#90 Stop Making Sense

トーキング・ヘッズが84年に発表したライヴアルバムであり、同名映画のサウンドトラックである
「Stop Making Sense」。一見、コンサートの模様を淡々と映し出しているフィルムの様に
観えますが、実は斬新な演出などが施されており、発売時から現在に至るまで長年に渡って
ライヴフィルムの傑作と称えられている作品です。映画オンチの私ですら、そのタイトルくらいは
知っている『羊たちの沈黙』などで有名なジョナサン・デミが監督を務めました。

 

 

 


何もないステージへ、アコギとラジカセのみを持ったデヴィッド・バーンが向かうところから
映画は始まります。上の「Psycho Killer」がそのオープニングナンバーです。間違いなく
ギターは弾いていませんし、歌も多分、所謂”口パク”でしょう。
次にベースのティナ・ウェイマスが加わり2曲目を演奏
、その後ろでドラムセットが運ばれてきて
ドラムのクリス・フランツが登場。やがてジェリー・ハリスンも加わりここでやっとバンドの
全員が揃います。その後パーカッショニスト、キーボーディスト、サポートギター、女性コーラス隊が
曲を追うごとに登場して全てのメンツが揃います。

上はコンサート前半のハイライトである「Burning Down the House」。メンバー全員が登壇して
演奏された始めの方の曲目である事もあってか、熱量が物凄いです。特に黒人サポートミュージシャンの
ステージアクトが見後に熱く、圧巻です。個人的には本作におけるベストトラックの一つです。
発売時は2時間以上ののステージを46分程度に収めたアルバムでしたので、当然半分以上はカットされ、
また曲順もセットリストに沿ったものではありませんでした。当時、”貸ビデオ屋” で借りてきた
VHSビデオで映画は観たので、コンサートの曲順は一応知ってはいましたが、専らLPで聴く方が
圧倒的に多かったので、セットリストとは異なる、ややシャッフルされたオリジナルアルバムの
曲順の方にどうしても馴染みがあります。99年に、数曲を除いた”ほぼ完全版”がリリース、その後に
その数曲もボーナストラックとして含めた”完全版”が発売されていますので、これから聴く方は
そちらを聴くのがよろしいかと。

コンサートでは終盤に演奏されたナンバーでしたが、オリジナルアルバムではA面のラストに
収録されていた「Girlfriend Is Better」。”Stop Making Sense” とは本曲の歌詞に出てくるフレーズ。
『意味を見出そうとするのはやめてくれ』の様な意になるそうですが、昔は『勘繰るのはよしてくれ』、
みたいな訳し方をしているモノの本もあった記憶があります。歌詞はバーンが書いたものなので、
当然のようにワケがわかりません。

前回も取り上げた「リメイン・イン・ライト」に収録の「Once in a Lifetime」。オリジナルの
本盤ではB面の一曲目でした。原曲よりポップな仕上がりとなっており聴きやすいかと。それにしても、
バーンのステージアクションはかなり個性的と言うか、奇妙奇天烈と言うべきか、観ていて飽きません。
この振り付け(?)に本曲における歌詞の意味が隠されているのかもしれません。ですが、それはバーンが
言う所の ”Stop Making Sense(勘繰るのはよしてくれ)”になってしまうのでしょうね。

オリジナルではラストを飾る、アル・グリーンのナンバー「Take Me to the River」。ヘッズは
2ndアルバムにて本曲をカヴァーしています。黒人音楽への傾倒はその時点から既に始まっていました。

トーキング・ヘッズの四人は、それまでのロックミュージシャンのイメージとはかけ離れた人物達でした。
それまでのロッカーと言えば、長髪に髭・破れた衣装とワイルドなものか、またはひらひら・フリフリの
サイケデリックな華美・派手な衣装、といったものが定番だったと思います。しかし彼らは違いました。
またその経歴も、有名な美術大学出身という風変わりなものです。ちなみにドラムのクリスとベースのティナ
は名家の出であり、どちらも親が米海軍のお偉方だそうです。二人は77年に結婚しています。
ロックと言えば、暴力・セックス・ドラッグといったイメージが拭いきれなかった時代において、
彼らはそのようなイメージが自身たちに定着するのを避けたようです。そんな一風変わったN.Y.の
若者たちにブライアン・イーノは興味を持ち、それまでとは全く違ったベクトルのポップミュージックを
共に創り上げる事に成功したのです。

88年のアルバム「Naked」を最後に、メンバー間の不和などを原因としてバンドは解散したと言われます。
実は初期の頃から、バンド内には確執が生じていたそうです。ベースのティナは「リメイン・イン・ライト」よりも前にバンドを離れたいと言った事があり、その時はクリスになだめられて思いとどまったとの事。
イーノが関わってから以降はどうしてもイーノとバーンがイニシアティブを握るようになり、他のメンバーは
必ずしもそれを快く思わなかったようです。やがてティナは姉妹とクリスでトム・トム・クラブを結成し、
ジェリー・ハリスンもソロ活動を開始。それらはバーンへの反発と、勿論自身のミュージシャンとしての
アイデンティティーを確立するためもあったのでしょう

では「リメイン・イン・ライト」をはじめとする作品群はイーノとバーンだけの力で創り上げたのかと
いうと、決してそうではありません。「リメイン」はバハマにある有名なコンパスポイントスタジオで
レコーディングされたのですが、クリスとティナはここに別荘を購入しており、同所での休暇を終えてから
同スタジオにてジェリーとレコーディングを始めました。やがてバーンがそこに加わったのですが、
彼らはリードシンガーとそのバッキングをするバンド、という図式の音楽に辟易とし始めていました。
バーンの言葉によれば『相互連携のために各々のエゴを犠牲する』、直訳だと少しわかりずらいのですが、
各パートはフロントマンの引き立て役に終始するのではなく、皆が音楽の中で対等の立場・役割を取り、
そして完成される音楽が何よりも第一とされ、そのためには各パートが ”ここは是非とも聴かせたい”
という箇所があったとしても、アンサンブルの前にそれは優先されるものではない、くらいの意味かと
私は解釈しています(長いな…)。それは「リメイン」を聴けば一聴瞭然であります。彼らはその様な
理念の下にジャムセッションを繰り広げていきました。
イーノがバハマに着いたのは、バーンより三週間ほど遅れての事だったそうです。実の所、イーノもヘッズの
プロデュースをする事に嫌気がさし始めていたそうなのですが、既に録られていたデモテープを聴いた途端にそれまでの気持ちとは打って変わって、とてもエキサイトしたとの事です。

「リメイン・イン・ライト」に代表される、トーキング・ヘッズによるポップミュージックの変革点と
なった作品群は、ロックミュージシャン然とせず、新しい音楽を模索していたヘッズのメンバー達と、
同じく既存の音楽にとらわれず、自身の理想を追求していたブライアン・イーノが出会った事による、
幸運な奇跡だったのでないかと思うのです。

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