ポリスが活動休止した84年頃には、ニューウェイヴシーンも一服し、ポップミュージックの
メインストリームは、煌びやかで、かつダンサンブルな華々しい(=軽佻浮薄とも言う)音楽が
主流となっていきました。しかしながら、イギリスの若手ミューシャンによって、地味では
ありながらも、ある音楽的ムーヴメントが興りつつありました。#54のスクリッティ・ポリッティ、
#55のスタイル・カウンシル、エヴリシング・バット・ザ・ガール、またアイドル的扱いをされていた
バンドにおいても、#53のカルチャー・クラブのように、R&B、ソウル、ジャズなどを自分達なりに
消化した、英国流ブルーアイドソウルとでも呼ぶべき動きです。その中でも世界的な成功を
収めた代表的バンドがシャーデーと、今回から取り上げるシンプリー・レッドでしょう。
予備知識を一切与えられずに、その歌声だけを聴けば、十中八九、シンガーは黒人女性と思うのでは
ないでしょうか。その正体は、赤毛の英国白人男性であるその人、ミック・ハックネルです。
唯一無二の声を持つシンガー。ユーミンは以前ラジオで、「その声だけで惚れてしまった人の一人」、
の様な旨を語っていた記憶があります。
リリースしてすぐに、という訳ではありませんでしたが、デビューアルバムは米でミリオンセラーを
記録し、そこからNo.1シングルも生み出しました。結果だけを見ればイギリスの新人バンドとしては
申し分ないデビューを飾った、といって過言ではないのでしょうけれども、実はそこに至るまでは
それ程トントン拍子という道のりではありませんでした。
ミック・ハックネルは60年、マンチェスター生まれ。ミュージシャンとしてのキャリアの出発点は
70年代後半にバンドを結成した事から始まります。フランティック・エレヴェイターズ (The Frantic Elevators) という名のそのバンドは、パンク&サイケとでも言えるような音楽性でした。
昔は入手困難で耳にする事が出来ませんでしたが、現在はユーチューブで幾つかの音源を聴く事が
可能です。興味のある人は聴いてみたら良いかと思いますが、失礼を重々承知で言わせてもらうと、
「これじゃ、売れないわな…」というもの。パンクは当時の流行りですから致し方ないのですが、
とにかく演奏が稚拙(特にギター)。そして何より、ミックの歌が、曲にもよりますが、
「えっ、これがミック・ハックネル?…」というものなのです。
ミックの歌唱技術が発展途上であったのか、その歌声を生かし切れるバンドでなかったのか、
多分その両方なのでしょうけれども、その後のミック、シンプリー・レッドの芽を見出す事が
難しい程です。このバンドは7年程で解散します。
85年にシンプリー・レッドを結成。セッションミュージシャンを集めて組んだバンドなので、
演奏力はしっかりとしたものでした。それはミックとマネージャーによる人選だったらしいのですが、
賢明な選択だったと言えるでしょう。
同年3月、上のシングル曲「Money’s Too Tight」でレコードデビュー。本曲はオリジナルでは
ありませんが、全英13位・全米28位という、新人バンドとしては十分なチャートアクションを
記録します。しかし、その後翌年にかけて三枚のシングルをリリースし、85年10月には1stアルバム
「Picture Book」を発表するものの、今一つヒットには結び付きませんでした。
流れが変わったのは86年に入ってから。5枚目のシングルとして上の「Holding Back the Years」を
リリースします。実は3rdシングルとして85年中に一度シングルカットしていたのですが、その時は
全英51位とお世辞にもヒットと呼べるものではありませんでした。どの様な経緯で再発に至ったのかは
わからないのですが、これがヒットチャートを駆け上がり全米1位・全英2位の大ヒットとなります。
アルバムリリース時に、NHK-FMの洋楽番組で彼らを取り上げているのを聴き、興味を持った私は
地元の貸レコード店へと足を運びました(買えよ!、と言われても、中学生にとっては2800円の
アルバムを買うというのは年に数枚だけの一大イベントだったのです…)。まだブレークする前だったにも
関わらず、そのレンタル店には「ピクチャー・ブック」がありました。今考えるとセンスの良いお店でした。
カセットテープにダビングし、毎日の様に聴いていましたが、やがてそのお気に入りのバンドが
みるみるうちにスターダムへとのし上がっていったのです。リアルタイムでそういう事を経験出来るのは
なかなか無い事だと思います。本曲が86年になってから、アメリカのTVコマーシャルで使用されたとか、
ヒット映画のサントラに組み入れられたなどという事実は、現在になって調べてみても見当たりません。
純粋に楽曲の良さ、ミックの歌が世間に認められていったという事に間違いないでしょう。
余談ですが本曲はフランティック・エレヴェイターズ時代の曲。試しにご一聴を。メロディ(=歌)は
殆ど同じですが、曲の印象はここまで違うのか、というもの。曲はアレンジ次第、という典型です。
上の「Come To My Aid」をオープニングナンバーとして始まる本アルバムは、R&B、ソウル、ファンク、ゴスペル、ジャズ、そして若干ではありますがニューウェイヴの香りも漂せながら、シンプリー・レッドの
音楽として、この時点で既に完成されています。
2曲目である「Sad Old Red」。思いっきりジャズのスウィングナンバー。デビューアルバムに収録する
のをよくぞマネージメントサイドが許したものです。ですがこれは大英断でしょう、並みのジャズシンガー
など太刀打ち出来ない程の名唱です。
「No Direction」。スピード感が絶品です。
全曲素晴らしい完成度を誇る本作ですが、その中でも「Holding Back the Years」と並んで私が
ベストトラックと思う楽曲が上記の「Heaven」。原曲は#88~90にて取り上げたトーキング・ヘッズの
3rdアルバム「Fear of Music」に収録されている楽曲。参考までに原曲を張りますが、この原曲を
よくぞかくの如くアレンジしたものです(決して原曲が悪いといった意味ではなく)。
エイトビートのポップソングを、R&B・ゴスペルスタイルにアレンジしたシンプリー・レッド版「ヘブン」。
ミックの歌、アレンジ、演奏と三拍子そろった名演です。あえて元ネタを探すとするならば、ビートルズ
「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」のジョー・コッカー版(#36ご参照)の様な
イメージかな、とも思いますが。
「ピクチャー・ブック」は決して、一聴して世間一般の耳目を集めるようなアルバムではありませんでした。
快活なポップナンバーなどはなく、悪く言えば非常に地味で暗い音楽です。ですから先述の通り、
発売後すぐにヒットした訳ではなく、これまた先述した「Holding Back the Years」と共に、
時間をかけてその素晴らしさが世間に認められていってのブレークだったのです。
そして特筆すべきは、ミックの歌がこの時点で既に完成されているという点。無理くりアラを探し出せば、
次作以降よりも若干キンキンした感じはあるかな、とも思いますが、それはデビュー作なのですから、
若さとエネルギッシュさ、に満ち溢れていると捉えるべきでしょう。
デビューアルバムで傑作を創ってしまったミュージシャンというのは、次作以降、前作以上のものを
求められるプレッシャー、生みの苦しみなどから、トーンダウンしてしまう事が少なくないのですが、
彼らの場合はどうなったのか。その辺りはまた次回にて。