#156 Games Without Frontiers

ピーター・ガブリエルによるアルバム「Peter Gabriel」(80年)についてのブログその2ですが、
少し時系列を遡ってジェネシス時代の話を。
ジェネシス回 #22~24でも書きましたが、ピーターとその他のメンバーの間に確執が生まれ、
やがて脱退に繋がります。特にキーボード トニー・バンクスとの仲は険悪でピーターのやる事に
トニーはいつもピリピリしていたとの事(しかし仕事を離れれば学生時代からの通り親友でいられたらしく、この辺りは不思議なものです)。ベースのマイク・ラザフォードはトニー側に着き、フィル・コリンズと
ギターのスティーヴ・ハケットは傍観するといった感じだったそうです。フィルは特にバンドの
潤滑剤的存在らしかったので(リンゴ・スターの様な立ち位置か?)、脱退後もピーターとは
親しくしていたとの事。丁度その頃フィルは最初の結婚が破綻し、元来のワーカホリックに益々拍車が
掛かりました。ピーターは財政的に苦しい時期でありセッションミュージシャンへのコンスタントな
ギャラの工面も難しい状況にあったそうで、そんな折フィルにその話が伝わり自分を使えば良い、
と言った所ピーターは ” ありがたい ” となり3rdアルバムへの参加と相成った訳です。

「Games Without Frontiers」は戦争を子供の遊びに例えた曲。#152で取り上げたケイト・ブッシュが
バッキングヴォーカルで参加しています。「No Self Control」においてもそうですが、彼女の声が
入ると得も言われぬ幻想の世界に引き込まれてしまいます。本曲はピーターにって初の
全英TOP10ヒットとなりました。もっともピーターとプロデューサー スティーヴ・リリーホワイトは
シングル化に反対していたそうですけれども・・・

「Not One of Us」はここではよそ者や異邦人の様な意。一聴すると本作の中では最もポップな創りに
聴こえますが、イントロからして既にフツウではありません。後半のドラミングが圧巻ですが、本曲は
以前から参加しているジェリー・マロッタです。やはりジェリーに対してもピーターはシンバル類を
セッティングしない事を要求し、そうしてこのプレイが生まれました。普通であればシンバルの
クラッシュ音( ” シャーン ” という音)が鳴る展開の変わり目などでそれが聴こえないと違和感があるかと
思いますが、それが全くありません。フィルのプレイにおいても同様ですが、この力強い ” タイコ ” の音で
十分に成立しています。勿論全てでシンバルが必要無いなどと言うつもりはありませんよ。
良いシンバルはその音色を聴いているだけでウットリします。

ジェネシス及びピーター・ガブリエルの作品を英本国でリリースしていたのはカリスマレーベルです。
創業者であるトニー・ストラットン・スミスは先見の明を持った人物で、69年の創設時から先進的な
ミュージシャンを見出してきました(今回調べていて初めて知ったのですが、84年に衝撃のデビューを
飾ったジュリアン・レノン〔ジョン・レノンの長男〕も同レーベルでした)。80年代前半に
ヴァージンレコード傘下に入りますが、後に世界的なレコード会社となるヴァージンも、創世記は
独創的な音楽を目指すミュージシャンを発掘しており、第一号作品はマイク・オールドフィールドによる
「Tubular Bells(チューブラー・ベルズ)」という、アルバムを通して交響曲の様にただ一曲のみ、
しかも全編インストゥルメンタルという無謀 … もとい、画期的なアルバムをリリースしました。
映画『エクソシスト』で無断使用され、結果的にはそれが災い転じて福と成すとなって大ヒットしました。
カリスマもヴァージンも共にアンテナの鋭い企業風土だったからこその合併だったのでしょう。

「Lead a Normal Life」は親が我が子大して普通の生活を送って欲しいと願う思いを、
体制に従う陳腐なものと皮肉る様な内容(だったと思う・・・)。

本作は当然の如く賛否両論を巻き起こしました。賛の方はローリングストーンズ誌において、” 得体の
知れない恐怖感からくる刺激的なLP ” と評価。またニューミュージカルエクスプレス誌(NME誌)では
” これで80年代の音楽の種はまかれた・・・ロックに少しでも関心のある人は是非心にとどめておくべき
作品である ” とその革新的な作風を賞賛しています。一方で同じNME誌でも別の記者によっては
” アートとしては底が浅い ” などと否定されており、感じ方は人それぞれであった様です。
ピーターはこれに対して傷つきそして憤慨し、NME誌へはチケット、プレス情報、そしてレコードも
一切送らないという仕返しをしたそうです。87年に経営陣が入れ替わる迄それは続いたとか・・・

エンディングナンバー「Biko」は反アパルトヘイト活動家であったスティーヴ・ビコの死を悼んだ曲。
私は詳しくないのでアパルトヘイトやビコについて知りたい人は各自でググってください。

本作から方向性が変わり、その後におけるピーターの音楽の一里塚となったのは衆目の一致する所。
しかし私は根っこの部分では少しも変わっていないのだと信じています。ジェネシス時代から
幻想・怪奇・狂気といったものをエンターテインメント音楽としてどう表現するかが彼の目指す所だったと
思います。本作では表面上の表現手段こそ変化したものの、その根幹は揺らいでいません。
およそポップミュージックとして扱うテーマとしては商業的に成り立たないと思われるものを、
本作やトーキング・ヘッズの「リメイン・イン・ライト」(#88ご参照)などは見事に昇華せしめました。
70年代の複雑化したロックやスタジアムロックなどと言われる商業主義に走ったとされる音楽(これに関しては何度も書いてますが決して悪い事ではないと思っています。なにせ商業音楽なんですからね)、
それらに対する反動がアフリカン、リズム革命、そして当時最先端であった機材及び録音技術等を用い
ここに華開いたのです。
前回も書きましたが、あと三年早かったならピーターにしろヘッズにしろ成功していなかったでしょう。
勿論この下地にはパンク~ニューウェイヴといったアンテナの鋭い人達による音楽が先ずあって、
70年代のロック・ポップスに飽き足らないと感じたリスナー達へ見事に響いた事は言うまでもありません。

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