#87 What Is This Thing Called “New Wave”?

前回の後半にて、ロックの歴史が語られる際に、70年代後半から80年代初頭にかけて、
パンクムーヴメントの流れからニューウェイヴにシフトしていったとよく言われる、
という旨を述べました。何気にニューウェイヴという言葉をポップミュージックにおける一ジャンルを
指すものとして使っていますが、はたして”ニューウェイヴ”という音楽とはどういうものなのでしょうか?
ハードロックやパンクといったジャンルはすぐにイメージ出来ると思うのですが、ニューウェイヴという
音楽に関して、実は一筋縄で説明するには難しいものがあります。
今回は無謀にもこのテーマに関して触れていきます。

ニューウェイヴを無理くり幾つかのカテゴリーに分けるとすれば、①テクノポップ②環境音楽
(アンビエント)③アバンギャルド④その他、とでも分類出来るかと思います。

先ずテクノポップ。これに関しては先駆者であるドイツのクラフトワークが70年から既に活動して
いました。74年、アルバム「アウトバーン」が全米5位・全英4位という大ヒットを記録し、
テクノポップ・電子音楽を一般に知らしめるキッカケとなりました。それまでは前衛音楽の一つくらいの
認識でしかなかったのを、ポピュラー音楽として通用するのだと証明したバンドです。日本においては
言うまでもなくYMOによってポピュラリティーを得ました。
なので、決して70年代後半に新しく生まれた音楽という訳ではないのですが、何故この時期に
多くのミュージシャンが取り上げるようになったのか?
あくまで私の推論ですが、内的要因として、ミュージシャン達の中に新しい試み・実験的な音楽に
トライしようという機運が高まった事が挙げられると思います。ちょうど60年代にブライアン・ウィルソンが
「ペット・サウンズ」、ビートルズが「サージェント・ペパーズ」において行った様な創造的試みが、
10数年を経た80年前後に興ったのではないでしょうか。歴史は繰り返す、というやつです。
また外的要因として、それまでデジタルシンセサイザー・シーケンサー・サンプラーといった電子機材は
それ以前はまだ市販化されていなかった、またあってもプロでさえもおいそれとは手が出せない高価な
ものであったのが、ようやく何とか入手できるようになったという要因もあります(それでも現在から
見ればとてつもなく値が張るものだった様でしたが…)。

ブライアン・イーノによって提唱されたとされる環境音楽(アンビエント)。イーノ自身がコメントしている
そうですが、エリック・サティから影響を受けたものであるとの事。サティの名前はわからなくても、
曲名を知らずとも、99%の人はこれを聴けば「あっ!聴いたことある!!」という曲「ジムノペディ」。
イーノがアンビエントミュージックを生み出した際にインスパイアされた曲がジムノペディ、という訳では
ないようですが、いずれにしてもサティがアンビエントの源流という事が言えるのは確かなようです。
テクノポップ同様、ニューウェイヴより前にあった音楽ではありますが、既述の通り実験的機運が
みなぎっていたその時代に、アンビエントを試みるミュージシャンが現れたという事でしょう。
またイーノはアンビエント以外のニューウェイヴにも関わっています(というより、ニューウェイヴだけでは括れないミュージシャンです)。元はロキシー・ミュージックでデビュー。ロキシーに在籍したのは
初期のみでしたが(アルバムで言えば2作目まで)、その後もロバート・フリップ、ピーター・ガブリエル、デヴィッド・ボウイとの活動など、ブリティッシュロックを陰で支え続けた目立たない重鎮という存在です。

ポップミュージックでアバンギャルドと言えばその開祖はフランク・ザッパに止めを刺します。時代によって音楽性には変遷がありますが、マザーズ時代からそのオリジナリティーは揺るぎないものです。それ故、
ザッパの事をロックミュージシャンと捉えるか、現代(前衛)音楽家とするかは議論が分かれる程です。
ジミ・ヘンドリックスやピンク・フロイドなどもアバンギャルドであったと言えます。フロイドの2枚組
「ウマグマ」(69年)のスタジオ録音の方などはもろにそうです。ミュージック・コンクレートや
SE技術を駆使した音楽という点ではアバンギャルドです(フロイド回#25ご参照)。その意味では
「サージェント・ペパーズ」もアバンギャルドの萌芽と言う事が出来ます。
オーネット・コールマンなどに代表されるフリージャズもアバンギャルド音楽の一種と言えます。規則的な
リズム、定石を踏んだ循環進行などを否定したこれも、間接的であれニューウェイヴに影響しているのでは。
また狭義におけるアバンギャルドとは異なるかもしれませんが、ノイズ的サウンドに、唸りや叫びの様な
ヴォーカルを乗せた、暴力的・不協和ロックとでも呼べるようなバンドも含まれて良いのではないかと
思います(アバンギャルドよりもエキセントリックと言った方が適当かもしれません)。ドイツの
ロックバンド カンによる「Monster Movie」(69年)などの影響を受けて、79年、イギリスで
ポップ・グループがデビューし、衝撃の問題作「Y (最後の警告)」をリリースします。ちなみに名前は
ポップ・グループでもその音楽は全然ポップではないので、念のため。

最後にその他。実際は殆どがここに分類されるかと思います。①から③の要素を含みながら、各々に独自の
音楽性を聴くことが出来ます。アメリカのテレヴィジョン、イギリスのXTCは一介のパンクバンドとは
異なるニューウェイヴロックを生み出しました。ジョイ・ディヴィジョンは暗めのポストパンク
(パンク後の音楽)の筆頭。中心メンバーの自殺により短命に終わりましたが、その後のオルタナティヴ・
グランジと呼ばれるロックに大きな影響を与えたとされています。対してスクィーズはポジティブな
ポストパンクのバンド。前回取り上げたロックパイルに近い、アメリカンルーツなどをベースにしながら、
ニューウェイヴ色で彩られたサウンドは、このカテゴリーでは最も親しみやすいのではないかと思います。

奇才 ジョー・ジャクソンもデビュー時はニューウェイヴの一派とされました。エルトン・ジョンなどと
同様にイギリス王立音楽院を出たバリバリのエリートでしたが、クラシックを離れポピュラーの道へ。
やがてジャンルでは括ることの出来ない唯一無二のミュージシャンとなっていきます。
U2もニューウェイヴのジャンルに含まれる場合があります。「ヨシュア・トゥリー」(87年)の
世界的大ヒット以降は多少丸くなった感がありますが、それより前はジ・エッジの凍り付くかのような
鋭いギターカッティングが創り出す独自のサウンドに、アイルランド出身というバックグラウンド故に
政治的な、時にはかなり過激な内容の歌詞を乗せ、ボノが”あの”声で歌いあげていました。

最後に忘れてならないのはトーキング・ヘッズ。初期はテレヴィジョンやXTCと同様のポストパンクと
されたバンドでしたが、ブライアン・イーノとの出会いからその音楽性は独自の方向へ。そして
80年代におけるポップミュージックの流れを大胆に変える事となる作品を創り出していきます。
「Fear Of Music」(79年)に収録の「 I Zimbra」はその序章とも呼べる楽曲。翌80年、
先述の通り80年代ポップミュージックにおいて、ある意味最も重要な意味を持つ大傑作アルバム
「Remain In Light」をリリースします。

実は今回ニューウェイヴとは何か?と、つらつら綴ってきたのは「リメイン・イン・ライト」の為。
最初はヘッズを取り上げながら、ニューウェイヴというものにも触れていこうかと思ったのですが、
とてもついででは書き切れるボリュームではないと判り、1回分まるまるこのテーマにしました。
という訳で、次回はトーキング・ヘッズ「リメイン・イン・ライト」を取り上げます。

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