前回取り上げたエイジアの中心メンバーであったジョン・ウェットン。私も中学生の頃から
長年に渡ってキング・クリムゾンやエイジアなどでその歌とベースを聴いてきたのですが、
ミュージシャンとして、また人間として能動的に詳しく知ろうとした事はありませんでした。
ベースとドラムはリズムセクションとしてどうしても裏方に回る役割ですが、自分がドラマーなので
ドラムについてはそれなりの知識は持ち合わせていますけれども、同じ裏方のベーシストには
なかなか意識が向かなかったというのが事実です。昨年1月に惜しくも亡くなってしまいましたが、
今回からジョン・ウェットンの音楽、及びその人間性などについても書いてみたいと思います。
49年、英国ウィリングトン生まれ(ウィリングトンというのはイングランドの丁度ど真ん中辺りに
位置する町のようです)。ブリティッシュロック、特にプログレッシヴロックと呼ばれるカテゴリーに
おいて様々なバンドに在籍、またはサポートメンバーとして参加した英国ロックの生き字引的な人でした。
彼のキャリアをデビューした70年頃から前回のエイジア、つまり80年代前半位までだけでもちゃっちゃと
述べてみますが、それでもかなりのボリュームになります。どれだけ節操ない…もとい仕事好きだった
人なのかが垣間見えるのではないでしょうか。忙しい人はザックリとだけ読んで頂ければ・・・
初めてその名が世間に認知されるようになったのはファミリーに参加した事によって(71~72年)。
米では全く売れなかったようですが、本国イギリスではアルバムがTOP10内に入るほどの人気バンド
でした。ウェットンはアルバム2枚にてプレイしています。72年にキング・クリムゾンへ加入。ロバート・
フリップらしく(?)3年間で解散、その後ロキシー・ミュージックへ参加しますがツアーのみで
スタジオ盤は残していません。直後にユーライア・ヒープへ加わり2枚のアルバムを。そして超絶
ハイテクバンド U.K.を結成しますがこちらもスタジオアルバムは2枚のみと短命で終わります。その後も
ジェスロ・タルのサポートをしたり、自身の初ソロアルバムもリリース。80年、一時だけウィッシュボーン・アッシュに在籍しアルバム1枚を、そして前回取り上げたエイジアで世界的な成功を収める事となります。
約10年間だけでこのバンドの変遷と仕事量です。実際彼を”ベースを持った渡り鳥”と呼ぶ人もいます。
彼の名を一躍有名にしたのはキング・クリムゾンに参加した事だと一般には言われています(72~74年)。
実際そうだとも思うのですが、しかしチャートアクションだけを見ると、この時期のクリムゾンにおいては
3枚のスタジオ盤とライヴ盤1枚を残していますけども、「太陽と戦慄」(73年)が英でぎりぎり20位、
米ではどれもTOP40に入る事は無かったのです。無論レコードセールスが全てだ、などと言う気は
毛頭ありませんですし、むしろその逆で、売上的には決して振るわなかったクリムゾンが50年経った
今日でも語り継がれているのは商業的成功だけが全てではないという事を物語っているという証拠です。
しかしリアルタイムの70年代前半において、米や日本において彼の知名度は如何ほどだったのかと?…
#15~17でキング・クリムゾンは取り上げましたが、彼のベースプレイでまず真っ先に浮かんでくるのは
何と言ってもこの曲「Red」。当時におけるウェットンの使用機材はフェンダー・プレシジョンベースと
ハイワット製アンプ、そしてエフェクターを使って歪ませることもあったとの事。本曲における波のように
押し寄せる重低音は35年以上聴き続けていますがいまだに圧倒されます。
その奏法はツーフィンガー・スリーフィンガー・ピック弾きと多彩で、時に所謂”チョッパー”(これは
和製英語で、欧米ではスラッピング(slapping)と言うそうです)とは異なる、人差し指から薬指までの
3本ないし2本を弦に叩きつけるような奏法を用いる事もあったそうです。
ロキシー・ミュージックへ参加時の下記の演奏「Out of the Blue」にて、ベースとドラムによる
ブレイクが2回ありますが、この時に低音弦がビビり・割れている音がそうではないかと思っています。
60年代風ソウルミュージックをさらにテクニカルにしたようなプレイは圧巻。先述のブレイク時に
おけるエフェクターのかけ方も非常に効果的でインパクトがあります。
最後にもう一曲、U.K.から。本バンドはどれを取っても凄まじいプレイですが、来日時のライヴアルバム
「Night After Night 」(79年)より「Presto Vivace and Reprise~In The Dead of Night」。
1stアルバムの曲ですが、結成メンバーである超絶技巧ギタリスト アラン・ホールズワースの脱退により
トリオ編成となり、ドラムもブル・ブラッフォード(#20~21ご参照)からテリー・ボジオに代わりました。
ウェットンのプレイのみならず全員(といっても3人、それでこの演奏…)が圧巻ですが、特筆すべきは
この変拍子の難曲を歌いながら演奏しているという事。スタジオ盤では別々に録っているのでしょうが
(ひょっとしたら弾きながら歌っていたりして…)、この辺りがウェットンの地味に凄い所です。
次回はウェットンのシンガーとしての側面、またその人生についても書いてみたいと思います。