#155 I Don’t Remember

私は筋金入りのピーター・ガブリエルフリークであるからして言う資格があると思いますが
(何の資格だ?)、この人は精神を病んでいます。しかも幼少の頃から・・・・・

彼は子供の頃、夜トイレに起きると廊下で奇妙な人物が頭のぱっくり割れた赤ん坊を差し出してきたと
語っています。不思議と怖くはなかったそうですが、これが大人の気を引くための嘘であるなら
前回述べたサービス精神(?)であり、本当に見えていたのなら何らかの精神疾患でしょう。
80年発表の3rdアルバム「Peter Gabriel」のジャケットをご覧になればおわかりの通り、
やはりこの人はどうかしています。ちなみに娘はこのジャケットを怖がったのであまり
見せないようにしたとか(当たり前だ … )。
上は本作のオープニング曲「Intruder(侵入者)」。売ることを目的に創ったとは思えません。
不安を煽るようなフレーズ、ワイアーか何かを引っ掻いているような人を不快にさせる音、
そしてとどめのピーターによるヴォーカル。一曲目からいきなりこれです・・・・・

79年の初頭からピーターは本作の準備に取り掛かりました。トーキング・ヘッズ回 #89
本曲を取り上げましたが、80年代に入ってから ” リズム ” が大いに見直されました。
おそらくは70年代に複雑化し過ぎた事への反動なのだと思いますが、流行り廃りというものは
極端から極端へとブレる様です。ピーターはそれまでのキーボードでコードパターンを基に
曲を作るという手法から、当時最新鋭であったリズムマシンを用いるようになりました。
先ずリズムありき、という制作手法に変わっていったのです。
ドラムはフィル・コリンズ。#89でも少し触れた事ですが、ピーターはシンバル類を
取っ払うことを要求し、面食らったフィルでしたがその指示通りにプレイします。
スタジオではプロデューサーとエンジニアが従来にはない試みを行っていました。
ゲートコンプレッサーという最先端の装置をドラムの音にかけて色々いじくっていたのですが、
そうしているうちにキック(ベースドラム)の音がシューと伸びて、次のキックの直前まで
残るというそれ迄に聴いた事がない様な効果を挙げました。これを聴いたピーターは興奮し、
フィルにそのまま五分間プレイしてくれと言いました。それが「侵入者」のドラムパターンです。
後にこの手法はゲートリバーブとして80年代のドラムサウンドを変えるテクニックとなります。
そのエンジニアはヒュー・パジャム。ゲートリバーブをフィルと共に創った功労者として
世間にその名を知られます。実はこのサウンドの開発について、ピーターとフィルの間では
少しもやもやした感情があるようです。どちらもこれを生み出したのは自分だとの自負があるのです。
先に本作で世に出したのはピーターでしたが、爆発的ヒットによって世界的に認知されたのは
勿論フィルの初ソロアルバム「夜の囁き」(81年)です。ピーターは3rdでのドラムサウンドについて、
人からフィルの(ソロアルバムの)音に似ているね、などと言われる事に気を悪くしたそうであり、
またフィルの方もピーターのサウンドをパクったなどといわれのない中傷を受けたとの事。
双方ともあのサウンドを生み出したのは自分だと(フィルはパジャムと共に)プライドがある様です。
それにしてもフィルのタムタムの音は素晴らし過ぎます。同時期におけるジェネシスの「Duke」も
同様ですが(#24ご参照)、裏面のドラムヘッドを外した所謂シングルヘッドタムによる力強い音色には
圧倒されます。この音は前述した「夜の囁き」の大ヒットにより、フィル・コリンズの音として
世の中に認知されます。

そしてプロデューサーはスティーヴ・リリーホワイト。この後U2のプロデュースにて
一躍その名を世界に轟かす事となる人物ですが、当時はまだ新進気鋭の駆け出しプロデューサーでした。
スージー・アンド・ザ・バンシーズを聴き、ピーターはスティーヴに興味を持ったそうです。
スティーヴからすれば ” あのジェネシスのピーター・ガブリエルが何故自分に? ” と思ったそうですが。
トーキング・ヘッズ回の辺りでニューウェイヴについては何回かに渡り触れましたけれども、
この時期ロンドンやN.Y. のミュージックシーン、とりわけアンテナの鋭い層では新しい試みが
行われていた様です。ピーターはそれらの動きに敏感でした。この若きプロデューサーに光るものを
見出したのです。
上は次曲の序章に当たる「Start」。英サックス奏者ディック・モリシーのプレイが素晴らしい。

今回のテーマである「I Don’t Remember(記憶喪失)」。本作ではこの一曲のみの参加である
トニー・レヴィンのスティック(ベース)が耳を引きます。「Start」のエンディングで聴こえる
音色は当時最新鋭であったデジタルシンセサイザー フェアライトCMIですが、これをピーターは
積極的に使用しました。余談ですけれども、80年頃このシンセは日本では三台しかなかったとの事。
一台は坂本龍一さん、もう一台は?、そして三台目は東京のとあるスタジオにあったのですが、
たまたまそこでアニメ『うる星やつら』の音楽をレコーディングする為に使用した星勝さんが
本機を見て、これを使おうと判断したとか。うる星やつらはSFなので、近未来的な音色が
マッチしたのでしょう。オッサン世代にはドンピシャリですが今の人にははたして …

「Family Snapshot」はアラバマ州知事を暗殺しようとした男の自伝を読みインスパイアされて
作った曲。暗殺者の視点から書いた歌詞でありますが、楽曲自体は起伏に富んだもので
本作では聴きやすい方です。銃を放った後、
最後に子供時代に戻るパートが何とも言えず侘しい。

A面ラストの「And Through the Wire」は電話線を通じて世界と繋がる、の様な事を
歌っていたと思います。これも本作としてはポップな曲調。ちなみにポール・ウェラーが
ギターで参加していますが、たまたま同じスタジオでレコーディングしていた所を、
ピーターが弾いてくれないかと頼み、そうしてみたらピーターのイメージにピッタリだったので
一発採用だったとか。パンクやニューウェイヴといった若いミュージシャンによる音楽に
理解があったピーターならではの事です。

本作はピーターにとって、と言うよりもポップミュージック全体において重要な作品であるからして、
二回に分けます。ただ先に事実だけを述べておきますと、米アトランティックは本作のデモを聴いて
こう言いました、” ピーターがまともになったら次のアルバムを出そう … ” 、と。
アトランティックの言い分も無下に否定は出来ません。ポップス界において売るという事は
至上命題であります。ミュージシャンだけではなく、それに関わる現場のスタッフや間接部門の
人間たちを食べさせていかなければならないのですから。ミュージシャンの良く言えば実験的精神、
悪く言えばオ〇ニーに付き合ってはいられないという考えも道理です。
結果的にアトランティックとは決別し、米ではマーキュリーからリリースすることとなります。
そしてそれは周囲の(悪い意味での)期待を裏切り米で25万枚(最終的にはゴールドディスクを獲得)を
売り上げ、英及び仏では初のNo.1を記録します。
あと三年リリースが早かったら本作は埋もれていたでしょう。ポップミュージックの時代が
変革期を迎えており、このお世辞にもコマーシャルとはとても言えない作品が世に認められたのです。

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