#14 Achilles Last Stand

ツェッペリンが登場するまで、ポップミュージックの販売戦略としては、先ずシングルの
リリースがあり、それがラジオ等の媒体でかかることで、広く大衆に認知されるのが一般的
だったとされています。しかし彼らはそれを前提としない、例外もありますが、シングルサイズ
を念頭に楽曲を作っていない、アルバム重視の楽曲制作でした。つまり一曲の演奏時間が長い。
とてもラジオで気軽にかけられるものではない楽曲が多かった。
また1stアルバムから既にその傾向はありましたが、彼らの音楽性は基本的にブルースをベースに
しつつ、そこにペイジの音楽的嗜好であったトラッドフォークのフレーバーを混ぜつつ作り上げた
ロックサウンドとでも呼ぶべきものでしたが、それ以外の多種多様な音楽性も垣間見えました。
5thアルバム「Houses of the Holy」ではそれが前面に出ており、ファンク、レゲエなどの
新しいジャンルも取り入れ、賛否両論を巻き起こしました。6thアルバム「Physical Graffiti」
その集大成とでも呼ぶべき2枚組の超大作で、ブルージーなナンバーからワールドミュージックまで
彼らの力量が思う存分発揮されています。「Kashmir」はその後の彼らの重要なライブナンバー。
派手なギターソロなどがある訳ではありませんが、中近東風の独特のサウンドに、これまでの
ロックにはなかった様な楽曲構成でもって、素晴らしい大作に仕上がっています。
ボンゾ存命中最後のアルバム「In Through the Out Door」では、カントリー&ウェスタンから
サンバまで、さらにシンセサイザーを大胆に取り入れ、異色の出来となっています。これは決して
アメリカ市場に迎合したなどということでは決してなく、彼らの音楽的トライアル精神の賜物だと
私は思っています(現実面ではジョーンズがイニシアティブを握った、握らせてあげた結果とも)。

前回の記事で、なぜツェッペリンの追随者は現れにくかったのか、と書きました。私見ですが、
こんなリスキーな営業戦略を取るバンドはなかなかいない(させてくれない)、ということでは
なかったかと思います。メディアと距離を取り、シングル盤のリリースを殆どしないなど、
普通では販売促進の面からはとても考えられないスタンスを貫いた。そしてサウンド面では、
ハードロックのみならず、様々な音楽性に(決して流行りに乗った、とか思いつきでもなく)
トライしていった。こんなバンドはそれまでいなかった。普通は例えやりたいと言っても市場に
流通させてもらえないでしょう。これは成功した者、言わば”王者の余裕”の様なものがあったから
出来た側面もあったと思いますが、基本的にはペイジ達の音楽性の多様さがそうさせたのでしょう。
例えばハードロックなら、それを中心にやっていれば、(昔ながらの味を頑固に守っている
店の様に)常連客はついてきてくれるでしょう。決してそれは悪い事ではなく、商業音楽で
あれば止むを得ない面もあります。またとどのつまりは人の好み、という一言に尽きます。
簡単に言うと、彼らはメディア・大衆に媚びたりしない「カッコいいロックヒーロー」の
元祖だったのだと思います。だからこそワンアンドオンリーであって、未だに彼らの追随者・
エピゴーネンでここまで成功する人達はなかなか現れない(現れづらい)のではないでしょうか。

アルバム「Presence」のオープニング曲「Achilles Last Stand(アキレス最後の戦い)」。
個人的にはツェッペリンの中で一二を争うベストトラックと思っています(もう一つは
「The Rain Song」 ライヴの方)。ポップミュージックにおいて、これほど雄々しく、気高く、
そしてヒロイックな楽曲を他に知りません。「Presence」は初期のハードドライヴィング感覚に
満ち溢れた、言わば彼らによる原点回帰の作品とも呼べます。従来のファン、評論家筋などには
評価の高い、最高傑作ともされる作品ですが、セールス的にはオリジナルアルバム中では
最も芳しくなかったらしいです(とはいっても米だけで350万枚。桁が違います…(´Д`))

80年9月25日、”ボンゾ” ことジョン・ボーナムが急逝。ボンゾ以外のドラマーでこの
バンドを続けることは考えられない、と解散を表明。人によって意見の違いはあるでしょうが
私は全くの英断だと思っております。更に言えば、これはボンゾとそのご家族に大変不敬な
言い方になってしまうかもしれませんが、レッド・ツェッペリンというバンドは、ここで
終わったからこそ、ここまで伝説的になったと。そして80年代以降の音楽シーンにそぐわない
存在でもあったのではないかと。コンプレッサーをかけ、煌びやかな音色になり、ディレイや
コーラス等のエフェクターを多用した”オシャレ”な音色のペイジのギター、ゲートリバーブを
効かせたボンゾのドラム、「そういうツェッペリンも聴いてみたかった」という人達も当然
いるでしょう。
勿論、趣味嗜好は人それぞれですから、それを決して否定はしません。
しかし私はその様なツェッペリンが想像出来ません。その様なサウンドのツェッペリンがもしも
聴けてしまったとしたら、その瞬間、それまでの彼らが雲散霧消してしまう様な気がするのです。

その後の彼らについて少しだけ。85年の『ライブエイド』にて、フィル・コリンズを加え、
計画的だったとも、全くの即席だったとも、説が分かれますが、かりそめにも、再結成して
その
音を聴かせ、世界中のファンが狂喜乱舞。88年のアトランティック・レコード40周年
コンサート
では、ボンゾの息子 ジェイソンが参加してトリを務めました(記憶違いでなければ
確か
夜中に衛星生中継で演っていた様な… 眠い目をこすりながら観た記憶が・・・)。

最後に、ひょっとしたら、おそらく一人か二人しかいない読者の中には(一人もいないって
言うなー!!━━━(# ゚Д゚)━━━ )、「ドラム教室のブログのくせに、ボンゾのドラミングに
殆ど触れてないじゃん」と思われた方もおられるかもしれません。当たり前です( ̄m ̄*)…
ボンゾのプレイについて語り出したら、記事が何回に渡るか分かったもんじゃありません・・・
ですのでそれについては、是非別の機会を設けて。これにてレッド・ツェッペリン編は終了です。

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