルやシックの曲?、と言われても疑わない様な楽曲です。ですがそこはスティーヴィー、
しっかり自分の曲にしてしまっています。歌のグルーヴ感が何とも素晴らしいのが耳を引きますが、
演奏陣も見事。ソリッドなブラスセクション、長年に渡ってスティーヴィーバンドにてベースを務めた
ネイザン・ワッツのプレイが印象的です。しかし本曲で一番話題にされるのは、ジャズトランペッター
ディジー・ガレスピーの参加でしょう。チャーリー・パーカーと共にモダンジャズ・ビバップの
開祖とされるこの超大物ジャズメンがレコーディングに加わった事が第一のトピックとなりました。
本曲もシングルカットされましたが、アルバム版は10分半もある為、シングル版は縮められています。
それでも6分もありますけれども・・・

この時期のスティーヴィーについて否定的な事を書き連ねてきましたが、しかしやはりスティーヴィー・
ワンダーです。本作には珠玉の名曲が存在します、それが今回のテーマ「Ribbon in the Sky」。
「トーキング・ブック」回にて私なりの三大バラードがあり、一曲目は「You and I」。二曲目は
前回の「Lately」であると述べました。そして残る三曲目が本曲に他なりません。
この曲について ”天上的な美しさを持った曲” と形容したレビューを読んだことがあります。
これ程的確な表現は無いという程に本曲を言い表した言葉です。
「You and I」「Lately」と際立って異なるのはドラムが入っている点でしょうか。二曲と同様に
生ピ&シンセでも面白かった様な気はしますが、それはこの時点でのスティーヴィーによる判断。
また、生ギターによる調べも素晴らしい効果を演出している所も相違点ではありますが、本質的な
部分においては二曲と相通ずるものだと思っています。それは緩急の付け方、独唱を用いる事で
よりエモーショナルな歌唱を引き立たせている点、そして甘美という表現以外が見当たらない程に
劇的な構成です。緩急の付け方と劇的な構成という部分は(似たような表現だな?!とかの
ツッコミはご勘弁。語彙が乏しい・・・)、終盤におけるコードあるいはメロディの駆け上がり方に
他なりません。「You and I」は転調ではないですが歌がドラマティックに変化し、「Lately」は
二音半の転調によって見事な高揚感を演出、そして本曲では歌の二番にて半音転調、そして
二番の最後 ”Love” を繰り返す箇所でさらに半音上がる。聴き所は何といっても二回目の転調後
(2:37辺りから、勿論それまでの抑制があってこそなんですけどね)。
この三曲全てに通じるのは、佳境にてスティーヴィーの歌が最も映える音域に持って行っているという所。
勿論この様なアレンジはスティーヴィーだけに限ったものではありませんが、本三曲は
とりわけその点において見事という他に言葉がありません。

ところでスティーヴィー・ワンダー回はいつまで続くのでしょうね(´・ω・`)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・書いてんのオメエだろ (´∀` )

#122 Lately

俗に ”黒歴史” なる言い方をされる事柄があります。なかったことにしたい、あるいはなかったことに
されている過去を指す言葉の様ですが、スティーヴィー・ワンダーの作品にも当てはまるものがあります。

「Stevie Wonder’s Journey Through “The Secret Life of Plants”(シークレット・ライフ)」(79年)。前作「キー・オブ・ライフ」の大成功の後、周囲の期待を受けて発表されたのが、
”植物には意識がある” といった、悪く言えばトンデモ学説を基にしたドキュメンタリー映画の
サウンドトラックでした。結果的には映画は未公開に終わった為、映像的な詳細は分からず終いですが、
当然ストーリーものではなく、植物の一生を映像で綴る様なドキュメントフィルムであったようです。
ポップソングに限界を感じ、新たな飛躍を遂げる為にあえて実験的な試みに身を投じたのだとか、
いや一時の気の迷いだとか、諸説ありますが、この二枚組サウンドトラックの評価は決して高いものでは
ありません。前作に参加したハービー・ハンコックなどはその冒険心を称えたそうですが、
評論家によってはターンテーブルに乗せる必要の無い作品だ、などと酷評する者もいたそうです。
実は私も今回はじめて本作をちゃんと聴いたのですが、言う程駄作とは思いませんけれども、
それまでのスティーヴィーによる作品群と比較すると?・・・ といった感じでしょうか。
しかしそんな辛辣な評価を下す評論家連中でも絶賛する曲が収録されています。それが上の
「Send One Your Love」。いかにもスティーヴィーらしい高度なコードプログレッション
(ダ、ダジャレじゃないんだからね!か、勘違いしないでよね!!(๑`н´๑)・・・)による本曲は、
ベスト盤でも大概収録されている代表曲の一つです。

「シークレット・ライフ」から一年余りでリリースされたのが「Hotter than July」(80年)。
これも人によって評価は様々なのですが、”ちゃんとした” ポップミュージックとして成立しています。
上はA-②「All I Do」。60年代におけるパートナーであったクラレンス・ポールとその時代に
既に創られていた楽曲と言われています。リズムがディスコティックなのと、シンセベースが
突拍子がないのを除けば、所謂 ”モータウン時代” の楽曲として感じられないこともない曲です。

本作で有名なのはシングル曲であるレゲエ調の「Master Blaster」、「I Ain’t Gonna Stand for It」
及びマーティン・ルーサー・キングを歌った「Happy Birthday」ですが、あえて取り上げません。
上はA-③「Rocket Love」。スティーヴィーの全曲中においても全く陽の目を見ない曲です。
これをクドい、オーバープロデュースと感じるか、スティーヴィーの楽曲としては珍しい試みと取るか、
聴き手によりますけれども個人的には興味深い一曲だと思っています。

B面は「マスター・ブラスター」から始まり、クインシー・ジョーンズを意識したのかな?
と思わせる「Do Like You」。そして上は、これも全く陽の目を見ないファンクナンバー
「Cash in Your Face」です。彼の楽曲群において特に秀でたものとは思いませんが、
この時期のスティーヴィーを知るには面白い作品なのではないかと。

本作では黎明期におけるサンプリングドラムマシン『リンドラム』の使用、ディスコサウンドの
取り込み、ポップでキャッチーな楽曲などにより前作で失いかけた大衆の支持を取り戻した面と、
一部の評論家からは三部作~「キー・オブ・ライフ」にかけての様なクリエイティビティが無い、
といった相反する評価があったようです。個人的には、質の面では確かに前四作には及ばないとしても、
そこまで酷評するものでは無いと思っています。それにはある曲の存在もあるのですが・・・

本作からの3rdシングルである「Lately」。当時はポップスチャート64位、R&Bで29位とお世辞にも
ヒットシングルとは言えないものでしたが、その後数多くのミュージシャンによって取り上げられ、
今日においては名曲とされる楽曲です。#117にて個人的に ”三大バラード” があると述べましたが、
その二曲目が本曲です。
「You and I 」と同系統とされる楽曲であり、口の悪い評論家は「You and I 」等既存曲の
アイデアを使い回していると難癖をつける輩もいるようですが、ポップミュージックでそれを
言い出したらキリがありません。
生ピアノ・シンセ(シンセベース)のみ、そしてスティーヴィーによる独唱といった点も
「You and I 」同様。そして終盤における歌の盛り上げ方も同じく絶品です。
二回目の ”good-bye” を繰り返すパートからが最大の聴き所であるのは言わずもがな。
二音半転調し、スティーヴィーの歌が一番映える音域まで駆け上がっていく箇所は、
「You and I 」にしろ本曲にしろ鳥肌ものです(「You and I 」は転調ではないですが … のはず・・・)。

「レイトリー」はその後スティーヴィーのコンサートにおいて、欠かす事の出来ないナンバーとなりました。
ミュージシャンにとって、シングルヒットした曲だけが重要なものではないという顕著な例です。

#121 Songs in the Key of Life_2

76年に発表されたスティーヴィー・ワンダーの代表作「Songs in the Key of Life
(キー・オブ・ライフ)」は、当初「ファースト・フィナーレ2」と、前作のタイトルを
踏襲する考えもあったそうです。TONTOシンセのエンジニアであり、三部作の
共同プロデューサーでもあったロバート・マゴーレフとマルコム・セシルはこの当時
スティーヴィーに ”群がってきた” 様々な人物達によって引き離され(あくまで二人の弁)、
またマゴーレフ達もそれに嫌気が差した為、共同プロデュースチームは解散となり、
スティーヴィーは一人でアルバム制作をするはめとなりました。そのためであったのか、締め切りは
75年中とされていたのが大幅に遅れ、76年9月のリリースとなりました。勿論スティーヴィーの
作品にかける並々ならぬこだわりが遅れの要因になったのも言わずもがなですが。

愛娘アイシャの誕生を歌った「Isn’t She Lovely(可愛いアイシャ)」でC面は幕を開けます。
前回有名曲は取り上げないと言ったので動画は張りませんが、トリビア的な話を一つだけ。
曲中で聴こえる赤ん坊の笑い声は永らく当然アイシャのものだと思われていましたが、00年代半ばに
スティーヴィーが ”実はアイシャのものではない” とカミングアウトしました … エェェ((゚д゚; ))ェェエ
当時洋楽好きの間ではちょっとした話題になりましたが、勿論最初はアイシャの声を使おうとしたものの
上手くいかず、同時期にかかりつけの歯科医に子供が生まれたのでその子の声を録らせてもらったとの事。
今調べてみるとイントロだけ別の子であってその他はアイシャであるとか、色々な話が出回っています。
15年位前の話なので私もうろ覚えなのですが・・・
上はC面3曲目「Black Man」。タイトルからしてわかる通り人種問題について触れた歌詞。
途中で寸劇の様なパートがあるのはインナーヴィジョンズの「汚れた街」と同様。その歌詞に興味がある方は自身で調べて頂くとして、とにかく本曲のファンクグルーヴは天下一品であり、「愛するデューク」でも
聴く事が出来るブラスセクションのソリも素晴らしい。8分半に及ぶ本曲を長いと感じる向きも
ある様ですが、私は気になりません。人それぞれという事です。

D面1曲目である「Ngiculela – Es Una Historia – I Am Singing(歌を唄えば)」。ズール語、
スペイン語、そして英語にて歌われる本曲はストレートなラブソングとの事。印象的なのはシンセの
音色(ハープシコード?)ですが、実はかなり大人数によるパーカッションのパートも採用されており、
それが言語と相まって本曲のワールドワイド感を高めているのだと思われます。

ハープ(竪琴の方)による調べの上でスティーヴィーの歌(と若干のみハーモニカ)が堪能できる
「If It’s Magic」。「歌を唄えば」と共に、ともすれば本作においては小作品といった扱いを
されてしまいがちなナンバーですが、それでさえ一級品の楽曲・歌・演奏なのです。

ジャズ界の御大 ハービー・ハンコック(と言っても当時はまだ30代)が参加している「As」。
本曲は珍しくハンコックのエレピをはじめとしてベース・ドラムにおいてもゲストミュージシャンによる
演奏です。歌の合間のオブリガード(合いの手的フレーズ、フィルイン)やソロがハンコックでしょうが、
スティーヴィーの歌をスポイルする事無く、見事な効果をあげています。当然ストレートアヘッドな
ジャズミュージックからそのキャリアを開始したハンコックでしたが、やがてエレクトリックな
フュージョン、ファンク・ヒップホップと、ジャズの枠には収まりきらない音楽を展開していったのは、
スティーヴィーなどのポップス界のミュージシャンとの交流による影響もあったのでしょう。
実際本作の後、シンセをスティーヴィーから借り受けて自身のアルバムで使用したりしていたそうです。
本曲は全体に漂う黒っぽいフィーリングがたまりません。節回しを変えて歌うパートはまるでサッチモ?
また大人数に聴こえるコーラスですが、実はスティーヴィーと女性シンガーの二人によるもの。
7分強と長尺ですが全く飽きを感じさせません。

D面のトリを飾る「Another Star」。”サンタナかよ!” と思わずツッコんでしまう様なラテンフィール
溢れるイントロ。血沸き肉躍る様な曲、というのは本曲を指すもの。歌・演奏・アレンジ全てが完璧です。
ジョージ・ベンソンがギターとコーラスで参加しています。「ブリージン」が本作と同年の5月と、
若干早くリリースされジャズのアルバムとしては異例の大ヒットを記録したベンソンですが、
勿論レコーディング時はもう少し前の話。決して派手なソロなどは弾いておらず、オブリガードに
徹していてあまりフィーチャーされていませんが、自他共に結果としてそれで良いと判断されたのかも。
ブラスセクションが見事なのは言うまでもなく、パーカッション、コーラス、そして終盤のフルートソロが
秀逸です。個人的には本作のベストトラック。

EP盤B面のラストナンバー「Easy Goin’ Evening (My Mama’s Call)」。エレピ・ベース・ドラム、
そしてハープ(竪琴じゃない方)によるインストゥルメンタルである本曲は、大傑作の締めくくりとして、
何とも哀愁を漂わせながら、かつストイシズムを撒き散らしてリスナーを良い意味で翻弄させてくれる
エンディング曲です。見過ごされがちですがスティーヴィーのワイヤーブラシによるドラミングが実に
見事。そして、ハーモニカという楽器は何故これ程まで切ない音色なのでしょう…

アナログで聴けば普通はLP①→LP②→EPという順番ですが(多分その昔テープへダビングしたのも
その順、だったと思う…)、CDではLP①→EPのA面→LP②→EPのB面となっています。
再発されたCDの曲順からしても、
EP収録曲は決してオマケ的なものではなく、本作を構成する
重要な楽曲だったのだと思います。
ですからCD①は「エボニー・アイズ」で終わり、CD②の
オープニングは「可愛いアイシャ」で
始まるのがしっくりくるのです。
「アナザー・スター」で終われば大盛り上がりのうちにフィナーレを迎えられたのですが、
そうは問屋が卸さず、「Easy Goin’ Evening 」で祭りの後に過行く夏の終わりを突き付けられる様な
寂しさを味わいながら、我々は現実へと引き戻されるのです。

前回本作について、コンセプト性は無くごった煮の様な作品と言い表しました。実際に全てが
本作の為に準備された楽曲という訳ではなく、幾つかは前作以前からのストックで、場合によっては
三部作に収録されていたかもしれない曲もあるとされています。
なのですが、矛盾を承知で言いますと、やはり本作にはスティーヴィー本人は図っていなかったとしても、
統一されたカラー・雰囲気が、あの印象的なアルバムジャケットと共に存在する様な気がするのです。
もっともこれは我々リスナーによる後付けの印象、ただの刷り込みかもしれませんが・・・

#120 Songs in the Key of Life

ロック・ポップスの分野において、二枚組の大作と呼ばれるものがあります。
ビートルズ「ホワイト・アルバム」、フー「トミー」、ピンク・フロイドの「ウォール」などが
それです。私は鼻血が出る程のフロイドマニアではありますが、その私を以てしても「ウォール」は
”長いな … ” と冗長さを感じる事がありますし、「ホワイト・アルバム」にしても同様です。
しかしながら、ある二つの作品は二枚組でありながら全くそれを感じさせる事なく、一部の隙も
無いほどの完成度を誇っています。それはエルトン・ジョン「Goodbye Yellow Brick Road」
(73年)と、今回から取り上げるスティーヴィー・ワンダー「Songs in the Key of Life
(キー・オブ・ライフ)」(76年)です。

スティーヴィーの代表作にして一千万枚以上のビッグセールスを記録した本作は、ポップミュージックに
おける金字塔としてあらゆる所で語られ、また研究し尽くされています。であるので、通り一辺倒の
うわべだけをなぞる様な取り上げ方をしても意味が無いと思われるので、自分なりの
「キー・オブ・ライフ」論を書いていきたいと思います(もとい …『論』などと大仰なものでは
ありません、ただの本作にまつわる四方山話です)。貴様の考えなど読みたくないわ! ( ゚д゚)、ペッ
という方、お忙しいお人などはちゃっちゃと読み飛ばして頂いて結構です。なおその様な趣旨ゆえに、
No.1ヒットである「愛するデューク」「回想」や、「可愛いアイシャ」などの超有名曲は取り上げません。
どちらかと言えば本作でもあまり陽の目を見ていない楽曲や、一般的なレコード評では書かれていない
事柄について述べていきたいと思います。
上はオープニングナンバー「Love’s in Need of Love Today(ある愛の伝説)」。スティーヴィーの
多重録音による印象的なコーラスから始まる本曲は、厳かさを感じさせながら、決して堅苦しくない
ソフトな曲調です。大作の一曲目としてはインパクトが薄いのではないか?と思う向きもあるかも
しれませんが、身も蓋も無い言い方をしてしまうと、本作はコンセプトアルバムの様な体を成しておらず、
スティーヴィー自身もそんな意図もなかった様であり、その時点における彼の優れた作品集といった
アルバムです(それがこんな大傑作になってしまうのですからこの時期のスティーヴィーがいかに
凄かったか、という事です)。曲の途中からはお得意の唱法、フェイクやシャウトが入り始め、
結局はスティーヴィーの歌以外の何物でも無い、といった仕上がりになっています。

「Village Ghetto Land」はストリングスをバックにスティーヴィーの独唱による楽曲、と思いきや、
これ実はシンセなのだそうです。本作からお目見えしたYAMAHA GX-1は当時一千万円以上した
もので全く売れなかったとの事。しかし本器が彼の創造に多大な貢献をした事は間違いない様です。
TONTOシンセとそのスタッフであるマゴーレフ&セシルが本作に関わる事はありませんでした。
これはスティーヴィーの意向というより周囲の思惑であったとか。厳かな楽曲ではありますが、
歌詞はかなり悲惨で、貧困層について歌ったもの。狙ったものなのでしょうが曲調との対比が印象的です。

マイケル・センベロのギターをフィーチャーした4曲目のインストゥルメンタル「Contusion」も
素晴らしいのですがここでは割愛。B面の2曲目「Knocks Me Off My Feet(孤独という名の恋人)」は
地味ではありますが心に染み入る曲。個人的には本作でもかなり好きな方の楽曲なのですが、他の有名曲の
陰に隠れてしまっている感があります。尚コーラスから演奏まで全てスティーヴィーによるもの。

「孤独という名の恋人」の様なシンプルに愛を歌った曲があれば、上の「Pastime Paradise
(楽園の彼方へ)」は哲学・宗教的であり、享楽的で他人任せな人間を戒める内容。先述の通り、
音楽的にも、歌詞の面においても本作は ”ごった煮” の様なものです。ただしそれが、恐ろしい程に美味な
”ごった煮” であったからこそ時代を超えて名盤とされているのです。

「孤独という名の恋人」と同様に本作ではあまり陽が当たらない楽曲ですが、私はともすれば
本作のベストトラックではないかと思っているのが「Summer Soft」。題名通り柔らかな
印象の始まり方ですが、サビ( ” And She(He)’s Gone ” ~のパート)からの盛り上がりが見事。
本曲は2回目のサビにおけるエンディングにて半音転調し、その後それを繰り返していくという
”どこまで行くんだ~《 ゚Д゚》” というテンション感が肝になっています。35年程本曲を聴いてきましたが、
今回初めて気が付いた事がありました。転調は2回目サビ終わりからと思い込んでいたのですが、
ギターを手に取って実際弾いてみると、2回目サビ頭で違和感が? 実は2回目サビ頭の時点で
(2:17辺り)半音上がっているんですね。その後4回転調を繰り返し、整理すると1回目サビがBm、
2回目サビ頭でCm、そこからC#m、Dm、E♭m、そして最後はEmまで上がります。
何気なく聴いていただけではわからない事がまだまだあるものです(でも音楽はあまり難しく考えずに
何となく聴くものだと思っていますけどね、私は)。オルガンが効果的に使われていますが、
これはサポートミュージシャンによるもの、スティーヴィーは生ピアノをプレイしています。
エンディングのオルガンソロはもうちょっと長く聴いてみたかった、と個人的には思っています。

冒頭で本作を二枚組と紹介しましたが、私以上(49歳)の年代ならおわかりでしょうけれども、
アナログレコードではLP二枚+EP一枚というパッケージでした(CDでは二枚に収録)。
二枚では収まり切らなかったんでしょうけど、それは彼の溢れ出る創作が如何に凄かったかの表れでしょう。
そのEP盤におけるA面2曲目「Ebony Eyes」。宗教的厳かさを感じさせる曲、スリリングな
16ビート、これまでのポップミュージックにはカテゴライズされない斬新な楽曲と、
様々なスタイルが詰め込まれている本作ですが、この曲の様に飄々とした、どこかコミカルでさえある
ナンバーもあります(でもそれさえも素晴らしいのですけれどね)。本作が万人に愛されている所以は、
「エボニー・アイズ」の様な肩肘張らずに聴く事が出来る楽曲も存在している事ではないのでしょうか。

以上で丁度半分を紹介しましたが、当然これ程の大作を一回で書き切れるとは思っていません。
ですので次へ続きます。次回は「キー・オブ・ライフ」その2です。

#119 Fulfillingness’ First Finale

73年8月6日、スティーヴィーを乗せた車がトラックを追い抜いた際、接触により積み荷の木材が
崩れ落ち、それがスティーヴィーを直撃し一時は生と死の境をさまよいました。
前回の最後にて触れた交通事故の概要は上の様なものですが、驚異的な回復を遂げ、一か月半後に
エルトン・ジョンのコンサートへ登場したのも既述の通りです。
しかし本来予定していた「インナーヴィジョンズ」のプロモーションは当然出来ませんでした。
ところがこのアクシデントがメディアにおいて報じられる事によって注目を浴び、結果的に
セールスを押し上げた面もあったとの事(そんな事は関係なく名盤であるのは言わずもがなですが)。

一度死に直面した人が、その後の思想・人生観などを変えてしまうという事はよく耳にします。
率直に言って音楽面においては、その事故前後によってスティーヴィーの作品が極端に変わったとは
思いませんが、音楽面以外では影響が出ている様です。
74年6月リリースの「Fulfillingness’ First Finale(ファースト・フィナーレ)」。タイトルや
それまでの彼の歩みを網羅した様なアルバムジャケットからして、スティーヴィーがそのキャリアに
一区切り付けようとした事は明らかです。命は有限であるという、当たり前の事なのですが、普段は
忘れてしまいがちな事実を再確認したのでしょうか。
かと言って、本作が生と死、あるいは思想・宗教観などに向き合った様な重厚な作品、などと言う事は
全くなく、むしろ三部作中では最も聴きやすい仕上がりになっていると私は思います。
上はオープニングナンバー「Smile Please」。本作から参加しているマイケル・センベロのギターが
印象的なイントロです。私の世代だとセンベロと言えば映画『フラッシュ・ダンス』のサントラに
収録されたNo.1シングル「マニアック」(83年)がすぐに思い浮かびますが、元は非常に優れた
セッション・ギタリストです。次作「キー・オブ・ライフ」においても多大な貢献をする事となります。

「Too Shy to Say」は「You and I 」からの流れをくむ様なバラード。ただし「You and I 」と
異なるのはシンセを使わずスティール(スライド)ギターを採用した事。この当時のシンセでも
似たような音色は作れたかとは思いますが、やはり細部においてはスライド(厳密に言えば
このプレイはペダルスティールによるもの。ハワイアンでお馴染みのやつ)特有のフレーズを
聴く事が出来ます。多分シンセで演ってはみたものの満足がいかなかったのではないでしょうか。

「Boogie On Reggae Woman」はシンセベースがとにかく印象的な曲。ベースの奇抜さと
ハーモニカソロ以外は割と飄々かつ淡々と演奏している様に
聴こえますが、歌詞はかなり性的なもの。
どんな歌詞かって?……… ここでは言えません・・・♡♡♡(´∀` )♡♡♡

ラテンフィールの「Bird of Beauty」。クイカというパーカッションによる独特のサウンドから
始まるサンバとクロスオーヴァーファンクの混合とも言えるナンバー。70年代クロスオーヴァーの
香り漂う、この時期のマイルス・デイヴィスやハービー・ハンコックにも通じるリズム・サウンドです。

本作は「フィンガーティップス」と同時発売のライヴ盤(63年)以来となる、ポップスチャートでの
1位を記録しました。先述の通り生死を彷徨った直後ではありながら、決して死生観・宗教などの
重苦しいテーマ・雰囲気を漂わせるような事無く、ポップミュージックとして完成しているのが
功を奏したのも一因ではないかと私は思っています。

その中にあって唯一の例外が上の「They Won’t Go When I Go(聖なる男)」。厳粛な雰囲気に
満ちた本曲は、直接的な表現こそ無いものの、天国や地獄といった来世について歌っている様です。
ここでもシンセの使い方が実に巧妙で、それ無しでは本曲は成立しなかったと思われます。

エンディングナンバー「Please Don’t Go」。最後を飾るに相応しいまさしく大円団といった
雰囲気の楽曲。途中からゴスペル風になる本曲は、前曲の「聖なる男」が静的なゴスペル調の曲で
あったのに対して、本曲は動的なゴスペルで締めくくる、まさに ”ファースト・フィナーレ”
といったエンディングの迎え方です。

所謂 ”三部作” は本作にて完結し(スティーヴィーが ”三部作” などと考えて創っていたかどうかは
わかりませんが)、いよいよ「キー・オブ・ライフ」の制作へと向かう訳ですが、その辺りはまた次回にて。

#118 Innervisions

あまりに周知の事実と思って今まで触れてきませんでしたが、スティーヴィー・ワンダーは
盲目です。未熟児として生まれ、保育器における酸素の過剰摂取により視力を失ったそうです。
「トーキング・ブック」に次ぐアルバム「Innervisions」(73年)。”内なる眼・視界” の様な
意味になるのでしょうか、本作はスティーヴィーだけに見える世界を歌ったものなのかも。

スティーヴィーの代表作にて最高傑作は「キー・オブ・ライフ」(76年)とされるのが
一般的ですが、本作「インナーヴィジョンズ」こそ最高傑作とするファンが決して少なくなく、
それがうなずける程に音楽的に優れた、密度の濃い(ともすれば息苦しささえおぼえるほどの)
傑作アルバムです。
オープニングナンバー「Too High」。冒頭からのテンション感に ”まともな曲じゃないな”
(誉め言葉ですよ)と思わせる楽曲。クロスオーヴァーとファンクが見事に融合した本曲は、
印象的なシンセベース及び電気ピアノ、ヴォーカルにかけられたエフェクト、コーラスなどが
妖しげな雰囲気を漂わせています。タイトルや曲の雰囲気からしてドラッグについて歌っているのかな?
と推察される所ですが、確かにドラッグに関する歌詞でも、内容はそれを戒めるものです。
”ピ〇〇ル〇き” みたいになっちゃダメだぞ!☆(ゝω・)v  ・・・・ やかましい!(._+ )☆\(ー.ーメ)

「Living for the City(汚れた街)」は歌唱の素晴らしさについてよく賛辞を贈られる楽曲。
ストーリー仕立ての歌詞であり、状況によって歌い方を使い分けているので、ちょっとした
ドラマを観ているよう(中間部には劇のような場面がありますし)。エンディングが次曲に
繋がっているので、本曲だけで聴くとブツッと切れてしまうのが難点です。

レッド・ホット・チリ・ペッパーズによるカヴァーでもよく知られる「Higher Ground」。
「迷信」や「愛するデューク」もそうですが、どうしたらこの様なうねり・粘りといった
グルーヴが生まれるのでしょうか?当然ドラムはスティーヴィー自身。ドラムが本職ではないので、
そのプレイには勿論粗い部分もあるのですが、このドラミングはスティーヴィーにしか
出来ないものだと私は思っています。

前回、「You and I 」を含めて私なりの ”スティーヴィー三大バラード” が あると述べました。
「All in Love Is Fair(恋)」はそれには含まれていませんが、それらに勝るとも劣らない
傑作バラードです。その三曲とはカラーが異なるので別枠としているだけです。
本曲は最初の妻 シリータ・ライトとの別れについて歌った曲だと言われています。実際における
二人の結婚生活がそれほど綺麗事であったかどうかは『?』が付く所であるのは前回述べた所ですが、
少なくとも本曲においては狂おしいほど切ない想いが朗々と、かつ劇的に歌われています。
スティーヴィーによる名唱の一つ、と言って間違いないでしょう。

個人的には本作のベストトラックである「Golden Lady 」。シンコペーションが際立つ
リズム(特に左チャンネルのハイハット)、ムーグによるベースとシンセのフレーズはかなり
テクニカルで、ともすれば歌を邪魔しかねない程ですが、全くそれは感じさせません。
よくバンドなどでは先ずたたき台があって、スタジオでセッションを重ねていく内に、時には
最初描いていた形とは異なる着地点に落ち着く、という話をよく聞きます。しかし、おそらくこの頃の
スティーヴィーは完成形が頭にあって、それにどう近づけていくかという作業に没頭していたのだと
思います。各パートだけを個別に聴くと『いったい何が創りたいんだ?』と理解が困難なのですが、
しかし全てを合わせてみると見事にピースがはまるという訳です。60年代のブライアン・ウィルソンも
(特にペット・サウンズは)そうであったとの事。ちなみに「汚れた街」の次が本曲で、この二曲は
繋がっているので続けて聴くべきです、というより本作は丸々一枚通して聴くべきアルバムです。

「インナーヴィジョンズ」は勿論ラブソングもありますが、ドラッグ、理想社会、人種差別、
宗教、その歌詞だけでは理解できない抽象的・観念的なテーマなど、歌の内容においても変化を
遂げた作品と評価されています。これは人好き好きでしょうが、マーヴィン・ゲイの
「ホワッツ・ゴーイン・オン」等と同様に、ラブソングだけを歌っていれば良かった時代の
終焉を告げるものだったのではないでしょうか。

本作リリースのわずか三日後、交通事故によりスティーヴィーは一時意識不明の重体となります。
しかし驚異的とも言える回復を見せ(若干の後遺症は残りましたが)、9月末にはエルトン・ジョンの
コンサートへゲストとしてステージに昇りました。
この事故がその後の創作、大仰に言えば人生観へも影響を与えたらしく、スティーヴィーの作品は
また新たなる境地を示し始めますが、その辺はまた次回にて。

#117 Talking Book

ジェフ・ベックについてはこのブログの初期において取り上げましたが(#5~#7)、
とにかくこの人は子供の様な人なのだそうです。「迷信」をめぐるスティーヴィー・ワンダーと
ジェフの確執についてはよく知られた所ですが、かいつまんで言うと、「迷信」は「トーキング・ブック」においてプレイしてくれたお礼としてジェフのために書いた曲で、72年の夏頃にはジェフは既にバンドで
演奏しており、シングルとしてのリリースも考えていたそうです。ところがスティーヴィーの
前作「心の詩」がセールス的には(60年代と比較して)今一つだった事から、マネージメントサイドが
強引に第一弾シングルとして発売し、あろうことかそれがNo.1ヒットとなってしまい、
ジェフは『スティーヴィーの野郎!オレの為に書いたと言ってたくせに!!』と激怒したとか。
スティーヴィーも意に沿わぬ形でリリースされてしまったもので、ジェフに対しては申し訳ないと
謝辞を述べたと言われています。なのでそこまで怒ることもないとは思うのですが・・・
前回たまたま三大ギタリストという単語が出ましたが、残る二人、ジミー・ペイジはしたたかというか
狡猾というか、失礼を承知で言えば悪魔的な人物で、愛人二人がホテルで鉢合わせしてしまった際、
取っ組み合いのケンカを始めた彼女たちをニヤニヤしながら眺めていたとか・・・
エリック・クラプトンはとにかく神経の細い人で、すぐに酒とドラッグに逃げてしまい、また女性に
対してとにかくルーズであったとか・・・あれ!一人としてちゃんとした人間がいない!!∑(゚ロ゚〃)
今回の枕はこんなしょうもない話から・・・・・

全米No.1シングル「You Are the Sunshine of My Life(サンシャイン)」をオープニングナンバーと
するアルバム「Talking Book(トーキング・ブック)」(72年)。言わずと知れた大ヒット作であり、
スティーヴィーの黄金期は本作から始まったと、一般的には言われる作品です。
前作「心の詩」と同時期には既に録られていたとされる「サンシャイン」。バックヴォーカルを務めていた
男女のシンガーによるパートを一聴するととても心地よいポップな曲調ですが、スティーヴィーのパートに
入ると様子が変わってきます。動的なリズム・サウンドになり、快適さと躍動感が同居する如何とも
形容しがたい稀有なナンバーです。ちなみに自身でプロデュースするようになってからは殆どが自らの
シンセベースでしたが、本曲に限っては弦のベースです(セッションベーシストによる)。
決してシンセベースが悪いという訳ではありませんが、ボサノヴァ的なこの曲のグルーヴは、
やはりシンセでは不可能と判断したのかもしれません。

ジェフ・ベックとのいわくについては既述の「Superstition(迷信)」。「フィンガーティップス」
以来の全米1位を記録した本曲は今更説明不要なほどの代表曲ですが、このファンキーなグルーヴは
何百回聴いてもたまりません。

そのジェフの為に「迷信」を書くキッカケとなった曲が上の「Lookin’ for Another Pure Love」。
本曲ではジェフのみならずバジー・フェイトンもギターで参加しています。そのキャリアとしては
ラスカルズのリードギタリストとして有名なフェイトンは、前作「心の詩」に収録の
「スーパーウーマン」にて素晴らしいプレイを披露しています。間奏のソロはジェフだというのは
よく言われる事でそれは間違いないと思いますが、歌のパートから既に右・左チャンネルにて
それぞれギターが聴こえます。正直どちらがどちらかは判別が付きかねます(ギターソロは
センターに定位されていますので)。そのギターソロはジェフ節満開、といったプレイ。
”トュルルトュルルトュルルトュルル・・・”といったトリルの連続はジェフの十八番。
1:58~59にて ”Yeah!Jeff!!” とスティーヴィーの掛け声が聴こえます。そうすると
メインの歌とジェフのソロは一緒に録ったのかな?と推察も出来る所ですが真相は?・・・
「迷信」の件の埋め合わせとして「ブロウ・バイ・ブロウ」にて「哀しみの恋人達」と他一曲を、
ジェフの為に提供したのは結構知られた話です。

シリータ・ライトとは72年の春頃に離婚しています。「Tuesday Heartbreak」はシリータとの
別れについて書かれた曲だと言われています。離婚後もかなりの期間において、関係は続いて
いたとされる二人ですが(音楽面、また ”それ以外” においても)、本曲では女性が新しい恋人を
作ったからという一節がありますけれども事実は異なる様で、スティーヴィーも異性関係は
かなり派手だったそうなので、”どっちもどっち” というのが真相の様です。
また本曲ではデイヴィッド・サンボーンが参加しています。当時はまだそれほどビッグネームでは
なかったと思いますが、バジー・フェイトンと共にポール・バターフィールド・バンドに
在籍していた事があるので、そのつながりだったのかもしれません。その後ジャズ・フュージョン界を
代表するアルトサックス奏者となるサンボーンですが、意外にも出発点はブルースのバンドだったのです。
彼についてよく言われる ”泣きのサックス” というのは、その辺りに起因するのかもしれません。

スティーヴィーの独唱・独演による「You and I 」。前回、「心の詩」の「Seems So Long」にて、
バラードのスタイルが出来上がった、と述べましたが。本曲はそれの先ず最初の完成形にて大名曲。
ファンキーでグルーヴィーなチューン、爽やかなポップソング、スリリングなクロスオーヴァー的
16ビート、それまでのポップスの枠に当てはまらない斬新な楽曲、彼はどの様なスタイルでも
創りこなしてしまうソングライターですが、バラードというのが一つの重要な要素であるのは
間違いない所です。私は本曲を含めスティーヴィーの ”三大バラード” があると思っています
(後の二つはいずれ)。このようなメロディックな曲はシンプルにピアノだけで良く、シンセは
不要なのではと普通は思ってしまいますが、これに関してはシンセが無ければ成立していなかったでしょう。
はじめに独唱といった通り、バックコーラスは無く、その代わりを担っているのがシンセであり、
所謂オブリガード、裏メロ的な使われ方です。これが人の声だったとしたならば、スティーヴィーの
エモーショナルな歌がスポイルされていたのでは、と私は思っています。本曲を音楽的に解説している
サイトが幾つかありますので、メロディ・コードの展開などを詳しく知りたい方はそちらを参照して下さい。本曲の素晴らしさについて衆目が一致する所はエンディング部のヴォーカルです。それまでの抑制が
効いた歌は、全てがこのパートへ帰結するためのものだと言えます。

全曲について述べたいところですが、きりがないのでこの辺で。

#116 Music of My Mind

スティーヴィー・ワンダーは50年5月生まれ、ですので70年5月に20歳になった訳です。
そして翌年の21歳をもってモータウンレコードとの契約期間終了を控えていました。
モータウンにはこの頃から内部で不協和音が響き始めていました。社長のベリー・ゴーディは
独断で会社をデトロイトからL.A. へ移しミュージシャン達から反感を買いました。また、
世の音楽は転換点を迎えており、アルバムを一つのトータルな作品とみなし、コマーシャリズムだけを
追及する音楽スタイルからの脱却を図り始めていましたが、ゴーディはあくまで3分弱のポップソング
こそが理想、という考え方でした。であるから当然曲に社会的・政治的メッセージ性を込める事にも
否定的で、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」にも決して良い顔をしませんでした。

スティーヴィーは既にマーヴィンやダイアナ・ロスと並んでモータウンのドル箱スターと
なっていましたので、勿論ゴーディも契約更改をさせようと目論んでいました。しかし、
スティーヴィーも当然ミュージシャンとしての自我(かなり強烈な)が芽生えており、
今までの様なモータウンのやり方には素直に従うつもりはなかったのです。二人の間で具体的に
どのようなやり取りがあったかはわかりませんので、その後の作品から推して知るべしですが、
プロデュースは自身で行う、共同作曲者も付けない等、少なくとも音楽的には好きに演らせてもらうと、
出来得る限り余計な干渉はしてくれるな、というものだったのでしょう。
という訳で二十歳になったスティーヴィーは70年の夏頃から次作の制作に取り掛かり、そうして
出来上がったのが71年4月リリースの「Where I’m Coming From(青春の軌跡)」です。
前回、71年という年が重要な意味を持つような言い方をしたのはこういう訳です。
上はオープニングナンバー「Look Around」。いきなりクラシック的雰囲気を漂わせる本曲を
一曲目に持ってくる所からして、作風の変化が一聴瞭然です。アルバム全体を通して、
これまでよりも内省的、悪く言えば地味で暗い作品です。チャートアクションだけを取れば
ポップス62位・R&B7位と、芳しくないものでした。唯一の例外はシングル
「If You Really Love Me」がポップス8位・R&B4位というヒットを記録した事。本曲は
”60年代モータウン的スティーヴィー” のカラーを残しつつ、良い意味で新しいスタイルと
巧く折り合いをつけた佳曲です。

地味で暗い、などと酷い言い方をしましたが、本作はその後のスティーヴィーにとって大変重要な
意味を持つアルバムです。上の「Never Dreamed You’d Leave in Summer」は、その後の
「You and I」や「Lately」といった、スティーヴィーならではの劇的なバラードの萌芽的楽曲です。

エンディング曲「Sunshine in Their Eyes」。アレンジに旧モータウン色を脱して切れていない感も
若干ありますが、7分に渡る本曲は、ソングライティング面における彼の新境地を見出す事が出来ます。
ちなみに70年9月にスティーヴィーはソングライターであったシリータ・ライトと結婚しています。
結婚生活自体は18ヶ月間と短いものでしたが、シリータは妹のイヴォンヌと共にスティーヴィーの
作品と深く関わる事となった人物であり、「青春の軌跡」は全て共作名義となっています。

70年代のスティーヴィーを語る上で欠かせないのがシンセサイザーです。彼はこの時期にその後の
音楽性に多大な影響を与えるものと出会います。TONTOシンセサイザー。私は電子キーボード類に
明るくないので、詳細に興味がある方は自身で調べてください。ムーグシンセサイザーを改良、
発展させた本器の音を聴いたスティーヴィーはすぐさま開発者達に会いに行ったそうです。
本器を使用し、また開発者達にもエンジニアとして加わってもらい新作が完成します。72年3月に
リリースされた「Music of My Mind(心の詩)」です。

76年の超大作にて代表作である「キー・オブ・ライフ」、そしてそれにつながるとされる
「トーキング・ブック」「インナーヴィジョンズ」「ファースト・フィナーレ」を俗に ”三部作”
と呼んだりしますが、実際は「心の詩」からつながっていると思います。もっとも三部作という
言い方を欧米でもするのかはわかりません。 ”三大ギタリスト” と同じく日本だけのものかも。
オープニング曲「Love Having You Around」。まさしくニューソウルと呼ぶに相応しい、
前作にてその片鱗を覗かせてはいましたが、それが見事に開花したナンバーです。
様々なアイデア、従来とは異なる手法が採用されています。音質は非常にクリアで、ステレオの
定位(左右の振分け)が実に巧妙、ヴァリエーションに富んだバッキングヴォーカル、その中でも
トーキングモジュレーター(管に声を通して音色を変化させる)が効果的に使われています。
エレクトリックピアノに関しては、本作からフェンダー社のローズピアノが使用されていると言われ、
それが前作より表情豊かなプレイを可能にしているようです。非常に計算されつくしたバッキング
トラックでありますが、それが要であるスティーヴィーの歌を邪魔する事は全くなく、全てが
渾然一体となって、このブラックフィーリング溢れるナンバーを盛り立てる事に成功しています。

シンセやエレピと並んで、スティーヴィーの音楽にとって重要なキーボードがクラビネットです。
「迷信」のイントロが良く知られる所ですが、上の「Happier Than the Morning Sun」も
クラビが印象的な曲。マルチで重ねたようにも聴こえますが、エフェクターのコーラスをかけたものと
言われています。ビートルズの「ヒア・カムズ・ザ・サン」に影響されたとかされないとか。

「Seems So Long」も新境地が垣間見える楽曲。フリーなコンテンポラリージャズのような
スタイルのバラードは、淡々と始まり、やがて劇的なエンディングを迎えるといったスティーヴィーの
バラードにおける一つの型が出来上がった初期の作品と言えます。パーカッション的なフリーな
ドラミングも素晴らしく、彼のセンス・グルーヴを堪能出来ます。

私が思う本作のベストトラックであり、黄金期の幕開けを象徴するナンバーが上の「Superwoman」。
異なる二曲をつなぎ合わせたこの8分に渡る大曲は、先の「Seems So Long」同様にTONTOシンセが
効果的に使用されています。楽曲、アレンジ、演奏、そして勿論スティーヴィーの歌といった全ての要素が
非常に高い次元で結び付き、更に高みへと昇華されている初期の名曲です。

「心の詩」はポップス21位・R&B6位と、前作よりはだいぶ良かったものの、次作「トーキング・ブック」
以降と比べるとチャートアクション的には決してヒットとは呼べないもので、それが現在においても
今一つ評価が低い原因かと思われますが、所謂スティーヴィーの黄金期は本作から始まったと
私は思っています。
また音楽的な面ではないのですが、21歳時の契約更新の際にはやり手弁護士を雇い、スティーヴィー本人は
創作に専念出来たというのも、この時期に急激な(異常とも言える)音楽的飛躍を遂げた遠因に
なっていると言う人もいます。

かくして黄金期へのお膳立ては揃った訳ですが、今回はここまで。
次回は当然「トーキング・ブック」についてです。

#115 My Cherie Amour

前回の最後の方にて触れたスティーヴィー・ワンダー。年初からブラックミュージック特集を
続けていますが( 誰もおぼえてませんよね!(*゚▽゚) )、本当は特集のトリを飾る人に
しようと思っていました。ですが、ちょうどスティーヴィーの名前が出てきた所で取り上げて
しまおうと思います。人間いつどうなるか先はわからないので、例えば無実の罪で投獄されたり
∥||Φ(|’Д`|)Φ||∥、突如来襲してきた宇宙人にさらわれてしまったり ~👽👽👽Φ(‘Д`)Φ👽👽👽~、
朝目が覚めると一度も来た事がないダンジョンの最深部に取り残されていたり /~~\(‘Д`)/~~\、
かように、人生は何があるかわかりませんので書けるうちに書いておきます・・・ネーヨ (´∀` )

https://youtu.be/Xhmq8JuPfJA
ポップミュージック史上、最も才能を持ったミュージシャンだと私は思っています。
その音楽的才能においてはジョン・レノン、ポール・マッカートニーをも凌ぐ存在です。
数多くのヒット作を放ち、今更説明不要な程・・・と思ったのですが … 。これだけのビッグネームで
ありながらその全キャリアにおいて、特に60年代における彼の音楽性及びその背景については
意外と語られていないのでは。それは彼の黄金期が70年代前半から80年代初頭にあるので、
致し方ありません。かく言う私もその時代こそが彼の真骨頂だと思っている一人です。
しかし60年代の活動に触れずしてその後の音楽性を語ることも片手落ちであるので、出来るだけ
簡潔に60年代をまとめていきます。機会があればこの時代についてはいずれまた触れます。
上は63年の全米No.1ヒット「Fingertips」。レコードではA面がパート1、B面がパート2と
分かれています。そして同日発売のライヴ盤も同じく全米1位。レコーディング時は12歳であった
少年のプレイがNo.1となった、これは快挙としか言いようがありません。
スティーヴィーを語る上で、モータウンレコードの創設者 ベリー・ゴーディに触れない事は
不可能ですが、彼のプロフィールはどうぞウィキ等で。
きっかけはスティーヴィーの少年期における音楽的相棒の親族に、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズの
メンバーがいた事。凄い子供がいるといってモータウンのスタジオで、ゴーディの前にてお披露目が
行われました(ダイアナ・ロスもその場にいたらしい)。ゴーディは最初、その歌声よりも器楽演奏の腕前に目を付けたそうです。ピアノ・ハーモニカ・ドラム・パーカッションを巧みにこなすその天賦の才に将来性を感じたとの事。意外にも歌声にはそれほど魅かれなかったらしいです。それは致し方なかったかも
しれません。声変わり前の少年なので、今後その歌声がどの様になっていくかは未知数であったのですから。もっともその心配は全く的外れなものとなりましたが。
「Fingertips」及びアルバムの中にはその後の、具体的に言えば60年代後半からの
スティーヴィーの才能の片りんを見出す事は難しいです。ミュージシャンによっては10代でデビューし、
その時点で既に音楽が完成されているという人もいますが、スティーヴィーは決してそうでは
ありませんでした(12歳ですからね)。当時における彼の才能は、むしろ聴衆を盛り上げる
ステージパフォーマンス、テンションの高さに顕著で、ゴーディ達もその天性の素質に注目していました。
この頃のステージでは、興奮し過ぎたスティーヴィーが持ち時間が終わってもステージを降りないので、
大人たちが抱えて引きずりおろすという事もあったそうです。
しかし、その後二年半の間は「Fingertips」の様なヒットには恵まれませんでした。スティーヴィーの
音楽的才能が開花し切っておらず、またモータウン側もどのように彼を扱えば、売り出していけば
良いのか試行錯誤が続いていたようです。

潮目が変わったのは65年暮れ、上の「Uptight (Everything’s Alright)」が「Fingertips」以来の
大ヒットとなります(ポップスチャート3位・R&B1位)。絵に描いた様な快活なソウルナンバーである
本曲は、ローリング・ストーンズの「サティスファクション」にインスパイアされた曲。アメリカの
ソウル・R&Bに心酔したロンドンの若者たちによる楽曲が本場の黒人少年に影響を与える、
このあたりは誠に興味深いものがあります。

https://youtu.be/C6ZSpuTwy7c
ここから60年代におけるスティーヴィーの快進撃が幕を開けます。70年までにポップスチャートにて、
「アップタイト」を含め10曲のTOP10ヒットを世に送り出す事となりました(60年代って
言っているのになんで70年を含めるの?というのには理由があります、それは次回にて)。
全てがオリジナルという訳ではありませんが、彼のソングライティング能力が萌芽した時期と言えます
(ただしこの時期は全て共同作曲者が付いていました)。そしてゴーディが懸念していた
声変わりという点においても全く問題なく、シンガーとして更なる飛躍を遂げたのです。
上の二つはこの時期において、自作曲でなおかつその歌唱が素晴らしいと私が独断で選んだもの。
「I Was Made to Love Her」(67年、ポップス2位・R&B1位)はチャカ・カーンも
カヴァーしたのは以前取り上げた通り(#105ご参照)。「I’m Wondering」(67年、ポップス12位・R&B4位)はアルバム未収録曲ですが歌声が見事で、「I Was Made・・・」同様にその後の
ヴォーカルスタイルが確立されたものの一つではないかと思っています。

今回のテーマである「My Cherie Amour」(69年、ポップス4位・R&B4位)。本曲はビートルズの
「ミッシェル」に影響を受けて創られた曲、なので仏語の ”Amour” が冠せられたという訳。
ビートルズ、とりわけポール・マッカートニーとは縁が深く、82年の「エボニー・アンド・アイボリー」は
あまりにも有名ですが、二人は60年代半ばには既に会っていたとの事。曲は16歳(66年)の時に既に
書き上げていたらしく(「ミッシェル」の発売直後)、恋人との別れが元になっています。67年中には
ヴォーカル以外のパートが録音され、翌68年1月には歌が録られたそうですが、モータウン側が歌に
問題があるとして一年後の69年1月まで取り直し、ようやくリリースにこぎつけたそうです。67年頃
(17歳)には、その歌唱スタイルはほぼ完成されていたと思うのですが、何が問題であったのかは謎です。
メロディメイカーとしての才能が開花されたこの名曲は、はじめは「I Don’t Know Why」という曲の
B面でした。本曲はモータウンらしくない ”硬派” な曲で、玄人には評価が高いのですが(ストーンズが
後にカヴァー)、一般ウケはしそうにないのですぐに「マイ・シェリー・アモール」をA面として
再発されました。人によっては売れ線、アレンジが古臭いと揶揄する人もいるようですが、そのメロディの
素晴らしさは文句の付けようがなく、スティーヴィーによる傑作の一つと位置づけて良いでしょう。

この他にも、ボブ・ディランのカヴァー「Blowin’ in the Wind(風に吹かれて)」(66年、
ポップス9位・R&B1位)はスティーヴィーが社会的メッセージ、政治観を歌詞へ反映させる契機と
なった作品ですし、バート・バカラックの名作「Alfie」(68年、ポップス66位)はハーモニカによる
インストゥルメンタルであり、イージーリスニング的と敬遠するファンもいますが、そのハーププレイは
素晴らしいもので、一概に否定は出来ない楽曲と私は思っています。
この様に、色々な切り口からスティーヴィーを取り上げると、60年代だけでもまだまだ書き尽くせない
のですが、きりがないのでその辺りは機会があればいずれまた。
次回は71年からのスティーヴィーについてです。