#99 Simply Red

91年10月、シンプリー・レッドはアルバム「Stars」を発表します。一般的には彼らの代表作とされる
全曲オリジナルから成る本作は、本国を含むヨーロッパ各国で驚異的大ヒットを記録します。

本国イギリスではBPI(英国レコード産業協会。米におけるRIAAの様な組織)が ”12 プラチナ” と
認定しました。30万枚×12=360万枚以上という事で、現在でも破られてなければ、英国で最も売れた
音楽アルバムとして記録されているはずです。
本作では日本人ドラマー屋敷豪太さんが参加しており、生ドラムによるプレイと、ドラムプログラミングの
両方にて活躍しています。上はタイトル曲である「スターズ」。ピックアップ(曲の冒頭部でキッカケとなる
ドラムフレーズ)や歌が入る直前のスプラッシュシンバル(小さめのクラッシュシンバル。 ”パシャッ” と
いう感じの音色)の鳴らし方など、屋敷さん特有のフレーズ・センスが素晴らしい。

95年9月、5thアルバム「Life」をリリース。上は第一弾シングル「Fairground」。意外にも全英チャートで1位を記録したのは本曲が初めて、かつ唯一です。全米1位の「Holding Back the Years」と
「二人の絆」は本国においては2位止まりでした。本作にて1stから在籍し、キーボードと歌で貢献してきた
フリッツ・マッキンタイヤーがバンドを離れます。

98年5月、アルバム「Blue」を発表し、同郷マンチェスターの大先輩であるホリーズのヒット(74年)で
有名な「The Air That I Breathe(安らぎの世界へ)」を取り上げました。

四作目である「スターズ」からその作風は変わってきました。90年代以降にR&Bと呼ばれる様になった
音楽を取り入れます。それはあまり抑揚のないビートに、これまた抑制の効いた歌。50~80年代の
R&B・ソウルを聴いてきた人達からすると違和感があるものですが、時代がこういう音楽を求めていたの
でしょう。ミックは時代の流れに敏感だったようです。またシンプリー・レッド自身がそれらを演ったと
いう訳ではないのですが、ラップ、ヒップホップ、ダンスビートといった、やはり90年代以降のトレンドに
多少なりとも影響は受けているようです。

03年リリースのアルバム「Home」。本作に収録されている上の「Sunrise」は、80年代の洋楽を
くぐり抜けてきた人なら気が付くはず、ダリル・ホール&ジョン・オーツによる81年の全米No.1ヒット
「I Can’t Go for That (No Can Do)」(#58ご参照)をモチーフとしています。
#58でも書いたことですが、いち早くドラムマシンを駆使したそのリズムは、それまでのR&B・ソウルとは
グルーヴ・サウンドを異にするものであり、90年代以降のブラックミュージックにおける一里塚とでも
呼ぶべき楽曲でした。アメリカにおけるブルーアイドソウルの代表格であるホール&オーツの名作を、
20年余を経て英国ブルーアイドソウルの雄であるシンプリー・レッドが、所謂 ”オマージュ” したのは
興味深い事です。

「Home」ではこの曲も取り上げています、「You Make Me Feel Brand New」。トム・ベル作にて、
スタイリスティックスのヒットで説明不要な程の本曲は、フィラデルフィア・ソウルにおいてある意味
最も重要な楽曲。と、確か山下達郎さんが以前どこかで書かれていた記憶があります(多分・・・)。
原曲は低音部と高音部(ファルセット)を二人で歌い分けていますが、ミックは一人で歌っています。
男性としてはかなり声の高いミックは高音部でもファルセットは使いません(というよりもミックの
ファルセットなぞ聴いたことありませんが…)。サビに至ってもコーラスは入れずに独唱で通しています。
抑制の効いた原曲に対して絶唱タイプのミックによる本曲は、人によって好みは分かれる所でしょうが、
ミックはこれで良いのです、異論は認めない  ( ・`ω・´) キリッ! … いえ、認めますけどね(気が弱いので…)
ちなみに達郎さんも全編アカペラアルバム「オン・ザ・ストリート・コーナー2」(86年)にて本曲を
取り上げていますが、達郎さんバージョンの方が原曲に忠実です。要はミックも達郎さんも両方イイのです。

シンプリー・レッドはメンバーの入れ替わりが激しく、実質的にミック・ハックネルとそのバックバンドと
いう捉え方をよくされがちで、ミック自身もその様な発言をした事があり、その際は物議を醸しました。
初期から在籍して音楽的にもかなり深い部分まで関わった前述のフリッツ・マッキンタイヤーや、前回触れた
3rdから4thにて加入したエイトルT.P.など、彼ら無くしてはその時におけるシンプリー・レッドの音楽は
無かったとも言えます。しかし、それがバンドの形態であれ、セッションミュージシャンとしての参加で
あったとしても、全くの私見ですが、シンプリー・レッドに関してはその音楽性に殆ど差異は無かった
のでは、と思っています・・・異論、大いに認めますよぉ~ (((i;・´ω`・;i)))・・・(チキン…)

09~10年にかけてのツアーを最後に、ミックはバンドを解散するというアナウンスメントをします。
しかしながら、15年には結成30周年として新作を発表し、再結成ツアーも行いました。16年から
17年にかけては、「スターズ」発売25周年として “25 Years of Stars Live” を行っています。

初期のインタビューにて、ミックは影響を受けたミュージシャンとして、ジェームス・ブラウン、
スライ&ザ・ファミリー・ストーン、アレサ・フランクリンなどの名を挙げ、ブラックミュージックが
自身のバックボーンである事を語っています。しかしそれと同時にこの様な旨も述べています
『所詮僕らはマンチェスターの人間なんだよ』、と。私はこの言葉が最も端的にシンプリー・レッドと
いう存在を言い表していると思っています。R&B・ソウル・ファンクはとても好きではあるが、やはり
自分は英国白人、黒人音楽を追っかけているだけではただの猿真似で終わり、本家の彼らにはかなう訳が
ない、というよりもミック・ハックネルという人は初めから所謂ブルーアイドソウルシンガーとして
終始するつもりなどさらさらなかったのだと思います。デビュー当時は時代の波とは真逆を行くような
地味な音楽性でしたが、90年代はいち早くトレンドを取り入れました。また、他人のカヴァーにしても、
意表を突くような楽曲・アレンジで演ったかと思えば、ベタと言われる程の超有名曲を何の気なしに
歌ってしまう。ミックはその時々で、演りたい・歌いたい音楽に取り組んでいるだけなのだと思うのです。
私個人的な好みですが、男性シンガーの中でもミックとダリル・ホールは、その歌声だけで無条件に
許せてしまう人なので、ファンのひいき目かもしれませんが、ミックはこれで良いのです。

先述の15年に再結成した際に発表したアルバム「Big Love」。アルバムリリースに際してミックは、
『かつて一度は、「Stay」(07年、解散前としては最後のアルバム)の制作中にバンドの音楽に
疑問を持ち、シンプリー・レッドから離れてもしまったが、今はブルーアイドソウルグループとしての
存在が心地よい。』の様な旨を語っています。一度は行き詰まりを感じて解散し、一人になりましたが、
冷却期間を置いてリフレッシュさを取り戻したかのようです。これは他の物事にも当てはまる事でしょう
(男女の関係とか・・・)。最後はタイトル曲の「Big Love」。本作に関しては多くが70~80年代の
音楽に揺り戻されたかのような楽曲によって構成されています。リフレッシュしたミックが、この時点に
おいてシンプリー・レッドで演りたいと思った音楽がこれだったのでしょう。私のような信者はこれを
受け入れますし、一方で否定する人もいるでしょう。ただ一つ言えるのは、ミックがとても伸び伸びと
歌っている、それに関しては間違い無いのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です