#100 I’ll Remember the 80s

あの … 多分 … 誰も覚えていないと思うのですが ……… このブログ、年初から80年代をテーマに
書いてきました(#51ご参照)。そりゃ、覚えてませんよね。アハハ!…………… ゜:(つд⊂):゜。。

これまたどなたも覚えてらっしゃらないでしょうが、本ブログは何かしら前回から関連するテーマを
引き継いで書いております(#5ご参照)。なので、取り上げようと思っていたのですが、関連付け
出来ずに結局ご紹介出来なかったミュージシャンが結構います。ですので、今回は80年代特集番外編
として、それらを取り上げていきたいと思います。

はじめは80年代初期、オーストラリアから突如ブレイクしたバンド メン・アット・ワーク。
上はデビューシングル「Who Can It Be Now?(ノックは夜中に)」。81年6月に本国でリリースされ
最高位2位を記録、やがて各国で発売され次々とヒットし、それが米でのリリースに拍車をかける事となり、
翌82年10月、遂に全米No.1ヒットとなります。2ndシングル「Down Under」も全米1位に輝き、
これらを含むデビューアルバム「Business as Usual(ワーク・ソングス)」(豪81年11月・
米82年6月)は本国は勿論の事、米・英・ニュージーランド・ノルウェーで軒並み1位を記録。全米だけでも
”6 プラチナ” (600万枚)の大セールスを記録します。ちなみに「ダウン・アンダー」とは、世界地図で
オーストラリアは下側に位置する事を自虐的に表現したもの。自分たちが世界の中心だとか国名で表している
所よりは(あっ!これ、私の想像上の国ですよ。実在はしません)、シャレがわかる人たちですね。

2ndアルバム「Cargo(カーゴ)」(83年)も大ヒットし、本作からは上の「Overkill」を含めて2枚の
TOP10シングルを生み出しました。
ボーカル コリン・ヘイの飄々としながら、どこか哀愁の漂う歌声は、日本人の琴線に触れるものがあったのでしょう。我が国でもメン・アット・ワークは大ヒットを記録しました。
失礼を承知で言うと、彼らは究極のB級バンドでした。良くも悪くもシンプルな演奏、ゴージャス・重厚さとは対極にあるチープなサウンド、これらが支持された一番の理由だと思います。決して貶す訳ではなく、
彼らのそれはあまり難しい事を考えずに済む音楽であり、米のウェストコーストサウンドに近い感覚なので
心地よく、ですが少し切なさも感じさせる様な楽曲と歌が、多くの人々の心に響いたのでしょう。
音楽性が似ているという訳ではありませんが、#52で取り上げたカーズに通ずる様な気が私はします。

お次はティアーズ・フォー・フィアーズ。2ndアルバム「Songs from the Big Chair(シャウト)」
(85年)のモンスターヒットは私の世代の洋楽ファンなら記憶に残っている事でしょう。「Shout」及び
上の「Everybody Wants to Rule the World」が全米No.1ヒットとなり、一躍世界的バンドと
なります。サウンド的には如何にも80年代的な煌びやかな音色のシンセサイザーを多用したものでした。
この辺りに関しては#54でご紹介したスクリッティ・ポリッティと同系譜とも言えます。ところが彼ら、
実は内省的な部分をかなり抱えており、その歌詞や、ソフトマシーン ロバート・ワイアットへ捧げた
楽曲など、バンド名も含めてなかなか ”闇” を抱えたバンドだった様です。

70年代末からイギリスで興ったニューウェイヴに関しては#87以降にて触れてきましたが、個人的に
思い入れのあるバンドがいます。ザ・フィックスです。その音楽性はデュラン・デュランを地味にした、
言い換えればザ・フィックスをダンサンブルかつ、ポップでキャッチーに、ナウなヤングでオシャレな
イマイ音にすればデュラン・デュランになる・・・・・・クドイわ!! ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ;`Д´)ノ
(おめでとうございます!いま並べ立てたヨコ文字に違和感が無ければあなたは立派なオッサンです!!)
2ndアルバム「Reach the Beach」(83年)がダブルプラチナの大ヒットを上げ、上のシングル
「One Thing Leads to Another」も全米で最高4位を記録します。率直に言うとヴォーカリスト
シー・カーニンのルックスの良さもあったとは思いますが、同時期に流行ったデュラン・デュラン、
スパンダー・バレエ、リマール率いるカジャグーグーといった、当時で言う ”ニューロマンティクス” の
バンドたちと同系統ではあれども、どこか一線を画したその硬派なポストニューウェイヴ的
ブリティッシュポップスは私の印象に残りました。

次に取り上げるのはユーリズミックス。英国王立音楽院出身のアン・レノックス(日本版のウィキでは
中退とありますが、英語版にはそんな記述はありません。どっちでしょう?…)と、デイヴ・スチュワート
から成るデュオ。今回調べるまでは、アンという人はイイとこのお嬢様で英才教育を受けてきたのだと
勝手に思っていましたが、実はそうではなく、労働者階級に生まれ、幼少期において神童ぶりを発揮し、
やがて王立音楽院への進学と相成ったそうです。しかし決して裕福ではない出自ゆえに、ウェイトレス、
バーテンダー、販売員、そしてクラブでのシンガーなど、働きながら学費と生活費を捻出していたそうです。
83年、2ndアルバム「Sweet Dreams (Are Made of This)」からタイトル曲が全英2位・全米1位の
大ヒット。ポストニューウェイヴのエレクトリックポップに、アンによるR&B・ソウルといったブラック
ミュージック志向が加わり、当時のイギリス勢の中でも異彩を放っていました。短髪でビシッと決めた
アンはとんでもなく迫力がありました(道で会ったら間違いなく避けます・・・(((;゚Д;゚;))) )

日本ではこちらの方が馴染みがあるかもしれません。85年のヒット「There Must Be An Angel」。
「スウィート・ドリームス」から比べるとすっかり明るく洗練された楽曲と歌。アンのシンガーとしての
引き出しの多さには脱帽です。ちなみに後半のハーモニカソロはスティーヴィー・ワンダー。聴けば
一発でスティーヴィーとわかるそのプレイは今更ながら見事です。

都会的感のあるアン・レノックスですが、彼女実はスコットランドの出身です(スコットランドに謝れ!)。
同じくスコットランド出身である女性シンガーを擁したバンドと言えば、私にとってはフェアーグラウンド・
アトラクションです。エディ・リーダーをフィーチャーした本バンドは88年に上のシングル「Perfect」にて
デビューし、本国イギリス、アイルランド、オーストラリアで1位を記録。独・スイス・スウェーデン・
ベルギー・ニュージーランドでもTOP10ヒットとなりました。
エディはバンド結成以前に、セッションシンガーとしてユーリズミックスやアリソン・モイエットの
バックで歌っていました。アンとはその頃に接点があったようです。
80年代半ばまで流行ったブリティッシュエレクトリックポップの反動とも言える、そのアコースティック
サウンドは、ヨーロッパ圏をはじめとして受け入れられました。デビューアルバムにして、バンドとしては
唯一のオリジナルアルバム「The First of a Million Kisses」(88年)も全英2位の大ヒット。私は
90年代に興ったアコースティック(アンプラグド)ブームの予兆であったのではないかと思っています。
昔、村上 “ポンタ” 秀一さんがホストを務めていたBSの音楽番組で、ル・クプルの藤田恵美さんをゲストに
迎えた回があり、その番組で藤田さんはフェアーグラウンド・アトラクションを取り上げていました。
だいぶ以前の番組なので、ひょっとしたら記憶違いがあるかもしれませんが、藤田さん達は80年代の
エレクトリックかつダンサンブルな音楽は自分たちが演るものではないと考えていましたが、しかし
どの様な音楽を目指せば良いのか、具体的には見つからなかったそうです。そんな折、彼女達の音楽を
耳にし、” 私達が目指していたのはこれだ!先を越された!!” と思ったそうです。やはり世の中には
シンクロニシティ(共時性)と言うのでしょうか、同時期に同じ事を考えている人達がいるようです。

#96のシンプリー・レッド回にて、ラジオでユーミンがミック・ハックネルの事を、その声だけで惚れて
しまった人、と語っていたと書きましたが、エディもユーミンが惚れたシンガーの一人だったはずです。
上の「The Moon Is Mine」はスウィング調の楽曲に乗せて、「Perfect」同様にエディの多彩な歌唱を
堪能する事が可能です。ちなみにバンドメンバーも、本作においては決して超絶技巧を披露している訳では
ありませんが、実は皆かなりのテクニシャンであり、端々にそれらを聴き取る事が出来ます。

豪のメン・アット・ワーク、後は全てイギリス勢と、図らずも自分の好みが出てしまいました。
別にアメリカンロックが嫌いという訳ではないのですが… なので最後くらいは米のミュージシャンを。

言わずと知れたドン・ヘンリーによる85年のヒット「The Boys of Summer」。イーグルス
活動休止後における2作目のソロアルバムに収録。夏にフェイスブックの方でも書きましたが、
暑い時期に聴いていた記憶があったのですが、調べてみるとシングルカットされたのは10月26日、
チャートを賑わしていたのは12月頃でしょう。人間の記憶が如何に当てにならないかという好例です。

ドン・ヘンリーが出たのでお次はグレン・フライ。同じく85年のソロ「The Heat Is On」。
エディ・マーフィ主演の大ヒット映画『ビバリーヒルズ・コップ』のサウンドトラックへ
提供された楽曲。白状しますと映画を観た事はありませんが、その雰囲気が伝わってくるような、
良い意味でグレンらしい西海岸的なサウンドだと思いました。ところがどっこいこの映画、
物語の舞台はデトロイトらしいですね … こちらも長年勘違いしてました … バカですね …(´・ω・`)

今までご紹介した音楽を聴いてノスタルジアを感じるのは、40代半ばから60歳位までの方々でしょうか。
それ以外の世代の人たちには刺さらないかもしれませんが、ジェネレーションというのはそういうもの
でしょう。私もこの時代の全てが素晴らしかったと思う訳ではありません。正直くだらないと思う
音楽もありました(※あくまで個人の感想です)。ただしこれはどの時代の音楽にも言えることであり、
エルヴィスやビートルズなどの時代を超越した存在は例外として、それぞれの世代の人間にとって、
それぞれの時代の音楽というものはあるのです。私の場合はたまたま80年代であったという訳ですが、
別の時代のものを殊更否定したりするつもりは毛頭ありません。たまに、いつの時代の音楽こそが
至高であるとか、いついつ以降のロックは死んだ、とか言っている輩を見かけますが、どの時代にも
良い音楽はあるし、くだらないものもあるのです(それも個々人の主観ですがね・・・)。
文章力の無さから、なんか話の主題が定まりませんが、皆さん、自分がイイと思ったものを聴きましょう。
俗にいうマスメディア、自称音楽評論家などの話を鵜呑みにする必要はありません。現在はインターネットが
あるので、昔から比べると、能動的に調べるのにはとてつもなく良い時代です。

オッサンの昔話ですが、洋楽を聴き始めた中学生の頃の事(80年代前半)。貸レコード屋でレンタル料が
1泊2日で500円(当日なら450円だったかな)、46分テープ(TDK-ADとか)が300円位で、
つまり、アルバム1枚ダビングするのに合計で800円程でした。月の小遣いが二千円とかの身にとっては、
ひと月に借りられるのは2~3枚くらいのもの。ましてやLPレコードを買うなんて年に数枚の一大イベント
だったのです。ですから、借りてきたLPのライナーノーツを隅から隅まで読み(コピーサービスがまだ
近所になかった)、曲目等を丁寧にカセットレーベルに書き写して、それはそれは一本一本を慈しむように
聴いたものです。
あとは専らエアチェックでした。知ってます?お部屋の芳香剤とか空気清浄機じゃないですよ・・・
わかっとるがな!!( °∀ °c彡))Д´)FM雑誌というものが昔はありまして、2週間分のかなり詳細な
ラジオ番組表が載っているので、
どの番組で、どの様なミュージシャンの曲がかかるのかを事前に
把握することが出来ました。
勿論タイマー録音など出来ないので、リアルタイム録音です。
カセットテープを少しでも活かすために
DJの喋りを極力排除して、曲のみを録音するように努めました
(DJさんゴメンナサイ <(_ _)>)。

あとこれは、長年私だけかと思っていたのですが、テレビの前にラジカセを据え置き(昔のラジカセは
マイクが内蔵されていた)、テレビから発せられる音を直にテープに録音する(専らベストヒットUSA)という荒業をやっていました。大体そういう時に限ってオフクロが起きだしてきて、『ガラッ!オメェ、
ナニヤッテンダぁ~ J(´・ω・`)し』『うわぁぁぁぁぁぁぁ!ババァ!!今録音してんだよ~~~ (゚Д゚#) 』となるのがオチでした・・・ 
ところがネット時代になって、同じことをしていた人が結構いるのを知り、
ウレシイやらカナシイやら ………

それが今ではユーチューブで幾らでも聴く事が出来る … ( ;∀;) イイジダイダナー …
以上は全てオッサンの戯言です。ちゃっちゃと読み飛ばしてください … でもちょっとは時代の雰囲気だけ
でも伝わりましたかね?

ところで今日って、何かの日でしたよね?カレンダーで言えば最後にある日。「お」で始まって「か」で
終わる呼び方の、何だったかな?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
思い出せないって事は大した日ではないってことですよね。では皆さん、年越しそば、紅白歌合戦、二年参りなど、思い思いの大みそかをお過ごしくだ … わかってんじゃねえかよ! ! !ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ;`Д´)ノ
来年もヨロシク・・・

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