久しぶりに本ブログの本文を果たそうと前回の最後に書きましたが、そうなんです … 一応これ、
ドラム教室のブログなんですよ … ほ、本当です、本人が言ってるんですから間違いありません・・・・・
チャカ・カーン、アヴェレージ・ホワイト・バンドと続いたのですから、当然今回取り上げるドラマーは
この人、スティーヴ・フェローンです。世界でもトップクラスの技術を持ちながら、決してこれ見よがしに
テクのひけらかしなどはせず、あくまで音楽本位。しかしその合間に超絶テクニックが何気なく垣間見え、
またそのフレーズのセンスが絶品なプレイヤー。セッションドラマーなので、当然あらゆるジャンル、
ジャズのスウィングだろうが、難解な変拍子だろうが、そして勿論エイトビートのR&Rでも素晴らしい
プレイを聴かせてくれるのですが、特に彼の真骨頂はファンク・ソウルにおける16ビートドラミングで
あると私は思っています。
50年、イギリス ブライトン生まれ。祖母がピアノを弾き、祖父はダンサーであったとの事。ドラムを
始めたのは12歳と、あるインタビューで語っていますが、別のコメントではなんと同じく12歳の時に、
ビートルズ・ストーンズと並んで英国を代表するバンド ザ・フーの前座を務めたと言っています。
これはいくら何でも辻褄が合いません。私の拙い英語力のせいもあるのですが・・・
最初に影響を受けたのはご多分に漏れずリンゴ・スター。その後、バーナード・パーディに興味を惹かれ、
やがてジャズの世界へ。エルビン・ジョーンズ、アート・ブレイキー、ジャック・ディジョネットなどに
傾倒する一方で、ジョン・ボーナムなどのロックドラマーにも興味を持ったとの事。
幾つかのセッションワークを経た後、彼の名を一躍世間に知らしめる事となったのは、前回取り上げた
アヴェレージ・ホワイト・バンドへの加入でした。前回ご紹介した、ソウルトレイン出演時の
「Cut the Cake」「School Boy Crush」などをお聴き頂ければわかるかと思いますが、
息づかいが感じられるようなグルーヴ、フォルティシモとピアニシモの対比が絶妙なボリュームにおける
強弱の付け方の妙(所謂 ”ダイナミクスレンジ” )、そして言うまでもないフレージングのカッコ良さ。
それら全てが凝縮されていると私が思うプレイが上の「If I Ever Lose This Heaven」。
エンディングにおけるフィルイン、特に4:20辺りの超高速32分音符の ”手手足足” などは圧巻ですが、
それ以外のさり気ない箇所、例えば2:05辺りのスネアショットとハイハットオープンは、
息を吐きだしている、つまりブレスをしているのが手に取るようにわかります。村上 “ポンタ” 秀一さんが『ドラムこそブレス(息つぎ)が大事なんだよ!』と、折に触れ仰っておられたのがよくわかります。
先に述べた32分音符のテクニカルなフレーズも、ただ難しいプレイも織り込んでやろう、という
浅ましい根性ではなく、音楽的に必要なものとして結果的にあのようなプレイなのです。このフィルは
本曲の終盤で演奏される短い四パターンのフィルの内の最後であり、つまり起承転結における ”結”
に相当するフレーズです。音楽的に必要として自然に出たフレーズで、その為に必要な技術を
駆使した迄なのでしょう。彼ほどの超越したプレイヤーになると、別にテクを見せびらかす事など
全く無用であり、全てが ”グッドミュージック・グッドドラミング” なのです。これは一流の
プレイヤー達全てにおいて言えることです。
76年のライヴアルバム「Person To Person」から「T.L.C.」。1stに収録されている本曲は、
初代ドラマーであるロビー・マッキントッシュのプレイと比較して聴くのも一興です。
ライヴなのでかなり長尺ですが、フェローンの16ビートドラミングを存分に堪能出来ます。
勿論バンドのアンサンブル自体そのものも素晴らしい名演です。
https://youtu.be/C-3oR3cGvfU
80年代に入るとフェローンはセッションドラマーとして引っ張りだこになりますが、上はその内の一曲。
前々回でも触れましたが、スティーヴ・ウィンウッドによる86年の大ヒットアルバム「Back in the High Life」に収録されている「Freedom Overspill」。音色はゲートリバーブ全盛だった80年代の音に
なっていますが、そのグルーヴはフェローンならではもの。ちなみにスライドギターはイーグルスの
ジョー・ウォルシュです。
おそらくフェローンの姿がメディアにおいて映っている機会が最も多いのは、エリック・クラプトンの
大ヒット作「アンプラグド」(92年)です。世にアコースティックブームをもたらす先駆けとなった
本作はクラプトン回(#11ご参照)にて既述ですが、至る所で観る事となる本作の映像にてフェローンの
姿を目にする事が出来ます。フェローンがクラプトンに関わるようになったのはアルバムで言うと
89年の「Journeyman」から。80年代後半から90年代前半におけるクラプトンの活動、つまり劇的な
再々ブレークの瞬間に携わった一人です。80年代半ばに引退まで考え、ようやくそれが吹っ切れた矢先に
起きた息子の悲劇的な事故死、しかしその時は麻薬や酒に溺れず、「アンプラグド」であまりにも見事な
再起を遂げ、結果的には自身にとって最大のヒットとなる。その過程にフェローンは居合わせました。
「アンプラグド」直前の作品「24 Nights」(91年)。91年2月5日から3月9日まで24公演(夜)を
行ったので「24ナイツ」という事。実際には前年の1~2月にも18公演を行っていますので都合42公演。
場所はあまりにも有名なロンドンのロイヤル・アルバート・ホール。余談ですがクリームの解散コンサートも
同ホール(68年)、そしてその再結成コンサートも同じく05年に。
「24ナイツ」から一曲、クリームの代表曲である「White Room」。
https://youtu.be/7ScVsf8JZSY
一回でまとめようかと最初は思いましたが、やはり無理の様です。ですので二回に分けます。
次回は奏法・使用機材などについても触れてみたいと思います。